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厩舎での出会い

挿絵(By みてみん)

イラスト/汐の音

 



 そぉっと緑の垣根の下から首を出したイレーネは、右に左に視線をめぐらす。

 春の温かな日差しの下、垣根にそった側道には人の気配はない。

 すると翠色の大きな瞳はきらきらと輝きはじめ、軽く開いていた口元はにんまりと笑みを浮かべた。


「よし、今日はだいじょうぶ!」


 肩でそろえたふわふわの金髪をなびかせながらイレーネは垣根を飛び出した。

 サスペンダーつきのズボンは走りやすい。側道をつっきって林の中のひみつの獣道を抜けると、細長い厩舎が見える。


 柵の下をさっとくぐり、馬のために広く開けた通路を抜けて厩舎を覗く。馬たちはゆったりとくつろいでいるようだ。イレーネは息を整えながらにっこりと微笑んだ。


「こんにちは、ルース、今日もハンサムね。ルイーザはたくさん走ったの?」


 驚かせないように小さな声で話しかけると、ルースはふんっと鼻にかけたような息を吐き、ルイーザは柵の近くに寄ってきた。

 ルイーザの鼻筋を撫でながら首を優しく叩くと、目を細めてすり寄ってくる。


 ここは軍馬を調教するファームで、イレーネの数少ないほっと息ができる遊び場だ。午前の調教が終わり、井草も入れられて整えられている馬房。昼下がりのこの時間帯だとイレーネが手伝う仕事はすでにない。


「ルイーザ、ブラッシングしていい? ちょっとだけだから」


 少しでもふれ合いたくて、イレーネは声をかけながらブラシを取ろうと振り向いた所でぎくっと身体をこわばらせた。


「また来ちゃったんですか、イレーネ様」

「ネイト」


 腰に手を当てて、困ったように首を傾けている青年はここの調教見習いをしているネイト。屋敷を抜け出してくるイレーネを見逃してくれたり密告したりする、敵とも味方とも言えない人だ。


「デビュタントが近いとお聞きしましたよ? こんな所に来ている時間はないのでは?」

「作法は一通り覚えてるしダンスのレッスンもしたもの。だいじょうぶだもん」

「でた、イレーネさまの〝だもん〟。こりゃ今日は連絡しなきゃだなぁ」

「なんで?! やることやってきたもん、ルースやルイーザのブラッシングするの!」


 ネイトは馬用の水を換えながら肩をすくめている。やらなければならない事も済ましつつも飽きて逃げてきたのがバレているようだ。

 最終的には屋敷に戻されるのだが、すぐに戻されるか、たっぷり馬たちと遊んでから帰るかは実はこのネイトにかかっているようにも思える。


 今日は絶対ふれあってから帰る! という意志を込めてネイトを見ると、はぁーと大げさにため息をつかれた。


「連絡は一時間後にしてあげますから、ブラッシングしたら戻るんですよ? こちらも今日はお客さんがいらっしゃるのであまりお相手できないですし」

「お客さん?」

「ええ、隣国の方だそうで」


 隣国、と聞いた瞬間、イレーネの顔がひくっと引きつった。


「えーっと……アルタス? それともリード?」

「アルタスの方です」


 イレーネは、まずいという顔をした。


 イレーネが暮らしているノルダン国ラース領は温暖な気候と広い草原で覆われている良馬の産地で、中でも領主直轄のこの厩舎は駿馬に調教できると国内外でも有名だ。


 まれにこうして隣国の人が見にくる事はあるが、イレーネにとって、北のアルタスからの訪問者と相対するのはあまり、いや、かなりよろしくなかった。身バレしたら間違いなく、向こう一ヶ月、屋敷どころか部屋から出られなくなる未来が見える。


 どうしよう、と一瞬迷うがどちらにしろこの機会を逃したらしばらく馬たちと触れ合えない生活になると思うとイレーネの決断は早かった。さっとブラシを持ちながらルイーザの馬房に入る。


「ネイト、私は今からファームの下働きね。よろしく」

「はぁ、いいですけど」

「あとお客さんをなるべくここに寄らないようにしてほしいのだけど」

「それは無理ですね」

「どうして?」

「ルースとルイーザを見に来ますので」


 イレーネが息を呑むと同時に馬房の外の気配が変わった。馬を刺激しないよう、声を抑えながら何人か馬舎に入ってくる。

 イレーネは馬の身体に隠れるようにしつつルイーザのブラッシングを始めた。


「ここにいるのはまだ一歳馬で育成中です。軍馬として仕立てるには後一年ほどかかりますが」

「ああ、わかっている。若馬の状態でどれほどなのか見たかったんだ」

「さようで」


 筆頭調教師のジダンが緊張した声を解いた。イレーネも育成前の新馬を無理に連れて行く人ではなくてよかった、とほっとしてルイーザの腹を撫でる。


 この子たちの良き主人になりそうな人はどんな人なんだろう。落ち着いた声色だから、同年代じゃなさそうだけど……見たいような見たくないような。


 イレーネは丁寧にブラシをかけながらも父から言い渡された事を思い出していた。


 イレーネがデビュタントに合わせて北の大国アルタスから婚約者が来訪する旨を聞いたのは半年前。


 初めての成人の儀(デビュタント)を整えるとはいえ、わざわざ王都まで出てきてやけに沢山のドレスを作ったり、必要以上に宝飾品を選び揃えたりしている母に「こんなにいらないでしょ、おかしくない?!」と詰め寄っていると父の執務室に呼ばれた。


「婚約?! デビュタントと共にですか?!」

「おかしくはないだろう、成人するんだ、すぐに婚約者がついても問題ない」

「問題ありまくりです! わたし、全然そんなつもりないのにっ」

「イレーネ、市井の言葉をどうにかしろ」

「……わたくしにはまだ早い。父上もお分かりでしょう」


 イレーネがノルダン国第四王女として初めて王宮に登城したのは十一の時だ。母サーネはラース領領主の娘だったが、領地視察にきた国王ジョセフ・ド・ノルダンの手がつき側妃として召し上げられた。しかし田舎の素朴な娘であった母サーネにとって後宮での生活は心身を衰弱させるほどそりが合わず、側妃の位を返上して領土へ戻った所、懐妊の印があったのだった。


 サーネはジョセフとのやり取りの中で、この身では無事に産むことすら危うい事、出来ればこのままラース領で出産を迎えたい事、育児に関しても可能ならばこちらで養育したいと願った。

 ジョセフとしても正妃や第二側妃との間にニ男三女をもうけており、政治的に利用するにも遠い娘だった為、デビュタントまでラース領預かりとする事で了承したのだった。


 以来、イレーネはラース領領主の孫娘としてのびのびと育った。もちろん淑女教育も王都での女官を経験した子爵夫人に教育してもらったが、イレーネはたびたびその時間を抜け出すほどのあばれん坊。初登城の時も謁見の間ではなんとか我慢して姿勢を保っていたが、その後の王との晩餐はとんずらし、持参した愛馬にまたがって一人、ラース領に戻っていったという曰く付き。


「王女はおろか淑女としての気品や教養を兼ね備えていない、そんな娘と婚約する人なんかいません!」

「お前っ、自分で言っていて悲しくならんのか!」

「これっぽっちもっ! だってこれがわたしですもの」


 ふんす、細い腕を組み、小ぶりな鼻をつんと立てた姿はぱっとみ可愛い小娘なのだが、御するには難しい頑固者。とうとうジョセフのこめかみに青筋が走った。


「このじゃじゃ馬めっ!! だが婚約は破棄しないぞっ。これはアルタス国との同盟に不可欠な条約条件だ、王命である!」

「……っ!」


 顔を真っ赤にしたイレーネは腕を解くと、ぎゅうっと皺がよるほどドレスを握りしめ、翠色の大きな眼を見開き叫んだ。


「王命でもなんでも! わたしはわたしらしく在ります! それを受け入れてくれる人じゃないと、お嫁にはいきませんっ! そのようにお伝えくださいませ!」

「待てっ、イレーネっ!」

「まちません! 御前、失礼しますっ」


 申し訳程度に裾を掴んで膝を曲げると恐ろしい勢いで執務室を出ていったのだった。


 あれからラース領に戻ったイレーネに、父は何も言ってこない。


 おそらく先方にイレーネの心情をなにも伝えていないのだろう。とにかく会ってから、など悠長な事を思っているのかもしれない。


 会うもなにも、わたしだってどんな人なのか知りもしないのに。


 アルタス国ルクスガルド辺境伯ラインハルト・フォン・バルトウィン。アルタス国国王の三男であり御年二十八。辺境伯を務める傍らアルタス騎士団第六騎士団団長であり、ノルダンの北東に位置するザード国から攻められた際にはノルダンやリード国と共闘して武勲を立てた屈強な騎士でもある。


 手元に届いた簡素な釣書からはその程度の情報しかなかった。


 バレないよう、アルタスから来たお客さんにバルトウィン卿の人となりを聞いてみよう、かな。


 視察にきているアルタスの方々は隣のルースの馬房に入っていた。見たことのない人の気配に気性の荒いルースは鼻息を荒くして抗議している。


「ドゥ、ルース。落ち着くんだ」

「いや、我々が出よう。機嫌を損ねたようだ」


 ルースを抑えようとするジダンに対して、アルタスの騎士は馬に無理をさせないよう声をかけている。イレーネは好感を抱いた。


「騎士さま、ルースは鼻息が荒い子ですけど、仲良くなればよく走る馬ですよ」


 ルイーザの馬房からひょいっと頭だけだしてイレーネは会釈する。


 ジダンの頭ひとつ分大きな騎士達の中でも、とりわけ身体が一回り大きい人がこちらに顔を向けた。切長の水色の瞳がこちらをじっと見る。短く刈り込まれた銀髪が差し込まれた日に当たって、鈍く光っていた。


「イレ……!」


 目を見開いたジダンにイレーネは視線で「こちらに合わせて」と懇願すると、ジダンは開いた口を即座につぐんでぐっと眉をひそめた。イレーネも口元だけでニコッと笑う。


「ほう、この国は女性でも厩舎で働くことができるのか」

「……この子は馬好きの近所の娘さんで、時々手伝いにきてくれるのです」

「それは素晴らしい心がけだな。さすが良馬を産むラース領だ」

「おじさん、ルイーザは大人しいから触らしてくれるよ、こっちにきて?」

「お、おじ……」

「イ、イレ! 失礼だぞ!」

「いや、お嬢ちゃんからすれば私のような年の者でもおじさんだろうな」

「おじさんこそ失礼ね、わたしはもうすぐ十六! 立派なとは言わないけど大人よっ!」

「……」

「……」


 こんなあけすけに物申す娘が本当に次期成人なのか、と無言でジダンに確認するアルタスのお客人に、ジダンは申し訳なさそうに首をゆっくりと縦に振った。


「イレ、と言ったか。失礼した。では、レディ・イレと呼ぼうか」

「レディぃ?! いやいやあの、イレで結構です。わたしもごめんなさい、嫌なこと言われるとすぐ頭にきちゃうの」


 謝りながらもぷくっと頬を膨らませて腰に手を当てているイレーネの姿に、ジダンは目を伏せ、ネイトは額に手を当てて俯く。


「ははっ! わかるよ、私は息を潜めてしまうな」

「えー? 怒るのではなくて?」

「うん、どちらかというと静かになるかな?」

「へー、珍しい怒り方ね」

「ああ、だからあまり怒らないようにしている」

「そうなの」


 わたしはついつい怒っちゃうなぁ、なんてぶつぶついっているイレーネの目の前に、大きな手が差し出された。


「もしよければ、この馬たちの事を教えてくれないか? 何が好きで、何が気に入らないとかでいいんだが」

「ええ、もちろん!」


 ぱぁっと目も口も開いて笑ったイレーネを見て、眩しそうに目を細めた騎士は、差し出された手をさりげなくひじに回して厩舎を出て行った。


 完全に上位貴族に対するエスコートである。


 後ろからついていくネイトは小声でジダンに聞く。


「バレ、ましたよね」

「お嬢はへり下る事をした事がないからなぁ。仕方ない」

「お屋敷へ連絡します?」

「予定通り一時間後にしてやれ。馬も人もお互い人となりを知らなきゃな」

「はー、勉強になります」


 ネイトは自分の首をぱしりと手を叩くと、ルースとルイーザを馬房から出すべく、鞍の用意をしに行った。



ひさしぶりの新連載です。よろしくお願いします。


この第1話は『第十八回書き出し祭り 第一会場(https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n3123ie/)同タイトル作品の修正版です。

既読の方は、次の第2話からお読みいただいてもストーリー上の問題はありません。


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