イレーネ、ライにお守りを贈るとまた爆弾をおとされる
翌朝、中庭に集合すると、屈強な騎士たちの間にテレサがいた。背中に弓を背負っていて、偵察だけでなく弓も扱えることにイレーネは驚いた。
「わたしと変わらないぐらいの年なのに、弓まで。すごい」
「小娘ですけどねー」
「ネイト! 失礼だから」
ふだん穏便なネイトが根にもっていうのは珍しい。でもたしなめる。
テレサもこちらを認めたが、ふんっと顔を横に向けた。
「あそこまではっきり意思が見えるとわかりやすくていいですけどー、きぃーってなりません?」
「ネイト、意外ね。そういうの、いつもさらっとかわしているのに」
「私、失礼な人には失礼で返す人ですー」
「そ、そう……? わたしもラース領の時はネイトを振り回していたような」
ひょこっと厩舎に現れて、ネイトに無茶なお願いばかりしていたような気がする。
「イレさんの失礼は世間知らずの失礼ですからー。あの小娘は無礼ー」
「う、、悪かったわよ、お仕事中にお邪魔ばかりして」
あの頃は自分の都合だけを考えて、気軽に遊びにいっていた。今思えば、朝の仕事と夜の仕事の間の貴重な休憩時間だったのかも。
「自分の非を認められるイレさんは失礼な人ではないですよー? そもそも馬たちのお世話をしたい人の行動を失礼とは思いませんしー」
「まあね、あの子たちの顔を数日見ないとどうしてるか気になってうずうずしてたから」
この遠征がおわってルクスガルドに戻ると、両手で数えられる日数ぐらいしかルースとルイーザとはいられない。
もちろん嫁いできたら会えるだろうけれど、今度こちらに来られるのは半年から一年は先の話だろう。
馬具の具合を入念に確かめながら、ルースとルイーザの首を叩いて元気を送る。
「今日は山道が続くよ、がんばろうね」
ぶるるっといなないて返事をするルイーザの首を撫でて、騎乗する。
事前に伝えられていた通り隊列の中央へいくと、テレサが横に並んできた。
「ど真ん中なんて、要人扱いじゃない。言っておくけれど、行軍だから足が遅ければ置いていくわよ」
「ありがとう、心配してくれて。がんばってみんなについていくわ」
「ばっ……心配なんてっ、頭おかしいんじゃないの?!」
テレサは顔を真っ赤にすると、捨て台詞を吐いて前の方に行ってしまった。隣でぴゅ〜とネイトが口笛を吹いている。
「やりますね、イレさんー。私の出る幕、なかったですー」
「ん? なにが?」
「えっ、イレさん、まさかわざといなしたんじゃなくて?!」
「え、テレサさん、心配して声かけてくれたよね?」
まさか、天然、天使か、と周りにいる騎士たちもざわめいている。すると、すっと左隣に一回り大きい黒馬が並んだ。
「フォルクス、調子よさそうね!」
朝露をまとわせながら黒光りしている艶やかな肢体を褒めると、ふん、と満足気に鼻息で応えたフォルクス。しかしその乗り手は不満そうに声をかけてきた。
「相変わらず貴女は馬が最優先なんだな」
「おはよう、ライ。調教師としては当たり前じゃない?」
「おはよう。私はイレの世話ができなくて不満だ」
「なにいってるの」
イレーネは呆れたように半目になった。
地図を頭に叩き込んで馬たちの様子や馬具の準備をすると早々に寝たイレーネと、終始側近たちと入念な話し合いをしていたライとではすれ違った生活になるのは当たり前である。
きちんと一つに整えられたイレの髪を残念そうに見ているライに、あっと思い当たったイレーネは、マントの上から左胸を叩いた。
「ライからもらったリボンはちゃんとポケットに入れてあるわ。枝にひっかけて落とすの、いやだから。でもお守りに持ってきてるから安心して」
にこっと笑うと、ライはリボンと同色の湖畔色の瞳を見開いたあと、ゆっくりと嬉しそうに細めた。
「リボンのお礼に、と思って昨日私も自分の荷物を探してみたのだけど、贈れるようなものを持ってきていなくて」
昨晩、すぐに出立できるように準備していた時、リボンをお守りに持っていこうと思い立った。そしてはたと気づいたのだ。ライにもお守りがいるのじゃないかと。
「左手を出して、ライ」
「こうか?」
少し身を乗り出して差し出された左手首にイレーネは胸ポケットから出した革の細紐をくくりつけた。
「いつも髪をしばっているこの紐ぐらいしかなくて。ノルダンでは身につけているものを贈るとお守りになるから」
本式ではハンカチに刺繍をし、その相手を想い一日身につけた後に贈る。イレーネの胸ポケットには母が刺繍をしてくれたハンカチが入っている。でもイレーネは淑女教育をサボっていた為、刺繍糸の玉止めすらできなかった。
(戻ったら、ぜったい刺繍できるようにする、ぜったい)
きつく締めすぎないようにした革紐付きの手首を、ライは軽く振った。その様子に、邪魔になるかもしれないとイレーネは慌てて補足する。
「行軍の間は身につけていて、戻ったら外してくれていいから……っ!」
有事の時だけで充分、と言おうとしてイレーネは固まってしまった。ライが左手首を上げると革紐に口付けたからだ。
「良いものを貰った」
「あ……う……」
柔らかな微笑みを浮かべて愛おしそうに紐をみると、ライはこちらに顔を向けた。
「常に身につけておく。ありがとう」
口をぱくぱくとして顔を真っ赤にしているイレに、ライはくすりと笑うと「ではまた休憩の時にな」と隊の先頭へ向かっていってしまった。左右前後には生温かい空気がただよっている。
「いやぁ、やるなー、ライさまー」
「ネイト、だまってっ」
「はいはい」
顔の火照りが収まらずうつむいているイレーネに、ネイトはうんうんと頷いている。
「最強のお守りと牽制ですよ、イレさん、よかったですねぇ」
「もう、だまってって……ん? 牽制?」
「あ、そろそろ動き出しますよ!」
(いけない、平常に戻らなきゃ)
そう思って前を向くと、あんぐりと口を開けてこちらをみているテレサが見えた。やがて、隊が動き出した事に気づき身をひるがえして隊列に並ぶ。
「いくら無礼でも、主君の大事な人が誰なのか、これで気づいてくれるといいのですけれど」
「ネイト、なに言っているのか聞こえない!」
合図とともに走り出した馬足にまぎれて呟くネイトに、イレーネが声をかけてくる。
ネイトはにっこり笑って声を張り上げた。
「道! 覚えましょうね! イレさん!」
「うん! がんばるわ!」
ぐっと親指を上げたネイトに、イレーネは力強く頷くと、まっすぐ前を向いて手綱を握った。




