ラインハルトの事情 3
イレを寝つかせ、テントから出るとアーダルベルト、テレサ、ネイトが火の近くで集まっていた。
「イレさんは」
「大丈夫だ、寝たよ」
ラインハルトに気付き、真っ先に立ち上がったネイトに頷いて座らせる。
「ネイト、アーダルベルトから聞いたか?」
「ええ、ですが、イレさんを一人で向かわせるというのは……私は反対です」
厩務員としてイレと共にルクスガルドに来ているネイトは、イレを守る護衛も兼ねている。武器を持った姿を見てはいないが、時折り見せる身のこなしが隠者に近いのは、ラインハルトやアーダルベルトほどの武の者なら一目みてわかる。
先程の奇襲の時もおそらく近くにいただろうが、ラインハルトがイレを守っていたので姿を表さなかったのだろう。
「ネイト、考えて欲しい。役目を取るか、イレと私との未来を取るか」
ネイトははっとしてこちらを見つめてきた。
彼にとって今回の任務が一度きりの浅いものならば、イレの側を離れず護衛も兼ねて二人でルクスガルドへ戻っていくだろう。だがラインハルトが求めるのはもっと深い絆だ。
イレ、いや、イレーネと共に、このルクスガルドに来る意思はあるのか、と。
ネイトは迷う事なく頷いた。
「わかりました。ただ、イレさんが一人で安全に戻れるというお考えの根拠を教えてください」
そもそもイレーネを懐に入れて離したくないと思っているのはラインハルトの方だ。そのラインハルトがイレーネを放つ。それには明確な理由があった。
「奇襲してきた斥候が新米だったからだ」
そうだろう? とアーダルベルトに目を向けると、アーダルベルトも頷く。
「明らかに逃げる方向を間違えてこちらまで来てしまった、という様子でしたな。奇襲というより恐れのあまり矢を放ち、馬に驚き奇声を上げる。退路に沢を選ぶのもあり得ない。最後は足を取られて沢に頭から突っ込み溺れ出したので一刀で終わりました」
ラインハルトは軽く頷き、懐から簡易の地図をだしてネイトに示した。
「斥候が逃げ出す、という事は北のトゥーラ砦がまだ機能しているという事だ。そして私が北へ向かう。西はアーダルベルト、テレサ、ネイトを中心に隊の半分を向かわせる。地形からして西の方が自然の防塞が多い。三人が間に合えば西からの襲撃はないだろう。北はむろん、一兵たりとも南には下らせない」
「西だって間に合わせるに決まっているよ!」
テレサが我慢ならないと一声上げた。ラインハルトはわかっている、とにやりと笑った。
「ネイトの馬、ルースと言ったか。馬足が早いからテレサの馬にもついていけるだろう。テレサと共に先行して西のトルソ村に向かい、増援が来ると伝令を頼む。また、ブーレイ砦に〝銀狼の軍神〟が到着したと吹聴するのだ」
「北にいるのではなくて、ですか?」
ネイトの素朴な疑問に、ああ、とラインハルトは頷く。
「西には先行して増援が届き、さらに南のブーレイ砦に〝銀狼の軍神〟到着した。そして北には銀狼に匹敵する者が暴れているとする。申し分ないだろう」
「西の志気は高まりますね。ただ、兵力に差がなければいいのですが」
「問題ない。二日もたせればノルダンから〝常勝の槍使い〟が到着する」
「マンセル様が出ていらっしゃるのですか⁈」
ネイトの細い目が見開いた。テレサはそんなにすごいの? と首を傾げ、アーダルベルトは落ち着いて頷いている。
「そうですか、マンセル様が向かわれているならば、イレさんの安全は間違いなく確保されますね」
「ああ、イレは明日の早朝から南下すれば夕方にはブーレルに着くだろう。そのまま砦で待機していればマンセル殿とも合流できる。そうすれば兵を伴ってルクスガルドまで戻る事ができるだろう。私たちが戻るまでルクスガルドで待機するか、ノルダンまで戻るかはマンセル殿の判断に任せてある」
「そこまで見通されていたとは、さすがです」
ネイトは胸に手を当て、感服の意を表す。
マンセルに援軍要請を頼み、この有事に間に合わせるにはルクスガルドに居る段階で知らせを出さなければ間に合わない。いく通りかの可能性を見越して二手、三手先に打つ。ラインハルトが恐れられている背景にはこの戦況を読む力があったからか、とネイトは実感したのだ。
「砦で戦略を考えるだけにしておいてくれたら、こちらも安心なんですけれどねぇ」
「ルクスガルドは慢性的に人手不足なんだ。あと私が出た方が早い」
「だからってほぼ全ての前線に自ら突っ込まなくてもいいと思うんですけれどねぇ。どう思います? ネイト殿」
「マンセル様も若い頃は好んで一番槍を買って出ていたと聞いておりますから……もう少し時が必要かもしれませんー」
「あー、長い時が必要な気がしてきましたわ」
遠い目をし出したアーダルベルトにお互い苦労しますねーとネイトは腕を組み頷いている。
「ねぇ、ライ様! あたし、もう向かっていい?」
じっと黙っていたテレサが意気込んで聞いてくる。その姿にネイトがわずかに片眉を上げたのを見て、ラインハルトはきっぱりと首を横に振った。
「いや、明日の早朝だ」
「でも早く行かないと」
「テレサ」
ラインハルトの低い声にテレサはびくりと肩をすくめて前のめりの姿勢を正した。
「村の様子を知りたいのはよく分かる。が、軍令より私情を取るならばお前を雇う訳にはいかない。組織に仕える気がないのならばお前との雇用は白紙に戻す」
今回の行軍に地の利を求めてトルソ村村長の娘であるテレサを短期的に雇っていた。村長からはできればそのまま軍に従事できないかと打診を受けており、その資質を見計らっている最中の急務。ラインハルトだけでなく、アーダルベルトやネイトもテレサの動向を静かに見守っていた。
テレサは唇を噛み、ぐっと拳を握ると一歩身体を引いて胸に手を当てた。
「申し訳ありません。ご命令に従います」
首をたれ、腰も屈めたので「意を唱えない」という意志だ。その場の空気がふっと軽くなり、男たちは軽く目線を合わせて頷いた。
「よし。では各自、明日に備え散会」
ラインハルトの言葉に各々応えて散っていく。さっと踵を返したテレサの姿に、ネイトが物言いたげにラインハルトに目線を送ってきた。
ラインハルトは黙って頷き、促す。ネイトも目礼をしてテレサの後を追っていった。
「気がはやりましたか、テレサもまだまだですなぁ」
「仕方あるまい。故郷が襲われていると思えば、一刻も早く向かいたい気持ちもわかる。だが、自分を抑えることができた」
「ええ、良い傾向です。姫さまの護衛にいいかもしれません」
「侍女として? いけるか?」
「無理ならば部屋の扉に立たせ……ることの方は無理ですね。じっとしてはいられないでしょうから。やはり侍女見習いとして仕込みましょう」
「まぁ、本人がやるといったらだな」
「あー、おそらく文句言いながらやるでしょうねぇ。目に浮かびます」
「確かに」
脳内にはイレーネと共に騒ぎ、二人して侍女長に叱られている姿が見える。くっと笑うと、アーダルベルトもニヤつきながら顎に手を当て「何かあったらネイトを向かわせよう」と話し合い、テントへと戻っていった。
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ネイトがテレサの後を追うと、テレサは馬たちが集められている所へ向かっていた。自分の馬を見つけると、その近くに置いてある馬具の具合をしゃがんで確かめている。
「大丈夫ですよ、先程私も点検しましたが不具合はありませんでした」
「うん」
気休めにそう伝えてみると、小さく返事があった。だんまりでなければまだ吐き出す余裕があるか、とネイトはテレサの隣にしゃがむ。
「トルソ村に知り合いが?」
「あたし、その村の生まれなの」
「ああ、それは……」
だからか、とネイトは静かに頷く。年若いわりに斥候の技術は高め、しかし軍に準じておらず、ましてや傭兵のようなきな臭さもない。軍に配属されながらも喜怒哀楽がはっきりとして素直だったのは、そういう訳だったのだ。
「ご心配ですね」
「うん。あと、トルソから戻らない伝令、あたしの兄なんだよね。お調子もんだから色気だして武功立てようと変に力入っちゃってるかもしれないんだ。早く戻ってど叱らないと」
「それは大変だ。早く叱ってあげないとですね」
「うん」
冗談っぽく言いながら、テレサは馬具を点検する手を休める事をしない。ネイトは手伝います、と、先ほど自分が点検した手順を再び確認していく。
しばらく黙って自分たちの馬具を整えていき、終わったところでネイトはあえて明るくテレサに声をかけた。
「明日、私もがんばってついていきますから置いていかないでくださいね? 離れたら迷子になってしまいますから」
テレサは、あっ、と微かにつぶやいて、今気づいたとばかりに顔を上げた。ずっと下を見ていた黒々とした瞳がしっかりとこちらを見つめている。
「うん。遅れても脚はゆるめないから、がんばって」
「はい、がんばります」
ネイトはにっこり笑って頷いた。




