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赤星のカイル  作者: 三山とんぼ
第一部 地図の要らない世界
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1. 迷宮都市の駆け出し冒険者①

あまり手入れされていない裏庭の、まばらに生えた丈の低い雑草の中をかき分けるように、荒い息づかいが響いていた。

こぼれ落ちる汗が乾いた土に一瞬でみこむ。

木剣がぶつかり合う高い音が断続的に鳴る。


ポラリスノア歴一一七二年、前夏節ぜんかせつの終わり。

迷宮都市は、光の精霊が炎の精霊と陽気にステップを踏んでいるかのような、酷暑に包まれている。

気まぐれな風の精霊はだるような暑さに勤労意欲をなくしたものか、ゆっくりと暑気をかき回すばかりで、一向に涼風を届けようとしない。

冬を呼ぶ狂える氷精霊といえば、――視線を真上に向けるとわかるが――【天の大陸(カティスフヴェルグ)】近海に浮かぶオルーガ島をゆっくりと移動しているところだ。

この都市の近くにやって来るまでにはまだ半年ほどもかかるだろう。


今の迷宮都市は一年でもっとも暑い時期に当たる。都市の住民は主に涼しい朝や夕方に活動し、昼はなるべく【天央てんおう燈篭ランタン】の炎にあぶられないように建物の中に避難するのだ。

そんなジッとしているだけで汗が玉となって浮き上がるような熱気の中で、物好きにも二人の人間が木剣をぶつけ合っている。


革靴に包まれた小さな二本の脚が駆けまわり、もう一組の、太く逞しい二本の脚にぶつかるように動き、そして弾き飛ばされる。


「くそっ」


尻もちをついた少年は、それでもすぐに立ち上がって体格に合わせて作られた短い木剣を構える。

吹き出す汗が目に入って視界をふさごうとする。少年は乱暴な手つきで汗をぬぐった。

鉄色の瞳と、金髪にところどころ茶の混じった髪を持った少年である。歳は十代の半ばといったところだろうか。


「やあっ!」


気合の声と共に、少年が右手に構えた木剣を一直線に突き出す。

身体が真っ直ぐに伸び切って、腕の延長線上に木剣を突き出す。木剣と身体が一体になったかのような突きだ。

自己採点なら満点に近い上出来の突きだったが、だからといって、それが目の前にいる相手には通用しないのも、理解していた。

少年に相対する焦げ茶色の髪の壮年の冒険者は、そんな少年の全力を込めた一撃を、素っ気ないくらいにあっさりと横にかわす。


「剣を引くのが遅いぜ」


躱しざまに上から少年の手首を打つ。手加減はしているが、それでも衝撃で木剣が手から落ちる。

これが実戦ならば、恐らく手首を斬り落としているのだろう。そう思わせる迷いのない太刀筋だった。


カランと乾いた音がして、木剣が地面に転がるが、すぐにはそれを拾うことができない。

しびれてしまった右手が上手く動いてくれないのだ。手が動かないのなら口だとばかりに少年が叫ぶ。


「っぇな、この、バカぢから!」


少年が恨みがましい目で冒険者をにらむ。

睨まれたほうはといえば、少年の泣き言などに興味は示さなかった。


「あのなぁ、何度も言ってるんだが。訓練ってのは、実戦のつもりでやらなきゃ意味ないんだよ。カイル、お前は魔物とやり合うときも、そんなふうに泣き言をいうのか? それとも、もう訓練はこれでめにするのか?」


言いながら、ゆっくりとカイルと呼ばれた少年に歩み寄る。

どういう歩き方をしているものか、まったく足音がしない。まるで野生の肉食獣のようにしなやかな動きだ。


「ほら、降参ならさっさとそう言わなきゃあ、終わらんぞ」

「だ、誰が降参なんかするもんか!」


慌てて地面に転がっていた木剣を拾い上げたカイルの上に、容赦のない剣閃けんせんが振り下ろされる。


「ぅおわっ」


妙な悲鳴をあげながら、なんとか地面を転がりながらカイルはける。

頬に付いた土がパラパラと落ちた。

ズボンやチュニックにも土やら草やらがべったりと張り付いている。

カイルはほこりまみれになりながら体を起こす。


――と、そこに振り下ろされた木剣がV字を描くように下から斬り上げられる。


「ひょうん!」


またもや奇妙な悲鳴をあげながら半歩下がったカイルの鼻先を掠めて木剣が通り過ぎる。


「こ、このっ! フォルド! 【十星勇士ヴルグェット】が【星無し(ノウン)】相手に本気を出すな! 大人気おとなげないぞ!」

「アホか。これが本気のわけねーだろうが。欠伸あくびが出そうなほど手を抜いてるっての」


言葉通りに緊張感のない表情をした、フォルドという名の焦げ茶色の髪の冒険者は、そのまま無造作に木剣を横薙よこなぎに振るう。


「うわっちゃっ」


亀のように首をすくめたカイルの頭髪が数本、ちぎれて飛んだ。


「おーおー。なんだか変な動きだけどよく躱すもんだな」

「う、うるさい! よく躱すも何も、躱せなけりゃ死んでるだろ、これ!」

「ハハッ。大袈裟おおげさだな」


またしても無造作に振り下ろされた木剣が、慌てて飛び退いたカイルの影を切り裂いて地面に剣先を深くめり込ませる。

ズシ……ン。と、重々しい音が地響きとなって地面を震わせた。


「な、な、なにが大袈裟だ! こんなのを食らったら絶対死ぬだろっ。ふざけんなっ」

「ん? そうか? まぁ当たんなかったんだから問題ないだろ」

「問題ないわけあるかぁ! 訓練で頭をかち割られてたまるか!」


一瞬でも気を抜けば本気で殺されかねない。得物が木剣だろうと、熟練の冒険者であるフォルドの腕力ならば余裕でカイルなど真っ二つにされてしまうだろう。


「カイル、がんばれー」


必死にフォルドの剣から逃げ続けるカイルを余所よそに、呑気そのものの応援の声がまばらに聞こえてくる。

空き地を囲む低い煉瓦れんがの塀の上に腰かけて、数人の子供たちが観戦しているのだ。

隣で営業しているパン屋の次男のマットと、その悪ガキ仲間が数人。

やはり戦闘訓練などを喜んで見学しようというのは男の子が多いらしく、見物の子供はほとんど少年であったが、一人だけ少女が紛れ込んでいる。

どういうわけか毛先のほうだけ青く変わった白髪はくはつの少女で、名をエリスという。

本人が言うには、別に染めているのではなく、伸びた髪が自然と青く変わってしまうらしい。

膝の上に本を広げていて、カイルの訓練には興味がないとばかりに目は文字を追っている。


このエリスは、現在カイルの訓練の相手をしている冒険者、フォルドの娘だ。

母親は既に病によって亡くなっている。

両親がともに冒険者だっただけあって、エリスにもその素質は受け継がれている。

冒険者の素質とはまず第一に魔力量のことだが、その魔力量にエリスは恵まれているのだ。

それだけではない。エリスは高い魔力に加え、十二歳という年齢ながら既に治癒士としての才能を示していた。

治癒の力は非常に有用でありながら、滅多に持っている者がいない希少な能力だ。

もしエリスが冒険者になれば、ぜひ仲間になってくれと多くの冒険者がつめかけ、争奪戦が起きても不思議ではないほどだ。


冒険者になれるギリギリの魔力しか持たないカイルとは、冒険者としての素質がまったく違う。

だが溢れる才能に反して、エリスはあまり性格的に戦闘に向いてはいないというのが父であるフォルドの評価であり、娘が冒険者などにはなって欲しくないと考えていた……


見物する少年たちの、冷やかしにも似た声援を受けて、カイルが荒い息をつきながらなんとか構えを取る。

少しばかり腰が引けているのは、まだ命懸けの戦いを経験していない見習い冒険者としてはやむを得ないところだろうか。

足が重く感じた。なかなか地面から持ち上がってくれない。圧倒的に格の違う相手に、身体が委縮しているのだ。

カイルの顎の下からまた一滴、汗が地面に落ちていく。


「行くぞ!」


それでも自分を励ますように叫んでカイルは駆け出す。

踏み込み、剣を振り上げ、振り下ろす。

動作は決して遅くはなかった。真面目に剣の訓練をしているのがわかるブレのない剣筋だ。だが、あまりに素直な動きに、フォルドは内心苦笑を漏らす。


「自分より強い相手にただ真っ直ぐ突っ込んでどうする?」


工夫をしろ、工夫を。そう言いながら、半身を逸らしてカイルの木剣に空を切らせつつ、足を払う。


「んのぅわっ」


再び珍妙な叫びをあげながらカイルが横転する。

草の上にあおむけになったカイルの胸を踏みつけて、その首筋に木剣を突きつける。


「……ま、まいった」

「どうもお前はやっぱり実戦の意識が足りんな」


フォルドは木剣を肩に乗せて足を引く。


迷宮ダンジョンじゃ、魔物の攻撃を受けて怪我でもすればほとんどアウトなんだぜ。生き残るには、まず敵の攻撃を受けないことだ。敵を倒すことばっかり考えすぎだ。お前は」


十星勇士ヴルグェット】にして、【百目ひゃくめ】の二つ名を持つ腕利きの冒険者、フォルド=マナ。

ナルム迷宮において、単独で五〇〇(メトリス)を超える深さにまで達した、一代の傑物。

そんな冒険者がどうしてカイルのような新米以下、駆け出し未満の名ばかり冒険者の相手をしてくれているかについては、少しばかり事情がある。


(しかし、もうこんな剣の訓練を半年以上続けているのに、まったく上達した気がしないのはどういうことだろう?)


カイルはいぶかしむ。

フォルドからは、ある程度は戦えるようにならなければ迷宮に入らせるわけにはいかないと言われて、それはもっともな話だと納得したのだ。

いくらカイルにどうしても迷宮に入らなければならない理由があったとしても、入ってすぐに魔物に殺されるようでは意味がない。

だが、そうして毎日剣を振り続けてもう少しで一年。いい加減に上達してもいいはずだ。いいはずなのだ。いいはずなのに、その実感がまるでない。

これは一体どうしたことか。


この一年近く、カイルにとっては自分の剣の才能のなさを思い知る毎日だった。


(父さんに絵を教えてもらっていたときは、こんな思いはしなかったのに)


カイルは唇を噛む。

あの頃カイルは、覚えの悪い兄弟弟子きょうだいでしのことを、なんでこんなこともできないのだろう、と不思議に思っていたのだ。

それがどれだけ傲慢なことだったか、特に悩むこともなく上達できていたことがどれほど幸せなことだったか、今になって実感できた。実感できてしまった。


だが、だからといってカイルは諦めるわけにはいかないのだ。どうしても冒険者としてやらなければならないことがあるのだから……


肩に木剣を乗せたまま見つめるフォルドの視線の先で、再び立ち上がったカイルがフォルドを睨んで木剣を構える。

何度転がしても剣を弾き飛ばしても、体力の続く限り、いや、体力が尽きてもこうして諦めずに立ち向かうカイルの根性はフォルドも認めている。

ただその強靭きょうじんな意思は主に恨みと復讐を燃料として燃えており、そこがフォルドには少しばかり気にかかる。


(ま、冒険者としては珍しくもない話だがな)


カイルは十四歳だ。

最近になってようやく、――表層域に限れば――迷宮の中に入って戦えるくらいの実力をつけたが、他の同年代の冒険者に比べて出遅れているのは否めない。

同じ年頃の冒険者には、既にランクアップを経験している者も少なくないのだ。


最初のランクアップがもっとも時間がかかると言われているが、それでも三年あればほぼ全ての者がランクを上げる。

冒険者になれるのは十二歳からだから、すぐに冒険者になれば今のカイルと同じ歳には、――全員とは言わないまでも――半数以上の者がランクアップを経験している。

もちろん、その前に魔物の手にかかるようなことがなければ、の話ではあるが……


なんの訓練もしていない子供がいきなり迷宮に潜り、魔物と戦えることはまずあり得ない。

戦闘力の問題もあるが、心構えとか、覚悟とか、精神的な面での問題のほうが実は大きい。


騎士の家に生まれた子供は、幼いころから戦いの訓練が施される。そして迷宮に入れる歳になれば親である騎士が付き添って実際の迷宮を経験させる。

その後、騎士や従士のための学校に入学し、さらに戦闘の訓練を積み、護衛と共に迷宮にも潜る。

そうやって徐々に魔物相手の戦いというものを覚えて、いずれは騎士として叙任され、立派に働くことが期待されるのだ。


これが平民となれば、子供の頃からまず生活のために働くことが求められる。

子供が冒険者になることを望んだとしても、幼少の頃から子供に戦闘訓練をさせられる親は多くない。


迷宮は、身分によらず望む者すべてに開かれているとはいうが、実際にはこうして、家柄や財力によって格差が生まれていくのだ。



   ◇◆◇



木剣を手に立ち上がったカイルは、荒い息の下で鈍った頭を必死に働かせる。

なんとかここでフォルドに一矢報いっしむくいたい。

いや、それは不可能だとしても、少しは成長したところを見せておきたい。

そうすれば、フォルドがカイルに迷宮に入る許可をくれるかもしれないからだ。


カイルにはやらなければならないことがある。迷宮の中に、だ。

だが、冒険者としてまだ未熟なカイルは、クランのマスターであるフォルドから迷宮に潜ることを禁止されているのだ。

今の状態で迷宮に潜っても、ただ命を落とすだけだと。


恐らくフォルドの言うことは正しいのだろう。

カイルにしても、自分は十分な実力があると主張することはできない。

カイルという少年の、小さな身体のどこを切り開いても、そんな自信は出てこない。

だからこれまで、フォルドの言いつけに従って迷宮には潜らず、こうして地上で訓練を積んで来たのだ。


だが、それもそろそろ時間切れだ。

カイルは時々、自分のすぐ後ろになにかの気配を感じる。

それは少女の姿をしていて、早く早くとカイルの背中をせっついてくるのだ。

もうこれ以上は待てないと。今すぐ迷宮に潜り、わたしを開放してくれ、と。


近いうちに迷宮に潜らなければ、カイルの目的は果されないまま失敗に終わる。

もしどうしてもフォルドが認めてくれないのなら、カイルはフォルドの言いつけに背いて迷宮に入ることになるかもしれないと、考え始めていた。


「おーい、カイルぅ。もう終わりか? 頑張って一度くらい剣を当ててみろよー」


マットがまた、冷やかしじみた声援を送って来る。


「うるさいぞ! フォルドにそう簡単に当てられるもんかよ!」


泣き言のような台詞を、口調だけは威勢よく叫ぶ。

フォルドは現在三三歳。冒険者としてあぶらののった時期だ。


「つまり、あとは衰えていく一方さ」


などとフォルドはうそぶくが、その動きには衰えなどみじんも感じさせない。

長い間ソロの冒険者として活動し、多くの強大な魔物をほふり続けた猛者(もさ)なのだ。


騎士団からの勧誘も多い。

望めば貴族の一員ともなれる男だが、堅苦しいのは性に合わないと、冒険者を続けている。


カイルにとってのフォルドは、一年前に孤児となった自分を保護してくれた恩人であり、生活力の足りない同居人であり、実戦的な剣術を教わる師でもある。

いや、フォルドからしてみれば、剣術などを教えているつもりはない。

フォルドの剣術自体が迷宮で魔物を相手に磨き上げた我流のものであり、道場剣術のような、剣を振るうための型といったものがない。

そもそも剣術とすらいえないかもしれない。あくまで迷宮において魔物を殺すためのすべなのだ。たまたま道具として剣を使うが、そこはフォルドにとっては別に重要ではない。

槍だろうが、斧だろうが、極端な話素手だって問題ない。要は魔物を殺せるのならばなんだって構わないのだ。

ただ一番手ごろな武器が剣だったというだけの話だ。


そんなフォルドだから、その教え方も実戦あるのみ。

暇なときにはこうしてカイルの訓練の相手をしてくれるが、あまり剣に関してああしろこうしろとは言わない。

口にするのはむしろ、迷宮における心構えだとか、注意点みたいなものが多い。

カイルの剣を弾き飛ばし、その身体をぶん投げたり、転がしたり、剣を突きつけたりしながら、冒険者としての心構えを伝える。それがフォルドの訓練だった。


カイルがまだ新米冒険者であろうと、いざ訓練となればフォルドには容赦ようしゃがない。

とは言っても、フォルドが本気を出せばカイルなどあっと言う間に死体に変わるのだから、もちろん手加減はする。だが、多少の痛みは教訓を叩き込むのに丁度良いと思っている節があった。

今もあまりカイルが動かずにいれば、フォルドは自分からカイルを叩きのめしに来るだろう。

それが嫌なら、敵わないまでも自分から攻める以外に道はない。


「!」


今度は無言のまま、カイルは走った。

右から斬り降ろすと見せかけて左から横に薙ぐ。当然のごとく受けられ、弾かれるが、弾かれた勢いをむしろ利用して次の攻撃につなげる。

木剣が打ち合う音が連続して響く。


「……おお、すげえ。カイル、やるじゃん」


見物している少年たちから感嘆の声が漏れる。

たしかにマットたちにとっては剣劇のようで面白いだろう。だが実は、カイルにしてみればあまり面白くない。

互角に打ち合っているように見えるのは、単にフォルドが付き合ってくれているだけだ。幾度となくこうしてフォルドと剣を打ち合ってきたカイルにはそれがわかる。


強く剣を弾かれれば、カイルは木剣を弾き飛ばされるか、そこまでいかなくとも次の動きが遅れる。その瞬間に勝負は決まるのだ。

フォルドはいつでもそうできるのに、やらないだけだ。


(実戦を想定するなら、さっきのように、渾身こんしんの力を込めて一撃を狙ったほうがまだマシだ)


カイルはそう思う。それならば、なにかの間違いでフォルドに一撃を入れられる可能性がある。どれほど低くとも。

だが、こんな打ち合いをいくら続けようと、万にひとつもフォルドに打ち込むことなどあり得ない。


一度、二人の木剣がかみ合って、動きを止めた。

鍔迫つばぜり合いの形となって、至近距離でフォルドとカイルが睨み合う。

必死の形相で力を込めるカイルに対し、フォルドは涼しい表情だ。そして、フォルドはその男くさい無骨な顔に、ニヤリと笑みを浮かべた。


その笑みを見た瞬間、カイルの頭にカッと血が昇る。なにかがいつもは封じている記憶の奥底から急速に意識の水面に浮上してくる。

観戦している少年たちの声が遠くなる。意識が忌まわしい記憶に黒く塗りつぶされそうになる。


――一年前のあのとき。

父の頭を踏みつけ、母の首を掴んだまま、笑ったあのときの魔物の表情がフォルドのそれに重なる。

噛み締めた奥歯がギリリと音を立てた。


「ニヤついてんじゃねーぞ!」


鍔迫り合いから跳び下がって着地し、反動をつけて再びフォルドの懐に飛び込む。

ただし、今度は姿勢をおもいきり低くとる。

両足を前後に大きく開いて、前足をフォルドの股の下に届くほどに大きく踏み込む。

頭部も自分の膝に額をつけるほどに低い位置におき、そこで腰から上を斜め上に向かって回転させる。

回転の勢いのままに木剣を下から斬り上げた。


「ま、スピードはそこそこだな」


冷静な声が、カイルの真上から降って来た。


「だが、そういう一か八かの捨て身技は、避けられたら終わりだぞ」


振り仰いだカイルの視界に、真上に跳んだフォルドの姿が映る。

そして、その手に持った木剣が振り下ろされるのがやけにゆっくりと見えた。


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