イレーネ、教えをこう
昼食を含めた休憩をしてまた走り出す前、ネイトがそっと近づいてきて「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。
泣いていたの、ばれたのかな、と気恥ずかしくてイレーネは急いで口元に笑みを作った。
「大丈夫、まだ疲れていないわ」
懸命に笑うイレーネに、ネイトは珍しく何も言わず頷くと行軍の間、ずっとつかず離れず側にいてくれた。
太陽が西へ傾きかけた頃、日が暮れない内に野営をすることになった。この行軍の中で女性はイレーネとテレサのみ。必然的に野営のテントは二人で立てることになった。
「はぁ?! テントを立てた事もないの⁈」
「ええ。やり方を覚えたいので教えてください」
信じられない、と盛大なため息をつかれる。申し訳ないと思うが分からないものは分からない。真摯に教えをこうのみ、とイレーネは頭を下げる。
苛立たしげにもう一度ため息をつき、それでもテントを立てない事には自分自身の休む場所がなくなると、テレサは短く指示を出し始めた。
しなりのある細い枝を紐で結びテントの骨組みを作ると、厚い布で覆い、布に何ヶ所かあるくくり紐を骨組みに結んでとめて行く。
「あまり固く結び過ぎない。ああっ、ゆる過ぎよ! 加減をしらないの?!」
イレーネが一つ目を結んでいる間にテレサは四つ結んでこちらに戻ってくる。口は出すが手を出さず、イレーネのもたもたした紐結びが完成するのを待っている。
「そうじゃない、この重なっている紐を指で止めておかないとすぐ解けてしまうじゃない。はぁ、あんたってすっごく不器用ねー」
「うぅ……ごめんなさい」
「謝らないでいいわよ、こんなの慣れよ。はい、何回でもやる!」
「はいっ」
なんとか合格をもらって二つ目を結んでいる間に、テレサは全ての紐を結んでいた。
後ろから見られている気配に焦りを感じて早く結ぼうとすると、また声がかかる。
「雑に結ばない! あんたとあたしの寝床だよ? 風で飛ばされて寒い思いしたいの? 落ち着いてやる!」
「はいっ」
口は悪くてもテレサの指示は短く的確だ。それにこの紐はイレーネに全て任せる、という意思が感じられて、二つ目の合格をもらったとき、イレーネは満面の笑みをテレサに向けた。
「ありがとう! テレサさん」
「な、なによ?」
「丁寧に教えてくれてうれしかった。今度はテレサさんが結び終わる前に、三つできるようにするわ」
「ばっ……かじゃない、あんたが一つ目を終わる前に全部結べちゃうわよ」
「ふふっ、わかってる。だから早く結べるようにがんばるの」
「雑に結んだら不合格だよ!」
「うん、気をつけるわ」
耳の後ろを少しかきながら、テントがはれたら今度は食事の支度! と騎士たちの方へ走り出していくテレサを追いながら、イレーネは微笑む。
(やっぱり、わたし、ここの人たちが好き)
無愛想で口が悪いけれど、出来るまでまかせてくれる。そして厳しさの中に見捨てない優しさがある。テレサも、上司のカイルも、ライも。
自分で自分の事はするという、当たり前の事をさせてくれるのがイレーネには新鮮で、そしてとても嬉しくなる。
故郷では気安くても王族という立場からやりたいと言ってもやらせてもらえなかったり、ある程度侍女や侍従が整えた物の最後を任される事ばかりだった。
(初めからやり方を教えてもらって、そしてすぐに任せもらえる、ここの人たちの考え方が好き)
テントの布を引っ張り、結んだ紐の具合を確かめてイレーネはテレサの後を追う。口うるさいテレサはすでに芋を用意して、遅いっ! とイレーネを待っている。イレーネはすぐにいきます! と応えて足元も軽やかにテレサの元へむかった。
野営の厨房に向かい、おっかなびっくりナイフを使って芋の皮剥きをしているのをテレサが横からやいやいと言いながら、正しいナイフの持ち方、芋の剥き方を教えていく。その脇でネイトが心配そうにひやひやしながらイレーネの手元を見ているのを視界に入れながら、ラインハルトは微苦笑をした。
(テレサまでも絆されていく。イレの人たらしは底なしだ)
保守的な土地柄ゆえに余所者をなかなか懐に入れない性格な者ばかりなのに、イレは素直さと真摯な行動を貫いてルクスガルドの人々の心をほぐしていく。嫁いできたとしても、辺境伯夫人としての資質は十分にあることを周囲に広めていくだろう。
「もう様子見は終わりだな」
「遅すぎるぐらいですがね、わざわざここまで連れてこなくてもよかった」
「アーダルベルト」
近づいてきた側近が厳しい顔をしているのにラインハルトは体を改めた。身体を寄せてくるので少し俯き耳を貸すと、周りに聞こえないよう微かな声で不穏な報告を受ける。
「西に向かわせた斥候が戻ってきません。……隊を分けますか?」
この野営地から先は道が分かれ、西のトルソ村と北のトゥーラ砦とザーラ国との国境に近い要所が二つ控えていた。当初の予定ではトゥーラ砦まで行き、体制を整えて西のトルソの様子を見に行くつもりだったが、斥候が戻らないとなれば兵を向かわせる他ない。
「ああ、分ける。西はお前が行け、半分やる。テレサと……ネイトも連れていけ」
「いや、それは」
ネイトが頷かないだろうとアーダルベルトが眉をひそめると、ラインハルトは首を横に振った。
「イレをルクスガルドに戻す。ネイトには我らの伝令役になってもらわねばならぬ」
「ですが、ネイトはイレの護衛です」
「事は緊急を要する。イレには一人で戻ってもらう」
「まさか……ザーネ国と戦になると?」
アーダルベルトが目を見張ると、ラインハルトはわずかに目を伏せ、やがてギラリと鋭利な眼差しを北に向けた。
「西がやられているならば、おそらく北にも同時に侵攻しているだろう。当初の予定通りお前は西でブーレルに辺境伯が来ていると吹聴して廻れ。私は北を押さえる」
「承知しました。皆には」
「食事後に告げる。編成を考えてくれ。イレには……明日の朝にする」
今夜はしっかり休ませないと、とイレの様子を振り返る湖畔の瞳には厳しさの中にも彼女を思いやる労りがあった。
「やれやれ、有事でも甘々は変わらないですか」
「対策を練れている時点で有事ではないよ。二日、もたせてくれ。増援が届く」
想定内ですか、と目を見開くアーダルベルトに可能性の一つとしてな、と片眉を上げる。
「ここで別れるとしばらく会えないな……イレには、あとから怒られそうだ」
食事が出来た! と嬉しそうに告げにくるイレに目を細めて頷く。ラインハルトはあえて微笑みをたたえ、イレとテレサが交互にこれが出来たあれが出来ないと報告し合うのを頷きながら今夜の夕餉が和やかになるよう努めた。




