イレーネ、パンケーキをほおばる
「すこし、街へ下ってみないか」
厩舎から外へ出るとすぐ目の前には広大な馬場が広がっている。ライはそこで遊ばせていた黒馬を指笛で呼ぶと、イレーネにそう告げた。
「フォルクスに二人分の鞍がついてる。わたしとお仕事をサボるのは決定だったのね?」
「久しぶりの休みなんだ、少しだけつき合ってくれてもいいだろう? 小さき友よ」
「レディとかリトル・フレンドとか、ライの中でわたしってすっごい小さい子みたい」
「そんなつもりはないのだが」
「でも今だって」
鎧に足をかけるイレーネの為に肩を貸してくれている。
「フォルクスは身体が大きいからな。でも誰にでも手を貸す訳ではないよ」
そういいながら、イレーネのタイミングに合わせて腰を支え鞍まで上げてくれる。そして自分は軽々とイレーネの後ろに乗るのだ。
イレーネが鞍につかまり、身体を安定させたのを見計らってフォルクスに歩く指示を出す。
そんな馬にも同乗する乗り手にも自然な配慮は、イレーネにとってちょっと悔しくて、でも素敵だな、と思う瞬間である。
「なんかこう、別の言い方ないの? 言われるたびに唇がとがっちゃうの、自分でも小さい子みたいってあとから後悔するんだもの」
「そう、だな。……できなくはないが、歯止めが効かなそうで」
言い淀むライの声に、大きな翡翠の瞳がぱちぱちっとまばたく。
「〝可愛い人〟と言いたいのだか受け入れてくれるかどうか」
「なに? すごく難しい言葉ね、まねできない」
同じ方向を向いているので口元を見ることができない。新しい言葉は、顔を突き合わせていないとなかなか頭の中に入ってこないのだ。
「アルタスの古語だ。今では神父ぐらいしか使わない」
「へぇ、じゃあ貴方は《強い人》ね。これはノルダンの古語よ」
「今とはまったく違う言葉なのだな」
「ええ、お互いに」
結局なんと言われたのかわからないまま街へ下りていく。それぞれの口調からしてからかうような言葉ではないのだ、そんな信頼をおける人に背中を預けている。イレーネにとって、この一週間の中で一番ほっとできる時間だった。
イレーネたちが住んでいるルクスガルド城郊外にある馬場から城を右手に見ながら丘を降りていくと城下町が広がっている。そしてその先には高い塀があり、ここからでは見えないが外堀も広く取ってある。
「ルクスガルドの門壁を最初に見た時は、なんて堅牢な砦なんだろうって思ったわ。高い塀の向こうがこんなに賑わってとも思わなかったし、中も広くて、すごい」
「堅牢になっていったんだろうな。百年ほど前は城だけの砦だったと聞いている。領土が増え国境が北へ上がったから今の形になったのだろう」
「活気があって、いい街よね!」
「まだまだ心配な事ばかりだけどな」
「そう?」
「ああ」
ライが自分の街を大事に思っているのが伝わってくる。
(まだまだ心配って感じは街からは感じないけれど)
市場も開いているし、街の人たちの顔も明るい。不自由をしていなさそうな雰囲気。
(内向きが明るいということは……)
「外に脅威があるってこと?」
「イレ、馬が好きなだけではなかったのか」
「う、馬は一番好きだけど……お世話になってるライが心配する事なら、ちょっとは力になりたいと思うじゃない! と、友だちだし?」
「イレ、貴女はいい奴だ」
「わわ! ちょっと頭ぐしゃぐしゃにしないで! あぶないし!」
大きな手がわしゃわしゃとイレーネの頭を撫でるのであやうく身体のバランスを崩しそうになる。
「ははっ、すまん。ついな」
「もう! この髪、きれいに結び直すの、大変なんだから! 甘いものでも奢ってもらわないと貸し一つ!」
「ああ、貸しをつくるというのもいいな。だが今から連れて行く店はパンケーキを出す店なんだ。残念ながら貸し一つにはならんな」
「パンケーキ?! なにそれ、パンなのにケーキなの?」
「ああ、ケーキのような柔らかさが売りなんだそうだ」
「食べたい! 貸しはなしでいいわっ」
うれしそうに振り返るイレーネにライは微笑む。
「ついでに仕事の話もな」
「それはいらない」
美味しくなさそうな話を出されてイレーネの眉がハの字に下がった。
「一人でやる仕事ではない。私についてきてもらいたいだけだ」
「ライに?」
「そう。まあ、あとはパンケーキを食べてから話そう。小腹が空いたんだ」
「それは同意」
「さすが我が友」
さりげない言い回しだけど、ライが呼び方を変えてくれた。イレーネの唇がにっこりと上がる。
(うん、小さな友よりこっちの方が全然いい)
イレーネは満足して後ろ手に拳を握ってライに合図を送る。こつりと拳で返してくれたから、対等に見てもらえて、ますますうれしい気持ちになった。
しばらく街中を歩くと二人はルクスガルドに初めて出来たパンケーキの店に着いた。
メイン通りから並行する脇道に入った所にそのお店はあり、木目の柱と白い漆喰の壁が美しい二階建てのお店は、室内も明るく落ち着いた雰囲気で座席もゆとりを持って配置されている。
ライの顔を見た店員さんはにこやかに挨拶をし、二階の個室に連れて行ってくれた。
「ライ、ここに来たことがあるの?」
「ああ、店を出す時に相談にされたのが縁だ」
「そうなのね! じゃあこの店の初めてのお客さまだったんじゃない?」
「そうだな、店に出す前のパンケーキは頂いた」
「うらやましいっ」
「あの時よりもさらに改良を重ねておりますよ、ライさま。ようこそ、お嬢さま」
にこやかに挨拶をしてくれたのは店主のようだ。給仕も兼ねているのか、紅茶やカトラリーを配置してくれる。
「予約制になったと聞いた。繁盛しているようでなによりだ」
「おかげさまで。姉妹店の件、お耳に届きましたでしょうか」
「ああ、だがその話はまた後日に」
「これは失礼しました。せっかくのデートの場に無粋なことでしたね」
「え? デート? ええ??」
夢中になってメニューを見ていたイレーネが驚きぴょこんと顔を上げたものだから、正面でその様子をみていた男二人は思わず目を見合わせて吹き出した。
「おやおや、これはライさまの思いは届いていなさそうで」
「そうだな、まだまだ先は長そうだ」
「さようで」
にこにことこちらを見て大きく頷く店主と水色の瞳をやわらかく細めるライに、イレーネの唇はきゅっと尖る。
「からからって遊んでいるんでしょ、二人とも……失礼しちゃう!」
「おやおや」
「ああ、〝可愛い人〟だろう?」
「まさに」
なんだかさらに温かい目で見られてイレーネは居心地が悪くなってきた。
「あんまりいじめるとこの店で一番高いパンケーキ選んじゃうっ」
「これは良きことを! ぜひにお嬢さま。一番人気は『はちみつとブラックベリーのパンケーキ』になります。新商品の『レモンとチーズのパンケーキ』は生地にクリームチーズを練り込んでありますので、レモンのジャムでさっぱりと頂けます」
「わぁ! どちらも食べたい! ライ、いい?」
「そうだな、私がレモンとチーズを頼もう。そうすればイレは二つとも食べられる。取り分ける皿も頼めるか?」
「もちろんご用意させて頂きます。かしこまりました」
優雅に一礼をして部屋を出ていく店長を眺めていたイレーネに、ライは紅茶を勧めながら彼との関係を話してくれた。
「彼は子爵家に縁のある者でね、だが貴族の生活よりも市井でパンケーキを作りたいと私に相談してきたんだ」
「ああ、だから所作が優雅で綺麗なのね。私よりも……っと、私も見習いたいわ」
「イレも美しい所作だと思うが、誰から教わったんだ?」
「え? ええーっと」
第四とはいえ王女、のらりくらりと逃げ出していたが所作やマナーなどには教師がついていたし、食事のマナーは母が口すっぱくいっていたような。
「おかあさんがうるさかったかな。きれいに食べなさいとか」
「お母上か。大切に育てられてきたのだな」
「そう思う?」
「ああ」
くすぐったいけれどうれしいな、とイレーネは思った。父は年に一、二回会うぐらいだけど、そのかわり祖父と母がイレーネを育ててくれた。はねっかえりの自覚もあるけれど、それは家族が受け止めてくれるから。
ラースに戻ったら感謝しなきゃ、と心に留めているとパンケーキが手元に届く。
「うわっ、きれい……!」
こんがりと焼き上がったパンケーキの上にはちみつがなみなみとかけられ、大粒のブラックベリーがふんだんに飾られている。パンケーキの横にはホイップとバニラアイスクリームが添えられていて、溶ける前にはやく食べてと言わんばかりだ。
ライの前にあるのは輪切りのレモンがのせられたパンケーキ。こちらは生地に厚みがあるからスフレチーズのような仕様になっているかもしれない。はちみつも別の小鉢で届いているから、必要ならばかけて食べるスタイルだ。
「大地の女神に感謝を」
「火の神に祈りを」
いただきますの感謝をしてそれぞれ一口食べると、二人、目を見合わせて微笑んだ。
「おいしーーーい!!!」
「ああ、うまいな」
一口、また一口とフォークが止まらない。本当に美味しいものにありつけた時には、言葉にならないのだ。
「あ! ライ! わたし、そっちも食べたいっ」
「おっと、そうだった」
うっかり手元にあるパンケーキに集中していたが、本当はイレーネが二つとも味見したくて頼んだのだ。
「ライも美味しいものには目がないのね」
「ああ、うっかり全部食べてしまうところだった。皿をこちらへ」
イレーネが一口で食べられるように切り分けてくれたので、イレーネはいそいそとお皿を寄せる。
取り分けてもらうと、二つのパンケーキの高さがちがって面白かった。
「うん! スフレチーズケーキみたい! ふわっふわ〜。ライ、こちらのも食べてみて!」
「では失礼して」
どちらも美味しいを共有したくてイレーネがお皿を再度寄せると、ライもくったくなく取り分けていく。ライの口は大きいのに小さなカットでもっていくから、いいのかな、と見守っているとくすりと笑われた。
「心配するな、一欠片でいい」
「ちっ、ちがうし! そんな小さいのでいいのかなって思っただけなのにっ」
「おや、我が友は太っ腹だな、ではもう一口」
すっと手元にフォークが伸びてきて、比較的大きなかけらを刺された。
(ああっ、わたしのパンケーキ!)
思わず惜しんで口を開けるとライのパンケーキが入ってきた。
「もごごーーーっ!!!」
「ははっ!」
はみだしそうなパンケーキを手でおさえてもぐもぐするイレーネにライは声を上げて笑った。
涙目で抗議すると、ライは片手を挙げて降参の合図をするのだが、まだ横向いて笑いをこらえている。
「ひどい! からかい過ぎっ!」
「いや、失礼、本当に貴女は〝可愛い人〟だ」
「また、ないしょの言葉をいって! もうお仕事の話聞かないっ」
「はは、わかったわかった。貸し一つにする。イレが困った時には私が助けになろう」
さすがに悪いと思ったのか、ライはイレーネの機嫌を取りにきた。イレーネはぷくっとほほをふくらましつつも、妥協案として紅茶をおかわりを請求し、ライのパンケーキをもう一口もらって手打ちとしたのだった。




