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イレーネはからかわれたので唇をとがらせた

 



「ぷはっ」


 イレーネは服のまま宿のベッドに倒れ込むと、まくらに頭をつっこみ、盛大なため息をついた。


「きっつー! だいぶ走らせるなとは思ったけど、長距離であの速さはきついんですけどー!」


 イレーネは自分の手綱さばきに自信があった。緩急のある速さで駆けることも、ルイーザとなら息を吸うように走らせることができていたのに。


 街道があるうちは行き来する馬車や人に気をつけてゆるやかに走っていたが、草原帯に入ると即座に一列になって速度が一気に上がった。


 一陣の風となって駆けるアルタスの騎士たちの走りにイレーネは歯を食いしばってついていっていた。


 しかし初めての長時間の早駆けにイレーネの腕や脚の感覚が少しずつダレてきて、手綱の微妙なゆるみを感じたルイーザの足がだんだんと鈍り始めていったのだ。


 しんがりを務めてくれた騎士が口笛で合図をしてくれ、先頭にいるライに状況を知らせてくれたので助かった。初めて長距離を移動するイレーネとルイーザにとって、厳しい速度だった。


「調整のために長く走ることもしていたけれど、全然ちがったな……」


 馬の調子をみながら彼らの状態に合わせて走るのと、明確な目標を持って走っていくのとは天と地ほどの違いがあった。


「あれが、行軍」


 ころりと身体を仰向けにしてイレーネは大きく息を吐く。


 問答無用に駆けていく大きな意志を自分たちの前後から感じた。道なき草原なのに、明確なルートがあるようにアルタスの騎士たちは走っていっていた。


 その中でも先頭を駆けていく黒馬と乗り手の銀髪が頭の中に浮かんだ。


 ライの走りは無駄がない。人馬一体というよりかは、乗り手に余裕のある走りだった。


「馬のこと、わかってるって感じ」


 イレーネは右腕を目にあてる。自分のせいで宿をとることになったくやしさと、慣れて走ることができるライたちのうらやましさと、ほんの少しの憧れがイレーネの胸の内をかき回す。


 身体を丸めて横になり、このままふて寝でもしようかと思ったとき、コンと遠慮がちなノックが聞こえた。


「マリー、どなたか見てきて」


 近くにいるであろう侍女に頼むと、返ってきたのは沈黙だった。


「あ! 今はわたしだけだっ」


 あわててベッドから降りてドアを開ける。すると、もう一度ノックをしようとしているライが軽く目を見開いて立っていた。そして、その水色の瞳がさっと鋭く細まる。


 こちらを責めるような雰囲気に、イレーネはどうしたのかと小首をかしげた。


「ライ?」

「だれか確認もせずに開けるのは感心しないな」

「あ、ごめんなさい」


 短くとも、心にズンと響くような声にイレーネは首をすくめた。


(うわー……じじさまと同じ圧だわ。静かに怒るっていってたの、これかしら)


 侍女がいないのに慣れなくて、という言葉をなんとかのみこんで、イレーネはライを見上げる。


「今度から気をつけます。なにかご用なんでしょう?」


 夕食もおえて寝支度をするだけの時間に訪ねてきている。急ぎの用事でもできたかと身構えた。


「明日の行程を相談したい。イレからみた若馬の状態も知りたいのだが、下の食堂までこれるか?」

「ああっ忘れてた……!」


 バチンと音がなるぐらい自分の顔を片手で叩いたイレーネはうなだれたあと、すぐに頭を下げる。


「本当にごめんなさい、馬の状態を毎日報告するようジダンに言われてたのに……」

「馬の状態は見にいっていた?」

「それはもちろんっ」


 当たり前のことをなんで聞くの、と勢いよく顔を上げると、穏やかに微笑むライがいた。


「ならいい。自分に非がある時に謝れるのもいい、えらいぞ」

「……っ! 子ども扱いしないで! あたりまえのことなんだから」

「これは失礼。マイ・レディ(お嬢さま)

「レディじゃないし!」

「ははっ、そうだった。では食堂で明日の作戦会議をしよう。調教師イレ殿の意見も参考にしたい」

「……! わかったわ」


 イレーネがうなずくとライはさりげなくエスコートをして短い廊下から階段へと移動し階下へ誘う。


「イレが乗っていた馬は少し体力がなさそうだったが、ネイト殿の馬はなんとか耐えていたな」

「ええ、ルイーザは基礎体力はあるけれど、ルースと比べて走り込みが足らなかったから。自分のペースで走ってきた馬と調教で整えられた馬の違いだと思う。あとは乗り手の問題もあるけど……」


 ライはイレーネの話を聞きながら、まだちらほらと宿泊客が酒を交わしている中を抜け、食堂のすみの席を勧めた。

 隣の席にはアルタスの騎士たちと一緒にネイトがすでに酒を交わしていて、こちらへ軽く杯を上げるのでイレーネも頷いて返す。


 なにか飲むかと聞かれたが、イレーネは首を横にふる。まもなく成人を迎えるのでお酒も多少は飲めるが、そんな気分でもなかった。

 ライは頷くと、イレーネには水を、自分にはエールを給仕に頼む。


「二人共よくついてきていた。長距離の移動は初めてだろう?」

「ええ。でもネイトは息は上がっていたけれど、平気そうだった」

「それは体力の違いだろうな」

「わたしもルイーザと同じね」


 テーブルに届いたカップをカチリと重ねて一口飲む。氷の入った水はイレーネの頭も冷やしてくれ、現状に向き合う冷静さを取り戻してくれた。


「くやしかったか?」


 からかうように聞かれたので、イレーネはちびちびと水をのみながら素直にくちびるをとがらす。


「ついていけなくてくやしくない馬乗りなんていないんじゃない?」

「そうだな」


 思いのほかやわらかい返事にふとイレーネが顔を上げると、ライは静かな湖畔のようなの目を細めながら微笑んでいた。


「なによー。面白いことなんてない」

「いや、自分も同じだったなと思い返していたんだ」

「へぇ……」


 沈んで深緑色になっていたイレーネの瞳が、ぱちぱちと瞬きをして本来の明るい色に戻る。


「え、聞きたい。ライもへとへとになったことがあるの?」

「ああ、何度でも。脚ががくがくとなってじいさんのように屈んで歩いていたな。ちょうどイレと同じ年頃のときに」


 馬と自分の体力を過信して、無茶な走りの果てに落馬した事。探検するといって起伏のはげしい山の中へ入り、遭難しかけてこっぴどく叱られた事。


 落ち着いてみえるライが自分ぐらいの頃はやんちゃに野山をかけずり回っていたとは、とイレーネは目を輝かせる。


「山で馬を操るには地形を頭に入れておかないと話にならないんだが、探検だからとわざと地図ももたずに入ったんだ」

「それでそれで? 頂上にはたどり着いたの?」

「いや、裾野をぐるぐると回りながら迷っていたらしい」

「ふーん? ずっと登っているはずなのにね」


 イレーネのその言葉にライはふと気がついた。


「イレ、山を踏破したことはあるか?」

「いいえ、ないわ」

「そうか。では明日は私の馬に同乗しよう」

「え、どうして? 一晩眠れば疲れはとれるわよ?」

「明日は国境の山を越える。高度はないが複雑な地形だからな、私みたいに迷子にならぬよう教えながら行こう」

「道を教えてくれるの? じゃあ乗らせてもらう」


 イレーネが納得して頷いたのをみて、ライは満足そうにうなずくと席を立ち上がった。


「さ、作戦が決まれば早いところ身体を休めた方がいい。部屋まで送る」

「え、もう?」


 まだ話し足りなそうにするイレーネに、ライは頭にぽんと手を置いた。


「万全な体調で臨むのも仕事の内だと思うが?」

「はぁい」


 仕事、といわれると無理にも留まることもできず、イレーネはしぶしぶ右手を差しだす。ライは左手で受けイレーネを立たせると、テーブルから階段へと歩き出した。


 主人たちの後ろ姿に、隣のテーブルにいたネイトと側近たちはこっそりと囁き合う。


「あの人たち座って喋ってれば市井に紛れるのにねー」

「イレ殿も馬と戯れている時など、町娘のようなのだがなぁ。立ち姿がなんとも」

「完璧に雰囲気作っちゃうもんなー。身についたものだから直せないですしねー。向こうにいってすぐバレなきゃいいけど」


 ネイトがため息をつくと、行軍でもしんがりを務めていたアーダルベルトが肩をすくめる。


「まぁ、そうなった時はなったでライさまがなんとか……いや、面白がってそのままにされるかもな」

「やっぱりぃ? あー、絶対とばっちりがきますよー。アーダルベルトさま、手に負えなかったったら半分もってくださいね」

「いや、自分、ライさまの世話で精一杯ですから」

「そんな事いわないでー、同じお世話係じゃないですかー」


 それはそれ、これはこれですよ、とアーダルベルトはくだを巻きだしたネイトの杯にエールをついでやるのだった。




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