一章 世界樹と神-①
賑わう往来。
人々で埋め尽くされたその都市は、アネモスとはまた違った活気を魅せていた。
街中にいくつも立てられた電力式の街灯は都市の繁栄を表し、活気のある店で売られる様々な商品は、多くの国から人々が集まることを意味していた。
王都イルミンスール。
人口およそ三千万人の大規模な都市国家とは聞いていたが、むしろもっといるのではないかと思うくらい、この国は繁栄と栄光、そして人に満ちていた。
四つの大通りの中心には世界樹がそびえ立ち、世界樹を囲うように三つの水路が街を彩る。
水路を跨ぎながら分けられた八の区画は、それぞれ居住地区、商業地区、輸送地区、学区、貴族領、国政領、外交領、神域を担っている。
蘭風様とニンリルに案内されたのは、そんな八区画の中のひとつ...
外交領だった。
「学園の入学式は明日だ。
あたしと蘭風様は別件で離れるが、今日は好きに見て回れ。
それから、入学式のあとホームルームが終わったら、蘭風様の付き人としてグラズヘイム宮の神託会議に護衛として出席するから。
武装の準備をしとけよ。」
そう言ってニンリルは、露店で好きな物を食えと、銅貨五枚を小遣いとしてくれた。
「ここは私とニンリルの部屋ね。
リラも一緒でいいって言ったんだけど、ニンリルがなにかとうるさかったから。
個室にしといたわ。」
そう言って蘭風様からも、ニンリルには内緒と言って、銀貨二枚を小遣いとしてくれた。
(軍資金は銀貨ニ枚に銅貨五枚...
だいたいこの国の通貨レートが、青銅貨一枚を基準にして、青銅貨十枚で銅貨一枚。
銅貨十枚で銀貨一枚。
銀貨十枚で金貨一枚。
物価自体はそこまで高くないから、普通に物を買って食べたりするだけなら、銅貨一枚あれば事足りる。
そこから、酒やタバコ、甘味に装飾など、趣向品に金をかければ、それなりの額になってくるという話だったか...)
任期は三年。
母の死の真相を知る以外に特別やりたいことはないため、この金はトレーネへのお土産代に貯金をしておこう。
そういえば去り際...
「トーチムポーテがほしい。」
とか何とか言ってたな。
多分どう考えてもトーテムポールだろ。
(仕方ない。
民族土産があるかはわからんが、土の民の店を探せば似たようなものが見つかるだろう。)
そんなことを考えながら、船旅での長く深い疲れに身を委ねるように、俺はおよそ上等すぎるベッドで眠りについたのだった。
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翌朝。
王国立ユナス学園。
学区にあるこの世界唯一の神騎の育成校である。
神が国を学び、騎が人を学ぶこの学舎は、大きく九つのクラスに分かれている。
入学者は、一年目はサード、二年目はセカンド、三年目はファーストのクラスに所属し、それぞれその力の大小に合わせてロー、ミドル、ハイの三クラスに分けられる。
クラス昇級もある中、ハイクラスは卒業時に聖神騎【パラディン】の称号を与えられるため、皆こぞってハイクラスを目指し、日々鍛錬を重ねる。
入学式典は学園内の講堂で行われ、皆立位の状態でおよそ一時間ほど長い話を聞かなければならない。
華やかな紅と白で彩られた会場を見渡しながら、クラスを呼ばれるまで待つ。
「サードロークラスの者は前へ。」
クラス分けは神騎の采配で決められる。
それぞれ、現在六人いる神の聖神騎【パラディン】が集まり、話し合い、クラスを決めるのだ。
一般の家から兵役を志願する者はロークラス、家柄など優秀な血筋の者はミドルクラスに、そして俺のように神騎から直接手解きを受けた者はハイクラスに所属することが多い。
(まぁ、ウチは元々蘭風様の少数精鋭の方針で、神騎の育成はやってないから...
否が応でもハイクラスなんだけどな...)
呼ばれた者から順に前へ出ていく。
ロー、ミドルと終わり、いよいよ俺たちの番がやってくる。
「サードハイクラスの者は前へ。」
担任だろうか。
女性の高らかな叫びを受け、ゆっくりと壇上へ上がる影に身を委ねる。
「水神騎【ニンフ】候補生。
ダム・ウィンディ・ラック。」
名門ラック家の次女。
ダム・ラック。
金髪ショートカットに褐色という一部の者に絶大な人気を誇りそうな見た目とは裏腹に、宮廷剣術において右に出る者はいないとまで言われているレイピアの達人。
齢十四にして神威操作の難関と呼ばれる「性質操作及び形状変化」をマスターした天才である。
いかにも委員長と言ったような厳格な性格らしいので、適当にあしらうくらいがちょうどいいかもしれない。
「火神騎【サラマンダー】候補生。
ヒノ・アグニ・迦具土。」
迦具土と呼ばれる由緒正しい家元の一人息子。
ヒノ迦具土。
鍛冶師が多い篝火の里では珍しいほどに鉄を打つのが下手くそだが、誰よりも武器という物に触れてきたからこそ徹底的な傾向と対策から白兵戦において向かうところ敵無しと呼ばれている男。
策なしに手合わせなど頼もうものなら、一瞬で後悔することになるだろう。
「雷神騎【トール】候補生。
バアル・ケラウノス・ウール」
ヒノと同じく由緒正しい家元の跡取り。
バアル・ウール。
昔から篝火の里と交流が深い産業国家インドラの中でも、とりわけ才能と我欲に満ちた男として有名である。
欲しいものは力づくで手に入れ、気に入らない相手は武力にものを言わせる。
さながら暴君のようだが、弟分や街の人間には優しい兄貴分でもあり、ヒノとも兄弟のように育ったんだとか。
戦闘スタイルはロングレンジからの射撃がメインらしいが、おそらく神威を使う以上必中であることに変わりは無いと考えられる。
「土神騎【ノーム】候補生。
ピグ・グノーメ・ノモス」
本名をピグ。
ノモスは学園での生活を保証する仮名らしい。
一般の家元でありながら、各国の大陸を渡り歩いてきたその知識と本物の戦争を体験してきた実践経験を飼われた本クラスの特待生。
地形を活かした攻めを得意とし、並の神騎ならば一度におよそ五十人を相手にできるのだとか。
母さんのことを調べるなら、まずはこの男に話を聞くのがいいのかもしれない
「知神騎【メーティス】候補生。
イザベラ・ケニス・アテネ。」
一人称がトトという変わった少女。
名を、イザベラ・アテネ。
知恵の神が大陸の北部に出向いた際に見つけた捨て子らしい。
その力は未知数だが、なんでも詠唱の簡略化や二重詠唱式など、神威体系の根底を覆すような論文を幾つも発表している天才なんだとか。
論文を幾つか読んだが、どれも素晴らしいもので俺の戦闘スタイルにも採用しているものが多い。
とりあえず後でサインをもらおう。
(なんだかんだ、船に乗ってる間にニンリルから貰ったこのメモに助けられてるな。)
それにしても書き方が親父に似て読みづらいが...
「風神騎【シルフ】候補生。
リラ・フーガ・ウガリット。」
「はい。」
頭の中で問答しているうちに名を呼ばれる。
何故ラクリマの名を使わないのか。
なんでも、母は以外に影響力の強い人間だったらしい。
まぁ、神だから当然なのだが。
そのため、母の苗字を使うのは混乱を呼ぶだけという理由から、俺はニンリルの名を借りることにしたのだ。
(我ながら完璧な作戦だろう。
これなら、余計な心配をせずに母さんのことを探れる。)
そんな呑気なことを考えながら長い式典を終え、ホームルームと兼ねることになったという神託会議に参加した時だった。
その事件が起こったのは...
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「神騎見習いとして認められない!?」
グラズヘイム宮。
神託会議の他にも様々な政を行う世界樹の幹に覆われた神聖な広場で、リラの悲痛な叫びがこだまする。
混乱するリラを他所に、ニンリルはやっぱりかというようにリラの方を見る。
「私の一番弟子だ。
この子には家名がない。
私の名を与えるのがそんなにご不満か?
ピグの坊が良くてうちのリラがダメとは聞き捨てならないね。」
この問いに、一人の男が応える。
篝火の神騎統括官にして聖神騎【パラディン】の一人、名をイグニ・ヴォルグスという。
齢五十の風貌には思えないほどの筋骨隆々に加え、左眼に負った刀傷が必要以上にその男を大きく魅せる。
「お前もわかっているはずだ、ニンリル。
ピグの一件は特例中の特例。
現に特待生という資格がなければピグはロークラスへの配属だった。
それに、もしこの件を放置すれば矢面に経つのはリラ本人だ。
分かっているだろう。」
薄々予感はしていた。
昨日の緊急招集で、ピグ坊の議題が特例と念押しされたのはそのためだろう。
一日時間をやるからハイクラスへの配属は考え直せ...
そう言いたいのだろう。
それに、リラもまた、立場としては特殊だ。
直近だと、蘭風様は私を最後に神騎を拵えていない。
それもあり、蘭風様の神騎候補生と言うだけでも目立つ存在に加え、私の家名を貸してしまっては...
(裏口だと思われざるを得ないってことか...)
だが、ここで引いていては、いつまで経ってもリラの夢は叶わない。
ロークラスとハイクラス...
能力の差異によるクラス分けは、このユナス学園の強固なる実力主義を表している。
ロークラスとハイクラスでは、部屋割りから食事まで、その一切の待遇が変わる。
それだけではない。
より良い者にはより良い教育を。
言ってしまえば、学校と名乗りながらその実、純度の高い教育を受けられるのはごく少数だ。
「だが、手がない訳では無い...」
その言葉を合図に、不意に背後に殺気を感じる。
(なるほど、そういう...)
咄嗟にリラを庇おうとした自分の体が宙に浮く感覚を覚える。
「...全く、かわいくないぞリラ...」
直後、ニンリルの立っていた場所が途端に泥沼に変わり、次の瞬間には泥沼から無数の土の槍がニンリルを抱えたリラを襲う。
「フッ。」
息を吐き呼吸を整える。
俺を狙ってのことだろうが、奴らは可能ならニンリルにも相応の手傷を負わせたいらしい。
迷わずに剣を抜く。
艶のない黒い刀身が鈍く輝く。
およそマチェットではありえない速度で剣を振るい、上下左右前後から襲い来る土の槍をいなしていく。
(今のは例の特待生か。)
「これが唯一の手だ。」
イグニが合図を出すと、サードハイの面々がリラを囲う。
「我々にその力を示してみせろ。
リラ・ウガリットよ。」
次回更新は5月18日を予定しています。