16. 拐われたエリス①
次の日、レイクたち【緑水の渦】の三人は久々に迷宮に遠征に行くと言って出かけた。
それに、フォルドもなにか直接依頼したいことがあるという貴族に呼ばれて、面倒くさそうにクランハウスを出て行った。
そうすると、一人では迷宮に入ることを禁じられているカイルはすることがない。
それならばと、カイルは昨日考えたように、冒険者の仲間を探すために出かけることにした。
目当ての場所は冒険者ギルドと、あともうひとつあった。
ギルドはともかく、もうひとつのほうに行くのはまったく気が進まない。
嫌なほうから先に、さっさと片付けてしまおうとばかりに、カイルは普段は使わない、辻馬車に乗った。
この辻馬車は行政府が指導し、都市内の決まった経路を周回するものだ。見かければどこでも乗り込むことができるし、乗り込むときに銅貨二枚ばかりを支払えば、あとはどこで降りようと自由だ。
スピードは大人が軽く駆け足する程度で、そこまで速いものでもないが、どこまで行っても同じ料金なので、遠くに用事があるときは便利なのだ。
ちなみに、この辻馬車の振りをして客を乗せ、高額の乗車賃をとろうとする者が時々出てトラブルになることがある。
長年都市に住む者はまず引っかからないが、この街に来たばかりの余所者は簡単に騙されてしまう。
厳しい取り締まりが行われるとしばらくの間は鳴りをひそめるが、少しすればまた同じことを始めるのだ……
今日のカイルの目的地があるのは、都市西岸地区の南寄りにある冒険者ギルドの、さらに南。
都市南門のすぐ近く。東岸地区北側にある【牛の赤ワイン煮】のクランハウスからは、もっとも遠い区画だ。
客を多く乗せるために、辻馬車の車体はかなり大きく、それを大きな二頭の馬で引く。したがって辻馬車が走れるのは整備が行き届いた大きな通りだけだ。
ある程度目的地に近づいたところでカイルは馬車を降り、そこからは歩くことにした。
この辺りは酒場や娼館などもある。東岸地区の泥街ほどではないが、あまり治安が良いとは言えない地域だ。
迷宮に潜らなくなった冒険者くずれに傍点]たちが集まって作る、所謂『くずれのクラン』のホームも、この辺りには多いと聞く。
北側に比べて南に向かう隊商は少ないため、人通りもあまり多くはない。
だが冒険者向けの武器防具などを作る鍛冶場があるのもこの近辺で、冒険者にとっては馴染みのある場所でもある。
もう少し北にある、さまざまな職人が集う職人街と区別する意味で、鍛冶屋街と呼ばれることもある。
昨年の魔物の氾濫では例に漏れずここも被害を受けたが、職人街と比べれば随分マシだった。
したがって、未だ廃墟となった建物が目立つ職人街と違って、こちらは既にほぼ災禍の爪痕は残っていない。
そして、カイルの今日の目的地はここでひっそりと営業していた。奴隷商館である。
そう。カイルの目当ては奴隷だった。
奴隷を買うなど、カイルもまったく気が進まない。だが、誰もやりたくないことをやらせるならば、奴隷というのは確かに選択肢に入る。
いや、別にカイルは奴隷を使う者に対して偏見があるわけではない。
奴隷のほとんどは金に困った普通の都市住人だ。数年間主人に絶対服従する代償に、生活をやり直せるだけの金を得ようとしているだけの。
奴隷を買う人間がいなくなれば、そういう者たちはさらに困窮することになる。
奴隷の主人となる者の中には、裕福な人間の責務として、貧しい者に施しをする目的で奴隷を買う者すらいるのだ。
だがそうはいってもやはり、人間を売り買いすることには抵抗がある。
本人が望んだことではあっても、人間を物のように扱うことに変わりはないのだから。
しかしその抵抗感を無視してでも、カイルには奴隷を手に入れる理由があった。
なにしろ、基本的に主人に対しては絶対服従するのが奴隷だ。
奴隷は主人になる者と魔法的な契約を結ぶ。金銭を代償に、主人は奴隷に服従を要求できるのだ。
カイルが、迷宮に潜って魔物を倒しに行くからついてこいと命じれば、奴隷はそれに従わざるを得ない。
仲間がみつからないのであれば、いっそ買ってしまえということだ。
乱暴ではあるが、確実と言えば確実な手段だろう。
それに、戦闘奴隷なんてものはカイルが買わなくても、どうせ誰かに使い捨てにされるのだ。それならばあまり罪悪感を感じずに済む。
もちろん人道的な観点でいえば褒められたことではない。奴隷だろうと人間だ。使い捨てにしていいはずがない。
だが、奴隷になる人間だって、そのくらいのことは覚悟の上で奴隷になったはずだ。
言ってみれば奴隷というのは、主人に服従する代わりに高い給料を貰える労働者のようなものなのだから。
とはいえ、今すぐにカイルに奴隷を買えるだけの金はない。だから、今日は偵察というか、下見くらいのつもりだった。
奴隷商館の建物の中に入ると、空気がひんやりと冷たい。
多分、この暑さで奴隷が体調を崩さないように、冷気をもたらす魔道具を使っているのだろう。
これは別に奴隷商人が情け深いことを意味しない。ただ商品の品質を維持するための企業努力に過ぎない。
お人好しではないが、無用に非情でもない。
奴隷商館の入り口から入ったところは広い空間になっていて、そこにはいくつもの鉄格子でできた檻が設置されている。
檻の中には一人ずつ、手枷がつけられた奴隷が、鎖につながれていた。
男もいれば女もいた。若い者も、年老いた者も。種族も様々で、目に入る範囲では同じ種族の者は一人もいないようだ。
それは、奴隷商と聞いて誰もが思い浮かべるような、いかにもそれっぽい光景だった。
あまりに想像通りの光景に、カイルはむしろ奇妙な気分になる。
まだしも、清潔な応接室のような場所にでも通されたほうが逆に納得できたかもしれない。
――ああ、そうそう思った通りの光景なんかあるもんじゃないよな、と。
檻にはプレートがつけられていて、そこには奴隷の名前、年齢、技能、種族、それに契約年数と価格が書いてあった。
試しにカイルはそのひとつに顔を近づけて見てみる。
名前:サーリア
年齢:十七歳
技能:踊り子
種族:獣人
契約年数:一年
価格:白貨二枚、大金貨四枚
本当に人に値段がつけられている……!
奴隷商館なのだから当然のことだし、カイルも理解していたはずだったが、実際に見るとやはり衝撃的だった。
檻の中には粗末な椅子が一脚置いてあり、そこにちょこんと座っているのがサーリアという名の獣人なのだろう。
白く柔らかそうな毛に覆われた耳が、頭の上に乗っている。
着ているのは、ギリギリ隠すべきところを隠しているだけの下着のような服である。動いた拍子にヒラヒラと布が揺れるだけで、素肌が見えてしまいそうな代物だ。
煽情的と言うには粗末な衣装だが、それだけに奴隷という身分が意識されて、買い手の男の劣情を煽るように計算されていた。
女蛮族の少女は目を瞑っていたが、カイルが見ていることに気づいたのか、閉じていた目を開けて、カイルに笑いかけた。
それだけのことなのに、なんとなく気圧されるものを感じてカイルは唾を飲み込んだ。
カイルも奴隷を初めて見たわけではない。
首に奴隷の証として刻まれる黒い鎖のような痣のある者は、街を歩けば時折見かけることがある。
特に珍しいものではないのだ。
だが、こうして売買の現場を見るのは初めてだったし、やはり他にはない特殊な雰囲気というものがある。
場違いなところに来てしまったような心地で檻の中の奴隷たちを見ているカイルの傍に、いつの間にか隙のない服装の初老の男が近づいていた。
「今日はどのような奴隷をお探しで?」
聞きようによっては、客に対するには少しばかりぞんざいな口調で男はカイルに声をかけた。
「あ、ああ。……あー、そうだな。そうだ、うん」
頭が上手く回らず、よくわからないことを言っているカイルを、男は黙って待っていた。
「奴隷だ。そう、どんな奴隷か、だったっけ?」
「はい」
「あー、戦えるやつだ。……そう。そういうのが必要なんだ。僕は冒険者だから」
「……となると、戦闘用の奴隷をお望みで?」
「そう。そうだ。そういう奴隷を探してるんだ」
ようやくカイルが要件を伝えると、初老の奴隷商の男はふむ、と呟くと、難しい顔で考え込む。
「……もしかして、戦闘用の奴隷がいなかったりするの?」
「いえ、一応おりますよ。何人かは。……ただ、あまりお勧めできないかもしれませんな」
「というと、なにか問題が?」
「ふむ。問題というか……」
どう説明したものか、と悩んでから、男はニコリと笑った。
「取りあえず、場所を移しましょうか。ここはあまり会話に向いている場所ではありませんから」
◇◆◇
「申し遅れました。わたしはエルンドといいます」
商談をする場所なのだろう。テーブルを挟んで向かいあって椅子が置かれた部屋に案内して、奴隷商の男は名乗った。
「僕はカイル。……冒険者だ」
一応、カイルも名乗っておく。なんとなく【星無し】の身で冒険者と名乗るのは、微妙にうしろめたいような気分があったが。
それはともかく、初老の奴隷商の男はすぐに本題に入った。
「それでですが、まず、一応戦闘のできる奴隷はいることはいるのですが、そういう奴隷を買っていくのは冒険者ではないのです」
「へ? そうなの?」
意外なことを言われてカイルは目を丸くする。
「冒険者じゃなけりゃ誰が買っていくんだ? まさか騎士団?」
さすがに騎士団が奴隷を使うとは思えなかったけれど、他に思いつかなくてカイルはそう訊いてみる。だが、案の定エルンドと名乗った男は否定の仕草をする。
「いえ、騎士団でもありません。まぁ、大抵は商人ですな。店の警備として使ったり、商品を街の外へ運ぶときなどに、護衛として使ったり、そういった目的で買うのです」
「な、なるほど」
確かにそういう用途もあるだろうけれど、でもここは迷宮都市だ。
戦闘のできる者ならまずその仕事場は迷宮ではないのだろうか? せっかく戦える奴隷を買っておいて、使うのが警備や護衛というのでは、いかにももったいないと感じてしまう。
上手くやれば冒険者は儲かる商売だ。戦闘奴隷を買ったのなら、迷宮に潜らせて金を稼がせるのが当然なのではないのだろうか?
そんなカイルの考えを見透かしたようにエルンドは続ける。
「なぜ迷宮で使わないのかと思われるかもしれませんが、それには理由があります。奴隷を商う者としては言いにくいのですが、要は信用できないのです。戦闘奴隷などというものは」
「奴隷が信用できない……?」
逆ではないのだろうか? 契約に縛られて、決して裏切ることができないのが奴隷のはずだ。
そう思ったからこそカイルはここに来たのだし。
「信用できることが奴隷を使うメリットだって思ってたんだけど。違うの?」
率直にカイルが訊いてみると、エルンドは相手の無知を許す寛容さを示して穏やかに微笑む。
「残念ながら、違いますな。目的を同じくする普通の冒険者仲間のほうがよほど信頼できるでしょう」
「ど、どうしてさ」
驚くカイルを見て、エルンドは苦笑いする。
初老の男が、経験の浅い若者に向ける、懐かしさと憐れみが混じった曖昧な笑みだ。
本来ここでエルンドが説明するようなことは、少し経験を積んだ冒険者なら誰でも知っていることなのだ。
もしカイルがここに来る前にフォルドにでも相談していたならば、すぐに「やめとけ」と止められていたはずだ。
「……奴隷は契約によって主人の命令には逆らえないことになってはいますが、それは積極的に反抗できないというだけなのです」
「積極的な反抗?」
「はい。例えば、迷宮で奴隷を囮に使おうと考えて、『前を歩け』と命じたとします」
「うん」
「一応奴隷は前を歩くでしょう。ですが、奴隷のほうも自分が囮として便利に使い捨てされようとしていることはわかります。つまり、主人に積極的に協力しようとはしないのです」
カイルは首を捻る。話は分かるが、それが実際にどういう不都合があるのかイマイチよくわからないのだ。
「魔物がいる気配がしても主人には知らせないでしょうし、足元になにか危険な穴でも開いていたとしても黙っているでしょう」
「それは、ちゃんと命令すればいいんじゃないのか? 『魔物がいたら知らせろ』とか、『危険があれば知らせろ』とか命じておけば問題ないはずだ」
「そうでもありません。大抵の命令は曖昧な表現を含んでますからね。非協力的な奴隷なら、いくらでも命令を曲解して、主の言いつけに逆らいます。『魔物がいたら知らせろ』と命じられても、はっきりと姿を見なければ、気配だけじゃいたとは言えないから知らせない、とか、逆になにか小さい音がしただけで、魔物がいたと大騒ぎしたり、いくらでも消極的な反抗ができるのです」
「……でも、そんなことをしたら、主人からどんな罰を下されるかわからないよな?」
「そうですな。しかし、行きたくもない迷宮に連れていかれて魔物と戦わされること自体が罰のようなものともいえますな」
「そ、そうか」
確かに、既に死ぬような目に合わされていれば、今更罰なんか気にしないかもしれない。
「さらに言えば、生きるか死ぬかという状況では、奴隷も主人に真っ向から逆らうことすらあるのです」
「え? 契約は?」
「契約というのは、主人に逆らったり、危害を加えようとすれば耐えられないほどの苦痛を受けるというものなのですが、死ぬ気になれば逆らえないこともないのです。実際、主を殺害して、自分も苦痛で死んだ奴隷の例もあります」
「……つまり、刺し違えるくらいの覚悟が奴隷にあれば?」
「はい。そこまで恨まれれば奴隷でも主人を殺すことはあり得ます」
「……そっかぁ」
当てが外れたカイルが肩を落とす。
「そのようなわけで、冒険者が迷宮に奴隷を連れて入るということはほとんどありません」
「でも、奴隷が迷宮に入ることを納得していたら問題はないよな?」
往生際悪くそう言ってみるが、すぐに反論される。
「そうですが、そんな奴隷はまずいません。命懸けで戦っても、稼いだ金は全て主の物になるわけですから」
確かにそれじゃあ、奴隷からしたらやっていられないだろう。
「で、でも、それなら奴隷に報酬を渡すと約束すれば……」
「奴隷に分け前を渡すのですか? それなら奴隷を使う意味はあるのでしょうか?」
「た、確かに」
分け前を渡すのなら、普通に冒険者とパーティを組むのと変わらない。
そもそも、カイルが奴隷を使おうと思ったのは、普通の冒険者が望まない場所に連れて行くためなのだ。
嫌々でも命じれば逆らえないのが利点であって、奴隷を納得させて連れて行かなければならないのなら、最初から奴隷を選択する意味はない。
仲間を探すよりも、奴隷を買ってしまったほうが簡単だと思ったのだが、さにあらず。世の中そう都合よくはできていないらしい。
どうやら奴隷を連れて迷宮に入るのは、仲間を探すよりもさらにハードルが高かったようだ。値段のことを置いたとしても。
「……まぁ、そういった問題のない奴隷というのもいることはいるのですが…………」
「え?」
エルンドの小さな呟きを聞き咎めてカイルが顔を上げる。
「それってどういう意味?」
「ああ、いえ。すみません、口が滑りましたな」
エルンドは失敗したと、気まずそうに言う。
「迷宮に連れて行ける奴隷もいるってことか? ここに?」
詰め寄るカイルに困ったような顔を向ける。
「いえ、ここにはそのような奴隷はいませんし、まともな商館なら扱ってはいません。というより、そんな奴隷を扱った時点で犯罪者になる、そんな話です」
それを聞いて落胆したカイルだったが、それでも「どこに行けばそんな奴隷を買えるんだ?」と尋ねた。
買うかどうかはともかくとして、情報だけでも手に入れておきたかったのだ。
「やめておきなさい」
そう言ってエルンドはため息をつく。
「本当に、余計なことを言いました。……普通ではない、言ってしまえば、所有するだけで犯罪になるような、そんな奴隷もいるのですよ」
そしてそんな奴隷を扱うのは、違法奴隷商や盗賊などの犯罪者集団だと、エルンドは言う。
「どんな命令だろうと、それこそ、今ここで死ねというような命令でも逆らえないような奴隷です。しかも、期限がない。一度そんな奴隷になれば、永久に奴隷のままです。それならば迷宮に連れて行っても問題はないでしょうが、真面な人間が考えるようなことじゃありません」
「永久奴隷……」
「はい。奴隷というのは物のように扱われる人のことですが、これは比喩ではなく、本当の意味で、人を物にする話ですから。ある意味では殺人です」
殺人の片棒を担ぎたいとは思わないでしょう? と訊かれて、カイルは「それは、もちろん……」と頷いた。
「なら、忘れてください。……いえ、わたしが口を滑らせたのがいけないのですが。歳は取りたくないものですな。ついつい、思ったことを独り言のように口にしてしまう」
そう言ってエルンドは、自嘲じみた笑みを浮かべた。




