12. 女蛮族の流儀①
そして次の日、カイルの朝はいつものように、窓から差し込む赤い光と共に始まった。
【赤の刻】が始まると同時に、聖堂からは都市中に鐘の音が響き渡る。
見習いの神官が高い鐘楼の天辺まで登って鐘を鳴らすのだ。
ドワーフの鍛冶師が数人がかりで作り上げた巨大な鐘が、カランカランと乾いた音で、迷宮都市に朝を告げる。
カイルはもぞもぞと毛布の下から這い出し、簡単に身支度を整える。
「あー、えっと……光の神よ、慈悲深くない神々の王よ。……まぁ適当に世界をピカッと照らしてくれよ」
元々長くもない朝の祈りの言葉を、カイルはわざといい加減に唱える。
子供っぽいが、これはカイルなりの、家族を救ってくれなかった神に対する不信感の表明のようなものだ。
服を着替えて、前髪の一房、濃い茶色の髪を三つ編みにする。
それは、妹が毎朝のようにカイルの髪で遊んでいたことから始まったカイルの習慣だ。
カイルの髪は金髪に茶が混じった色をしているが、一房だけ、まとまって濃い茶色になっている部分があるのだ。
それを面白がって、毎日のように妹が三つ編みにした。別にカイルはその髪型を気に入ったわけでもないのだが、妹が動かない石となってからも、なんとなく自分で続けている。
廊下に出ると、階段の近くの窓から身を乗り出す。建物の外壁に設置された梯子に飛び移るのだ。
一階に下り、裏口から外に出てから梯子を登れば安全なのだが、面倒くさい。
屋根に上るために、一度二階から一階へと降りるのが無駄に思える。
飛びつくときに足を踏み外しかけてヒヤッとしたが、なんとか落ちずに済んだ。
梯子に足をかけると、そのまま屋上まで上る。
「よっ……っと」
勢いをつけて屋上に降り立つと、迷宮がある南の方角に目を向ける。
「どれどれ? 今日の天気は、どうだ?」
ついこの前も迷宮の天候が荒れたせいでしばらく迷宮に入れなかったカイルは、恐る恐る外壁の上の旗を確かめる。
「えーと、げっ、雪の旗!」
うんざりした気分になるが、雪ぐらいなら迷宮に入ろうと思えば入れないことはない。
吹雪や雷雨よりはマシだと気を取り直す。
旗を確かめると、カイルはまた梯子を使って地上に降りる。
クラン【牛の赤ワイン煮】のメンバーの食事の世話は、基本的にカイルの仕事だ。
裏口から入って、クランハウスの廊下を歩くと、丁度玄関から誰かが両手に水桶を持って入ってくるのに出会う。
「……おう、カイル。今日の迷宮の天候はどうだった?」
深緑色の髪をしたランドが訊いてくる。
「……それがさ、雪だって」
「げー、雪かよ、最悪だな」
「だね」
「寒いだけで迷宮に入ろうと思えば入れるってのが中途半端なんだよな」
ランドは台所に入ると、入口の近くに置いてある水瓶に桶から水を移す。
もうひとつの水桶はカイルが受け取って、こちらは竈の上の鍋に水を移していく。
「……カイル、それでお前は今日、本気でヨナと迷宮に行くのか?」
「うん。そのつもり」
「…………大丈夫か?」
「……え? 大丈夫じゃないの? フォルドがそうしろって言ったって聞いたんだけど」
ヨナだって【四星】の立派な冒険者だ。確かにちょっと大雑把なところはあるけれど、冒険者として基本的なところは十分わかっているはずだ。
それなのに、なぜかランドはものすごく心配そうにカイルを見ている。
「まぁヨナは実力的には問題ないんだがな。だが、性格がなぁ……」
「ああ」
それはカイルにも心当たりがあることだ。
どうもヨナは、危険なことを恐れないどころか、嬉々として危険に向かって行くところがあるようなのだ。
だからこそ、カイルに対しても無茶をするように唆すようなことを言ったのだろう。
そんなことを考えながら、野菜と塩漬け肉を適当な大きさに切って鍋に放り込む。
味付けに塩と香草を少しばかり入れて蓋を閉じる。
「それって、ヨナが向こう見ずだとか、そういうこと?」
「まぁそうだ。あいつの場合は向こう見ずというよりも危険を楽しんでいるって感じだけどな。だからお前も、あまりヨナが妙なところに連れて行こうとしてたらちゃんと断れよ?」
「……うん、わかった」
(まぁヨナのやつも、昨日あれだけフォルドに念を押されていたらそう滅多なことはしないはずだけどな)
ランドもそうは思うが、完全には不安は払拭できない。
それは、カイルがある意味ヨナの同類であるためだ。
ヨナと違ってリスクを楽しむというタイプではないが、進んで危険に突っ込んで行きそうなところはどちらも同じだ。
実際、カイルはランドには一応「わかった」と答えたが、本心ではむしろヨナがカイルをリスクの高い場所連れて行ってくれるなら望むところだと考えていた。
強くなるためにそれが近道だというのならば、喜んでリスクを冒すつもりだった。
「よし、あとは煮込むだけだ」
話をしながらもカイルは手を動かして、スープの仕込みを終えた。
着火の魔法具を使って竈に火を点ける。火力はあるのだが、薪を使っている以上、煤が出るのは避けられない。
煙突があっても、台所の天井はすぐに真っ黒になってしまう。これでも一応、煤の出にくい種類の薪を使ってはいるのだが。
「ランドも今日は迷宮に行くの?」
「あー、どうすっかな? 一応まだ休暇中なんだが、勘を鈍らせるわけにもいかないしなぁ」
どうやらランドは迷っているようだ。
一応迷宮に行くつもりではあったが、天候のせいもあって億劫になっているというところだろうか。
カイルはコップで水瓶の水をすくってひと口飲んだ。
「ふぅ」
ため息のような吐息を吐き出したカイルに、ランドが、「俺にもくれ」と手を伸ばす。
カイルが手渡したコップを呷って、乱暴に口元を拭う。
「最近は慎重な冒険者が増えてきたってのに、なんでうちのクランには無鉄砲なのが多いのかね?」
「そうなんだ?」
「ああ」
不思議そうに訊いたカイルに、ランドは頷いて答える。
ナルム迷宮の探索が始まってから二〇年余りが過ぎた。
最初は同じスタートラインに立っていた冒険者たちも、今では実力に大きく差がついた。
トップを走るパーティが、迷宮の破壊を目指して攻略を進めるのに対して、大きく後れを取ってスタートすることになる新米の冒険者たちからすれば、既に先達の冒険者は背中すら見えない遥か彼方にある。
今から追いつこうとは思えないほどに。
「だから最近冒険者になる新米は、あまり迷宮を攻略しようってやつは少ないぜ。大抵はちょっとばかり小金を稼ぎたいってのばかりだ」
「ふうん」
カイルには納得しづらい話だが、そういうものだと言われればそんな気もする。
「でも、去年迷宮から溢れた魔物に家族を殺された、僕みたいな冒険者も多いと思うんだけどな」
そういった冒険者は、家族の仇を討ちたいと思うものではないのだろうか?
カイルにとってはそれが当然のことなのだが、そう思わない者もいるということだろうか?
「いくら仇を討ちたいと思っても、それができるやつはそう多くはないだろうよ。まず冒険者になれるだけの魔力がなければどうしようもないんだしな」
「ああ、それはそうだよね」
カタン、と軽い音がしてカイルが振り返ると、そこには眠そうに眼をこすりながらエリスが台所に入ってきたところだった。
「……おはよ」
ほとんど「おあよ」と聞こえるエリスのあくび交じりのあいさつに、「ああ、おはよう」と返事して、カイルは床を指さす。
「悪いけど、食料庫からパンを出してくれないか?」
「わかった」
床にある入口の蓋を持ち上げて、エリスが地下に入っていく。
少しして、よっこらしょ、と地下から戻ってきたエリスが、「はい、これ」と、両手に抱えていたパンをカイルに差し出す。
「ありがと」
そう言ってカイルはエリスからパンを受け取る。串の先に少し固くなったパンを刺して、竈の火で炙った。
やり過ぎると焦げるし、そうでなくとも煙の臭いがついて味が落ちるから、ほどほどに……
スープにパン、飲み物は葡萄酒か水。これが定番の朝飯だ。
昼は朝の残りがあれば少しつまむ程度で、食べないことも多い。
夕方にはある程度料理に時間が取れるので、一番豪華になるが、それでも朝のメニューにもう一品か二品増えるくらいだ。
クランハウスで出す食事はあまり豪勢にする必要はないとフォルドからも言われている。
これで満足できなければ、どこか外で食ってくればいい、というのがマスターであるフォルドの方針だった。
フォルド自身、それなりの頻度でエリスを連れて外食に出かけている。
カイルにしてみれば、もっと材料費を奮発するから豪華な食事を作れと言われても困るので、この方針にはもろ手を挙げて賛成している。
「おっし、いいな。カイル、男どもを呼んできてくれ。エリスは女部屋を頼む」
炙ったパンを皿に載せながら言うランドに、「了解」と答えて、カイルはまず居間の奥にあるフォルドの部屋に向かう。
「フォルド、朝飯だぞ!」
「……んぅああ」
呻きながら身体を起こすフォルドは、全裸だった。
「げっ! またか! なんでいつもいつも素っ裸なんだよ!?」
思わずカイルはその場を飛び退く。見たくないものを見てしまったせいで気分が最悪だ。
「うるせえな。俺は寝るときは全裸じゃなきゃなんか落ち着かないんだよ」
そう言って胸のあたりをボリボリ掻いている。
こんなオヤジが結構モテるらしいのが、カイル的にはなんとなく不条理な気がする。
「フォルドさぁ、そんなんだからエリスが二階の女部屋で寝るようになったんじゃないのか?」
「逆だ逆。さすがに俺だってエリスがいるときはこんな格好で寝ちゃいない」
「本当かね」
疑わし気にカイルが眉をひそめる。
「大体、裸で寝るのは俺だけじゃないぞ。ヨナだってよく裸で寝てるだろ」
「ヨナはまだ下着はつけてる」
それに、フォルドの全裸と比べたらヨナのほうがよっぽどマシだ。よっぽどのよっぽどだ。
「最近はそうだけど、お前が来る前は、マジで全裸で家ん中歩いてたりしたんだぜ」
さすがにエリスの教育上良くないということで、口が酸っぱくなるほど言い聞かせて、やっと全裸で家の中を歩くのは止めさせたらしい。
「そうなのか? それは一度見てみたかったな……」
カイルは呟くが、フォルドは嫌な物を思い出したようなしかめっ面をする。
「あんなもん、全然良いもんじゃないぜ。ただだらしないだけだ。寝起きの顔で欠伸まじりに全裸で歩かれても、ギョッとするだけだ」
「……自分のことを棚に上げ過ぎだろ」
しかし、せっかく同じ家で男女が共に生活しているのに、感想が「ギョッとする」じゃつまらない。もうちょっとなにかないのだろうか?
「朝からしょーもないこと言ってないで、ホラ、とっとと行け」
フォルドに邪険に追い払われて、今度は二階に上がる。
見ると、階段から一番手前にある女部屋にエリスが入っていくところだった。
一瞬ドアの奥に下着姿のヨナが見えたが、すぐに目を逸らした。というか、同じ家に住んでいればこんなことはよく起こる。いちいち気にはしていられない。
【緑水の渦】の部屋の扉をノックして、「飯だぞ!」と声をかける。
レイクは特に返事もしなかったが、わざわざ部屋の中に入ってまで起こしたりはしない。
声をかけるまでがカイルの仕事であって、それでも来ないなら本人が朝飯を食いっぱぐれるだけのことだ。
食堂のテーブルは六人が同時に席につける。
アスリィやフロレッサがいるときは全員が一度には食べられないから、カイルは後回しになる。
しかし【白火の剣】の二人はあまりここで生活はしていないので、大抵の場合は全員で一度に食事をすることになる。
「六神の加護と日々の恵みに感謝します」
代表して唱えるフォルドの祈りの言葉に、他のみなが心の中で唱和する。
朝に弱いレイクは、むっつりと黙ったままパンを齧っている。
ランドやエリスも、――レイクほどではないが――あまり朝に騒がしいほうではない。
だがそういった空気をまったく気にしない者もいた。
「カイル、楽しみにしておけヨ。今日はいつもより長い間潜るからナ」
ヨナは楽しそうに笑う。
「わかってる」
ヨナに返事をしながら、カイルはフォルドの様子を窺う。
いつものフォルドなら、もっと慎重になれとヨナを窘めそうなものだが、今日は特になにも言わない。
それがなぜなのか、少しばかり気になったが、それを尋ねれば「なんだ止めて欲しいのか」なんて言われてしまいそうだ。
藪蛇になるのを恐れてカイルはなにも言わずに黙っていた。
(なにも言わないってことは構わないってことだよな)
カイルは自分に都合の良いように解釈すると、黙って朝食を口に運ぶことに集中した。
◇◆◇
カイルは胸などを金属で補強した布製の防具をまず身に着け、その上に草色のチュニックを着た。
布製の防具には、ナイフのための留め具が縫い付けられている。カイルはそこに、スローイングナイフを五本、差しておく。
これがカイルにとって唯一の、遠距離攻撃手段だ。あまり練習していないので、命中率はお察し、なのだが。
ズボンを履き、ホーズを身に着けて、それを脛のあたりで革紐で縛る。靴はくるぶし丈の革靴だ。
これだけ見ると、少なくとも外見上は特に冒険者らしいところはない。よく見れば防具の分だけ上半身が膨らんで見えるが、それだけだ。
だが、剣を佩くところが普通とは違う。腰に下げる武器こそが、冒険者であることの証だ。
カイルは衣装箱の奥から、宝物でも取り出すように、大事そうに小剣を取り出す。
腰に剣帯を巻いて、そこに小剣を下げた。
これらはフォルドが買ってくれたものだ。安物だとは言っていたが、魔物の氾濫で全てを一度失くしたカイルにとっては大事な財産だ。
カイルが僅かばかりの自分の装備を身に着けて下に降りると、玄関の前には銀の鎧を着て黒鞘の剣をベルトに吊るした、どこから見ても冒険者の姿となったヨナがいた。
今日は不要だが、ヨナは普段、レイクやランドと共に迷宮に潜るときにはこれにマントを身に着ける。
ヨナの愛用のマントは少し暗い赤色で、薄暗い迷宮の中では目立たない。裏地には肌触りの良い毛皮を使っていて防寒性能も良い。
マントは戦闘時には邪魔になるが、何日もの間迷宮で過ごす場合にはどうしても必要になる。
防寒着になるのはもちろん、ときには寝具代わりにも使える。
カイルのように入って数刻で引き上げるならともかく、何日もそこで過ごすのであれば、たまに起こる戦闘よりも、迷宮内での生存環境を優先させる必要があるのだ。
そんな事情はともかく、カイルのような駆け出しの冒険者にとっては、マントを身に着ける姿自体が憧れの対象だ。
纏ったマントの裾のあたりから、剣の鞘を覗かせている姿はやはり恰好良い。
マントを身に着けるということが、新米を卒業し、何日も迷宮で過ごすことのできる実力の証でもある。それもあって、街を歩けば少年たちが羨望の視線を向けるのだ。
カイルも幼いころ、――特に冒険者になるつもりはなかったが――やはり颯爽とマントを羽織って歩く冒険者には憧れたものだ。
早くそんな冒険者になりたいと思うが、今の調子ではそんなふうになれるのは、いつのことになるやらわからない。
「行くゾ」
「ああ」
ヨナに先導されてクランハウスから出るカイルに、後ろから声がかけられる。
「気をつけなさいよ」
振り返ると、なんだか怒ったような顔で、エリスが見送ってくれた。
エリスはエリスでこれから神殿に行くのだ。
そこでは子供を集めて色々なことを教えてくれる学校が開かれている。
誰でも入れるわけではないが、治癒の才能をもつエリスは神殿のほうから是非にと言われて通っているのだ。
教会のほうの思惑としては、いずれ神殿に所属する治癒士としてエリスを引き抜きたいのだろう。
もっとも、エリスのほうはあまり神の教えには興味を示さず、それよりも神学校の図書館で色々な本を無料で借りて来れることを喜んでいるのだが。
エリスに手を振って家を出た二人は、迷宮通りを南に向かう。
迷宮都市、ウェクスノッドには大きく分けて二つの地区がある。街の中心を南北に流れるフーセル川によって分けられた二つの地区だ。
クランハウスがあるのも、迷宮の入り口があるのも迷宮都市の東岸地区になる。
この東岸地区をフーセル川と平行に南北に貫く大通りが迷宮通りだ。この通りの南側の突き当りが迷宮の入り口であり、カイルが向かう目的地だ。
ちなみに、西岸地区にもやはり南北に走る大通りがあって、こちらの名前はエスティア街道という。
この街道を、迷宮都市を出て北にずっと進めば、遠くラーサス領にまで続いている。
ナルム迷宮と呼ばれるこの迷宮が発見されたのは今から二三年前のことだ。
発見されたときは既に深層まで達していたこの迷宮を破壊するためだけにこの街は造られたのだ。
深層迷宮を破壊するために多くの騎士と冒険者が集まり、彼らを支援するために都市が設計された。
都市には商人や職人が王家から援助を受けて移住し、増えた人口を目当てに、さらに食堂や宿屋、酒場などを経営する者たちが集まる。
土木作業にはたくさんの土魔法を身につけた魔導士たちが動員され、急ピッチで都市が建造されていった。
当時は、近くの山の上に崩れかけた砦の遺跡があるだけであったこの地に、一時は三〇万に迫る人口を抱えた、東部諸侯領で最大の街が造られたのだ。
迷宮を破壊するために造られた街ではあるが、現状、この街の経済はその迷宮によって成り立っている。
東部諸侯領に属する多くの騎士たち、それに一獲千金を夢見る冒険者たちがこの街に押し寄せた。
前者は騎士に課せられた高貴なる義務のために。そして後者は欲によって。
それから二〇年余りの間、迷宮は多くの挑戦者たちの命を飲み込みながらいまだ破壊には至っていない……
カイルは横を歩くヨナをチラリと見る。
「ン? どうしたンダ?」
カイルの視線に気づいたヨナがカイルに笑いかける。
ヨナの様子はいつもとまったく変わらない。
もしかすると、昨日のことでカイルに付き合うのが嫌になったレイクやランドの代わりに、ヨナがカイルの世話を押し付けられたのかと思ったのだが、少なくともヨナの態度からはそんな様子は感じられない。
「……今まではヨナは僕の付き添いには向いてないってフォルドに言われてたはずだよね。なのに、どうして今日に限って、ヨナが僕について来てくれることになったのかな、って考えてたんだ」
「ああ、それナ」
ヨナは少しだけ言い難そうに苦笑いを浮かべる。
「……まぁ、いいカ。隠しても仕方ないから言っちゃうけどサ、マスターから、どうもカイルが苛ついているようだから、ガス抜きをさせろって言われたンダ」
「ガス抜き?」
「ウン」
ヨナは頷いて続ける。
「要するに、多少カイルに無茶なことをさせて、気分転換させてやれってことサ。ただし、死なせるのも、酷い怪我をさせるのもナシだってサ」
無茶を言うよね、とヨナは顔をしかめる。
「そういうことか……」
カイルは苦笑する。
まぁ、誰の目にもカイルが焦れているのは明らかだっただろう。それは、カイルも自覚している。
【百目】のフォルドなら、カイルがフォルドの命令を無視して勝手に迷宮に潜ろうと考えていたことまで、バレていたとしても不思議はない。
少なくとも、疑われてはいるはずだ。
だからそれぐらいならと、ヨナに多少無茶をさせてやれと指示したのに違いない。
(どうも僕はフォルドにも、ヨナやレイクたちにも迷惑かけちゃってるな……)
カイルにもそのくらいのことはわかる。
きっとフォルドたちにとっては、自分は面倒なお荷物なのだろう。
それでも放り出そうとはせずに、こうしてカイルが死なないようにと考えてくれるのだから、ありがたいことなのだ。
だが、それをわかっていても、カイルには妹を諦めることはできない。
迷惑をかけることになっても、心配をかけることになっても、それでも無理なものは無理なのだ。
(いつかフォルドにも、レイクやランドたちにも借りは返そう)
そう決めた。少し格好をつけた言い方をすれば、これは自分自身に対する誓約だった。
例え誰も知らなくても、決して裏切れない、自分に対する誓約だ。




