イレーネ、ブーレルに行く前に頬に爆弾を落とされる
明朝、まだ日が上がらない時間にイレーネ、ネイトを含めた遠征の一行は厩舎前に集まった。
ラース領からルクスガルド領に来た時は十名前後だったが、今回は倍ほどの人数がいる。
「規模が大きい……」
「がっつり遠征っぽいですねー」
集まってきた人馬の多さにイレーネが息を呑んでいると、背後からぽんと頭に大きな手がのった。
「ライ、びっくりした」
頭から手を外して口を尖らすと、ライは口元を少しゆるませて朝の挨拶をしてくる。
「おはよう、今日はちゃんと起きられたか?」
「おはよう。当たり前でしょ、出かける日なんだもの」
つん、と顎を上げて胸をはるが、ネイトが一歩下がった隣で首を横に振っている。イレーネは「余計なこといわないでっ」とネイトをにらみ黙らせた。
ライはちらりとネイトをみると、イレーネに問いかけてくる。
「朝は彼に起こしてもらっているのか?」
「そう「ちがいますっ!」
食い気味に言葉を被せてきたネイトは、はっとしたように片手を胸にあてた。
「失礼しました、申し訳ありません。発言の許可を頂きたいのですが」
「ああ、知りたいな」
「ありがとうございます、では説明させて頂きます」
ここからのネイトの話が丁寧かつ長かった。
「まず閣……失礼しました、ライさまもご存知のとおりイレさんは朝が弱いです。理由は言わずもがななので割愛させて頂きますが、とにかくご自分では起きること、かないません。最初にドアを強打いたします。それでも起きない場合は叩きながらお名前を呼びかけます。根気よく繰り返しておりますと、お返事があります。そうしましたら私はドアの前でお水を用意してお待ちしております。イレさんがドアを開けたらお水をお渡しして私は自分の仕事に戻るという流れでございます」
「つまり部屋の中には入らないと」
「もちろんでございますっ!」
「イレ、そうなのか?」
ライがこちらに顔を向けて念を押してくるので、イレーネは首をかしげた。
「……違うのか?」
「イレさまっ! そうですよね?! 首かしげないでー!!」
なんか寒い、ここだけ空気が冷えてる? とさらに首を傾けながら、イレは疑問に思ったことを告げる。
「そうだけど、なぜライがそんなこと気にするの?」
「っ!」
息を呑むライの姿に、ネイトはぐるりと回れ右をして背を向けた。気がつくと近くにいる騎士たちもこちらに背中を向けて動きを止めている。
「……婦女子の部屋には許可なく入ってはいけないからだ」
「うん、でも、それってみんなわかってる事よ? わざわざ確認しなくてもいいと思うのだけど」
「……っ」
また息を詰まらせたライはふいっと横をむいて、口元を抑えている。
あれ? こんどは生暖かい感じになってきた、と周りを気にするイレーネ。すると、手綱を握っていない左手を取られた。手袋越しに甲をさすられる。
「……遠征の間は、私が君を起こそう」
「え? いいわよ、ライ忙しいし、そんなのネイト……さんが」
「ぜひお願いします!! あのっ! 私、遠征中の馬のお世話があるのでっっ! 助かります、ライさま! ぜひっっ!!」
ネイトは腰を直角に曲げて頭を下げているし、周りの騎士たちはまだ背中を向けたままなんだが小刻みに揺れている。
(なにこれ、またからかわれてるの?)
むぅ、と唇を尖らせたイレーネを見たライは、大きくため息をついた。
「お前ら、散れ! 騎乗のち待機!」
「「「はっ!」」」
ライは指示を出すと近くにいた騎士たちが離れていく。なぜかネイトもさささっとルースを連れて離れた。
それに気を取られていると、ぽんっとイレーネの頭に手が置かれる。ぐしゃぐしゃと大きな手が撫でるから、せっかく整えた髪が緩んでいく。
「ちょっ、ライ、やめてってば、紐、取らなきゃいけなくなるっ」
「ああ、私が取る」
「え?」
言われた瞬間、手が後ろに周りはらりと紐が取られた。ぐしゃぐしゃと髪を撫でていた指がこめかみから後ろへ整えるように入っていく。
(……手ぐしで整えるってこんな風なの……? なんだか、はずかしい……)
何度も梳いてくるライのやわらかい手つきに耐えられなくて顔を伏せると、後ろを向いてと誘導される。
少しずつ髪が束ねられていく様子にじっとして待っていると内緒話のようにささやく声が降ってきた。
「イレ、先ほどの件だが……こういう世話は私がしたい、と言っているのだ」
「でも、ライ、忙しいのに」
「忙しくても、だ」
少しきつめに束ねられた髪に紐が当てられ、くるくると巻かれていく。手際の良さに感心しながらもイレーネは少しだけ首をかしげた。
(従者みたいなことをしたいってこと?)
まだ動かないで、と言われて首を戻すと、ライは紐が緩まないように整えながらイレの考えに呼応するように答えてきた。
「従者の真似事をしたい訳ではない」
「え? なんで? わたし口に出してた?」
「こういう時にイレが何を考えているか、手に取るようにわかるよ」
「ええー?!」
驚いて振り向こうとすると、まだ仕上げがあるからと、止められる。もう髪は止まっているのに? と思っているとシルクのような柔らかな布地が首元をかすめた。
(リボンだわ!)
しゅるしゅると気持ちの良い音をたてながら紐の上に水色の細い布が巻かれていく。
思わずにっこりと微笑んで結び終わりをまっていると、ライの声が落ちる。
「今回も本来なら私の馬に同乗させたかった」
「そんなの……」
「無理でもそうしたかった私の気持ちを、この遠征中に考えておいてくれ」
そう言われたのち、ふわりと頭になにか触れた感触がした。イレーネは無意識に首を傾ける。
すると、これでは分からないか、と低い呟きが聞こえたとたん、頬に唇が触れた。
「……え?」
触れられた所に手を当て思わず振り返ると、澄んだ湖のような瞳がやわらかくこちらを見ていた。
「答えが見つかったら教えてくれ。約束だ」
「は……い……?」
「では出立する」
「はい……」
いつものようにイレーネを軽々とルイーザの背に乗せると、ライは自分の馬の方へと歩いていった。




