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枯れ葉

半分聖女の枯れ葉令嬢は小麦粉をこねこねこねる

作者: 三香

 筆頭侯爵家に生まれたリリエラには、侯爵家の嫡子である優秀な兄と4歳年上の優しい姉がいた。


 姉であるオフェーリアは輝くような金の髪に青い瞳をしており、美の女神の化身と讃えられるたおやかな美女であった。しかも貴重な回復魔法の使い手で、使える回数は1日に1回の制限はあるが重症の怪我も病気も完治させることができた。

 なので、身分、美貌、教養、能力、何ひとつ不足のないオフェーリアを王家が囲い込んだのは必然といえた。何より王太子がオフェーリアを熱愛して求婚のために筆頭侯爵家に日参したことは有名で、人気の劇にもなったほどであった。


 一方リリエラは、平民や下級貴族に多い茶髪に茶目。それなりに愛らしい容姿はしているのだが花のように美しいオフェーリアと比べると見劣りをするため、姉妹で並ぶと枯れ葉のようだと社交界では囁かれていた。

 しかもリリエラも回復魔法を使えたが、リリエラの回復魔法はかすり傷を治せるくらいの力しかなかった。そのこともあって、なおさらオフェーリアと比較されて人々から嘲笑されたのだった。


 しかし客観的にみてリリエラが筆頭侯爵家の令嬢として不十分な点は何もないのだ。

 高位貴族にも茶髪茶目の者はいるし、現にリリエラの祖父も同じ色合いであった。

 学問や芸術の知識、マナーなども問題がない。

 容貌も可愛らしく、能力的には低いが稀有な回復魔法の所有者で魔力量も非常に多い。すり傷しか治せなくともリリエラは毎日、回復魔法の上達を願って魔塔に属する魔法の師に厳しい鍛錬を受けていた。訓練をして勉強をして、魔力が増加すると言われる不味い薬草料理を食べて、一生懸命に研鑽に励んだ。師とともに研究を重ね、努力の甲斐あって能力も少しずつ向上しているところであった。


 けれども、オフェーリアが天元突破すぎるためにリリエラは貶められてしまうのである。


 それでもオフェーリアとリリエラは周囲に関係なく、仲の良い姉妹であった。両親も兄もオフェーリアとリリエラを分け隔てなく大切にした。

 貴重な回復魔法を取り込むために王家からリリエラに第二王子との婚約を命令された時は、結婚してからも姉妹で離れずにすむと喜んだほどに良好な仲だった。


 だが、第二王子は違った。

 花のように麗しいオフェーリアと婚約した兄と。

 枯れ葉と呼ばれるリリエラと婚約した自分。

 能力面においても天才と称賛される兄と単に優秀であると言われる自分。

 しかも総合的に見て第二王子とリリエラの境遇は似ていた。他者よりも優れているのに、兄弟姉妹であるだけで比べられて嗤笑されている。同病相哀れんで、慰めあうには第二王子のプライドが高すぎた。それに姉妹仲が良好なリリエラへの嫉妬もあった。

 第二王子は、その構図に搦めとられて憎悪と劣等感を募らせてしまった。

 そして人々からの評価は第二王子の傲慢と卑屈を刺激して、それはリリエラを見下す攻撃性へと容易く転嫁されたのである。


 エスコートはしない。

 贈り物もしない。

 暴力はなかったが暴言は当たり前の第二王子を、国王も王妃も王太子も厳しく叱咤した。だが第二王子は、非を咎められ厳重に注意をされればされるほど却って振る舞いが胡桃の殻のように頑なとなり、態度を硬化させて改めることをしなかった。


 呆れ果てた国王が水面下の調整で第二王子とリリエラの婚約の解消と第二王子の再教育の方向に動き出した頃、そんなことを知らない第二王子は無謀な暴挙に走った。


「おまえとは婚約破棄だ! 凡庸なおまえなど王族たる俺に相応しくないッ!!」

 と、一方的な婚約破棄を宣言したのである。もちろん国王の了承はない。なので再度の婚約を懸念した第二王子はリリエラを強引に神殿に入れる計画を立てたのである。


 王族に権力があるといえども国王の承認がないのだ、許される行為ではない。


 しかし、期せずして第二王子の小細工を弄した策略が歯車のようにタイミングよく坂道を転がるみたいに上手くいってしまった。


 第二王子の取り巻きしか出席していない王子宮の茶会での凶行であった。第二王子を止められる者はいなかった。

「やめて、さわらないで!」

 全力で抵抗したが、リリエラはか弱い女性だ。

 リリエラは第二王子の側近たちに押さえつけられて無理矢理に婚約破棄の書類に名前を記入させられた後、すぐさま馬車に放り込まれたのである。


 その際、リリエラを逃さないために側近たちも馬車に乗り込んでこようとした。ゾゾゾとリリエラは嫌悪感に鳥肌を立てる。兄の教えが脳裡に閃き、ここに居ない兄の声が響く。

 躊躇うな、急所を狙うんだ! 無我夢中でリリエラは側近の急所に蹴りを入れた。グニャ。何かが潰れたような感触がして側近の手が馬車の扉から離れる。

 男の方が力が強い、捕まったら逃げられないぞ! 反撃をさせるな、徹底的に攻撃をしろっ! リリエラは自分の髪飾りを毟り取って側近の顔面に投げつけた。側近が後方へと転倒する。ガシャン。すかさずリリエラは馬車の扉を閉めて鍵をかけた。必死だった、リリエラは若い令嬢である。自分に害意のある相手と馬車の狭い空間で同席することを恐れたのだ。


 リリエラは馬車の片隅で、飛べないまま凍った冬の小鳥のように華奢な身体を固くして怯えた。

 リリエラの手首の魔石を嵌め込んだブレスレットが幽い光を放っている。魔法の師が魔石に追跡と連絡の術式を組み込んで、リリエラの危機に反応するようにしたものだった。


 貴族の令嬢が蹴りを使うなど予想もしなかった周囲は呆然と口を開き、蹴られて尻もちをついた側近は自分の自分を押さえて苦悶に喘いでいる。

「信じられない! あれが貴族の令嬢とはっ!」

 リリエラの反抗に呪詛のような唸り声を発して第二王子は腹を立てたが、時間が惜しい。扉をこじ開けてリリエラに報復することよりも馬車を神殿に向けて出発させることを優先した。

 その間、わずか10分。


 機転のきく幾人かの使用人が王宮各所へ走ったが、王太子とオフェーリアが駆けつけた時には馬車に放り込まれたリリエラが神殿へと送り出された後であった。


「馬車を追えっ! 神殿に入った回復魔法持ちは聖女にされてしまう! 聖女となれば最低10年間は還俗を許されない! 絶対に馬車を止めろっ!!」

 騎士たちに指顧をすると、王太子は第二王子たちに氷のような眼差しを向けた。

「王太子の権限によって命じる。第二王子並びにこの場所にいる者たちを全員捕縛しろ。罪名は、王命による婚約を勝手に破棄をした国家反逆罪だ。この者たちは国王陛下の下命に逆らったのだッ! 貴族牢では生ぬるい、重罪人用の地下牢に入れろッ!!」

 王者の風格を持つ王太子の声が空気をビリビリと震わせる。王太子は腹の底から怒りに煮え立っていた。


 第二王子と取り巻きたちは真っ青となって言い訳をするが兵士たちは容赦がない。

「あ、兄上、お願いします。助けて……っ」

 螺鈿が剥がれ落ちたような情けない姿ですがりつく第二王子に、炎を纏う刃物のような雰囲気の王太子が手加減抜きで拳を叩きつける。ドガッ! 第二王子が吹っ飛ぶ。

「恥を知れっ!!」

 倒れた第二王子に兵士たちが黒い蟻のごとく群がった。


 人望も権力も第二王子では王太子の足元にも及ばず、何よりも王太子には王族たる自覚があった。王族は尊く高貴な象徴であらねばならぬと言う自覚が。民に臣に兵に多くの命を捧げさせる誉に相応しくあらねばならぬと言う決意が王太子には備わっていた。

 それは第二王子には不足しているものであった。 


 喚く者には猿轡がつけられ、第二王子たちは捕縄で縛られて引きずられていく。


「情けない……。これが我が弟とは……っ!」

 がっくりと肩を落とす王太子にオフェーリアが寄り添う。

「殿下……」

「すまない、オフェーリア。貴族間のバランスなど考えずに、もっと早く弟とリリエラの婚約を破棄するべきだった……」


 一方、その少し前。


 王宮使用人から急報を受けた時、リリエラの兄であるカザリウスは訓練のため近衛の馬場にいた。カザリウスは王族を守護する近衛の隊長であった。


「なんだと!? リリエラが!!」

 カザリウスが愛馬に流れる星のごとく華麗に飛び乗り走り出す。カザリウスの部下たちも遅れじと続く。戦場で戦う兵士は持久力を求められるが、近衛のような上級騎士は瞬時の判断力や瞬発力が必要となってくる。なかには他の馬たちが駆け出したことに釣られて跨るまえに走り出した馬に勢いよく身をおどらせて飛びつく騎士もいた。素晴らしい身体能力である。


「遅れるなっ! 隊長に続け! 続け!!」


 カザリウスの馬が放たれた矢みたいに先頭を駆ける。


 騎士たちの鎧が陽光を浴びて竜の鱗のごとく銀色に輝く。

 金糸で紋章を施されたマントが鳥の翼のように翻り、馬の蹄が石畳を蹴り立てた。

 巧みな馬術で王都の人波を木々の梢を渡る風のように騎士たちが馬を疾走させる。速く。疾く。一糸乱れず隊伍を組み馬が疾駆した。


 神殿にカザリウスが到着すると、リリエラが神官たちと王太子の騎士たちに取り囲まれていた。


 そしてリリエラの背後には、リリエラの魔法の師匠であるセレスディンが両陣営に睨みを利かせていた。リリエラの危機に空を飛んで魔塔から駆けつけてきたのだ。魔力で炙るような威圧をしているので、神官たちも王太子の騎士たちも冷や汗を垂らして顔色を悪くしていた。


 セレスディンは、天から降臨した戦いの天使のごとく怒りを露わにしている。

「僕の可愛い弟子に触れるな。魔塔の第三席セレスディン・ガイヤが許さない」

 宝石のような双眸が冷たい。

 魔法使いの身分をあらわす漆黒のローブが風に煽られて天使の羽根のごとく広がった。

 魔塔は魔法使いが所属する機関である。王国では、国王、神殿、魔塔、の三大勢力が相互に抑制し合うことによってバランスを保ち権力の濫用を防いでいた。


「セレスディン殿、リリエラ」

 カザリウスの登場に人々の視線が一斉にカザリウスに集まる。

 場所が神殿の入口であったので参拝に訪れた人の姿も多い。皆、神官たちや騎士たちの集団に何事かと注目をしている。


「セレスディン殿、リリエラを守っていただきありがとうございます」

 頭を下げるカザリウスにセレスディンは不機嫌に言った。

「話は聞いた。とうとう愚かな第二王子がヤラカシたんだって? 第二王子がリリエラを貶める行為はもともと目に余っていた。国王がきちんと対応すると言うから我慢をしていたが」

 カザリウスは苦笑した。

「侯爵家も同じです。やっと婚約の解消の目処が立った矢先だというのに、それをご存じない第二王子殿下が暴走をしてしまいました」

 セレスディンとカザリウスの会話に神官が割り込む。

「王宮の事情はともかく。もうここは神殿です。リリエラ様は聖女となられるべきお方です。聖女聖人の皆様は神殿で穏やかで何不自由なくお暮らしになっていますので、リリエラ様もきっとご満足なされると思われます」


 神殿では、聖女聖人の力を権威を高めるために利用をしているが、世俗における聖女聖人の不当な搾取から保護する役割も兼ねていた。還俗の際には財産の分与もあるので自ら神殿に入る回復魔法持ちも多いのだ。


「しかし、聖女になられることはリリエラ様の意志ではない!」

 王太子の騎士が声を張り上げる。

「とはいえ、神殿に足を踏み入れた回復魔法持ちは聖女聖人になるのが慣例でございます。変更はできません」

 昔は、神殿が権力者から回復魔法持ちを守るための駆け込み寺の役目であったので、今でもその伝統が続いているのであった。なので通常は、聖女聖人になる意志無しと申請してから神殿に参拝するので、申請なき者は聖女聖人とされてしまうのである。


 睨みあう神官たちと王太子の騎士たちにリリエラが遠慮がちに声をかける。

「あの。私は聖女にはなりたくありませんが、常々実用面で民に私の能力を役立てる方法はないかとお師匠様と模索をしておりました。最近ようやく研究の成果が形となりまして。もちろん副作用などもありませんので、皆様にそれを披露したいと思うのです」

 リリエラは、神官たち騎士たちカザリウス隊の面々に視線を向ける。


 セレスディンは目を細めて得意げに言った。研究のお披露目に自信満々である。

「茶葉と茶器の用意をしろ」

 神官を顎で使う。

「茶葉は安いものでいいが、コップは多めな。ふふふ、極上の茶をふるまってやろう」


 準備された茶葉の缶に、リリエラが洗浄の魔法をかけた両手を入れて軽く揉む。ぐむぐむ。まんべんなく茶葉を両手で掻き回した。茶葉の缶には外側からセレスディンが保存と定置の魔法をかける。

 その茶葉をポットに入れて、汲みたての水で沸かし立てた湯を注ぐ。少し蒸らしてからコップに注ぎ入れた。

「リリエラの回復魔法はかすり傷を治す程度だが、回数は魔力が続く限りで上限がない。1度の回復魔法でかすり傷を治す、では何度もその傷に回復魔法をかけたならば? あるいは、その回復魔法を何かに応用することはできないだろうか? と」

 セレスディンが説明をする。

「質よりも量の考え方で最終的に回復魔法の付与にたどり着いた。この茶葉の一枚一枚に回復魔法が付与されている。この茶を飲むとどうなるか? 判明したことは、身体の抵抗力をあげる、痛みを和らげる、体調を整える、など色々な利点があった。そして体調に不良がある者ほど、この茶を美味しく感じるということだった」


 セレスディンの説明に半信半疑であったが人々は茶を口に含むと、とたんに目の色を変えた。

「うまい! 安い茶葉なのに人生でこんな旨い茶は初めてだ」

 神官が感嘆の声をあげる。

「あれ? ちょっと頭痛があったのに頭がスッキリしている」

「訓練でついた小さな切り傷が治っているぞ」

「俺は肩が軽い」

「風邪で喉が痛かったのにマシになった」

「腰痛が引いた感じがする」

 王太子の騎士たちもカザリウスの隊員たちも感激に身震いをする。


 それらを見ていた参拝の人々も我先に押し寄せた。

「わしにもお恵みくだされ」

「本当に美味しい!」

「わぁ、体の疲れが消えたみたい」


 茶を求める人数が急激に増加したので、セレスディンが神官に茶葉を押しつけた。

「おまえたちで茶を入れろ。茶葉は1回使ったら効果はなくなるから、1回ずつ茶葉を替えろよ。おいで、リリエラ。神殿と王太子の騎士の責任者とカザリウスも来い。今後の話し合いをしよう」

「では、神殿の応接室にまいりましょう」

 神殿次席神官が案内をする。

「リリエラは聖女にはならないぞ」

「承知しております。これほどの劇的な効能なのです。有益すぎて神殿で独占すれば国王陛下の怒りを招くこととなりましょう」

「ふーん、利口だね。まぁ、争うよりも協力によって王国は国力を継続させてきた歴史があるからね」


「神官様」

 リリエラが微笑む。

「茶葉はやや高価ですから毎日飲める庶民は少ないです。でも小麦は違います。毎日パンを食べます。私、小麦粉にも回復魔法を付与できます。およその量は1日に100キロです」

「なんと素晴らしい!」

 感銘を受けた神殿次席神官がリリエラの手を握ろうとすると、すばやくセレスディンが阻止する。

「おさわり禁止。やっと愚物の第二王子から解放されたんだ。これからリリエラに触れていいのは僕だけ」


「「えっ!?」」

 ぎょっとリリエラとカザリウスが声を揃える。

 リリエラが驚きに瞳をまばたかせた。

「お師匠様……?」


 若々しく整った美しい顔でセレスディンが晴れやかに笑った。

「弟子への好意だったはずなんだけど、第二王子に蔑ろにされているリリエラに同情しているうちに愛情に変化したみたいなんだ。愛しているよ。本気で口説くから覚悟してね」

 セレスディンが口調を変え、あざけるように言葉を継ぐ。

「その前に第二王子にはお礼参りをしないと、ね。僕の大事なリリエラを虐めたんだから」

「ごもっともですな。敬うべき聖女に対しての侮辱は容認できません」

 神殿次席神官が重々しく頷く。

「リリエラは聖女にはならないって言ったよね?」

「承知しておりますとも。しかし、神殿がリリエラ様に聖女として敬意を抱くことはご容赦ください」

「しかたないなぁ」

「ほっほっほっ、ありがたき幸せ」


 ハッ、として王太子の騎士隊長が参戦する。

「お、王宮としても第二王子の処分を考えております!」

 リリエラの小麦粉100キロ。価値は計り知れない。ここで第二王子に対して甘いことを言えば、王家は100キロの小麦粉の分配に参加できなくなる可能性がある。

 額から汗を噴き出しながら騎士隊長は選んだのだ。

 独断で先走って第二王子の生贄を宣言するか、日和って沈黙して参戦をしないか、どちらがより国王からの厳罰の対象となるのかを。

「そう? ま、お手並み拝見だね」

 麗しい悪魔のごとくセレスディンが嗤う。

「ほっほっほっ、さようですな」

 腹黒く神殿次席神官が嗤う。

「……………………」

 騎士隊長も笑おうとしたが、喉で息が詰まって声が掠れてしまったのであった。


「恐いーっ」

 カザリウスが小さく呟く。

 リリエラも全力で首を縦に何度も振った。


 そうして話し合いの結果。

 リリエラは神殿に籍をおく正式な聖女ではないが、神殿が公認する名誉職のような聖女となったのであった。

 小麦粉は神殿と王宮で50キロずつに分け、魔塔には茶葉が毎日届けられることが決定した。

 神殿は一般庶民に。

 王宮は貴族と外交に。

 リリエラの小麦粉を配布または販売されることとなった。


「リリエラ、終わったらデートしようね」

 日々、小麦粉をこねこねこねるリリエラの傍らで保存と定置の魔法をかけながらセレスディンがおねだりをする。

「返事は、はいとイエス限定だよ」

 リリエラの回復魔法は絶対だが、セレスディンの魔法も小麦粉には必要である。無下にはできない。何よりリリエラはセレスディンが嫌いではない、好きだしドキドキもする。たぶん、胸の高鳴りを分析すると愛の鼓動になるとリリエラは思っている。


 侯爵家も兄も姉も神殿も魔塔も、リリエラとセレスディンの結婚を歓迎していた。

 王家はリリエラの結婚に口出しできない。国王は逃したリリエラの大きさに血の涙を流したが、時間は戻らない。激怒した国王は第二王子を離宮に監禁した。王太子に複数の子どもが誕生するまでは予備として第二王子は健康でいられることだろう。


 夕暮れの風が吹く。

 熟れた太陽が爛漫と西の空を金朱色の濃淡に染めながら沈みつつあった。

 花弁がほぐれるように。

 静かに夕焼けの光が影を伸ばす。


 星々を宿す夜の天蓋が近づいてくるが、まだ夜闇の領域ではない。


 鮮やかな花々も夕暮れの風に吹かれて、吐息を吐くように揺れている。香りで。花蜜で。花姿で。花色で。蝶鳥を呼ぶ明るい昼の時間を惜しむみたいに優雅に繊細に、まるで天上の一瞬を切り取ったかのように夕日の光を浴びた花々の影すらも美しい。


 その美しい庭園をリリエラとセレスディンは歩いていた。


 もうすぐ二人は婚約をする。


「嬉しいなぁ。来週は婚約式だね。来年には結婚式。ああ、幸せだ。毎日、空から金貨や銀貨が降ってくるみたいに幸福だよ」

 セレスディンが丁寧にリリエラの手を取る。愛おしさを溢れさせているような優しく温かい手でリリエラの手を握る。

「この指に僕の瞳の指輪をはめてね」

 指先でリリエラの薬指をそっと撫でる。

「はい。お師匠様」

「そろそろお師匠様ではなく、セレスディンと呼んでほしいな」

「……はい、セレスディン様」 


 真っ赤になったリリエラの頬を夕日の色が慈しむように隠してくれたのだった。

読んでいただきありがとうございました。




【お知らせ】


「ララティーナの婚約」がリブリオン様より電子書籍化をしました。

表紙絵は、逆木ルミヲ先生です。

コミックシーモア様より配信中です。特典SSでは、ララティーナが苦手な刺繍を頑張っています。

ララティーナサイド、ヴァドクリフサイド、前世と今世を大幅に加筆しました。

もしよろしければ手に取っていただけると凄く嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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