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赤星のカイル  作者: 三山とんぼ
第一部 地図の要らない世界
19/32

18. 拐われたエリス③

カイルがサンディを連れて来たのは、フーセル川に突き出すように建てられた食堂だった。

川底に木の杭をいくつも打ち込み、その上に床を敷いて客席にしたのだ。

利点としては景観が良いことと、涼しいこと。

カイルなどは川がもし増水したらどうするのだろうと思ったが、すぐに気にしても仕方ないことに気づく。……どうしようもないに決まっているからだ。

一度完全に壊れ、――その気があれば――もう一度建て直す。それだけなのだろう。


食堂の片隅では五、六歳くらいの男児が、川に向かって釣り糸を垂れている。

もしかすると、この食堂の真下が魚にとっての丁度良い隠れ家になっているのかもしれない。


特に高級な場所ではないが、その辺にある屋台のように、銅貨二、三枚で食べられるほど安い食堂でもない。


ギリギリ、サンディのような孤児を連れて入っても――あまり露骨には――嫌な顔をされずに済むくらいのランクの場所だ。

当のサンディはといえば、川に近い席に座って、珍し気にあちこち眺めている。場違いな場所に怯むような様子はまったくない。

相変わらずサンディは普通の孤児とは少し違う。あまり生きることばかりに集中していないというか、好奇心が摩滅まめつしていないというか――

つまり心に余裕があるのだ。


(さすが、肝が座ってるな)


それとも、これくらいの店なら別に慣れてしまっていてなんとも思わないのだろうか。

普通は孤児をこんな食堂に連れてくることはないはずだが、サンディくらい人懐っこくておねだり上手ならば、そんな機会もあるのかもしれない。


(もしかして、普段から僕よりも良い物を食べてるってことは、……いや、いくらなんでも、それはないよな。うん、ないない)


なんとなく、あまり深く考えないほうがいいような気がして、カイルは思考を放棄する。


どう見ても孤児とわかる少女を連れて席に着いたカイルに、なんともいえない苦笑めいた表情を浮かべたウェイトレスの少女が注文を聞きに来る。


『あなたも孤児に捕まっちゃったのね、わかるわかる。小さな子にご飯ちょうだいって言われたら断りにくいよね』


ウェイトレスの少女の視線が雄弁にそう語っている。


「あなた、冒険者?」


カイルの腰に下げた小剣を見て、少女が問う。


「一応」

「なら、少し割引するわよ。うちは店主が冒険者を贔屓ひいきしてるからね」

「そりゃ、ありがたいな」

「こちらこそ。冒険者は、わたしたちの代表として魔物と戦ってくれてるんだからね」

「……ねぇねぇ、注文いい?」


れたサンディが会話に割り込む。


「豆のスープと、豚の骨付き肉のローストに……」


メニューも見ずに、サンディがいくつかの料理を遠慮なく注文した。


本当に良いの? と目で訊いてきたウェイトレスの少女に、カイルも苦笑いで頷きを返す。

多分、孤児につきまとわれて飯を奢らざるを得なくなったと思われているのだろうが、今日はそれだけではない。カイルにもサンディに用があるのだ。


「なぁ、サンディ、ちょっと訊きたいことがあるんだけどさ」


目の前に飯を置けば、サンディが食べるほうにばかり集中して話などできないのはすでに知っているので、料理が届く前に早速カイルは話を切り出す。


「なに?」

「サンディは、孤児の冒険者に心当たりはあるか?」

「……うーん、ないこともない」


その返事を聞いてカイルが頬を緩ませる。

唯一の()()が外れではなかった幸運に、カイルはほくそ笑んだ。


「というか、カイルも冒険者だったんだね」

「まぁ一応ね」


そう答えながら、カイルは小剣の鞘をポンポンと叩く。


「こんなの持ち歩いているのは、冒険者くらいだろ?」

「うーん。そうでもないかな。サンディの周りには冒険者でなくても結構武器持っている人いるよ」

「そうなのか?」

「うん」


随分物騒な人間が身近にいるんだな、とカイルは眉をひそめる。

詳しくサンディがどういう生活をしているか訊いてみたくなったが、やはり余計な詮索はするべきじゃないと思い直した。


「話を戻すけどさ、サンディの知り合いの冒険者ってのは、どんなやつ?」

「……」


さすがに、その質問にはすぐに答えることはなかった。当然のことだ。

カイルも、サンディが仲間の情報を簡単に喋るとは思っていない。

場合によってはそのせいで、仲間が危機に陥ることだってあり得るのだ。どういうつもりで仲間の情報を訊いてきたのか、確かめてからでなければ、とても口は開けないだろう。

サンディはカイルの真意を確かめるように、ジッとカイルの鉄色の目を見つめる。


「教えてもいいけど、代わりになにをくれるの?」


……違った。サンディが気にしているのは仲間の情報を勝手に話してしまうことではなく、単に報酬がなにか、らしい。

ああ、このへんはサンディもやっぱり孤児なんだな、とカイルは思う。

欲が深くて、ずる賢い。それが孤児だ。そのことに特にカイルが思うことはない。ただそういうものだと知っているだけだ。


一応、サンディにも孤児同士の仲間意識はあるのだろうが、そういうものも含めて、交渉次第。対価次第。

十分な対価を支払えば、仲間の情報を売るくらいのことは、平気でやるのだ。

役に立つかどうかもわからない情報に、最初から高い値をつける気はカイルにもまったくないのだが。


「飯を食わせてやる」

「それだけじゃダメ」

「……そっか」


カイルはなんでもないことのようにコクリと頷く。


「ならいいや」

「あれ? ……いいの?」

「ああ。ダメなら無理にとは言わない」


そしてもうサンディに興味をなくしたように、視線を外す。

すると、サンディのほうは居心地が悪そうにもじもじと椅子の上でお尻を動かす。


「ね、待って、カイル。短気は良くない。交渉しよ? もう一皿か二皿増やしてくれれば……」

「いや、いいよ。別にそこまで知りたいわけじゃないし」


やがて頼んだ料理が届くと、カイルは「こっちに」とウェイトレスの少女に声をかける。

サンディも手を伸ばそうとするが、皿はカイルの目の前に置かれる。

そしてカイルはガツガツとそれを食い始める。


「あーっ!」


サンディが悲鳴をあげるが、カイルは頓着しない。

すぐに皿は空になる。

またすぐに次の皿が届き、それもまたカイルが食べる。

空になる。次の皿が届く。また食べる。空になる……


「おお、この腸詰め、美味うまいな」

「ううぅぅっ!」


サンディが怒りを込めてカイルを睨む。その口元からは涎が滴り落ちている。

腹を減らした孤児の少女の前で、腹いっぱいに食事を頬張る。鬼畜の所業である。


サンディがテーブルの上に身を乗り出してカイルの皿に手を伸ばすが、カイルはそれをさっと躱す。


「うん、このソースも甘酸っぱくて美味い!」

「――――!!」


とうとう怒りが頂点に達し、サンディは椅子の上に立ち上がってカイルを睨む。

充血して真っ赤に染まった目には涙が浮かび、口から涎が滝のように落ちている。正に怒髪天どはつてんだ。

足元で「ピシッ」と音がして、下を見れば床にヒビが入っていた。


(……いやいや、そんなわけないだろ)


錯覚なのだろうが、まるでサンディの怒りに呼応して床板が割れたように見えた。

ほんの少しだけビビッてしまったのをできるだけ表面には出さずに、カイルが顔を上げる。


「……なんだよ。サンディはいらないんだろ?」

「いるっ!」


小さな身体全体を使ってサンディが叫ぶ。

血走った眼には狂気が宿っていた。

歯をむき出しにして、今にも跳びかかってきそうだ。


「ま、まぁまぁ。落ち着け。短気は良くない。交渉しようじゃないか! な?」

「ぐるるるるるっ!」

「ぎゃあああ」


――少しして。

隣でガツガツと料理を腹に収めているサンディを横目に、カイルは引っ掻かれたり噛みつかれたりしてできた生傷をなでてため息をついた。


「……なに? 結局ただ飯を奢らされただけってことか?」


ぼやく声さえ聞こえていないようで、完全に無視してサンディは食事に集中している。


「ハァ……」


諦めて席を立とうとしたカイルの裾が引っ張られる。


「?」


見ると、食事を頬張りながらサンディがカイルを見上げている。

やがて「ゴキュッ」と音を立てて呑み込むと、サンディが口を開く。


「理由を教えて。なんで冒険者のことなんか知りたいの?」

「……」


カイルは椅子に坐りなおして、サンディの顔を見つめる。

さっきまで憤激していた様子はすでに微塵もない。

どう説明しようか? 一瞬だけ迷ったが、結局普通に本当のことを話すことにした。

一緒に迷宮に潜る仲間を探しているのだと。

特に隠さなければならないようなことでもない。


「……ということで僕の目的が、ちょっと危険な魔物を倒すことなんで、仲間がなかなかみつからないんだ。孤児の冒険者なら、条件次第でどうにかなりそうだと聞いたからさ」

「そう。孤児の冒険者を仲間に……」


なにか思案する様子だったサンディだが、やがて顔を上げて言う。


「いいよ。教えてあげる」

「本当か? それは助かる」

「といっても、サンディが知ってるのは一人だけなんだけど」

「まぁそんなものか」


冒険者になれるくらいに魔力がある人間は、貴族以外では大体五人に一人と言われている。

魔力のある人間が全て冒険者になるわけではないから、現在迷宮都市に住む人間の内、冒険者の割合はもっと少ない。

それを考えれば、サンディの周囲にいる孤児で冒険者が一人しかいないとしても、特におかしな話ではない。

魔力が少なくて苦労しているカイルだが、それでも一般の都市住人に比べれば高い魔力を持っているのだ。


「で、それってどんなやつ? 迷宮で魔物と戦ったりしてるのか?」

「あまり。いつもは屑魔石を掘り出してる」

「……やっぱり?」


そうだろうとは思っていた。でも少しだけがっかりした。

孤児冒険者の別名は、【穴掘り冒険者】だ。


魔物と戦わず、ただ迷宮から屑魔石を掘り出す者たち。


「じゃあやっぱり、僕が装備を貸すから、一緒に迷宮で魔物を倒そうと誘っても、無駄な感じか?」


あまり期待せずに訊いたカイルだったが、予想に反してサンディは首を横に振った。


「ううん。条件次第ではやるって言うと思うよ」

「……そうなのか?」

「多分ね。でも、本当にやる気になるかどうかは、条件次第。あまり条件が良くないと、本気にならないと思う」

「本気じゃないとどうなるんだ?」

「さあ。適当に付き合って、報酬だけもらおうとする、とか?」

「ああ」


それは納得のできる答えだった。いかにも孤児がやりそうなことだ。


「でも、報酬が気に入れば、本気で協力してくれそうなのか?」

「うん、……多分」

「多分ね」


どこまで信用できるかはわからないが、とにかく望みがありそうというだけでもありがたい。


「そいつのこと、もう少し詳しく教えてくれ」

「詳しくって例えば?」

「そうだな、歳とか、種族とか」

「歳は知らないよ。でも、多分カイルと同じくらい。そして、獣人」

「えっ? 獣人……?」


カイルの反応が微妙だったせいか、少しだけサンディの表情が曇る。


「獣人はダメなの?」

「あ、いや。違う違う。そういうわけじゃない。ただ珍しいからさ」


獣人の冒険者は珍しい。

これは獣人という種族にはあまり魔力の多い者がいないためだ。

冒険者になれる割合は、人族ヒューディマのそれよりもさらに低い。

だが、珍しくはあっても、存在しないわけではない。

カイルの身近にも、レイクという獣人の冒険者がいる。

レイクもやはり魔力が少ないせいで、冒険者になったばかりの頃は随分と苦労したらしい。


だがそれでも、獣人には冒険者にとって有利な特徴がいくつかある。

身体能力は高いほうだし、何より感覚が鋭敏なのだ。

視力が良くて、夜目が利く。耳も鼻も感度が高い。

魔力にさえ問題がなければ、冒険者として優れた資質を持っているのだ。


もし獣人の冒険者が仲間になってくれるなら、カイルとしても心強かった。

となると、あとは条件か……


しかし、良い条件じゃなきゃダメと言っても、良い条件とはなんだろう?

迷宮で稼ぐ分は、基本カイルと山分けになるだろう。

同じパーティならそれが普通だ。

あとは貸し出す装備の質だろうか?


それは正直自信はなかった。

カイルも金はあまり持っていない――それどころか、フォルドに借金があるくらいだ――し、武器や防具は高い。

またフォルドに交渉して少し融通してもらうとしても、取りあえず最低限のものしか用意できないだろう。

それではやる気にならないのだろうか?


「うーん」

「どしたの、カイル?」

「いや、どのくらいの条件ならやる気になるのかと思ってさ。一応最低限の装備はどうにか用意するつもりだけど、あまり高い装備なんか僕だって持ってないんだ」

「それは大丈夫じゃない?」

「……そうなのか? でも、条件が悪けりゃやる気がなくなるんだろ?」


さっきはそう言っていたはずだ。


「それは、迷宮の稼ぎの取り分の話だよ。二割しか貰えないとかじゃ、やる気はおきない」

「へ? それは折半だろ?」

「……」


カイルが言うと、サンディは目を丸くする。どうやら驚いたらしい。


「……普通は孤児を相手に半分もくれないよ」


サンディの話では、たまに孤児たちにも、仕事の話が来るらしい。

街中の清掃とか、汚物の処理なんかの汚れ仕事だ。

そしてそういうときは、話を持ってきた人間がほとんどの報酬を持って行ってしまうのだと言う。


だから、サンディもまさかカイルが報酬を山分けする気だとは思わなかったようだ。

そういうことかとカイルは納得したが、でもやはり自分がそうしようとは思えない。


「冒険者の場合は、命がかかってるからなぁ。同じパーティの仲間に恨まれるようなことはできないさ」


いざというときに見捨てて逃げられたら困る。

最低限、そうならない程度の信頼関係は必須だ。


「貸し出す装備の代金分は、少しずつでも返してもらうけどさ」


サンディはコクンと頷く。


「そういうことなら大丈夫。こっちにとっても良い条件だから。やるって言うと思うよ」

「お、それは助かるな」


思ったよりも楽に仲間がみつかりそうな展開だ。まさかこんなにとんとん拍子に話が進むなんて思わなかった。こんなことならどうせ無理だとか思わずに、もっと早くに仲間を探せば良かったかもしれない。

そんなことを考えてカイルは肩の荷が下りたような気分になる。

だが、そこでカイルはちょっと待てよと気を引き締める。ただ仲間になるだけじゃダメなのだ。一番の問題は例の【笑う魔物】だ。あの魔物を本気で倒そうと考えてくれなくては困るのだ。


「でも、強い魔物を倒すってのは大丈夫なのか? 仲間になっても、いざというときになって逃げだされるんじゃ意味がないんだけど」

「それは、サンディもわからないよ。そんなに強い魔物なの? 絶対勝てないくらいに?」

「……僕は本気で倒すつもりだけど。でも、大抵の人は無理だって決めつけるくらいには強い相手なんだ」

「うーん、どうだろう? それでもやるって言いそうな気がするけど、条件を付けるくらいはするかも」

「条件?」

「例えば、上手くその魔物を倒せたら、なにか報酬を約束するとか?」

「ああ、それは当然だな。もちろん上手くいけば報酬は払うつもりだ。というより、そいつを倒せば懸賞金がたっぷり出るんだ」

「そうなの?」

「ああ」


それなら大丈夫とサンディが請け合ったので、カイルは話を進める気になった。


「じゃあサンディ、そいつを紹介してくれないか?」

「うん。でも、先に話を伝えるから、紹介は明日でもいい?」

「もちろんだ」


そして明日に待ち合わせる場所と時間を決めて、カイルはサンディと別れる。

久し振りに、なにか目的に向かって目に見える進展があった気がして、カイルは嬉しくなった。


(いやいや、浮かれてる場合じゃない。大体、まだその相手がどんなやつかもわからないんだ)


気を引き締めようとするが、どうしても頬が緩みそうになる。

半ば諦めていた仲間ができそうな状況に、カイルは心が浮き立つのを感じていた。



   ◇◆◇



「さて、と。これで一応、僕の予定は終わったけど……」


カイルは、ポケットの中から紙片を取り出して、そこに書かれている住所を確かめた。

まだクランハウスに帰って、夕食の支度をするまではかなり時間がある。

本来ならそれまでの間は剣の訓練をするところだが、今日は他に、やるべきことが残っている。

ヨナからの依頼の件だ。


「メモの住所は、こっちかな?」


ヨナに頼まれたのは、ただこの場所に行って欲しいというだけだった。そこでなにかするのだろうとは思うが、その内容をカイルは知らない。

だがそれでも、大きな借りのできたヨナの頼みなら、カイルに否やはない。

行けと言うなら行くだけだ。

カイルの都合の良いときでいいという話ではあったが、なるべく早いほうがいいとも言われたのだ。頼まれたのは昨日のことだが、早い分には構わないだろう。

偶然だが丁度今住所の場所の近くにいて、時間もある。今が、カイルにとって都合が良いのだ。


この都市は比較的最近に造られた、新しい街だ。街並みもそれなりに計画的に建設されてはいる。だがそれでも、当然ながら完璧とは言えない。

全ての区画が正確に整理されているわけではないので、住所がわかっていても、目当ての場所に着くまでには時間がかかる。

下手をすれば、同じ住所の場所がいくつかあったりもするのだ。

それでも路地を行ったり来たりしながら、カイルはなんとかそれらしい場所にたどり着くことができた。


「ここ、……かな?」


そこはどうやら、長期滞在者用の宿屋のようだった。

こういう場所は普通の宿屋とは違い、共用の炊事場や井戸など、最低限の生活に必要な設備が用意されている。

賃貸の集合住宅と言ったほうがわかりやすいだろうか。

宿賃は安めで、まだあまり稼ぎの良くない、駆け出し冒険者などがよく利用する宿だ。


メモに書かれた部屋は、二階のようだった。

外階段を上り、粗末な木製の扉を叩いた。


「…………」


返事はなかったが、その代わりに叩いた扉がゆらゆらと頼りなく揺れる。


「鍵がかかってないのかよ……」


呆れたカイルが、中を覗いてみるが、ほとんど中にはなにも置かれていない。狭い部屋の半分は、ベッドが占領してしまっている。


「おーい、ワタシになにか用があるのカ!?」


どこかから、声が聞こえて来た。

ドアの前を離れたカイルが、声のほうに向かう。

そちらにもカイルが上って来た、建物正面のとは別の外階段があり、下りた場所は中庭になっている。

中庭の中央には井戸がある。そこで水浴びをしていたらしい女蛮族の少女が、二階にいるカイルのほうを見上げていた。


赤銅色の肌から、冷たい井戸水が涼しげに滴り落ちていた。


「お前、ワタシの部屋の前にいたナ? 泥棒カ? 残念だったな、なにもなくてがっかりしたダロ?」


そう言ってケラケラと笑う。

なにも身に着けていないというのに、まったく肌を隠そうとする様子もない。

あまりに堂々としているので、カイルのほうも少しの間、目を逸らすのを忘れていたくらいだ。


「……僕にはなにも用はないよ。そっちが僕に用があるはずなんだ」

「なんだよ、それハ? 初対面の相手に、ワタシが一体なんの用があるってんダ?」


女蛮族の少女は身体を布で雑に拭くと、その布を肩にかけて、階段を上って来る。


「……っ!」


カイルと同じくらいの歳の、健康的な少女の裸体が近づいて来る。

こんなことで簡単に動揺したくはなかったが、やはりカイルは動揺した。


「…………僕はその、ヨナに頼まれたんだ。あの部屋に行ってくれってさ……ホラ」


そう言ってカイルは、ヨナから預かった、住所の書かれたメモを彼女に見せた。

できるだけ顔を、少女に向けないようにしながら。


「……ああ、なるほどネ。確かに用があったのはワタシのほうみたいダ」


どうやら納得したらしく、少女は大きく頷いた。

大股で歩いてカイルの横を通り過ぎると、さっきの部屋に入っていく。

――と思うと、首だけ廊下に出して、「なにをしていル? 早くこっちに来てくれヨ」と、カイルに手招きする。


「……」


躊躇いながらも部屋に入ったカイルだったが、少女がまだ服も着ていないのを見て、クルリと後ろを向いた。


「……あのさ、服ぐらい着てくれよ。頼むから」

「着たってどうせすぐ脱ぐんだから、意味ないだロ?」

「は?」

「それに、暑いンダ! せっかく水浴びしたんだから、完全に乾くまでは服なんて着たくなイ。……そんなことはいいカラ! こっちダ!」


焦れたように、カイルの腕を引っ張ると、ベッドの上に座らせる。


「お、おい、どういう……」

「ホラ、これを使エ!」


そう言ってカイルに、細い絵筆と、黒い絵の具のようなものが入った小さな容器を押し付ける。


「場所は、……そうだな、このあたりにしようと思うんだが、どうダ?」


そう言って女蛮族の少女は、自分の左の腰、それも尻のすぐ近くのあたりを指差す。


「ここなら普段は服の下で見えないだロ? あまり他人に見せるようなものじゃないからナ」

「……」


ホラホラと、見せつけるようにカイルの目の前に近づけるが、カイルは直視できずに固まってしまった。


「……ちょっ、ま、待てっ、待てって! まず離れろ! 離れて、それから説明しろ! 頼むから!」


なんとか少女を引き離すと、ゼイゼイと荒い息を吐く。


「なンダ? ヨナから話は聞いてるんだロ?」

「聞いてない! なにも、聞いていないんだ!」

「……そうなのカ?」

「そうなんだ! ヨナからはただ、ここに行けと言われただけなんだよ!」

「……なにも知らずに、行けと言われればその通りにするのカ? お前は、変わっているナ」


妙な物を見る目をカイルに向ける彼女に、カイルは渋面で答えた。


「……別に誰の言うことでも聞くわけじゃない。ヨナには借りがあったから、どんな頼みでも聞くつもりだっただけだ」

「フウン」


関心なさげに鼻を鳴らすと、少女もベッドの上に腰を下ろす。胡坐あぐらをかいて、壁に背を預けると、仕方なさそうに事情を説明し始めた。


「簡単に言ってしまえば、要はワタシの身体に、刺青いれずみを入れて欲しいのサ」


それが、カイルに頼みたいこと、らしかった。


――あまり要領の良くなかった彼女の説明を、簡単に要約すれば以下のようになる。


彼女の名はウェン。ヨナと同郷、同氏族の女蛮族で、二年前に冒険者になった。ヨナとは幼馴染というか、姉妹のように育った仲らしい。

ヨナに数年遅れて迷宮都市に来たウェンは、ここでみつけた仲間とパーティを組んで活動していたが、数日前に彼女は一人の仲間を亡くしたのだ。

女蛮族の風習のひとつに、仲の良い者、特に親族や配偶者が死んだときなど、故人を偲んで身体に死者にちなんだ意匠の刺青を入れる、というのがある。

もちろん、常にそうするわけではない。

むしろ、死者をいつまでも引き摺るのは、女蛮族としてはあまり褒められたことではないのだ。

だが、どうしても死者を忘れられないとき、心を整理するための手段としてそうするらしい。人の目に触れない場所を選ぶのは、そういった理由からだ。

ただ、本人の顔などをそのまま刺青にすることはない。代わりに故人が好きだったものや得意だったことなどを刺青にするのだそうだ。


それはなぜかとカイルが訊くと、彼女は「無粋だからダ」と答えた。

本人の顔がなぜ無粋になるのか、カイルにはわからなかったが、とにかく女蛮族的にはそうなのだろう。


「あいつは水が好きだっタ。泳ぐのも上手くて、夏になるとよくフーセル川で泳いでいタ。そして冒険者としては、盾の扱いが得意だったンダ。だから、そのふたつを刺青にして身体に残したいのサ」

「水と盾……」


つまりヨナの頼みとは、絵が得意なカイルに、彼女が入れる刺青の意匠を考えて欲しいと、そういうことなのだろう。

確かにそういうことならカイルは、まったくの門外漢というわけではない。

最近は絵から離れていたとはいえ、長い間画家になるための修行をしていたのだ。意匠デザインを考えることはできる。ただ、カイルには刺青の絵がどういうものか、よくわからなかった。

カイルが知っているのは、例えば肖像画や、酒場や商店などの看板に使う絵の描き方だ。

父の工房でも、刺青を入れる仕事は請け負っていなかった。


「僕は刺青の絵なんて描いたことがないんだけど、専門の工房に頼んだほうがいいんじゃないか?」


一応そう勧めてはみたが、ウェンは即座に首を横に振った。


「専門の工房は金がかかル。ワタシはあまり金がないンダ。ヨナに相談したら、タダで引き受けてくれるやつを知っていると言われたから、頼んだのサ。……お前は、金を取るわけじゃないんだロウ?」

「……ヨナには世話になっているから、もちろん金なんか受け取らないけどさ」

「ならいいンダ。お前に頼ム」


安心したように、ウェンは小さく微笑んだ。

ウェンがそれでいいと言うのなら、カイルも断ろうとは思わない。

だがさすがにすぐに彼女の身体に絵を描こうとはせずに、カイルはまず紙と木炭を使っていくつかの絵を描いてみせた。


「この中ならどれがいい?」


いくつかの意匠を見せると、ウェンはその中のひとつを指差して、「これがいイ!」と言った。


「これね……」


それは特別な図案ではない。単に飛沫をあげている水をバックに、盾の絵が描かれているだけだ。

だがウェンは、随分とその絵が気に入ったようだった。

どのくらいの大きさで描くのがいいか彼女に確かめると、カイルは彼女の身体に、墨で下絵を描いていく。

部屋の中は暑かった。窓から差し込む夏の光がジリジリと肌を焼き、汗が頬を伝う。

ウェンの肌にも汗が浮かぶので、時折布で拭ってやる必要があった。

赤銅色の瑞々しい肌に絵筆が滑ると、時折ピクリと肌が震え、笑うのを押し殺したような「クッ」という声が聞こえてくる。


「……くすぐったいか?」

「…………ちょっとネ」


肌を見せてもまったく気にしなかったウェンが、そう答えたときだけはなぜか少し恥ずかしげだった。

女蛮族ってのは本当によくわからないなと、カイルは思う。


(まぁ、ヒューディマの女の子だってよくわからないんだけどさ)


筆が肌をなぞり、ピクリと震え、「ククッ」と小さく彼女が笑う。それを一ターンとしたら、二六ターンで、絵付けの作業は終わった。

下絵の後は、彼女にやり方を教わりながら、針と筆を使って彼女の肌に刺青を入れていった。

消毒のためか墨は酒で溶かれていたので、きつい酒精アルコールの臭いには辟易へきえきしたが、それ以外はスムーズに作業は進んだ。


「…………亡くなった冒険者って、どんな人だったんだ?」


躊躇いながらも、カイルはそう訊いた。

今日初めて会ったウェンに、故人のことを訊くのは不躾かとも思った。だが今カイルが彫っているのは、その故人を表す刺青だ。それなのに、なにも尋ねないのもどうかと思ったのだ。


「うーん、どんな人っていってもナ、……まぁ、普通の冒険者だったヨ」


そんなカイルの迷いなど気づきもせずに、ウェンはあっけらかんと答えた。


「特に優秀でもないが、他と比べて取り立てて劣ってもいなかったヨ。【一星】だが、スキルは持っていなかっタ。『俺はきっと水精霊に好かれているはずだから、次は必ず精霊石が青に染まるはずだ』とか言ってたナ」


特に根拠もないのに、なぜか自信満々だったと、ウェンは笑った。

その彼が死んだのは、やはり迷宮でのことだった。

一〇〇Mを超えた辺りで、豚鬼オークの群れと戦い、倒れたのだ。

四人いたパーティの仲間たちの中で死んだのは彼だけだったが、地上まで遺体を運ぶことはできず、結局その場に残して迷宮を出ることになった……


「しょうがないネ。どうせ遺体を迷宮から引っ張り上げたところで、結局はまた地面に埋めるだけだしナ」


そう言ってウェンは、クスッと含み笑いをした。


「……そっか」


なんと答えて良いかよくわからずに、カイルは芸の無い相槌を打つだけだった。

特に死者を悼んでいるような様子は、彼女にはなかった。こんな刺青を入れるくらいなのだから、ウェンが仲間の死を悲しんでいるのは間違いないのだろうが。

それを見せないのが、女蛮族というものなのかもしれない。カイルはそう思った。


全ての工程を終えて帰る頃には、昼を少し回っていた。

初めてにしては上手くいったのではないかと思う。ただ、確実なことは少し時間が経ってみないとわからない。

自分自身で刺青を入れることもあるというウェンが、問題ないと言っていたのを、取りあえず信じるしかなかった。


ウェンの部屋を出たカイルは、まっすぐにクランハウスに向かっていた。

ウェンからはせめてものお礼にと食事に誘われた。誘いには少し惹かれたが、カイルはクランハウスでの仕事があるからと断ったのだ。


「やれやれ……っと。ちょっとくたびれたな」


肩を回しながら、カイルが独り言を呟いた。

確かに疲れたが、良い経験をしたような気もした。刺青を入れたのは今回が初めてだったが、人の肌に絵を描くのも、なかなか新鮮で楽しい作業だったのだ。

最初は恥ずかしくて直視できなかったウェンの裸も、作業に集中してからは気にならなかった。


(でも、思い出すと…………へへっ、スタイル良かったな。ヨナを全体的にひとまわり小さくしたような感じで……)


カイルの頬が、だらしなく緩む。

ヨナに頼まれてやったことだが、これならむしろ感謝すべきなのはカイルのほうかもしれない。

こういったことなら、また頼まれても構わないと、カイルは思う。

画家の修行なんてやっていれば、誰かの裸を描く機会は、ゼロではない。人間の身体の構造を勉強する必要があるからだ。

父が裸婦画の依頼を受けて描いているところを、傍で見ていたこともある。

しかし、同じ年頃の少女となれば、話は別だ。


(しかも、至近距離だったしな)


夏にフーセル川に行けば、男女問わず裸で水浴びをしている者はいる。

しかし川遊びをしている女の子を、遠くから見かけるのとでは、全然違った。主に迫力が。

今日の話をランドにしたら、きっとものすごく羨ましがられるに違いない。それもまた、カイルは楽しみだった。


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