ラインハルトの事情
イレーネたちがアルタスに到着して五日後の朝。薄い日差しが差し込む中、ラインハルトは執務室にて定期的に送られてくる領地からの報告に目を通していた。
ラインハルトが治めているルクスガルド領はルクベル、ブーレル、カルン、ルミューの4つの街をまとめた、アルタス国の南の要。
それぞれの街に配置された騎士団からの治安報告と領民から上がってくる陳情書が今朝も机に並んでいる。
その中の一枚を眺めながら、ラインハルトは不機嫌そうに唇を結んでいる。無意識に指で机を叩きながら打開策を練っていた。
「ライ、ここでねばっていても現状は変わりませんよ。ブーレルに向かってください」
「先日ノルダンから帰ってきたばかりなんだが」
「どの口がいっているのです? 普段の貴方ならすぐに駆け出しているのに」
横から暖かい紅茶を差し出しながら正論を投げてくるのはルーカス・ヨハンセン。ラインハルトの幼馴染みで補佐官を務めている。アーダルベルトと共にライを相手に率直に物申す、数少ない側近だ。
「『自分の目で見て確かめないと安心できない。どんな状況なのか把握するには〝紙〟ではなく〝足〟だ』といってノルダン行きをねじ込んだのはどなたでしたかねぇ。後回しにしたものが手前にきただけですよ、はい行って。すぐ行って」
「……相変わらずよく回る口だな」
「貴方が一向に動かないからですよ!」
プラチナブランドの前髪を振り乱しながら声を荒げているルーカスは、一重のスカイブルーの瞳も相まって冷静沈着に見られがちだが主人に対して沸点が低いのが数少ない短所だ。
「貴方がノルダンに行かれた時の尻拭いを誰がしたと思っているのです? それとも自領の懸念よりも隣国の小娘の方が気になると?」
「ルーカス、言い過ぎだぞ」
執務室の壁に寄っかかって腕を組んでいたアーダルベルトが口を挟む。
むっとした顔でアーダルベルトの方を向くルーカスの腕を、ラインハルトがぽんと叩いた。
「悪い。確かに全てお前に任せていたな」
「ほんとですよ! 留守の際、ザード国からの小競り合いもブーレルにかなり踏ん張ってもらったんです。慰労と威嚇も兼ねて〝銀狼の軍神〟に出張ってもらわないと」
「まぁ、な」
二年前、アルタスの西にあるザード国は南のノルダンに攻め込んだ。豊かな耕作地帯と広陵な牧草地を求めて進軍してきたザード国を先陣を切って蹴散らしたのがラインハルトが率いた軍だった。
ザードの軍勢に横槍を入れる時は中隊ほどの塊で入り、相手が崩れた所を四、五個の小隊が縦横無尽に歩兵を薙ぎ倒していく。
付かず離れず巧みに指揮をとりながら自身も相当な数の敵を倒したラインハルトの姿は、双方の兵からみて正に軍神。第六騎士団の旗印が狼を模しているのも相まってついたあだ名が〝銀狼の軍神〟だった。
敗れたザード国はノルダンに面した領主が勝手にやったことだが迷惑をかけたので金は払う、として賠償金と領主の首をすげ変える事を約束して引いていったが、今度はアルタスにちょっかいをかけてきている。
「二年前の敗戦がよっぽど悔しかったんだなぁ。まぁ、こてんぱんだったからな」
「のんきなこと言ってないでください、アーダルベルト。ブーレルの者から叩かれますよ」
「あいつら血の気が多いから丁度いいんじゃないのか?」
ブーレルに旧知が多いアーダルベルトはさして心配はしていないようだが、ルーカスは首を横に振った。
「小バエが何回も目の前をかすめればイライラとしましょう? うっかり誘い出されぬよう、抑止力となって頂きたいのです」
「そんなに来ているのか」
顔を上げ側近の顔をみると、柳眉に谷をつくりながらルーカスは声を低く潜めて応えた。
「ひと月の間に四度」
「多いな」
目の前にある陳情書には回数までは書いていない。ラインハルトは頷くと立ち上がり、ぬるくなった紅茶を一息にのんだ。
「三日後の朝に出立する。ブーレルには先ぶれを出して安心させてやれ」
「はっ」
「アーダルベルトは二十ぐらいの編成を組んでくれ。その中にイレとネイト殿も入れるように」
「正気ですか⁈」
先ぶれを出そうと扉に手をかけていたルーカスが慌てて戻ってきた。
「俺はやぶさかではないが、嬢ちゃんがうんというかなぁ」
「好奇心の塊だから大丈夫だ」
それもそうか、と頷きあうアーダルベルトとラインハルトを見て、ルーカスは震え上がる。もちろん怒りの為である。
「そういう問題ではありません! 平民の姿に仮装して馬の世話をする変わった御方ですが、ノルダン国第四王女ですよ?! キズでもつけたら国際問題ですっ!」
「キズはつけないから大丈夫だ」
「嬢ちゃんなら落馬ぐらいだったら平気そうだしな」
なにいってんですか! と若いルーカスは顔を真っ赤にした。
「ルクスガルドにきてまだ半月ですよ! やっとこちらの生活習慣になれたばかりのお二人を貴方たちの道楽で連れ出さないでくださいっ!」
ぜいぜいと肩で息をしているルーカスをみて、顔を見合わせたラインハルトとアーダルベルトはニヤリと笑った。
「よく見てるなぁ、ルーカス。特に嬢ちゃんは立場の違いもあるからなかなか慣れなくてなぁ」
「お前はほんとうに優しい」
「な、なんですか二人して」
頷き合いながら左右に近寄ってきた偉丈夫たちにルーカスは一歩後ずさる。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ、お前んときみたいに落馬してすぐまた乗れとはいわないから」
「私たちと一緒にノルダンの山も越えた。問題ない」
「だから! 有望な人材ほど連れ回してくたくたになるまで訓練してふるいにかけるのやめて下さいって! これ以上倒れる人を増やさないでくださいよっ! その後フォローするのはこっちなんですからっ!!」
気に入った者ほど手元に置き、足腰が立たぬほど鍛える悪癖がある二人に散々にされたルーカスは吠える。
「私の、仕事を! 増やさないでくださいっ!!」
ラインハルトがそろそろ本気でへそを曲げる直前だ、と目配せするとアーダルベルトは軽く肩をすくめた。
「了解、加減して鍛えるよ」
「そもそもあのお二人に鍛える必要など」
「必要だ。少なくともいまは」
静かに即答するラインハルトに、側近二人はさっと胸に手を当てる。
「御意」
「……承知しました。でもほどほどに」
従うが、どうにも一言いっておきたいルーカスに、ラインハルトは穏やかな眼差しでうなずいた。
「わかっているよ」
再び報告書に目を通し始めた主人に略礼をとったルーカスは、今度こそブーレルに速馬を出すため、執務室を急ぎ出ていった。