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赤星のカイル  作者: 三山とんぼ
第一部 地図の要らない世界
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9. 地図の要らない世界①

カイルは苛立っていた。

迷宮に入る許可を貰ってから、もう一〇日だ。

それなのに、まだフォルドは、カイルに一人で迷宮に潜る許可をくれない。そのせいもあって、精霊石に溜まっている【混沌の雫(ドロップ)】はほんの僅かだ。


迷宮の天候が崩れてから、迷宮内の吹雪は三日間続いた。

その間、カイルはジリジリしながら訓練をして待つしかなかった。


天候が回復した後、また迷宮に入れるようになってからも、カイルはレイクやランドと共に迷宮に潜っては、【小鬼の狩場】でゴブリンを数匹倒しては戻る生活をしていた。

さすがに徐々に迷宮内での行動も慣れてきたので、最初のときほど移動に時間はかからなくはなったが、それでも戦闘に使える時間は少ない。

三匹か四匹、時には一匹倒しただけで時間切れになってしまうこともあった。


正直に言えば、カイルは付き添いをいて、一人で迷宮の奥に入ってしまおうかと本気で迷った。

そうすれば、ヨナが言っていたように、ほんの数日でランクアップができるかもしれない。それはあらがいがたい誘惑だった。

だが、今のところはカイルは自制した。

冷静に考えれば、まだそこまで焦るような状況ではないのだ。妹の魔力はまだもう少し残っている。


(あと少し待てば、きっとフォルドが一人で迷宮に潜る許可をくれる。それまでの辛抱だ)


そう考えて、カイルは耐えていた。


カイルの付き添いはレイクかランドのどちらかで、カイルがいくらもっと長い時間、狩りをしていたいと頼んでも、それを許しはしなかった。

最初のときのように、出口にたどり着く前に迷宮酔いを起こすようなことは絶対にさせなかったのだ。

これは当然のことである。

迷宮酔いを起こした冒険者など、まともに戦闘ができるわけがない。

そんなときに魔物に出会えば窮地に陥るに決まっているのだ。お目付役の二人がそんなことにならないようにと指導するのは当たり前であり、それをしないのはむしろ怠慢というものだろう。


だが、その当然のことがカイルには不満だった。

無論、カイルも自分の主張が我儘わがままだということはわかっている。

それでもカイルはもっと迷宮で戦いたかった。そうでなければ、いつまでたっても強くなんてなれない。それなら我儘だろうとなんだろうとやるしかないのだ。


そんなカイルの姿勢が、お目付け役のレイクやランドに、まだ一人にはさせられないと判断させる原因になっているのだが、焦燥感に囚われたカイルはそれに気づけない。

悪循環だった。焦れば焦るほど、カイルの迷宮探索は危ういものになり、当然ながらソロで潜る許可は出ない。そのことでまたカイルは焦るのだ。


カイルはいずれフォルドの命令を無視して一人で迷宮に入ることをほとんど既定のことと考えるようになっていた。

そうしなければ、妹を助けることなどできないからだ。


(だが、まだ早い。やるなら、それは最後のときだ。フォルドの言いつけを無視すれば、あのクランハウスにはもう居られなくなる)


準備をできるだけ進めて、最後の最後、これ以上は待てないギリギリになったら、もうフォルドがなんと言おうと無視して行動してしまえばいい。

そもそも【星無し】のカイルが【笑う魔物】を倒すことなど夢物語なのだが、カイルはそうは思わない。

九日でランクアップできた冒険者すらいるのだ。だったら……


(一〇日で【一星ウルム】、二〇日で【二星カティエ】……)


最短でランクアップを繰り返せば、【氷柱回廊】までたどり着くのは不可能じゃない。


そのためには、アイラの魔力が限界近くになるまで準備を整えるべきだ。そのほうが結局は妹を助けられる可能性は高くなる。

目的さえ果たしてしまえば、追い出されようと構わない。そのときはアイラも、自分で動けるようになってるはずなのだから。

だが、それまではフォルドの許可なしに勝手をやるわけにはいかない……



   ◇◆◇



その日、カイルは都市の外に出た。

第一北門を抜けて、エスティア街道の上を歩く。

街の外に出れば街道の上だろうと石畳いしだたみはない。

馬車のわだち凸凹でこぼこになった地面に、応急処置で砂利を敷き、平らにならしただけの茶色い道だ。


街道の両側には農地が続いている。

牛や羊などの家畜がのんびり草をむ姿も時折目につく。

都市の外ではあるが、ここで暮らしている者たちも多い。迷宮都市の近郊で作物を育て、収穫すると都市へと売りに行くのだ。


このあたりの建物は、街道沿いに建てられているが、玄関が梯子はしごで登った先にある。

家の床が、見上げるくらいの高さにあるのだ。カイルの背に換算すれば、三人分ほどだろうか。

床の下部分はといえば、何本もの細い木が立てられ、格子状に組み合わさっている。

これは洪水対策で、フーセル川の氾濫に備えているのだ。


今日もすでに朝から、暑くなりそうな気配が濃厚に漂っていた。

湿気が多く、風は弱い。

そのせいで夜を挟んでも前日の暑気が抜けきらず、朝からまるで微温湯ぬるまゆに浸かっているかのようだ。

カイルは、風の精霊が背中に水の精霊にしがみつかれてヨロヨロと飛んでいる様子を想像してげんなりする。


通りがかった井戸の傍には、三人の少女が木陰で休んでいる。

カイルと目が合うと、コップをあおるような仕草で、水は要らないかと訊いてくる。

カイルは断ったが、頼めばすぐに井戸から冷たい水を汲み上げてくれるのだ。もちろん有料ではあるが。

彼女たちは昼の間はこうして通りがかる人に水を売って、小遣い稼ぎをしているのだろう。


季節によっては水だけではなく、収穫した果実や野菜なども売ることがある。

こういうちょっとした商売をする者は街道沿いにいくらでもいて、中にはそれが高じて、段々専業の商店になっていったり、少し方向を変えて食堂になることもある。

さらに妙な方向に行くと、夜の商売になってしまうことさえあるのだ。

迷宮都市は腕利きの冒険者が集中しているので、街道を通る旅人や商人を狙う盗賊も、都市の近くには寄り付かない。そのおかげで城壁の外だというのに随分と牧歌的な光景が続いている。


そんな長閑のどかな街道を、カイルは進んでいく。

今日もカイルとしては迷宮に潜りたかったのだが、レイクやランドの都合がつかないという理由で却下された。


「毎日お前に付き合ってばかりはいられないんだよ」


そう言われてしまえば、カイルに反論することはできない。

一人でも潜りたいと主張はしてみたが、案の定それもダメだと禁じられたのだ。


仕方なく、今日は冒険者ギルドで依頼を受けて、ある魔物(?)の討伐を請け負って都市を出た。

目的地に着くと、カイルは長い棒であちこちの地面を探り始めた。

魔物退治のやり方についてはすでに農夫の男から説明を受けている。

剣も槍も不要で、ただこの棒があればいいのだから、とても魔物を討伐しているような姿ではない。


(緊張感ってものがないよな……)


汗まみれになりながら、カイルは畑の中を棒で探り続けた。


――朝から半日働いて、そろそろ切り上げようとカイルは顔を上げる。


「よお、モグラは獲れたかね?」


農民の男が、日に焼けて真っ黒になった顔に笑みを浮かべた。長年の労働のせいか、顔には深い皺が刻まれている。

肌の黒さと対照的に、口元からのぞく白い歯がやけに眩しい。

ここは都市の北西に広がっている農地だ。

黒い土に、作物が緑の葉を広げている。


「獲れたよ」


カイルが手に持っていた袋を持ち上げて見せる。

中には、今日カイルが退治した黒土竜ブラックモウルが四匹入っている。


「なぁんだ。これだけかい!」


歯がいくつか抜けた口を開けて、農家の男は大袈裟に仰け反った。

初老の男だが、妙に仕草や口調に愛嬌がある。


「けっこう頑張って捕まえたんだけど、これじゃ少ないの?」


労働の成果を貶されて、カイルは口を尖らせる。


「そりゃ少ないさァ。慣れた冒険者なら、一人でも一〇匹くらい獲るもんだ」

「そ、そうなんだ」

「まぁ気を落とすなよ、兄ちゃん。今日が初めてなんだろ? 何度もやってりゃだんだん上手くなるさ!」


そう言ってカイルの背をバンバンと叩く。


「そっか。ありがと」


カイルは苦笑いした。

農家の男に黒土竜の死骸を渡すと、カイルはモグラの体内から取り出した魔石だけを持って、青々と作物が育っている畑を後にした。


いくらか迷宮都市に向かって歩いてから、カイルは少しだけ街道を逸れた。背の高い木の陰に隠れると、人目がないのを確かめてから精霊石を呼び出した。

浮かび上がった精霊石には、僅かな【混沌の雫】が静かに揺れていた。

前に呼び出したときに比べて、まったく量は変わったように見えない。


「……本当に少しは溜まってるのか、これ? なんにも変わってないように見えるけど」


カイルはブツブツと文句を言う。

迷宮に入れないならと、ほんの僅かでも【混沌の雫】を溜めるためにここに来たのだが、もしかしたら無駄足だったかと、カイルは気を落とした。


魔物は迷宮にしか生まれない。したがって迷宮の外には魔物はいないというのが常識ではあるのだが、例外もある。

その例外のひとつが、黒土竜ブラックモウルだ。

近くに迷宮がある土地に住む動物は、迷宮の瘴気の影響を受ける場合がある。

特に地下に住む動物はその傾向が強く、普通の動物だったものが魔物に変化してしまうのだ。


そうやって生まれた魔物のひとつが黒土竜である。

だがこの魔物は、魔物とは名ばかりで力も視力も弱い。

まったく脅威にならない()()()魔物なのだ。


本来なら冒険者に依頼など出す必要もない。道具を使えば子供にでも退治できる魔物だ。

それでもこうして冒険者に退治を依頼するのにはふたつ理由がある。放っておくと作物に被害が出る害獣なのがひとつ目の理由。そしてふたつ目の理由は、王が定めた法だ。曰く、『体内に魔石を持つ魔物を退治して良いのは冒険者か、騎士団に所属する者に限る』――この法があるせいで、いくら弱くても農夫が勝手に、黒土竜を退治するわけにはいかないのだ。

黒土竜から採れる魔石はごく小さい質の悪い物で、【穴掘り冒険者】が迷宮で掘り出す屑魔石と大差ない。

したがって倒したところでたいした金にはならない。丸一日頑張って働いても、ギリギリ安宿の宿泊費に足りるかどうかというところだ。

だがそれでも、駆け出しの新米冒険者の中には日常的にこの依頼を受ける者たちがいる。


理由は簡単で、安全に【混沌の雫(ドロップ)】を得られるからだ。

ランクアップするためには【混沌の雫】を溜める必要がある。

迷宮で魔物を倒せばもっと効率よく溜められるが、リスクが大きい。冒険者が一番死にやすいのは、ランクアップしていない【星無し】の時期なのだ。


だから、その危険な【星無し】の期間を乗り切るため、安全なモグラ退治で【混沌の雫】を稼ぐのだ。

この方法は確かに安全なのだが、時間がかかる。

迷宮で戦う冒険者が、遅い者でも一年足らずでランクアップするのに対して、モグラ退治でランクアップしようとすると三年かかる。

しかも毎日休まずに狩り続けて、だ。

これをリスクを取らない代償として許容できるかどうかだ。


ただ、少なくともカイルにはとても耐えられそうもなかった。

あまりに効率が悪すぎる。

冒険者ギルドに戻って依頼終了の報告をし、魔石を売れば小銭くらいは手に入るだろうが、たいした金額にもならない。


(これならまだ剣の練習をしてたほうがマシか……)


徒労感からカイルは地面に座り込み、深いため息を漏らした。



   ◇◆◇



「はああぁぁ」


カイルは木に寄りかかって、ぼんやりと空を眺めた。


そのとき、空を駆ける、白い竜が目に留まる。

まるでじゃれる猫のように、二頭の白竜が空中で絡み合いながら器用に飛んでいた。

空を飛ぶ竜が見えるのは珍しくもないが、ここまで地表近くに竜がいることはあまりない。


なんとなくカイルの目が竜を追う。

白竜はやがて高度上げて飛び去ったが、カイルは竜が去った後も遠くに視線を向けていた。

この世界は視線を少し上げるだけで、様々な景色が目に入る。


少し見上げれば、遠くに迷宮都市の【第三壁】と、そこに開いた北門が見えた。

顔を南から北に向ければ、ずっと遠くまでフーセル川が蛇行しながら伸びていき、二股に分かれたその先に、大きな都市が見える。

この迷宮都市と変わらないほどの規模の都市で、ヘリオアッドと呼ばれている。ラーサス領の領主が住む都市だ。空気中のちりのせいで、少しぼやけて見える。


視線を遠くに向けるほど、大陸は上に向かって反り返っていく。


ヘリオアッドからさらに視線を上に向けると、東部諸侯領を越えて、北部諸侯領が見えてくる。

そこには、ここ、ウェクスノッドとは別の迷宮都市がある。

名を、シラッドレスクといい、やはり深層迷宮を抱えた、迷宮攻略のための拠点だ。

ここまで離れれば逆に、視線を遮る大気中の塵などが少ないため、ヘリオアッドなどよりもクリアに見える。


その北には巨大な過去の遺跡、天に向かって伸びる灰色の塔があり、それがこの【地の大陸(グレイスドーラ)】の北端だ。

塔は天央に向かって伸びるが、その途中で崩れ落ちてしまっている。

この辺りになると、カイルの視線の向きは、かなり上を向いている。

塔の向こうは青い海が広がっている。海は東西南北、どの方向にも見える。遥か遠く、垂直に切り立った青い壁のように、大陸を囲んでいるのだ。


真上に近い高さまで見上げればそこには【天の大陸(カティスフヴェルグ)】がある。今は【天央の燈篭】の明かりのせいで、眩しくて一部よく見えないところがあるが。

確かそこ――つまり、カイルのいる場所から【天央の燈篭】を挟んで対称となる位置だ――には、クイナスという名の山脈があるのだと聞いたことがある。


世界の中心で輝く巨大な精霊石――【天央の燈篭】と、向かい合うふたつの大陸。そして陸地を取り巻く大海。

それらによって、この世界は成り立っているのだ。


この、巨大な球状の結界内部にある世界、【竜殻世界(アークケレス)】では、基本的に地図は要らない。

見上げれば世界の全てが一望にできるからだ。


「この景色だけは、全ての人間に対して平等だよな……」


カイルはそう思う。

どこの場所にいるどんな人間でも、少し視線を上げるだけで、まるで世界全てを手にしたような、贅沢な気分になれるのだ。


だがそれはあくまで気分の話であって、現実は違う。

世界規模で見るならば、人間は地表のごく一部を這いずり回っているだけだ。

世界のほぼすべての空間は、この世界の真の支配者である、竜族のものなのだ。


遠い昔。神話の時代。

人間は竜族とひとつの契約を結んだ。


それによれば、人間は地表のみを住処とすると定められ、世界の大部分を占める、『そら』の領域に立ち入ることを禁じられたという。

もしその禁を破ることがあれば、偉大なる竜族によって裁きが下されるのだ。


「変な話だよな」


この話を思い出すたびに、カイルはいつもそう思う。

これでは単に、人間が不利になるだけだ。一方的に活動領域を狭められているのだから。

なのに、『契約』という言葉を使うのは奇妙に感じる。契約というものは、双方に利益がなければならないはずではないか。


一方的に不利を押し付けられることを契約とは呼ばない。それはただの命令だろう。あるいは罰か……


だがそれを契約と呼ぼうが、命令と呼ぼうが、確かなことは、人間が一定の高さ以上に進出すれば、竜の怒りに触れてしまうということだ。

あの、遥か過去の罪の象徴、巨大な灰色の塔がそうだったように……



   ◇◆◇



冒険者ギルドで依頼達成の報告を終えたカイルは、クランハウスに帰る前に、ついでに市場マーケットに寄って行こうと考えていた。

迷宮都市、ウェクスノッドの最大の市場は、都市西岸地区(ウェストサイド)にある。

普段カイルが利用しているのは、食料の市場としては二番目に大きなもので、こちらは東岸地区にある。


中央市場と呼ばれる都市最大の市場は、一年前までカイルが住んでいた父親の工房から近い場所にある。

この辺りは都市内で、魔物の氾濫(スタンピード)によってもっとも被害を受けた地域で、市場も一度は魔物に破壊され、さらに燃やし尽くされて壊滅状態になった。

だが、たった一年ほどでほとんど以前と変わらないほどに復興している。

未だ廃墟となった建物が多い職人街とは対照的だ。やはり都市住民になくてはならないものだけに、再建が急がれたのだろう。


都市には食糧の市場以外にも、衣類を扱う店が集まる市場や、雑貨や貴金属を扱う市場など、多様な種類の市場がある。

だが最大の市場である西岸地区の中央市場は、あらゆるものを販売する店が雑多に混じり合った総合市場とでもいうべきものだ。


それでも一応、この辺りは革製品を扱う店が多いとか、この辺りは医薬品を扱う店が多いとか、なんとなく分けられてはいる。境界線はかなり曖昧ではあるが。

そのうち、武器や防具などの冒険者向けの製品を扱う店が並ぶ一画を目指して、カイルは歩いていた。

なにか買う当てがあるわけではなかったが、やはりカイルも冒険者であり、装備品には強い関心がある。

食糧を買いこむ前に、ピカピカに磨かれた美しい剣を眺めて歩こうと思ったのだ。


市場はたくさんの小店舗の集合体だ。

大体は店番は一人か二人で、ほとんどは女性だ。

客に向かって呼び声を響かせているのは食料品を売る店舗の売り子だ。

服飾店の店番は、接客よりも針仕事やアイロンの作業に忙しい。


カイルは店と店の間を通る細い通路を、店舗からはみ出した商品をかき分けるようにして進む。

身体を横に向けなければあちこちにぶつかってしまうくらいに細い通路だ。


市場も、九日後に迫る氷炎祭の準備が始まっていた。

仮面を売る店も多い。

鋭い牙と角を持つ、鬼の仮面だ。

当日のための練習なのか、笛や太鼓を鳴らしている者もいる。


それらの間を潜り抜けて、ようやくカイルは目当ての冒険者向けの装備品を売る店舗の前にやって来た。


市場に出されている店は、工房で作られた武器や防具を展示して販売する場所だ。

工房で実際に剣を打つ鍛冶師は、本当に気に入った作品は市場には出さない。

工房に置いておき、馴染みの上客に直接売るのだ。

とはいえ、市場に並ぶ武器や防具も、カイルの目には非常にきらびやかで美しく、性能も高そうに見える。


それらには、カイルにはとても手の届かない値がつけられている。

なんでも同じだが、見る目がなければ値段に見合った性能の装備を手に入れることはできない。

中には見た目だけは良くても、性能がまるでたいしたことのない飾りのような武器もあるのだ。


カイルは、ある鎧の前で足を止めた。

それは、青い金属で作られた美しい全身鎧で、胸の部分には優美な一角獣の姿が彫り込まれている。

値札を見れば目玉が飛び出るような金額が書かれている。


カイルが店主に、「こんな高い鎧が本当に売れるのか?」と訊くと、


「まさか! 売れるわけねぇよ。まぁ客寄せのための品だな。目立つだろ?」


そう言ってニヤリと笑う。

なるほど、上手いやり方かもしれない。

人の目を惹きつける逸品なのは間違いない。

だが、カイルが想像の中でその鎧を身につけてみるが、まるでちぐはぐで似合うとは思えない。

鎧を着てるのか鎧に着られているのかわからないほどだ。想像の中でさえ。


(分不相応ってもんだよな)


そう思ってカイルがその場を離れようとすると、目の前に一人の少女がいて、カイルを見上げていた。

身に着けているのは、薄汚れたチュニックに、やはり薄汚れたスカートだ。

金と灰の間くらいの色の髪をしている。多分元は綺麗な金髪なのだろうが、砂や埃で汚れているのだ。瞳はあお青玉サファイアような深い碧だ。エリスよりも歳は下だろう。八、九歳ほどに見える。


その少女を見てカイルが思ったのは、面倒なのに目をつけられたな、ということだった。

見るからに孤児の少女だ。となれば、金か食糧をねだられるに決まっている。

しかも、一度狙いを定めれば、そう簡単には諦めてはくれない。下手をすればいくら追い払おうとしてもどこまでもついてくるかもしれない。


だが、目の前の少女は孤児にしては少し違和感がある。それは、表情の明るさだ。

孤児たちはあらゆるものに対する不信感が溢れたような暗い表情をしているのがつねだ。

それなのに、少女はまるでなにも心配事など無さそうなあどけない笑みを浮かべているのだ。


「……なにか用?」


本当なら無視するべきなのだが、つい違和感から声をかけてしまった。


「うん。ねぇ、なにか食べるものちょうだい?」


なんだ、やっぱりただの孤児じゃないか、と、声をかけたことを早速後悔した。


「悪いけど、食べ物なんか持ってない。他の人に頼みなよ」


素っ気なく答えたカイルに、まったくめげずに少女は言う。


「大丈夫。むこうで食べ物売ってるから。ホラ、行こう?」

「……」


ここまで図々しいと、逆にあまり腹が立たないな、とカイルは妙な気分になった。

それに、ニコニコと笑ってるのが、なんとなく毒気を抜かれる。

それが作戦なのだろうとは思うが、それでもむっつりと不貞腐ふてくされた孤児に、「金をくれよ」と手を出されるよりはずっと良い。


思わずカイルも釣られて笑みを浮かべそうになって、慌てて口を手で隠した。

笑ってしまえば、なにかもう、奢ってやらなくちゃならない空気になってしまう。

……いや、別にカイルも、ここで一回だけ少女に食事を奢るくらいのことは別に構わないのだ。

本当に一度で済むのなら。


(どっちにしろ、結局は嫌な思いをすることになるんだけどな……)


カイルがそう確信するのには理由がある。

ここで、「お前にあげる食い物などない」と追い払えば、罪悪感が小さな棘となって胸を刺すだろう。

それならば、ちょっとばかりの金を出して、僅かな食い物を渡したほうが気分は良いに違いない。

……だが、それで終わりにはならないのだ。

一度甘い顔をしてしまえば、以後は何度でもカイルをみつけるたびに寄って来て、また食い物をねだるようになるだろう。

孤児というのは毎日の食糧を得るのに必死なのだ。どうしたってそうなってしまう。


さらに甘い顔を続ければ、要求はどんどん大きくなっていくだろうし、「もうダメだ」と断れば、期待を裏切られた少女は、怒ってカイルを睨みつけることになる。

そうなれば以前に感じた少しばかりの満足感さえ吹き飛んでしまい、残るのは苦い後悔だけなのだ。

そういった経験がカイルにもある。いや、迷宮都市の住人なら大抵は似たような経験をしているのではないだろうか。

そのくらい、今この都市では身寄りのない子供がありふれている。


要するに、孤児に目をつけられた時点でもう不運は決定してしまっているのだ。どう転んでも気分良くは終わらない。


(どっちにしろ嫌な思いをするのなら、最初だけでも小さな満足感があるほうがマシか……)


諦念まじりにそう考えると、カイルは少女が誘導するほうに向かって歩き出した。



   ◇◆◇



「……お前、よく食うなぁ」


カイルの目の前で、少女はガツガツとパンに食らいつく。まさに食らいつくという表現が相応しい食べっぷりだ。

口を目いっぱいに開いて、硬いパンに果敢に挑む。


「んぎいいぃぃぃ」


唸り声を上げながら、両手で握ったパンを食いちぎった。

カイルの声も聞こえないようで、全ての集中力を食事の一点に集中している。

行儀が良いとはお世辞にも言えないが、食べ物に向き合う姿勢は真摯しんしと言ってもいいくらいだ。


ポリポリとこめかみのあたりを掻きながら、カイルは少女の食事を見つめる。

ちょっとした見世物でも見ている気分だった。


ここまで一心不乱に食べてもらえば、食われるほうも本望じゃないかと思えるほどだ。

カイルが注文した料理はほとんど少女の腹に吸い込まれてしまっていたが、文句を言う気にもなれない。


全ての料理を片付けて、「ごちそうさま!」と笑ったときには、カイルは思わず「お見事でした」と返したくなった。


「ねぇお兄ちゃんの名前はなんていうの? わたしはね、サンディだよ」


腹が満ちて満足したのか、ニッコリ笑って少女は名乗った。

もしかしたら食事の礼のつもりなのかもしれない。


砂まみれ(サンディ)?」

「そう。いっつも砂まみれだから」


確かに、本当は白いだろう肌には砂がこびりついて灰色っぽくなってしまっている。


「ね、名前は?」


重ねて訊かれて、カイルはため息まじりに答える。


「……僕はカイルだ」

「カイル、カイルね。うん、覚えたよ」


多分、サンディの中では、カイルは食事を奢ってくれる相手、と認識されたのだろう。

感心にも、一応、財布に対する礼儀として名前くらいは覚える気があるようだ。


「じゃあカイル、食べ物奢ってくれてどうもありがとう」


お礼と同時に手を振って去っていく少女の髪が揺れて、その奥に尖った耳が見えた。


「あいつ、エルフだったのか……」


食いしん坊エルフの孤児。それは世にも珍しい存在だった。


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