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ラインハルトの事情 2

 



 森での野営を一度挟み、早朝から丘を越えて道を走らせるとブーレルの砦が見えてきた。先ぶれを出していたので、物見台にいた兵士が通達したのだろう。砦門が空いたので騎乗したまま、中庭へ入っていく。


「ラインハルトさま! お待ちしておりました!」

「ああ、遅くなってすまなかった。よく守っていてくれたな」


 馬を降りると砦を任しているバルドルが駆け寄ってきた。

 バルドルはアーダルベルトと同じくラインハルトが王都に居た頃からの側近だ。ルクスガルドへの赴任が決まった時、真っ先に自分も同行すると声を上げた忠義の者でもある。

 ラインハルトは、以前より一回りも大きくなった上腕を叩いてねぎらった。


「おーい、バルドル、言葉に気をつけろ。ラインハルトさまは今はライと名乗って来ていると伝えておいただろう?」

「ああ、そうでした! すみません。あの後方にいる方々が例の?」


 道中、しんがりを勤めていたアーダルベルトも側にきたので軽く打ち合わせる。


「ああ、厩務員兼後方支援として連れてきたイレとネイトだ。そのように扱ってくれ。現状報告と彼らの件についても話しておきたい」

「承知しました。では上で話しましょう」


 バルドルの先導を受けて歩き出す時、ちらりとイレーネ達の方を見ると、物珍しさに集まってきていたブーレルの屈強な兵士たちに囲まれていた。


 イレーネはおののいたように上体をそらしていたが、やがて背筋が伸び、きびきびとラースから連れてきた馬を紹介している。


 ふっと微笑むと、前を歩いていたバルドルが歩みを止めて振り向いた。


「どうした?」

「ライさま、もしかしていま、笑いました?」

「ん? いや、笑ったか?」

「いやいや、気配がそうとしか……えぇ?」


 バルドルが目を見開いてラインハルトの後ろにいるアーダルベルトに目線を送ると、アーダルベルトは大袈裟にうなずいた。


「ああ、ライさまは最近よく笑われるようになった」

「えぇー!!」


 バルドルも大きな声を上げるのでラインハルトは眉をしかめる。


「なんだ、私が笑ってはいけないのか」

「いえいえいえいえ、そういう事ではなくて……」


 しばらくの間バルドルは奥まった目をパチパチと瞬いていたが、上がりっぱなしになっていた肩を下げてにっこりと笑った。


「よかったですねぇ、ライさま」

「だろ?」

「えぇ」


 何がいいのだと応える前に側近二人が頷きあっている。


「しかしそうするとラインハルトさまのご威光が」

「大丈夫だ。ラインハルトさまが微笑むのはイレーネさまが視界に入っている時、限定だからな」

「ああ、それならば問題ありませんね」

「バルドル、アーダルベルト」

「「はっ」」


 若干、声色を下げて名を呼ぶと、二人は胸に拳を当て(かかと)を鳴らした。


「バルドル、先を急ぐのでは?」

「失礼しました、どうぞこちらへ」

「アーダルベルト、バルドルからの報告が終わったらネイトと話したい。部屋に来るように伝えてくれ」

「承知」


 足早に廊下を戻っていくアーダルベルトの姿に息を一つ吐くと、バルドルが相変わらずですね、とにこやかに話しかけてきた。


「ああ、しれっとした顔をしていつも余計な事を告げていくよ」

「そうやって貴方の肩の荷を少し軽くしているのでしょう」

「そのように善意にとらえているのはバルドルだけだ。……そんな調子でよくブーレルの荒くれどもと付き合えるな」

「ここの兵士たちは気のいい奴らばかりですよ。いざとなったら力技を使いますし」


 そういって太くなった二の腕をぐっと盛り上がる。このにこやかな強面の男が力技だけでなく技術も申し分ない屈強な戦士である事を改めて思い出した。

 ラインハルトは口元に笑みを浮かべ、違いない、と頷いた。



 ****



 三階にある応接の間に案内されたラインハルトは、伝令に行ったアーダルベルトが戻るのを待ってバルドルの報告を聞き始めた。


 砦周辺の地図と共に示されたのは国境近くの山村が襲撃されている事と、その回数だ。


「三箇所に集中してきているとの、襲撃の時期をずらしている、か。撹乱(かくらん)を狙っているな」

「ええ、動きも変則的でいつ来るのかわかりません。こちらとしては兵力を割いてそれぞれに配置するしかなく、砦が手薄になってしまうので今回は小隊を持ってきてくださったので本当にありがたいです」

「できれば出て来たところを俺たちで叩きたいな」


 バルドルの説明を受けて、アーダルベルトが二箇所にまたがる村と村の中間点に隊にみたてたインク壷を置く。と同時にラインハルトが北側に真鍮の重しを置いた。


「残りを北側に一隊。砦の守りは?」

「ラインハルト様方が先発して頂けるのでしたら数人を現地に残して砦に戻り、ここを固めることができます」

「交代で休息も取れるな。一ヶ月以上、来るか来ないかの敵から村を守っていたのだろう。労ってやってくれ」

「ありがとうございます」


 ほっとし、顔の強張りをゆるめるバルドルに、ラインハルトも頷いた。


「さて? 閣下(かっか)はどちらに向かいたいですか?」


 アーダルベルトがおどけたようにペン先でインク壺と重しを指すと、ラインハルトは迷わず重しを取った。


「今はしがないただの騎士なので北側がいいだろう」

「……まさか、イレ様とネイト殿を連れて行くのか?」


 〝ただの騎士〟という言葉に面白そうにしていたアーダルベルトの顔色が変わった。そもそもラインハルトがブーレルまで出張って来たのは〝銀狼の軍神〟の名を轟かせて向こうの気を削ぐのがねらいだ。その通り名を使えなければ牽制にならない。

 さらに名乗らない、いや名乗れない要因となれば浮かぶ人物は一人だけだ。


「同意しかねるねぇ、守り人がいては貴方の力が発揮できない」

「私も反対です。単純に要人が前線に二人もいるなんてありえません」

「いや、この布陣でいい。名乗りもしないが手も抜かぬ。ルクスガルドには〝銀狼の軍神〟に匹敵する人物がもう一人いると見せかければいい」


 あっと声を上げ、地図を覗き込んでいた身体を起こしたのはバルドルだった。


「ラインハルトさまが北側を守りつつ撃滅し、アーダルベルト殿が中央で噂をばらまけばいいのか」

「砦にルクスガルドの領主が到着したから安心していいと村人たちに伝える、か。なるほど」

「砦には〝銀狼の軍神〟。北には軍神に匹敵する騎士。良いかもしれません」


 アーダルベルトも思案する顔に変わるが、ひそめた眉は戻らない。イレとネイトをどう守っていくかを考えているのだろう。


「向こうの斥候に情報を持ち帰らせる間だけだ。二人にはすぐに後方へ下がるよう指示する」

「……そこまでする意図を伺っても?」


 砦までならまだしも、前線に連れていくのは危険が高まる。必ず帰さなければいけない要人をつれていく意味をバルドルに問われ、ラインハルトは二人の側近を静かに見つめた。


「彼らがこの地に骨を埋めるならば、末端の出来事まで知る必要があるからだ」


 バルドルは目を見開き、ライさまが本気だ……と小さくつぶやいた。それを聞いてアーダルベルトは大きくため息をつく。


「やれやれ、いつもの倍働かされる事が決定だ。ライさま、隊の三分のニを任せます」

「いや、半々でいい。ひさしぶりに腕を振るうさ」

「あ! では砦で留守番をしていた奴らをライさまにつけましょう。今か今かとライさまがいらっしゃるのを待っていましたので存分に働いてくれると思います」

「そうだな、楽しみにしている」


 衝撃から気をもち直したバルドルの提案を受け入れた時、ドアをノックする音が響いた。

 ネイトの名乗りに、側近たちは下がろうとするが、ラインハルトはそのままにと留まらせる。


 及び腰で入ってくるネイトをソファに座らせ、ラインハルトはイレには内緒で、とこれから先の隊の動きと後方支援となる二人の動きを確認し、いざという時のイレの護衛を願った。


「わかりました。その場合はルースと共にルイーザを引っ張ります」

「ああ、よろしく頼む」


 任せてください、と胸を叩いたネイトと共に側近たちも退室する。


 残されたラインハルトは窓辺に立ち、暮れていく丘陵の先を見ながら想いを馳せた。

 押しては引くザード国のやり方はこちらの出方をうかがっているようなものだ。苛立ちから焦り、飛び出して来たと思われた時、どう出てくるか。


「小競り合いだけで済めばいいが……」


 しばらく思考を巡らせていたが、筆を取り、短い文を(したた)めるとバルドルを呼んだ。


「早馬でルクスガルドまで。届けるだけでいい」

「ルーカス殿宛ですね、承知しました。ですが、返信はいらないなどと、彼なら怒りそうですが」

「まぁ、帰った後に甘んじて受けるよ」

「さようで」


 見込みがある者に無理を押し付ける主人を持つと大変ですね、とにこやかに笑うバルドル。


「お前は難題をそうとは思わないからなぁ」

「脳筋ですから!」


 にかっと二の腕を盛り上げるバルドルに、ラインハルトは苦笑して片眉を上げると、おもむろにぽんと二の腕を叩いた。


「では少し手合わせを願おうか。ブーレルでどれくらい腕を上げたか見せてもらうよ」

「おおおぅ……そ、それは、願ったりですが……次の日立ち上がれなくなるまではご勘弁願いたいです……」

「ああ、加減する」

「頼みます……頼みますね……? 一応、砦を守る要の脳筋ですので……」

「わかっているよ」


 わかっているといいながら、バルドルはおろか砦に所属するブーレルの騎士たちを鍛え上げすぎてしまい、村への出立が三日後になってしまったのには、さすがにアーダルベルトの堪忍袋が切れ、当面の間手合わせ禁止令が言い渡されたのだった。




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