イレーネ、斥候に突撃され、びっくりする
少し硬めのパンに白いチーズがパテで塗られたランチを頂きながら、イレーネはネイトと共に地図を見ながら地形を覚えている。
当初、食堂でといっていたが、案内されたのは少人数が入れるほどの部屋で食事をしながら会議をするような雰囲気の部屋だった。
「地図が機密に当たる。狭くてすまないがこちらで」
ライは地図をテーブルに置いた後、バルドルに呼ばれて席を外した。すぐ戻るといい、覚えなければいけない要所は告げていったので、現在二人で目を皿のように丸くして注視している所だ。
「まず道なりに曲がって次は右に折れて……」
「イレさん、イレさん、地図はまず東西南北を念頭に置いて見るのですー」
「わ、わかったわ。砦が南に位置しているから……私たちが行く北の方角は……」
「地図も読めないの? ライさま、そんなお嬢さまは連れていく意味がないのでは?」
突然ハキハキとした声で辛辣な言葉を浴びせられて驚き顔を上げると、額にバンダナを巻いたつり目ぎみの少女が腰に手を当ててこちらをにらんでいた。
「あの、あなたは?」
言われたことを嚙みくだきながらもライがここに連れてきているのなら間に受けて対立しない方がいい。イレーネは一呼吸置いて、名を聞いてみる。
それがぽかんとしているように見えたのか、侮られたと見えたのか、目の前の少女の眉尻がさらに上がった。
「名を聞くならば、自分が名乗ってからって常識も知らないの?」
しまったと、イレーネは慌てて立ち上がった。先に名を聞くのは王族である高位貴族のマナーであって、現在平民と周知しているイレにとっては非常識な振る舞いをしてしまったことになる。
「失礼しました。わたしはイレ。調教師です。こちらは同僚のネイト。ライさまのご依頼でルクスガルドから同行して参りました」
「……っテレサよ。斥候を担ってる」
きつい言葉を浴びせたのに、受け取らずさらりとかわすイレーネに戸惑ったのか、少女は唇を噛んで名前を告げた。
名乗ってもらえてほっとしたのと、この若さで斥候をしているというのにも驚き、言葉を無くしているとライが入室してくる。
「テレサ、失礼をいうな。彼らは我らの馬を整えてくれる大事な存在だ。普段、厩舎に常駐である彼らがここの土地に慣れていないのは当たり前の事だ」
「それはそうだと思いますが、これから行くのは遠征ですよ?! 地図も読めない人は足手まといだと思います」
「あ、あの! すぐ読めるようにします! 今日中に必ずっ」
もともと後方支援という役割なのと、正直ネイトがいれば自分は支援としても戦力になるかならないか、半々ぐらいだと思う。
でもイレーネはついて行きたかった。できるだけライのそばにいたい。
ライもイレーネの本気の声音に、大丈夫だ、と頷く。
「イレとネイトを同行させる事は決定事項だ。ラース産の馬が行軍にもついてこられるのか見極めたい。斥候としても足の速い馬は欲しい所だろう?」
「それはっ、そうだけど……」
「テレサには野営に慣れていない彼らの補助をしてもらいたい。その為にここに来てもらったんだ」
「ええっ」「はあぁ?!」「わぉー」
イレ、テレサ、ネイトが同時に声を上げた。
正気なの?! とイレーネがライに目線を送るとライは目を細めて口角を上げ、微かに頷いた。
(こんなこちらにトゲトゲしい彼女と組ませるなんて……理由があるって事ね。ライってば鬼むちゃぶり……!)
テレサもまったくその気がないので首を横にふる。
「承知しかねるわ! なんであたしがっ」
「では砦に残るか?」
「なっ! そんな訳! 何度も襲撃されているのはあたしの村ですっ」
「ならば多少自分の意に反する事であっても従ってもらおう。軍属とはそういうものだ。村の自衛団とは違う」
そういう事か、とイレーネは息を潜めた。
おそらくテレサは軍に入って間もないのだろう。隊長クラスであるライへの物言いといい、こちらへの配慮のなさといい、どうにも危うい。
(テレサさんが軍の規律の中でやっていけるかどうか、私たちとの関わりで見たいのね。これは……わたしががんばらないと、だわ)
ぎりっと、歯軋りの音が聞こえたかと思うと「わかったわよっ!」と吐き捨てるようにテレサはライの命令を承諾した。
「手を貸すのは野営だけ! それ以外は一切手を出さないっ」
「ああ、それでいい」
君らもそれでいいか、と目線で確認され、ネイトと二人、こくこくと頷く。それを見たテレサはふんっと首を横に背けると、話は終わったとばかりに部屋を出ていった。
怒りにゆれる彼女の高くゆった髪の毛が暴れ馬のしっぽみたい、と見送っていると、ライがため息をついて隣に座った。
「すまなかった、あんな反応をするとは思ってもみなくてな」
「ううん、私がいろいろと足りないのは本当のことだもの」
「いや、無理をさせているのはこちらの方だ。行けそうか?」
今ならまだ砦で待機も出来る、とライは譲渡案を出してくれるが、イレーネは首を横にふった。
「行くわ、お世話になっているルクスガルドのためだもの。ルイーザを調教できるのも私しかいないし」
もちろん他の人を乗せて走らせることはルイーザでもできる。ただし、ライが望むような速さで働くことが出来るかといえば、それは否だ。
「ルースと共にラースの馬がこの土地で活かせる足なのか、ライたち地元の人に見てもらわないとね」
「君たちの感触としてはどうだ?」
ライに問われ、イレとネイトは顔を見合わせた。どうぞ、とネイトに先を譲られ、イレは人差し指で唇を抑えながら答える。
「山道、どうかな、と思っていたけれど、思ったほど苦にしていないから日常で過ごす分には大丈夫。ただ行軍となると」
どう? とイレがネイトに水をむけると、ネイトがうーんと腕を組んだ。
「ルースは体力的にもつと思いますが、ルイーザの脚力が若干心配ですね。熱を待つのが早いので。もう少し体重が増えれば筋肉で支えるので大丈夫だと思いますが」
「でもネイト、体重ってすぐ増えるものでもないわ。ルイーザに関しては様子を見ながら使っていくのがいいと思う」
「どう使える?」
「ええっと、行軍についていくことは可能で、早馬として使うならば距離によって回数の調整が必要かな」
「一日とすると何回いける?」
ライが一度地図を覗いて、こちらに問いかけてきた。実際に使う場面を想定しているのだろう。イレーネは慎重に馬たちの様子を思い浮かべて答える。
「全速で走らせるなら、一日、一回。山道に慣れていないから、足への負担が大きいと思う」
「承知した」
ライは頷いて身体を起こした。
「バルドルから説明があったと思うが、君たちの役割は情報伝達の後方支援だ。前線の村に着いたら、特になにもなければニ、三日常駐。斥候からの情報によっては着いてすぐ引き返してもらうことになる」
「はい。戦闘が始まりそうであったらすぐ砦に戻るよう努めます」
「その際は二人で戻ることになる。ネイト、頼むな」
「承知しました」
慣れない二人を一人にさせることはない、とライは少しだけ微笑んだ。
「出立は明朝。明け方に出るから大まかな地形だけ覚えて早く寝ることだな」
「わかったわ」
「承りましたー」
頷く二人によし、とライは声をかけると、テーブルにあるパンを一欠片掴んで部屋を出ていった。
「忙しそうね」
「きっとバルドルさまやアーダルベルトさまたちと予定を詰めていくのでしょう。さ、私たちは地図を頭に叩き込んであの小娘をぎゃふんといわせますよー」
「小娘って、ネイト、失礼だって」
片腕に力を入れてネイトが気合いを入れているので、イレーネはクスッと笑って肩の力をぬいた。
「初対面であの物言い。小娘で充分ですよー」
ネイトが珍しくふんっと腕をくんでふんぞり返っている。自分の代わりのように怒ってくれている姿に軽く笑うと、イレーネは一つ、息をついた。
「そうね、正直びっくりした。こちらのことを何も知らないのに決めつけてくるから。いろんな人がいるのね」
「イレさん、いつの間にそんなできた人になったんですかー。それこそびっくりです」
「ネイトー? わたしだって成長してるのよ!」
「ほんとですね、こちらにきて急成長ですー」
ラース領で甘やかされて過ごしてきたんだと今ならわかる。ライや厩舎長のカイル、ルクスガルドでの日々がイレーネの心を育ててくれた。
「まずは一つ一つ出来ることを増やしていくわ。わからないことは怒られるかもしれないけど教えてもらうことにする」
「そうそう。素直に努力する人に、ルクスガルドの方は優しいです。わかりにくいけれどー」
「ふふっ、そうね」
きっとイレーネとネイトの頭の中には厩舎中に響く腹から出る怒鳴り声を思い浮かべている。気むずかしげな顔をしている厩舎長は元気にしているだろうか。
「よし、がんばろ! 無事に行って帰ってこないとめちゃめちゃ叱られちゃうからね!」
「ですです! お土産話、たくさん持って帰りましょうー」
二人は残りのパンをぱくぱくっと食べると、もう一度地図にかじりついてブーレイから前線の村までの地形を頭の中に叩き込んだ。




