序章 第一部
人は、生まれながらに平等ではない。
力のある者は、力の無いものを支配する。
力の無い者は、更に自分より力の無い者を使役する。
この星において。
どの生物よりも賢く、どの生物よりも醜く、どの生物よりも生き汚い...
絶対数ばかりが増していった哀れな短命種...
それが人間と呼ばれるものだ。
かく言う私も、人である。
賢く、醜く、生き汚い...
先人は言った。
「隣人を愛しなさい」と。
だが現実はどうだろうか。
綺麗事のみでは生きられないんだと思い知らされる。
種が違えばいざ知らず、意思疎通のための言葉があろうと、人はそれを利益のために行使する。
金のために他人を欺き、快楽のために家族さえ欺き...
最後に痛い目を見る奴なんてそんな悪い奴らの中でもごく一部だ。
こんな世界にどう希望を持てって言うんだ...
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それが日記の冒頭だった。
昔から父が書いていたであろう日記。
二年前にあの世へ旅立った父が、この家とともに遺した数少ない遺産...
「んー...
一旦休憩かな」
あの親父は...
柔和な人柄の割に大変なポエマーだったらしい。
文章の細部に至るまで読みづらいったらありゃしない。
おかげで俺と妹が産まれてからの約十五年分の日記を読むのに、このペースだとおよそ日記作成の半分の年月はかかりそうだ。
「お兄ちゃん、早く行くよー?
今日は船出の日でしょー?」
「わかってる。
今行くよ。」
使い慣れた立て付けの悪い棚に日記をしまい、これまた使い慣れた毛羽立った麻袋から家の鍵を取り出す。
「おーい、トレー...」
写真に手を合わせる妹を見る。
一緒に手を合わせると、太陽のような笑顔ではにかんだ。
「今日は主役でしょ?
風神様も来るってさ。
早く行こ。」
「わかったからそう急くな。
あと風神様じゃなくて蘭風な?
船も神さんも逃げやしないって。」
木造のコテージのようなオシャレな感じだが、所々ガタがきている住み慣れた我が家に戸締りをしっかりとすると、俺と妹のトレーネは船着場への道を歩いていく。
(まぁ、「ど」がつくほどの田舎なので戸締りもほぼ意味をなさないが)
風が気持ちいい。
ここは、なんてことない小さな港町だ。
いや、漁村という表現の方があっているか。
港町ほど栄えてはおらず、小村ならではの訛りも酷い。
俺たちのような若い人間が商人との通訳に入らないと地元の年寄りじゃ会話ができない程度には古臭い村。
そんな村が俺の故郷。
世界樹の恩恵を受ける小さな小さな風の里だ。
建国神話というものがある。
分かりやすく言えば、今の国がどういった歴史を辿って今に至るのか...
その過程をおとぎ話にして子供に読み聞かせるのだとか。
俺たちは、この建国神話こそ親の名前より先に聞かされ、覚えさせられる。
それほどまでに、この国...
いや、この世界にとって「建国」とは大きな意味を持つのだ。
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はじまりは、大いなる宙の種でした。
世界を創る大きな種。
のちに我々の世で世界樹と呼ばれる、最も偉大で、最も価値あるものが我々を産んだのです。
種は繁栄を願いました。
自分という種が潰えないための繁栄を...
そのために種は、まず七人の賢人を生み出しました。
のちにいう神様です。
種は賢人達に言いました。
「これから私はこの世界を広く、深く創り上げていこうと思う。
お前たちには私の手となり、足となり、我が種の存続のために力を尽くして欲しい。」
賢人達に断る理由はありませんでした。
賢人達は喜んで神の手足となって働きはじめました。
世界の創造が終わる頃...
種...今や大きな大きな大木となった世界樹は神様達に言いました。
「ありがとう。
お前たちのおかげで、私は私という存在の証明をすることができた。
お前たちにはどうこの恩を返そうか。」
神様達は三日三晩悩み、ついには種にこう述べました。
「貴方の傍で、我々を新たな家族として迎え入れて頂きたい。」
種は大いに喜び、七人の神様にそれぞれ己の権能を分け与え、世界樹から伸びる六本の根に国を創ることを許しました。
最も力の強かった勇敢な賢人に「篝火」の力を。
彼は火を操ることができ、自分の子孫に火の扱いを教えました。
最も傍で仕えてくれた献身的な賢人に「祝水」の力を。
彼女は水を操ることができ、世界樹の根元でその命を繋ぎ続ける大役を仰せつかりました。
最も賢人同士の繋がりを深めた賢人に「蘭風」の力を。
彼女は風を操り、その言をいち早く皆に伝えられるようになりました。
最も効率的に種の繁栄に着手した賢人に「銘雷」の力を。
彼は雷を操ることができ、その力で神一倍世界の構造に貢献しました。
最も自由な賢人に「恵土」の力を。
彼はあまり仕事は好みませんでしたが、種は自由気ままに生きる彼に「楽しい」を見出しました。
彼の歩く前、歩いた後には道ができるようになりました。
最も勤勉な賢人に「神秘」を。
彼は知恵を得ました。
そして何より...
彼は種から託されたのです。
「七つの星の眼」を...
己を含めた神様全てを見通す千里眼。
あまり気持ちのいいものではありませんでしたが、統率者という者が必要だと種は言いました。
そして、それは他ならぬ「神秘」にしか出来ぬのだと...
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(そして最後の神は...)
「なにボーってしてるの?
着いたよ。
船着場。」
「ん?
おう、そうだな。」
建国神話について思い返しているとどうやら船着場に着いてしまったらしい。
まぁ、開けた山の頂上に住んでいる俺たちだが慣れてしまった山の道はそうそう苦にはならない。
時間にしておよそ五分程度といったところか。
(しかしまぁ...)
「相変わらず狭いなこの村は...
って言いたそうな顔してるわよ、リラ。」
声の主に思わず肝を冷やす。
(冗談はよしてくれ)
と思いながら、村の全員...
子供から腰の悪い爺に至るまで、右の拳を心臓に、左腕を後ろ手にまわし腰を下げる。
「蘭風様、ご機嫌麗しゅう。」
先程思い返していた建国神話の繋がりの賢人...
世界樹から七本伸びる根の国の一つを任された由緒正しき神の血統...
其れが彼女だ。
「ではリラ、前に出てその名を告げなさい。」
横にいた一人の傍付きに案内され、村人の前に立つ。
こう言った空気はあまり好きではないが、お勤めなので致し方ない。
「名を。」
「リラ・フーガ・ラクリマ。
風の賢人、蘭風にその名を返す。」
返名の儀。
本来神のみが持つ権能を加護としてその身に宿す行為。
加護を受ける者は、その名を自らの神に返し、名に加護を刻まれる。
そして儀式が終わると加護を再び神に返す。
要は名前という触媒を元にした権能の一時的なレンタルだ。
リラ・フーガ・ラクリマ。
自分の名前を大勢の前で言うのはなかなか気恥しいが、何となく自分の名前は好きだ。
リラって響きは好きだが、親父の本には俺の名前の由来については書かれてなかったな。
フーガはこの土地に住む蘭風の寵愛の証で、この村に生まれると皆このフーガが間に入る。
そしてラクリマ。
今は亡き父と母から貰った家族の証...
いわば苗字のようなものだ。
「リラ...
リラ・フーガ・ラクリマ...
今、その名を返す。」
「はっ...」
一呼吸置き、蘭風の前に赴き、姿勢を正す。
「我が風の民よ。
我が名において命ず。
その神威をもって、民の力となりなさい。」
「...御意」
ゆっくりと立ち上がり村人の方を...正確には村人の向こうにいる漁船に乗り込んだ漁師を見る。
皆こちらを見てマストを調整し、帆を張る。
やり手の立てた親指が合図だった。
静かに頷き、ゆっくりと腕を構える。
「蘭風の命によりここに進言す。
其の神威を持って、この者達に絢爛なる風の加護を。」
言葉と共に俺の体が宙へ浮かぶ。
「うわぁ」
トレーネあんま近づくなよ。
そして次の瞬間だった。
俺の指を鳴らした方向に瞬く間に突風が訪れる。
風は海を薙ぎ払い、およそ大きすぎる船を押し出していく。
新たな船乗りの出航を祝福した。
「大物取ってこいよー」
「ちっとは単価安くしろー」
「昆布ー
俺昆布がいいー」
皆口々に船を送り出すために防波堤ギリギリまで走っていく。
(これで俺の役目も終わりかな...)
ゴン...
という鈍い音と共に脳天に激痛が伴う。
「おおおおおおおおおおおお」
声にならない叫びと共に俺はその場で激しくのたうち回る。
「加護は両手で使えって教えたよなぁ?
馬鹿弟子ぃ?」
これは迂闊だった。
蘭風が来ているなら間違いなく「この女」も来ているはずだろ俺ぇ。
「ニンリル姉やっほー」
「トレーネやっほー」
ニンリル。
ニンリル・フーガ・ウガリット。
蘭風の直属の配下...
神の寵愛を受ける神騎にして、俺の師である。
元々ガキの頃からの付き合いだが、親父が亡くなったあと俺たちを引き取ってくれたのがこのニンリルであり、俺に神威の素質があると見るや否や自分の後継として俺を鍛え始めたのだ。
独特な民族衣装に、頭に巻いたバンダナ。
バンダナに挟んでいる龍の羽は、噂だと振りかざすだけで岩をも割るらしい。
腰に帯刀している剣には神騎を象徴する神樹の装飾が施されており、淡い翡翠色の瞳は見ているこちらを写すほど澄んでいた。
だが...
(なーにがニンリル姉だ。
神威で若く見えるだけの中身五十路のババアのくせに)
神騎は歳を取らない。
性格には神騎として加護を受けてからはその時が永久に止まるのだ。
そのため老衰で死ぬことはなく、死ぬその時までその力を最大限に振るえるのだ。
バシッ。
「痛っあーーーー」
蹴られた。
何故。
俺は喋ってないのに。
「ニンリル。
それくらいにしてあげなよ。」
目に涙を浮かべて笑いながらニンリルに遅すぎる静止をかける貴婦人。
足元まで隠れるほどの大きなスカートはニンリルと同じ翡翠色をしている。
口元を隠す美しい手、その所作までもが高貴さを現しているように感じる。
「蘭風さまー。
でもこいつ、女の歳にとやかく言うんですよ?」
「デリカシーはないけどねぇ」
このふたりはいつもこうだ。
会えば何かしらうるさいが、こうやって構われるのも気分は悪くない。
むしろ...
「それより...
本当に行くのね?」
途端にその場の空気が重くなる。
ニンリルも...トレーネも...
先程までこの辺りに集まっていた子供たちも、空気を読んで離れていく...
「ええ。
行きますよ。」
行く...
その言葉にどれほどの意味があるのか。
この国に、いや、この世界に住む俺達には、その意味が十二分に伝わってしまう。
「都市国家イルミンスール...
祝水の加護を受けたあの国に国司として派遣してほしい...
貴方がニンリルと師弟関係を結んだ際に取り決めた契約...よね...」
「はい。
もとより忠誠は蘭風様に捧げる身。
己の見聞、そして、この国のために、彼の国の制度を学びたいと考えております。」
「半分真実...
半分虚偽ね...」
ニンリルを含め、周囲の神騎が俺を取り囲む。
トレーネは...さすがにその意味を分かってないか...
恩寵を受ける神、そして寵愛を近い距離で受け取る神騎の前ではあらゆる秘め事は隠し通せず、また、全ての虚偽は死罪となる。
それに、神騎はそこらの一般人とはわけが違う。
神の加護により超人的な身体能力、卓越した戦闘技術、そしてなにより神威というデタラメな力により権能を自由に使えるという。
今この場で争いを起こせば、確実に俺は死ぬだろう。
緊張が走る。
ニンリルは...
いや、ニンリル姉には悪い事をした。
あの人に俺は斬れない。
それをわかった上でこの場を構えたのだ。
この神とやらは...
「...遊びはやめましょう...
虚偽はない。
虚偽はないのよ、貴方の言葉に。
...ならこの違和感は何?
リラ...貴方...なにを知っているの?」
周囲がざわめく。
あの忠誠心の塊のようなニンリルでさえ怪訝な顔を浮かべる。
「蘭風様?
知っているって何?
うちの子に何があるって言うの?」
...
しばしの静寂が当たりを包む...
...
「場所を変えましょう。」
彼女が察しのいい神で助かった。
蘭風と神騎を我が家に案内する。
「神騎達は持ち場に戻っていて。
でもニンリルはここにいて。
あなたも知らなきゃいけないことだから。」
ニンリルはトレーネと共に訳が分からぬまま紅茶と茶菓子を出す。
俺は、この時を待っていたと言わんばかりに使い慣れた立て付けの悪い棚からある一冊の本を取りだした。
「...ウノスの日記ね...
懐かしいわ...」
蘭風...
今やこの女性の顔は神になど見えない。
ただこの時だけは、旧友との日記という対話を懐かしむただ一人の女性なのだ...
「どこから...話そうかしらね...」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
あれは、流星の八つ目の尾が伸びた頃だった。
ある一柱の神が子を成した。
めでたいことである。
そう...
それが彼女でなければとてもめでたかったのだ。
神話に語られる七人目の神。
最も博愛を重んじる賢人にして「天涙」の加護を与えられた神...
「それが...貴方たちの母...
かつて天涙と呼ばれた神だった者よ。」
次回更新は4月27日を予定しています
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