17話
早いもので、私とレイス様、そしてルカとの三人暮らしが始まってひと月が経とうとしていた。
じめじめとしていた季節が通り過ぎ、あっという間に太陽の日差しが降り注ぐ夏が訪れた。
以前の古い家での暮らしでは、春先から次の冬のことを考えて、年間を通して家の修繕や備蓄などを一日の合間にやりくりしていたというのに、この家では冬に対する備えもあるのでそうしたことを考えなくてもいい。
「本当に贅沢ね」
私はそう思いながら、シーツがよく乾きそうだと思い、ベッドのシーツをはぎ洗濯を済ませると外へと干していた。
こんなに良い天気であれば、お昼過ぎには乾くだろう。
「いい天気ねぇ」
背伸びをして太陽の日差しを感じていると、いつの間にかに傍に居たルカが、風に揺れるシーツにじゃれついていた。
「ルカ。シーツが落ちたら洗い直しよ」
「みゃ(……くそ……たまに猫の本能が……)」
猫ライフを満喫しているなと私はそう思いながら、ルカの頭を優しく撫でた。
一緒に生活をしていると、だんだんと相手のことが分かってくるものだ。
ルカはやはり、悪い子ではなかった。
口はかなり悪いけれど、最近ではリュコスとも仲良くなり、たまに二人で森に散策に出かけている。
「わぉん!」
「みゃ(また来たか。遊んでやるかぁ)」
森からリュコスが姿を現し、二人は庭を駆け回った。
「ふふふ。元気ね。それにしても……暑いわねぇ」
私は太陽に手をかざす。じりじりと肌を焼くような暑さが、だいぶ感じられる。
部屋の中へと私は入ると、地図を取り出した。
地図には植物の分布をかなり書き込んでいる。そして今日は採取したい植物があり、行く場所を決めている。
「滝つぼが近くにあるのよね……」
今日はレイス様が王城に仕事に行っており、夕方に帰ってくる予定だ。
レイス様が仕事に行っている今がチャンスだろう。
「泳ぐには……いい季節になったわ」
私は着替えとタオルとシートなど必要な物を準備すると、リュックサックに詰めてそれを背負う。
帽子をかぶり、出立の準備は完成だ。
「行きますか」
私は地図を折りたたむとスカートのポケットをそれを入れ、屋敷を出た。
「みゃー(なんだ。今日は森の調査か)」
「わぉん!」
「二人とも、一緒に水遊びに行く?」
「わおん!!」
元気いっぱいに返事をするリュコスとは裏腹に、ルカは眉間にしわを寄せ不満げな表情を浮かべた。
「みゃー(水遊び、だと?)」
レイス様同様に、ルカもかなり過保護な様子が最近感じられる。
私は子どもではないのだと思いながら、肩をすくめると私は歩き出す。
「行くならついで来なさいね」
歩き出すと、リュコスは飛び跳ねながら楽しそうについてきて、ルカはそんなリュコスの背中に乗ると、楽をする。
「あらルカ。歩かないの?」
ツンと澄ました顔のルカが背中に乗ると、リュコスはルカが落ちないように真っすぐに歩き出す。
本当は飛び回って走ったりごろごろとしたいだろうに、ルカのことを気遣うリュコスはかなりいい子だと思う。
「いつの間にか本当に仲良しねぇ」
夏の森は心地よい。
木漏れ日の中を歩いていると、美しい緑が輝いて見える。
草木も虫も元気いっぱいというのが伝わってきて、セミの鳴く声が響いていた。
樹液を求めて集まる虫や、花を求めて舞う蝶々。
鳥たちも、楽しそうに歌うように鳴き、まるで会話をしているようだった。
歩いていると、額から汗が流れ落ちる。
暑さを体が感じ、そんな中歩くことすら心地よい。
「あっつい」
そして今のこの暑さが、この後の水遊びを更に楽しくするだろう。
しばらく歩いていくと、川のせせらぎが聞こえ始めた。
「もう少しよ」
汗だくな私とは違い、リュコスもルカも余裕そうな表情である。
ルカに至ってはただリュコスの背中に乗っているだけなので、そりゃあ疲れはないだろうなと思う。
そして木々が開けたと思うと、目の前には轟音を立てる滝つぼが見えた。
「わぁぁぁ。綺麗」
水しぶきが舞い、太陽の光によって虹が出ている。
その美しい光景に見入っていると、リュコスが楽しそうに駆け出した。
「みゃ!(おいおいおい! 待て!)」
「わぉーーーーん!」
―――――バシャーン!
激しい水音を立てながら、リュコスは水の中へと飛び込み、リュコスの背中に乗っていたルカもびしょ濡れである。
私はその様子に我慢がしきれずに笑ってしまう。
「あははは! もう、リュコスったら! ルカがびしょ濡れよ!」
ふわふわであったはずのルカの体は水を吸って、スレンダーへと変貌した。
笑ってはいけないと思ったのだけれど、もうその変貌ぶりがおかしくてたまらなかった。
「ふふふふふふ。ルカってそんなに細かったのね。ふふふふ」
「みゃん……(くそが)」
そんな私に苛立ったのだろう。
ルカは私の近くに来てから、その水を飛ばすように体を勢いよくフルフルと振った。
「きゃっ! 冷たい! だけど……ふ……ふふふふふ」
体を振るった時のルカの顔が、すごいことになっている。
猫ってそんな顔にもなるのだなと思いながら、いつもは可愛らしいルカの、ちょっと間抜けなその顔がおかしくてたまらなかった。
「よし、じゃあ先に寒くならないように焚火を起こしておくわね」
私はリュックの中に用意してきた、乾いた枝と炎の魔石を使って火を起こしていく。
もう少し枝が必要だなと思い、近くに落ちていた枝も加えていく。
「ほら、ルカ。寒かったら温まるのよ」
「みゃ(いや、寒くねぇ)」
太陽の光が燦燦としているので、今のところは寒くない様子だ。
私は荷物を下ろして色々と先に準備をしておく。
大きな岩が近くに会ったので、その上に洋服やタオルを準備する。
その様子を見ていたルカが、驚いたように目を丸くした。
「みゃ(おい……まさか、脱ぐ気じゃねぇだろうな)」
ぎょっとした目で見つめてくるルカに対して、私は心の中で思う。
確かに、本当は一回くらい、全部脱いで泳いでみたいなという気持ちがある。この森は人間は入って来れないし、悪意を持った人も、そして私に襲い掛かってくるような動物などもいない。
開放感の中泳いでみたい……ただ。
ちらりと私はルカを見る。
さすがにルカがいる手間、脱ぐことは出来ない。
私は、服の下に丈の短いワンピースを着ており、そのままで泳ぐ予定だ。
薄手とはいえ、二枚重ねてきたのでだいぶ暑かった。
「よいしょっ」
「みゃー!(まてまてまて!)」
私は上に来ていた服を脱ぐと、畳んで岩の上へと置く。
少し丈が短いが許容範囲内だろうと思っていると、くるりと丸くなっているルカが目に入った。
「ルカ?」
声をかけても返事をしない。
「ねぇ、一緒に水遊びしましょう」
何も言わないルカに私は念の為声をかける。
「服、ちゃんと来ているからね。さぁ、遊びましょ! リュコス、おいで」
「みゃ(早く言えよって! おい! そのスカート丈がみじけぇよ! おい!)
「わぉん!」
私は浅瀬の川へと足を付けると、その冷たさにびっくりする。
「冷たい……気持ちいい」
私はぱしゃぱしゃと水で遊んでいたのだけれど、リュコスが川に飛び込み、バシャと勢いよく水がかかる。
「ふふ。ふふふ。もう! リュコスったら」
「わぉーん」
とても楽しそうである。
私は落ちていた枝を水面に向かって投げると、リュコスがそれを採ってくる。
それを何度か繰り返し遊ぶ。
こんな風に体を動かして遊ぶのなんて、初めてである。
私は幼い頃にやってみたかったことを、今になって少しずつ行っている。
子どもの時はこんな風にはしゃぐことも、水で遊ぶことも、何もできなかった。
勉強ばかりの日々で、私の生きる場所は屋敷の中だけだった。
「楽しい……ふふふ」
ひとしきり遊んだあと、私は浅瀬の水の中に座り、空を見上げた。
太陽の光が眩しく、生暖かい風が心地よい。
「気持ちいい」
風が吹き抜けていくと、木々が大きくざわつく。その時、馬の足音が聞こえて私は体を起き上がらせた。
誰かが来る?
私は、慌てて起き上がろうとしたのだけれどツルッと足を滑らせて、水の中へと勢いよく落ちた。
川というのは驚くことに、一気に深くなる場所がある。
私は水の中で目を開けると、太陽の光がキラキラと水面に揺れ、水中にも美しく届くそんな光景が広がっていた。
綺麗。
そう思っていた次の瞬間勢いよく水音が響き、レイス様が川に飛び込んでいた。
驚き目を見張ると、私の腕をつかみ、レイス様が水面へと上がる。
「ぷはっ……ミラ! 何をやっているだ!」
「はっ……はっ……え? れ、レイス様、ど、どうしてここに」
「思いの外早く仕事が終わったから帰ってきたら、家に居なくて、森を見たら煙が上がっている位置があったからそれを目印にきたんだ」
「あ、そ、そうなのね」
レイス様は浅瀬へと私を引き上げると、濡れた髪の毛を掻き上げる。
「心臓が止まるかと思った」
「ご、ごめんなさい」
驚かせてしまった。そう思っていると、レイス様がこちらを見て顔を赤らめると、自分の来ていた上着を私にかけた。
「濡れていてすまないが……ミラ、その格好は、いただけない」
「あ、でも、その服を着ているし……」
「……ミラ。体のラインがはっきりと見える。君は分かっていないようだから、はっきりというが、私は男で君が好きだ。そんな君のそんな恰好を見て、平気だと思うか?」
「あ……えっと……」
「無防備すぎる……着替えは?」
「持ってきているわ」
「……どうやって着替えるつもりだ」
「え……普通に、その……タオルを被って、脱いで……」
レイス様が大きくため息をつく。
それに同意するようにルカもうなずく。
「みゃ(無防備すぎる。同感だ)」
「だ、だって、この森には誰も来ないって……」
「私が来る」
「え……」
「私も男だ」
「……ごめんなさい」
顔を真っ赤にしてそう告げると、レイス様が私のことを軽々と抱き上げて馬の上へと乗せる。
「着替えなどは、また取りに来ればいい。さぁ、一度屋敷に帰って着替えるぞ」
「は、はい……」
楽しかったのにな。
レイス様は焚火を消し、リュコスに声をかける。
リュコスは尻尾をブンブンと振りながらついてきた。
レイス様が馬に乗ると、ため息をついて言った。
「水遊び、邪魔して悪かったな。だが、ミラ。こういうことは、私もいる時で頼む。さすがに心配になる」
「う……はい」
レイス様がいると恥ずかしくてとは言えない。
ルカはちゃっかり帰りもリュコスの後ろに乗り、私達は家路をめざしたのであった。
屋敷に帰った私達はそれぞれお風呂に入り体を乾かす。
一番乾かすのが大変だったのはルカであった。
リュコスは乾かそうとしたが、楽しそうに森に遊びに行ってしまった。
レイス様がアイスティーを作ってくれて、私達はそれを向かい合って飲みながら息をつく。
氷まで、魔石で作れるのだから便利な物である。
「レイス様、あの……心配かけてごめんなさい」
素直にそう告げると、レイス様は笑った。
「いや、もういいよ。そして思いついた。今度、泳ぐ用のドレスを注文しておく」
「泳ぐ用の……ドレス?」
「あぁ。作れるだろうと思う。いや、作らせる」
レイス様はそう言うと微笑む。
「私もミラが楽しそうにする姿は見たいからな。今度は一緒に遊ぼう」
「えぇ。ありがとう」
レイス様はアイスティーを飲み終わると、カバンの中から書類を取り出し、それを机の上へと置いた。
「そして、私が早く帰って来たのは、仕事が早く片付いたから、だけではないんだ」
「これは?」
レイス様が私に見るように手で促す。
一体なんだろうかと思い、私は書類を手に取るとそれをぺらぺらとめくり読んでいく。
「これ……は。聖女の能力の数値を計測したいということかしら」
要約するとそのようなことが長々と書かれている。
「あぁ。神殿からの要請書だ」
「神殿からの……」
「アレクリード王国は精霊神信仰だ。悪意を持って力を利用していなければ、能力者は神の使徒ともいわれ大切にされる。そしてそんな能力者や聖女などの能力の数値を図り、記録し、管理をしているのが神殿だ」
「……なるほど」
「神殿側から、ミラへの謁見並びに能力の確認の要請。ミラ、どうしたい?」
その言葉に私は首を傾げる。
「あら、断れるの?」
「あぁ」
簡単にうなずくレイス様だが、そう簡単なものではないはずだ。
私は笑みを浮かべると答えた。
「大丈夫よ。受けるわ。今の所私に出来ることはないように思えるけれど……」
私がそう呟くと、机の上にぴょんとルカが乗り、書類を見つめる。
「みゃ(神殿……か……王子の婚約者ってのは盾となっていいな)」
ここ最近の私達の会話から、レイス様の地位や今の状況を把握していっているルカ。
ルカは一体何者なのかは未だ謎のままだ。
ただ、今の生活にルカは満足しているのか、私を見守る以外に何もする様子はない。
私はルカの頭を撫でると、レイス様が嫌そうに顔を歪める。
それからレイス様がルカを抱き上げてしまう。
「みゃ(やめろ。離せ。男に抱き上げられる趣味はねぇ)」
「ルカ。暴れるな」
「シャー(やめろ)」
嫌がりながらもルカはレイス様のことを傷つけることはしない。
「レイス様も一緒に神殿に来てくれるの?」
「あぁ。もちろんだ」
「心強いわ」
私は微笑む。ただ、多少やはり不安ではあった。
アレクリード王国の神殿とはどのような所なのだろうか。
聖女として実は力がなかったらどうしようかな。そんなことを私は少し思い悩んだのであった。