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天使の蛹

作者: 村崎羯諦

 近所の散歩道で天使の蛹を拾った。拾った場所の真上には、開花に備えるソメイヨシノの枝が広がっていたから、きっと何かのはずみでそこから落っこちてしまったんだと思う。僕は樹の幹に戻してあげようとしたけれど、蛹は幹に上手くくっついてくれない。かといって、そのまま道端に投げ捨てておくのは可哀想な気がする。僕は少しだけ迷った後で、蛹をハンカチで丁寧に包み、近所のホームセンターへ安い飼育ケージを買いに向かった。


 近所で拾ってきた枝と枝の間に天使の蛹をそっと置き、僕は羽化するのを見守った。そして一日が経ち、一週間が経ち、桜の蕾がピンク色に色づき始めた頃。帰宅した僕が飼育ケージを覗くと、枝と枝の間に置いていた蛹は真っ二つに裂けていて、そしてその真下に、翼が粘液でクシャクシャになって、プラスチックの床の上を芋虫のように這いつくばっている天使の姿があった。


 羽化不全。蛹から天使へ上手く羽化できない現象のことをそういうらしい。割合としては少ないものの、一定の個体に起きるものらしく、羽化不全の天使は空を飛ぶことも、翼を広げることもできず、そのまま衰弱死してしまうらしい。仮に人間の手で世話をしても、普通の天使と同じようになることはない。僕はネットで調べたその情報を前に、小さなため息をつく。それから飼育ケージへと視線を向け、飼育ケージの中で必死にもがいている天使を見つめた。


 たとえ無駄だと言われても、僕はその天使の介護を行うことにした。身体を覆う粘液を綺麗に拭き取ってあげ、ハンカチで作った寝床に横たえ、必死に介抱を続けた。それでも、くしゃくしゃになった翼が開くことはなかったし、蛹からかえった天使は日を追うごとに弱っていった。その間、天使は献身的に世話を続ける僕をじっと見つめていた。人間の手のひらほどの大きさしかない天使が、ビーズほどに小さい翡翠色の瞳で、まるで何かを伝えようとしているかのように。


「お前のせいだ」


 蛹から羽化して一週間後。初めて口を開いた天使は僕にそれだけ告げ、その数時間後に息を引き取った。天使の命を延命しようとしていたことは、所詮僕のエゴに過ぎないとわかっていたけれど、天使の最後の言葉は僕の胸をちくりと刺す。僕は無力感を覚えながらも、天使の死骸をゆっくりと拾い上げ、庭の端っこへと埋めた。


 そして月日が経ち、天使の蛹を拾ったことさえも忘れかけた頃。天使の死骸を埋めた場所に小さな若木が芽吹いた。植物の種類を調べたところ、それは木苺の樹だった。樹はすくすくと育ち、一年が経つ頃には白く美しい花が咲き始めた。僕は縁側から、庭の外に広がる風景と、色鮮やかな木苺の樹をぼーっと眺めるのが習慣になった。そしてその木苺の花を見つめながら、僕は時々ケージの中で死んでいった天使のことを思い出した。


 六月になると、樹には木苺が実り始める。実は小ぶりながらも鮮やかな赤色で、初夏の緑緑しい風景にとても映えた。僕がいつものように縁側から木苺の樹を鑑賞していると、一羽のムクドリが飛んできて、樹の枝に止まった。それから首を左右へ振りながら、熟し始めていた木苺の実を突き、それを啄む。ムクドリはそのまま一つ二つと実を食べ続けた。しかし、ふと動きを止め、ぎこちなく身体を震わせたかと思うと、そのまま地面へと真っ逆さまに落下してしまった。


 近づいて確認してみると、そのムクドリは死んでいた。軽く開いた嘴の中には、食べかけの木苺の赤い粒が残っていて、先ほどまでは綺麗に思えていた鮮やかな赤が、どこか毒々しさを感じさせた。僕は天使が死ぬ前に呟いた言葉を思い出す、それから庭に咲く木苺の樹を見つめた。木苺の樹は初夏の生暖かい風に吹かれ、葉を擦り合わせながら揺れていた。


 近所の子供たちが間違って食べたらまずいので、僕はその木苺の樹を引っこ抜き、燃えるゴミとして処分した。庭にぽっかりと空いた穴はホームセンターで買ってきた土で埋め、一週間後には木苺の樹のない庭にもすっかり慣れていった。それから地面に落っこちた天使の蛹を道端で見つけることはなかったし、蛹から羽化した天使についても関心は薄れていった。だけど、ふと庭に目をやり、一部分だけ土の色が違う場所を見ると、僕は羽化に失敗した天使のことを思い出す。


 胸はちくりと痛むけれど、それでも僕の日常は続いていく。偉そうなことを言える立場じゃないけど、でもきっと、そういうものなんだと思う。

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