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イレーネ、モヤモヤする

 



 イレーネが紅茶のお代わりを楽しみ、人心地ついたところでライから遠征の話を聞いた。

 それは、こののどかなお茶の時間とは似つかわない話となった。


「つまり、わたしが馬と共にライたちの派遣についていくってこと?」

「ああ、ラース領の馬はこちらの馬と違って駿馬だ。場合によっては隊列が離れた時の伝令なども頼むかもしれない。もちろん危険な場所には行かせないが、調教とは別の仕事だ。本来の仕事ではないので無理についてこいとは言わない。自分で決めてくれ」

「ライが必要だと思ってくれているのなら、いくのは大丈夫だけど」


 イレーネは人差し指を唇に当てながら目を伏せた。


「ラース領のどの馬を連れていくかはカイルさんに相談しないと。ネイトの騎乗馬はルクスガルドの馬をと言っていたけれど、ルイーザの事を思うとラース領の馬が居た方が安定するから」

「ああ、その時にはイレの意見も伝えてくれ。彼らの状態を一番よく知っているのは君だから」

「ライ、なんで知ってるの?」


 イレーネが目を見開いて驚くと、ライは少しの間唇を開いたが、やがてつぐむと同時に口角が上がった。


「カイルから聞いたんだ。イレがよくやってくれている、と」

「ふーん」


 イレーネはじっとライを見つめた。口角だけを上げるライの笑い方は、父の笑い方に似ていた。

 笑っているようで、笑っていない。なにか、隠しているものがある時の笑い。


 だが一点だけ父とは違う所がある。

 それは、湖面色に見える瞳の温かさ。


(なにか内緒にしていそうなんだけど、わたしにとって悪いことではないみたい。でもやっぱりライは貴族なんだな……)


 どれぐらいの爵位なんだろうと思うのだけれど、なぜか聞けなかった。上位であれば嫁いできたときに顔を合わせる機会が多い。下位であれば、姿の見えないライの事を考えてしまうだろう。


(なんだか、どちらにしてもモヤモヤする)


「どうした?」


 次第に眉をひそめていくイレーネに、ライが問いかけてくる。うん、と生返事をした。


(でも、わたしも平民だっていってる訳だし、隠していることがあるのはお互いさまだし)


 ぐるぐると考えても仕方のないことを頭の中で巡らせていると、ふっと目の前にライの手が見えた。気がついた時には、人差し指で眉間の間をすりすりとなぞられる。


「美人が台無しだぞ、イレ」

「美人じゃないし」


 まだまだ幼い顔立ちの自分の顔がイレーネはあまり好きじゃなかった。母みたいにすっとした美人顔だったらよかったのに、と何度思ったことか。どうやら父親に似たようなのだ。

 つんと唇を尖らすから、さらに幼く見えるのだが、イレーネはその事に気づいていない。


 そんなイレーネを、ライは目を細めて柔らかく見つめてくる。


「ルクスガルドに残るか? 十日から二週間ほどを予定しているが、また慣れない土地に行くことになる。心配なら無理しなくていい」

「心配はしていないけれど」


 二週間、ここの厩舎で仕事をするのも楽しいだろう。でもできれはルースやルイーザのあつかわれ方も知っておきたい。軍馬としてどう使われるかで調教の仕方も変わってくるから。


 それに、とイレーネは馬だけでなく行く理由にも心の中で頷く。


(ライと仕事をする機会を逃したくない。いろんな事を教えてくれるし、一緒にいると落ち着くし)


「うん、いくわ」

「そうか」


 ふっとほころんだ口元は、先ほどの貴族みたいな作ったものではなくて自然な笑顔。イレーネはどきりと心臓の音が跳ねた気がして無意識に胸元をそっとにぎる。


(……ライは、ちょっとずるい人よね)


 身分差を思えば平民にそんな笑顔を向けてはいけないのに、と思うのだが、高なる鼓動はおさまってくれない。


(やだやだ、それはわたしも同じ)


 イレーネの本来の身分は王女だ。しかも婚約者がいる。そして相手はこのルクスガルドを治めている領主。


 いけない、と思うのに、ライの笑顔を見てしまう。イレーネは子犬のように首をぷるぷると横にふった。


「そ、そろそろ帰らなきゃ」

「ああ、そうだな、日が傾いてきた。厩舎の就寝は早いのだったな。だが無理して起きなくていいという事になったんじゃないか?」

「そうだけど、みんなが仕事してるのにうかうか寝てられない。ご厚意で許してくれただけだから、ほんとは起床時間に起きなきゃいけないのっ」

「なるほど、いい心がけだな」


 ライは了解した、といってイレーネの手を取り椅子を引いて立たせてくれた。


「ありがとう」

「ああ」


 水色の目がまた柔らかくゆるむ。イレーネは少しだけ前を行くライの顔を見上げることができなかった。



 ****



 イレーネがライの要請を受けて厩舎に戻ると、すでに一個隊の軍備が整えられていた。イレーネは手配の速さに驚きながらも、カイルとどの馬を連れて行くか相談する。


「ネイトが乗る馬を変えたいと聞いたが」

「そうなの、ルイーザだけだと不安定になる気がして。できればルースも連れていきたいのです」

「そうだな、伝令役がイレだけでは心許ない」

「伝令役?」


 どういう意味か首をかしげると、イレーネの翠色の瞳をとらえてカイルは真面目にうなずく。


「有事の際には情報をこちらに持って帰る役が必要だ。一騎で走る、重要な任務だな。ルースも連れていくのであればネイトがその役を担ってもいい」

「土地勘のないわたしたちが?」


 息を呑むイレーネに、カイルは口元を引き締め、そうだ、と告げた。


「他の者は前線にいるからな。その場合、あんたらは後方支援だ。行きの道すじを目を皿にして覚えていくんだな」

「こわいこわいー、あんまりイレさんを脅さないでくださいよー、カイルさんー」

「ネイト……」


 のんきな声に肩を張っていたイレーネの気がゆるむ。


「そうならないようにライさんやアーダルベルトさんが行くのでしょうー? 大丈夫、大丈夫ー」

「大丈夫かどうかは向こうについたらわかる事だ。だが、それでは遅い。俺は心づもりを忘れるなということをだなっ」

「はい。わかりました、カイルさん」


 イレーネはきゅっと唇を一文字に結んだあと、ふわりと微笑んだ。


(カイルさんはわたしたちを心配してる。わたしも、それに応えなきゃ)


「地図と行き道で山の位置をおぼえます」

「……夜間は月と星の位置もだ。月が欠けてなくなる時は、目印の星を頼りに方向を決めろ」

「はい」


 カイルの目を見てしっかりと頷く姿に、カイルもイレーネを認め、遠征の準備をするよう指示が出る。


 ネイトと二人でルースとルイーザの馬具の点検をして戻ってくると、すれ違う厩務員から片手で持てるほどの袋に、ナッツや干し葡萄など非常食を待たされる。


「ええか、嬢ちゃん、迷ったらな、日がのぼる方に走ったらえぇ。ブーレルからここに戻るには、日がのぼる方だからな?」

「道に迷ったらな? ひとまず右にいく。その次の道を左にいく。そうするとまっすぐこっちにくるからな? ええな?」

「ばか! それじゃ違う方向にいっちまうでねぇか!」

「んだと?! おれはいつもこれで戻ってきとんじゃ!」

「わ、わかったわ! どちらも試してみるっ!」


 言い合いになった厩務員の間に入ったイレーネは両手を上げて大きくうなずく。

 そして、にっこりと非常食をかかげた。


「急な事だったのに、私たちの為に用意をしてくれてありがとう。ナッツも干し葡萄も好きだから、うっかりつまみすぎないように大事に食べます」

「確かにな、おれもついつい食べすぎる」

「んだ! ここの干し葡萄はんまいでなぁ」


 言い合いになっていた二人が笑い出したので、イレーネもほっとして笑顔になった。

 肩を並べて見送ってくれる二人に手を振り、ネイトの側にやってきたイレーネ。


「お見事ですー。私の出る幕はなかったですねー! よきよき」

「そんなんじゃないし。二人ともこちらの事を思って言ってくれてるんだもの」

「いやいや、イレさんこちらに来てすっかり話のわかるお人になられて。どなたか良い人ができましたかー?」

「なっ! なにそれっ、か、関係なくない?!」


 ぎょっとしてネイトを見上げるとネイトのタレ目の目尻がもっと垂れていた。


「およよー、ふむふむ。気になる人はいるとー」

「ちがうしっ! 何もいってないしっっ!」

「ふむふむ、むふふー」

「ネイトっ、だまりなさいっ!」

「うるさいのはお前らだ! 遠征組はさっさと寝ろーっ」

「「はいっっっ! カイルさん!」」


 からかわれて騒いでいる二人にカイルの怒鳴り声が響く。厩舎の方に頭を下げて、急ぎ宿舎へと足を速めた。











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― 新着の感想 ―
[良い点] 厩務員さんたちの感で道を教えるアバウトさがほっこりしますね。でも良い人ができましたか? とか、意外に鋭い(*´艸`) イレちゃんの可愛いモヤモヤが切ない悩みになっていくのでしょうか、ライさ…
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