ラインハルトは口元をほころばせた
サーネに見送られて屋敷を出ると、部下であるアーダルベルトが二頭の馬を引き連れてきた。
「許しは得られましたか?」
「ああ、マンセル殿は話がわかる方だからな」
「なによりです」
ラインハルトと同じようにダークブラウンの髪を短く刈ったアーダルベルトは、預かっていたマントをラインハルトに渡す。
「それで、彼女はやはりこちらの縁者でしたか?」
「ああ、縁者どころか身内だ。本人が執務室に居た」
「はい? ごあいさつされたのです?」
「いや、……ふっ……」
「ライさま?」
ラインハルトは水色の瞳を細めて口元を綻ばせた。普段はあまり表情を変えないラインハルトにしては珍しい顔だ。
「執務室のな、カーテンの中に忍んでいた。つま先が見えているんだよ、可愛らしい方だな、イレ殿は」
「それは……なんといいましょうか、ちょっと先が思いやられますね」
アーダルベルトは髪と同じ焦茶の瞳を少し見開き、遠い目をした。
ラース領領主の執務室でそんなにわかりやすい状態で身を潜めているならば、彼女はマルタンの身内であり孫娘のイレーネ・ラースだ。
そしてイレーネは、ライことラインハルト・フォン・バルトウィンの婚約者。彼女のデビュタントに合わせて国内外に発表する予定になっている。
「それで、今回の訪問はイレーネさまとして迎えるので?」
「いや、調教師イレとして預かる。人となりは良さそうだが、アルタスの水に合うかどうかも見極めたい。かなりじゃじゃ馬のようだしな」
どちらかというと保守的な土地柄のアルタスにイレーネのような奔放な娘が合うかといえば、ほとんどの者が首を横に振るだろう。
だが、イレーネがノルダン国ラース領出身であること、そして馬をこよなく愛しているという点がアルタスの者からすると好感が持てるのだ。
アルタスは建国以来、騎馬力で土地を攻め、また守ってきた騎馬技術に長けた国である。ただ、山岳の多い土地であるアルタスでは、馬を育成するには向かなかった。
それゆえに良馬の産地である隣国ノルダンとは建国早々に同盟を結んでたびたび馬を送ってもらっているという歴史がある。
中でもノルダン国ラース領は丘陵の多い穏やかな地形が農産に適し、高原地帯であることから良質な牧草が育まれる為、良馬の産地として有名なのだ。
その見返りとして、ノルダンは有事の際にアルタスの騎馬兵団を要請するのだ。
今回のノルダン国第四王女とアルタス辺境伯との婚約は先の戦の武勲に報いることと、両国の関係性をより強固にする政治的な結びつきの役も担っている。
ラインハルトは国同士の盟約ももちろん承知の上で婚約に頷いたが、はたしてイレーネはそこまで分かっているのだろうか。
軽々と見習いとしてついていく、といっていた様子からみても、おそらく何も知らされていないのだろう。
「事情を知らずに来たほうがかえって良いときもある」
「ライさま?」
「お互い、素で話せるだろう?」
「そうともいえますが……面倒くさいことを考えてないでしょうね」
軽く肩をすくめて騎乗したラインハルトの口角は柔らかく上がっている。アーダルベルトは眉をしかめて脇に並んだ。
戦術を考えてルートを決めた時の顔と酷似しているからだ。その場合、無理難題を突きつけられる事が多い。
「ライさま」
「しばらく辺境の騎士ライのままでいく。イレ殿の周辺に付くものにはそのように伝えてくれ」
「……面倒な」
「面白くなりそうだといってくれ」
「いいません。苦情は本人に言えといいますからね」
「喜んでうけたまわるよ」
頷いて走り出す辺境伯の背中に、側近はしっかりと愚痴を投げる。
「口元だけ微笑んでいる閣下に物申せる部下が居たら、すぐ側仕えに召し上げますから」
「いい同僚が見つかるといいな、アーダルベルト」
二人の時はへらず口が止まらない上司にアーダルベルトの眉はますます谷のようになっていくのだった。
五日後。
冷んやりとした朝もやがかかる早朝に若馬が集められている厩舎へいくと、入り口の所でルースとルイーザの手綱をもった厩務員が控えていた。
ルースの手綱をもった方が調教師ネイト、ルイーザは見習い調教師イレだとジダンから紹介があった。三歳馬のガイルとイシュは従順なので調教師が手綱を持たなくても大丈夫だろうと、アルタスの騎士にゆだねられている。
風になびかぬようやわらかな金髪を紐で一つにまとめ、深緑のフード付きのマントをまとった旅装姿のイレーネは、どこからみても王女とは思われないほどしっくりと馴染んでいる。
黙っていると翠色の澄んだ瞳が宝石のような高貴さをかもしだすが、馬に話しかけながらころころと変わる表情がやはり気安い。
「彼女は行って帰ってくるまで正体がバレないだろうな」
「むしろ貴方の事をバレないようにするために周りが策を練らねばならないのをどうにかしてほしいのですが」
「うちの領民は口が固いから大丈夫だろ。さぁ、いこうか」
ジタンと共に馬の脚を見ているイレーネの元へいくと、二人が顔を上げた。
「落ち着いて向かえそうか?」
「ええ、蹄鉄の調子もよさそう。長距離を走った事がないから心配だけど、がんばってくれると思うわ」
自信に満ち、翠瞳が輝いているのにラインハルトは目を細めて頷くと、隣にいたジタンも会釈をしてくる。
「若馬が愚図るようでしたら連絡をください。対処法を伝えますので」
「え? そんなの今教えてよ、ジダン!……さん」
「イレは自分で対処法を見つけるのが仕事だ」
「うぅ……ジダンさんのいじわる」
ジダン眉が微かに歪み、口元がぐっと下へ曲がった。“若馬”の中にはルースやルイーザだけでなく、イレーネの事も入っているのだろう。
働く、という意味も知らない状態で送り出していいものか、しかし相手は上位貴族であり厳しく叱責することもできない、という葛藤が見えた。
「ジダン殿、そのままに預からせて頂く」
ラインハルトが声をかけると、ジダンははっとしてこちらを見た。
「新しい環境が辛いこともあるだろうが、それはそれ。慣れていけるよう、こちらも配慮しよう。じゃじゃ馬が手に負えなかったらすぐに連絡するよ、その時は頼む」
彼女のことは基本的には見守り、有事があればすぐにノルダンへ戻すつもりだ。
そんな思いも込めてジダンに頷くと、日に焼けた目尻がほっとゆるみ、目礼をされた。
家族だけでなく厩舎の者にまで心配される、というのはある意味、愛されている証拠。
(ただ奔放なだけではないのだな)
そう思いながらイレーネに目を移すと、くちびるをとがらせてこちらを見ていた。
「ルースもルイーザも手に負えないようにはしないわっ、そのためにわたしたちが行くんだもの。ね? ネイト」
「あー、うーん、そーですねー、ぼくががんばりますー」
「なによ、ネイトだけにまかせるつもりないわよ? わたしもやる」
「はいはい」
正確に状況を把握しているだろうネイトという調教師は、琥珀色の瞳をそらして遠くを見ている。
文句があるならいいなさいよと詰め寄っているイレーネを上手にあしらっているので、アルタスの厩舎にいっても大丈夫だろう。
ラインハルトはジダンに頷いて、出立の挨拶をすます。
「道中の無事を祈ります」
「到着したらこちらにも連絡をするよ。では」
ラインハルトはイレーネの側に寄ると、ルイーザの首を軽くたたきながら手綱をもった。
「あの、一人で乗れるけど?」
「手を貸してはだめか?」
戸惑ったようにこちらを見てくるイレーネに、ラインハルトは穏やかにたずねる。
不思議そうな顔をしていたが、ラインハルトが足元に屈むと心得たようにステップを踏み、左足をあずけてルイーザに乗った。
「軽いな」
「ルイーザたちに負担かけたくないもの」
「さすがだ」
褒められて気を良くしたのか、にっこりと口角が上がる。イレーネが黙って微笑むと、凛とした百合のような華やかさがかもしだされる。
ラインハルトは目を細めるとイレーネから離れ、自分も騎乗し声を張る。
「イレ殿とネイト殿を中に挟む。しんがりはアーダルベルト、あとは周りを固めて走る。いくぞ」
掛け声と共に走り出した。軽く振り返るとノルダン組は苦もなくついてくる。ラインハルトは頷き、少しずつ馬足を速めた。