10. 地図の要らない世界②
その日の夜、カイルはクランハウスの居間で、長椅子に座っているフォルドの前に進み出た。
なんとか一人で迷宮に潜る許可を貰えるように頼んでみるつもりだった。
今、たいして広くもない居間には、フォルドの他、【緑水の渦】の三人と、それにエリスがいる。
いつものように、このクランのトップパーティ【白火の剣】の二人はここにはいない。きっとどこか高級な宿にでも泊っているのだろう。
もしくは、迷宮の中か、だ。
フォルドたち男三人は、温いワインをチビチビと舐めながらなにか話していて、エリスはヨナに教わって琵琶を弾いている。
それは四本の弦が張ってあって、指で弾く。
ヨナが故郷から持ってきたものだ。案外女蛮族という種族は存外、音楽が好きらしい。
ただ、別にそれが女蛮族の伝統楽器というわけではないようだ。
以前カイルがヨナに尋ねると、「ワタシたちの伝統の楽器と言えば、叩く物ばかりだヨ。太鼓とか、木琴みたいな打楽器だネ」と言っていた。
ヨナの故郷では夜、氏族の仲間が車座となって音楽を演奏し、踊りを踊ったり酒を飲んだりして楽しむそうだ。
当然だが、女蛮族とはいえ、四六時中戦闘ばかりしているわけでもない。
いつもなら、カイルはこの時間も外で剣を振っていることが多い。
だが、たまにはカイルもみなと一緒にこの居間で過ごすこともある。
そんなとき、カイルは紙と木炭を使って、クランの誰かの似顔絵を描いたりもする。
そうしてできたカイルの作品が、居間の壁にいくつも貼られている。
フォルドにエリス、それにレイクやランドも。アスリィやフロレッサの絵もある。
唯一、ヨナの絵だけはここには張られていないのには、ちょっとした理由があるのだが……
「フォルド、頼みがあるんだ……」
緊張を押し殺してカイルがそう口にすると、フォルドはあからさまに面倒くさそうな表情を浮かべる。
「なんだってんだよ、あらたまって」
明らかに歓迎されていないが、そのくらいで怯むわけにはいかなかった。
「なあ、僕に一人で探索させてくれないか? もう何度も迷宮に潜ったんだ。そろそろお目付け役はお役御免でいいだろ?」
カイルがそう言うと、フォルドはついっと視線をランドとレイクの二人に向けて、「と、こいつは言ってんだけど、どうだ? 一人でもやれそうなのか?」
「いやぁ、それはどうかな? 俺はまだ早いと思うぜ」
ランドは苦笑気味にそう答えた。レイクに至っては答えるまでもないと言いたげに顔をしかめただけだ。
そんな男たちの様子をヨナは面白そうに眺めていて、対照的にエリスは困ったものだとでも言いたそうにため息をつく。
「……だってよ。まぁもう少し二人に教わるんだな。むしろ、こうして面倒を見てもらえるのがクランに入る利点だろうが。ありがたいと思って勉強しとけよ」
さもなければ、仲間を探すことだとフォルドは言う。
「何人も連れてこいとは言わん。一人でいい。お前がちゃんと仲間をみつけてきたなら、付き添いなしの探索を許してやってもいい。人数が増えるってのはそれだけ利点が多いからな。だがお前一人じゃ、まだダメだ」
「どうしてだよ!? 今まで別に怪我もしてないんだし、魔物も倒してる。一人でもやれるってことじゃないか」
そう主張するが、フォルドはそんなカイルの意見に耳を貸そうとはしない。
それどころか、物分かりの悪い新米にうんざりしているようだ。
「正直、なんでお前がそうソロに拘るのか理解できん。確かにお前の目的が目的だから、そう簡単に仲間がみつかるとは思わんが、それでもまったく可能性がないわけでもないだろうが。お前が本当に妹のためになんでもやる覚悟があるなら、仲間を探すくらいのことがなんだってんだ」
フォルドの言うことが理屈としては正しいことを、カイルもわかってはいる。それに、カイルは別にソロに拘っているつもりもない。
だが、それは――フォルドも言っている通り――簡単ではないのだ。まだ駆け出しの冒険者が、短期間で大物を狙うというのが無茶なのだから、そう簡単に仲間がみつからないのは当然だ。
「――そもそも、問題ないようなら一人で迷宮に入っていい、って約束だったろ」
「問題ないようなら、だろ? 問題があるからダメなんだ。お前に大きな怪我がなかったのは、レイクやランドがいたからだろうが。そのためにお目付け役がいるんだから当然だ。なんの根拠にもならん」
「一人だって無事に帰って来るさ!」
自信たっぷりに断言するカイルに、フォルドは処置なしとばかりに首を振る。
フォルドがチラリと視線だけで促すと、こちらも面倒臭そうにレイクが言う。
「俺がいなけりゃ、お前は毎回派手に血を流して戻って来るか、さもなきゃ死んでるぜ。なにが一人でやれる、だ。身の程知らずもいい加減にしろよ」
ジロリと睨まれて、カイルは言葉に詰まる。
カイルにしても、本当はフォルドやレイクたちの言い分のほうが正しいのはわかっているのだ。
だが、それではあまりに時間がかかる。
正しくなくても構わない。早く強くなるのに邪魔ならば、カイルにとっては正しさなんかどうでも良かった。
カイルの考えとしてはそうなのだが、人を説得するためにはそういうわけにはいかない。
正しいのは相手だと知ったうえで、それでも自分のほうが正しいと主張する必要がある。
これは難問だった。
「……いや、でもさ。僕はもっと長い間迷宮で戦いたいんだ。早く強くなるために。なのに、レイクやランドに止められる」
「そりゃそうだろ。自分の実力を弁えていない新米が無茶をしようとするのを止めるのは、教育係の大事な役目だ」
なにを言ってるんだ、お前は。とでも言いたげなフォルドの口調である。
「だとしても、多少は無茶もしなくちゃ、強くはなれないだろ? そのへんの考え方は人それぞれじゃないか。どのくらいまでリスクを取るかの判断は僕に任せてくれよ」
「一丁前な口を利きやがる。小鬼一匹にまだ苦戦してるような半人前以下が言うような台詞じゃないぞ」
威圧的な語気に、カイルは「うっ」と言葉に詰まるが、それでもやはり、まだ引き下がることはできなかった。
「迷宮で戦う時間が短すぎるんだよ。二回か三回、魔物と戦えばすぐ地上に戻ることになる。それに、少し危険だと思ったらすぐに助けに入られるのも困る。あれじゃ魔物が倒せないし、【混沌の雫】が溜まらない」
「そりゃあ、お前の魔力が足りないせいだぞ。レイクやランドが助けに入るのも、お前が弱いせいだ。他人のせいにするな」
「……僕が弱いのも魔力が足りないのもわかってる。だからこそ、もっと迷宮で戦わなきゃ、いつまでたっても弱いままだ。僕は強くならなきゃならないんだ。フォルドだって僕の事情はわかってるだろ?」
カイルがそう言うと、フォルドは難しい顔をして黙ってしまう。
これは情に訴える、ある意味では卑怯な論法で、カイルも普段はこんな言い方はしない。だが、今はなんとしてでもソロでの迷宮探索を許可してもらわなければと、必死だった。
しばらく無言の時間が流れた後、沈黙を破ったのはヨナだった。
「いいじゃないカ。本人がやりたいって言うなら、やらせてやればサ」
場違いに明るい声でそう言いだした。
意外な援護射撃に、カイルは目を見張る。
「カイルだって冒険者なンダ。しかも覚悟を持って戦うと言っていル。いくらクランのマスターだからって、その覚悟に水を差す権利はないと思うヨ」
「ヨナ。お前は、それでカイルがあっさり死んでも、どうでもいいからそう言えるんだろ?」
ランドが、呆れた顔で口を挟む。
「女蛮族ってのはそういうものだよな。死んだら死んだで仕方ないってんだろ? 実力が足りなかった。とか、運がなかったとか。適当に理由をつけて残念でした、で終わり。すぐに忘れちまう」
ヨナはなにも答えなかった。ただニコニコと笑っていた。
その点について議論しても無駄だと知っているからだ。
ランドやレイクとは同じパーティの仲間だが、この点についてはまったく意見が合わない。
二人はよくヨナには情が足りないと言うが、ヨナに言わせれば見当違いも甚だしい。
情があるとかないとかの問題ではないのだ。
戦いに運は付き物だし、運が悪ければ死ぬのも当然だ。
それが事実で、現実だ。
情があれば現実が変わるというのだろうか? そんなはずがないではないか。
ヨナから見れば、レイクやランドは、情によって現実を見る目が曇っているだけだ。
「……ま、筋で言うなら、確かにヨナの言うことにも一理ある。だが、一応俺はクランのマスターだからな、同じクランの新米をすぐに死なせるようなわけにはいかんだろうよ」
そしてフォルドは、手に持っていた葡萄酒のグラスをテーブルに置いて、表情を改めた。
座り直した長椅子から、ギシッと大きく軋む音がした。
「あのな、カイルよ」
少し部屋の中の空気が変わったことを感じてカイルは息を飲んだ。
「な、なんだよ……」
「俺はあんまりマスターらしいことはしていないがな。それでも一応このクランのマスターには違いない。だろ?」
「……うん、まぁ」
「あんまこういうことは言いたくないんだがな、柄じゃないのはわかってるしよ。だが、カイルよ、お前は少し俺の決定に逆らい過ぎじゃないか?」
「でも……!」
「本来はな、こうやってクランマスターの俺の指示に逆らうことがあり得ないんだ。それだけでクランを追い出されても仕方ないくらいにな。だろ、カイル? お前の家は絵画工房だったらしいが、お前の親父さんの指示に弟子が逆らうことなんかあったか?」
「……いや、なかった」
「もしそんなことがあったら、お前の父さんはどうした?」
「……」
「破門にして追い出したんじゃないのか?」
「……そんなことはなかったからわからないけど、そうなってもおかしくはないと思うよ」
「だろう?」
フォルドはそう言って、ジッとカイルを見つめる。
それほど強い視線ではない。睨むというほどではない。でも、その視線に込められた意志は明白だった。
『クランを追い出される覚悟をして逆らってるのか?』
そうはっきりと口に出さないのはせめてもの温情なのだろう。
それがわかるから、カイルはそれ以上なにも口にすることはできなかった。
◇◆◇
すごすごと退散したカイルと、そのカイルを追って居間を出て行ったエリスを見送ってから、フォルドが改めて口を開く。
「さて、一応カイルのやつは引き下がったように見えるが、あいつ、本当に諦めたと思うか?」
フォルドの視線を向けられたレイクとランドが揃って首を横に振る。
「いいや。むしろ、黙って迷宮に潜る決心を固めたんじゃねぇか?」
レイクの意見にランドも同意する。
「カイルはそれしかないと思えば間違いなくやるだろうな。そういやあいつ、この前俺に、本当に九日で星を手に入れた冒険者がいるのか、なんて訊いてきたぜ」
「……アレは例外中の例外だ。参考にするような話じゃないぞ。大体、新米冒険者が真似しないように、その件はギルドが緘口令を敷いているはずだ。どこからそんなことを聞いてきたんだ?」
訝しむフォルドが、チラリとヨナのほうに目を向けると、あからさまにヨナが目を逸らせた。
「……お前か、ヨナ」
犯人はあっさりと判明した。
聞こえない振りをして斜め上を見上げるヨナを睨んでフォルドが深く息を吐く。
「ったく。余計なことしやがって。お前はそんなにカイルを死なせたいのか?」
「まさカ」
それはさすがに心外だと、ヨナは不貞腐れて頬を膨らませる。
「そんなわけないだロ。ワタシはただカイルのためを思って教えただけだヨ。強くなりたがってるカイルに、その早道を教えて何が悪いのサ?」
「フォルドは良い悪いの話はしてねぇだろうが。カイルのやつを死なせたいのか死なせたくないのか、の話だ」
レイクが口を挟むと、ヨナは冷笑を浮かべる。
「死ぬのが怖いなら、冒険者なんか辞めればいいンダ。リスクなんか最初から百も承知だロ?」
普段の明るい笑顔は姿を消し、冷ややかな本性が表に現れた。
だがそれは一瞬だけのことで、すぐに元の能天気な笑顔が戻って来る。
「強くなりたいと渇望する冒険者に、わざわざ遠回りをさせるなんて、ワタシにはできないネ。カイルの意志を無視するほうがよほど傲慢じゃないカ?」
それにカイルは、叶えなければならない目的があってそのために強くなることを望んでいるのだ。
遠回りをさせるということは、カイルをその目的から遠ざけることになる。
「――命を懸けて果たしたい目的があるンダ。ワタシから見たら羨ましいくらいサ。むしろなぜアンタたちがカイルの邪魔をするのか、そっちのほうが不思議でしょうがないネ」
そう言ってヨナが部屋の中を見回せば、一様に三人の男たちがむっつりと黙り込んでいる。
もちろんフォルドやレイクたちも、カイルの邪魔をしたいなどとは露ほども思っていない。
だが、正直カイルの目的は、成功の望みがないと考えている。
そのため、カイルが無謀なまでに急いで迷宮に潜るのは意味がないと、心のどこかで考えていた。
妹を助けようというカイルの望みには共感できるし、できるなら協力したい。だが、その無謀な望みのためにカイルまで死ぬことはないだろう、と。
レイクなどは何度かカイルに直接、妹のことは諦めろと伝えたこともある。
当然、カイルには断られたが。一瞬たりとも迷うことすらなく。
つまり本当の意味でカイルに協力しようとはしていないのだと言われてしまえば、否定するのは難しいのだ。
だから、ヨナに正面から、本当にカイルの望みを叶るために協力する気があるのかと訊かれれば、どうしても返答に詰まってしまう。
しかし、だからといってヨナの考えのほうが正しいと認めることもできない。
それは、ヨナが命というものを軽く考えているように見えるからだ。
恐らくそれは女蛮族に共通する考え方なのだと、フォルドは思う。
戦いで死ぬなら本望だと思っているのだ。いや、もしかしたらそれを望んでさえいるのかもしれない。
命を懸けるだけの目的があり、そのために戦って死ぬ。それが女蛮族にとっての理想の死というものなのだろう。
このへんは他の種族の者には理解しにくいことなのだが、女蛮族にとっては、戦いそのものに価値があるのだ。
女蛮族以外の種族の者にとって、戦いとは手段だ。勝利することで得られる物があるからこそ、戦う。敗北する戦いには価値はない。勝利にこそ、価値がある。
これは猪武者と揶揄されるラーサスの騎士たちでさえ同じだ。
だが、女蛮族は戦いそのものに価値を見出す。命を懸けて戦うこと、そのこと自体が目的になり得るのだ。
だからこそ、彼女たちにとっては、勝利と敗北は非常に近い物だ。どちらも神聖な戦いによって生まれる結果には違いないからだ。言ってみればコインの表と裏だ。
だが、やはりフォルドはそこまで割り切ることはできない。
例えカイルが望んでいるとしても、あまりに危険な橋を渡らせる気にはなれないのだ。
ただ、最終的にはカイル自身の判断に任せるしかないことではある。
フォルドにできることは、クランマスターの立場から、あまりにリスクの高いことを避けるように指示することくらいだ。
いざとなればカイルはフォルドの指示など無視して迷宮に突撃していくだろう。
だからこそ、カイルがあまりに不満を持たない程度に加減して、少しだけリスクを避ける方向に動かす必要がある。
面倒なことだとフォルドも思うが、一度カイルを預かると決めた以上、それも仕方がないと諦めるしかない。
「……いいだろう」
フォルドは顔を上げて、ヨナに黒い瞳を向ける。
「なら、ヨナ。お前に任せる。明日、カイルを迷宮に連れていけ。そしてカイルの望み通り、【混沌の雫】をたっぷり稼がせてやれ」
「フォルド!」
レイクの咎めるような声を無視してヨナが嬉しそうに首肯する。
「さすが、マスター。話がわかるネ。任せておいてヨ。カイルの望み通り、好きなだけ魔物を狩らせてあげるカラ。そうだな、【水鏡魔楼】にでも連れて行って……」
「――ただし」
鼻歌でも歌うように明日の予定を立てていたヨナの、独り言にかぶせるようにフォルドが割り込む。
「ただし、カイルを死なせるな。治療できないような酷い怪我をさせるのもなしだ」
「は?」
キョトンとした顔でヨナが固まる。
「いやいやいや。ちょっと待ってヨ。それはないでしょウ? 冒険者なんか、死ぬときは死ぬものじゃないカ」
慌ててまくし立てるが、フォルドは取り合わない。
「それを、お前がどうにかしろと言ってるんだ」
「そんなこと言われてモ……」
珍しくヨナが困惑した様子で眉尻を下げる。
「ハハ。そりゃいいな。ヨナにはいい薬だろう」
そんなヨナを見て、レイクがさも愉快そうに膝を叩く。
「ヨナがカイルを唆したんだ。そのくらいは当然だろう」
どうやらフォルドは、ヨナに自分の言ったことの責任を取れと言いたいようだ。
「言っておくが、もしカイルを死なせたり、回復できないような怪我をさせたりしたら、その落とし前はつけてもらうぜ」
「本気かヨ……」
ガックリとヨナが肩を落とす。
「理不尽だ、こんなノ。ワタシはカイルの望みを叶えようとしてあげただけなのに、なぜこんな無理難題を押し付けられなければならないンダ? ワタシがなにか悪いことをしたとでも言うのカ?」
「別に悪いことはなにもしてないが……」
フォルドは人の悪い笑顔を浮かべて続ける。
「だが、お前は俺の方針がわかってて、それに背いたんだろ? さっきカイルに言ったことをもう一度繰り返して欲しいか? クランに所属するなら、マスターには逆らうなってことだ」
「ハァ」
ヨナはため息をつく。
「そう言われれば反論はできないけどサ、でも無茶をさせてやって、でも死なせるのも怪我させるのもダメなんて、矛盾しているヨ」
ヨナがぼやくが、フォルドは取り合わない。
「上手くカイルのやつにガス抜きさせて、そして必ず無事に連れ帰れ。いいな?」
「……とんだ貧乏くじだネ。ハァ、わかったヨ」
ヨナは天を仰いだ。




