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宇宙遊侠伝ライトベクター

 右手に握ったソフビ人形を、少年は捨ててしまいたい衝動に駆られていた。






 崩壊。そんな言葉がこれ以上似合う光景はない。


 元は建物だった瓦礫、へし折れた道路標識、ガラスの破片……人の文明がそのまま巨大なゴミ山と化したような惨状。


 人の世の成れの果て。世界の終わりのごとき光景。


 数日前の日本人に、ここが二〇三〇年の東京であると説明しても、誰も信じはしないだろう。


 そんな崩壊した街に、大勢の人間の流れがあった。


 彼らは悲鳴を上げながら、ある一箇所から必死に遠ざかろうとしていた。


「撃て! 撃てぇぇぇぇっ!!」


 そんな彼らを守るように隊列を作った自衛官達が、小銃で一斉射撃。


 全弾、狙いを違わずに、銃口の先に立つ「怪物」へと吸い込まれた。しかし、その「怪物」は痛がる素振りを全く見せず、のしり、のしりとゆっくり近づいてくる。


 その怪物を一言で言い表すなら「炎の大虎」。


 血のように赤い炎が巨大な虎を象り、それ自体がまるで意思を持っているかのように動いていた。


 特殊映像ではない、紛れもなく、現実の光景。


「畜生っ! 衝撃波に大津波に隕石の雨、その次は化け物かよぉっ!? もういい加減にしてくれ!」


「怯むな! 今俺達が膝を屈したら、市民が死ぬぞ!」


「しかし三佐! 弾は効いているようには見えません! それどころか……!」


 厳しい訓練を乗りきった精強な自衛官でさえも、苛立った愚痴を禁じ得ない惨状。


 無理もない。


 彼らの撃ち放った五.五六ミリ弾の豪雨は、炎の怪物の体をすり抜け、その背後にある瓦礫に直撃しているのだから。


 弾が肉を貫いて後ろへ通ったのではなく、そもそも物質同士の接触すらしていないのだと誰もが確信できた。


 爆薬やロケット弾を持ってきても、この怪物に通用するとは思えなかった。


 しかし彼らは弾丸をばらまき続ける。弾丸が当たらない怪物という、理不尽過ぎる現実から逃避するかのように。


 ——決死の思いで戦う彼らを、少年は瓦礫の影から覗いていた。

 

 寒さをしのぐために拾った大きめのダウンジャケットを身にまとうその少年は、服を着ているというより、着られているといってもいい幼さであった。


 本来ならば、世の過酷を知らず、無邪気に遊んでいるはずの年頃である少年の目は、酷く虚ろで、生気に欠けていた。


 少年がここに来たのは、「見てみたかったから」だった。


 日本各地に巨大な爪痕を刻み込んだあの大災害の後、突然出現した、炎のような怪物。


 虎の姿だけでなく、鳥や蛇や虫などさまざまな姿形で現れ、災害でもがき苦しんでいる人々を追い込むように殺していった。


 災害の影響で人数が激減してもなお報国の心を忘れていない自衛官達は、そんな不可思議な怪物にも果敢に立ち向かった。


 少年は期待していた。自衛隊こそヒーロー役なのだと。あの怪物をやっつけてくれるヒーローだと。


 けれど、彼らはまるであの怪物に及ばない。


 特撮もので例えるならば、彼らの配役は、怪獣に蹴散らされる噛ませ犬の地球防衛隊。


 ——ああ、やっぱり……そうなんだ。


 絶望のあまり、もはや動く気力すら削がれた少年は、そこに棒立ちしていた。


 少年は、自衛官の一人と、そして炎の虎と目が合った。


 自衛官は目を疑うように瞠目し、炎虎はニタリと笑った……気がした。


 いちはやく駆け出したのは自衛官。炎虎は数秒遅れでようやく地を蹴った。


 自衛官は少年を抱きしめて飛び退くが、その背中を炎虎の爪が引き裂いた。


 少年は無事。けれど自衛官は迷彩服どころか、背中の肉さえも剥がされ、背骨と肩甲骨が丸見えになった。


「あ、ああ……あ…………!」


 そのショッキングな光景を、余さず目に納めた少年。


 そんな致命的な負傷をしつつも、その中年の自衛官は強靭な意思力を瞳から消さず、真っ直ぐ少年を見据えて、血を吐きながら言った。


「は、早く……逃げろっ…………坊主っ!」


「っ…………あああああああああああああああああああああ!?」


 少年は逃げ出した。


 どこへ逃げればいいのか分からない。そもそも逃げ切れる保証すらない。


 けれどここで走らなければ、自分の身を捨ててまで守ってくれた自衛官のおじちゃんに申し訳がないと思ったからだ。


 遠ざかる銃撃音。その銃撃音すら聞こえなくなったのは、随分離れたからか、あるいは……


 考えても仕方がない。自分は何もできない。無力な子供だ。ただ前を向いて、走ることしか出来ないのだ。


 ——もし、僕に力があれば……!


 少年は忸怩(じくじ)たる思いに歯噛みしながら、ずっと右手に握ったままのソフビ人形を強く握りしめた。


 『宇宙(うちゅう)遊侠伝(ゆうきょうでん)ライトベクター』。


 自分が一番好きな特撮ヒーロー『ベクターシリーズ』における、初代ヒーロー。その人形。


 人間では勝てない悪い怪獣を、颯爽と現れてやっつけてくれる、正義のヒーロー。


 少年はとにかくベクターが大好きだった。


 ベクターが戦う姿を、自分もテレビの前で真似していたくらいだった。つい最近に死を聞かされた母は、そんな少年をいつも微笑ましげに見ていた。


 そして今、あの炎の怪物。人間では勝てない得体の知れない怪物。


 特撮ヒーローにおける、怪獣にあたる配役は出てきた。


 では、ヒーローは?




 いない。




 誰もヒーローに変身して、戦ってはくれない。

 人間たちは無惨に殺されるばかり。

 自分がやっていたヒーローごっこなんて、まったく通じない。

 僕が変身できたら、あんな奴らやっつけられたのに——そんな思いは、妄想の中だけで終わるのみ。


「うわっ……!」


 走っている最中、石に足を取られた。勢い斜面を転がり落ちていく。


 やがて平地に降り、そこで仰向けで止まる。


 そこはやはり、これまで見たのと同じ、瓦礫の砂漠である。


 特撮のセットではない、本物の崩壊。こんな光景が、世界中に広がっているのだろう。


 周囲を見回す。あの怪物はいない。逃げ切ることができたようだ。


 最後に、空を見上げる。


 ただただドス黒い、黒雲に覆われた空が際限なく広がっていた。


 避難所のラジオで聴いた。あれは、隕石がもたらした塵なのだと。……このむごたらしい大災害をもたらした巨大隕石の、さらなる産物なのだと。


 恐竜時代は隕石の衝突によって終わりを迎えたが、厳密には隕石の破壊力ではなく、その後に空を覆った塵が原因なのだという。

 塵に覆われた空からは、陽が一切差さない。

 すると光合成をして生きていた生き物がすべて死に絶え、さらにそれを食べて生きていた動物も食べるものを失って死に絶え、さらにその動物を食べていた他の動物も死ぬ。

 地球の気温も落っこちる勢いで下がり、体温調節のできない巨大トカゲの群れは成す術なく滅んでいった。


 今、人類は、その恐竜時代と同じ終わり方をしようとしていた。


 いや、その前に、あの銃が全く効かない炎の怪物に食い尽くされるのが先かもしれない。


 ——ヒーローは、この世にはいない。


 大人になる過程で誰もが実感するそんな現実を、少年はこの上なく残酷な経験によって知った。


 ヒーローなどどこにもいない。弱い奴は、ただ強い奴に命を弄ばれるのみ。


 人間の中からはヒーローは生まれない。避難所で一枚のクッキーをめぐって取っ組み合いをする大人達を見た少年は、それを早くに知った。

 

 しょせん、ヒーローなど創作の産物なのだ。


 弱虫が自分を慰めるために創った、都合のいい妄想。


 自分は生まれてから今までの六年間、その妄想に踊らされてきたのだ。


 悔しい。腹立たしい。


「こんなもの……」


 少年は虚ろな目に、右手のベクター人形を映した。いかにも子供受けしそうな、カッコいいデザインのヒーロー。


 こんなもの……こんなもの、いないんだ。


 深い深い失望感のまま、少年は人形を握る右手を緩めかけた。


 


 その時、光が差し込んだ。




 ここ半月、日光の一筋も差さなかった鈍色の空から、一条の輝きが分け入ってきた。


 その光は徐々に、徐々にだが、確実に広がっていく。


 隕石の塵をこじ開けるように、どんどん空が青さを取り戻していく。


 確実に、確実に広がっていく。


 その光の中心に、何かがいた。


 いや、「誰か」だ。


 女の人。


 近くにいるのか、あるいは遠くにいても見えるくらい体が大きいのか、それははっきりしない。


 分かるのは、あれは人間の世のものではないということだけだ。


 だって、空に浮いているし、その周りから光が発せられているから。


 菊花を模したような意匠の、黄金のティアラ。

 それを被るのは長く美しい黒髪。

 清らかな白を基調とした長衣。


 そして何より、心に直接訴えかけてくるような、強烈な存在感。


 「この世ならざるモノ」が発する、独特の気配。


 しかし、あの炎の怪物とは違い、脅威的には感じなかった。

 いつまでも見ていたい。

 できれば近づいてその発する光に当たりたい。

 そう思える、清らかで神々しい神威(しんい)


 世界を包む暗雲を、豊潤な光で割き開く、大いなる存在。


 神。


「アマ……テラス…………」


 少年は、かつて母から聞いたその神の名を口にした。


 言わずと知れた日本神道の太陽神。


 母と違って(・・・・・)直接見たことがないにもかかわらず、少年にはあれが「そう」であると直感できた。


 ぼんやりと見惚れている間にも、太陽の輝きは先ほど以上に大きく、鈍色の塵を切り開いていた。


 人類を滅びへ導く鈍色が、どんどん消えていく。


 太陽を、地上に取り戻していく。


 まるで、天岩戸(あまのいわと)から帰ってきたかのように。


 あのアマテラスのしていることであるのは、明らかであった。


「すごい……」


 そんなアマテラスの取り戻した太陽は、死にかけていた少年の心にも恵みを与えていく。


 いた……ヒーローは。


 絶望に座り込む人類に、救いの手を差し伸べてくれるヒーローは、今、目の前にいた。


 自分の中にあるヒーローへの憧れが、決して空虚な妄想などではないと証明してくれた存在が、今、目の前にいた。


 世界だけでなく、自分の心まで救ってくれたヒーローが、今、目の前にいた。


 思わず手を伸ばすが、届かない。それがとてももどかしい。


 



 右手からこぼれ落ちそうになっていたベクター人形を、少年は我知らず再び握りしめていた。

 





 ◆





 十年後——二〇四〇年、春。東京都某所公園にて。



『みんな、今日もこんばんわだピョン! 今日ももりもり配信しちゃうから、みんなもモリモリスパチャして欲しいピョン! そのお金でニンジンいっぱい食べるピョン!』


 携帯端末のディスプレイ内で、セクシーなバニー姿の3D美少女キャラ『月島(つきしま)ゆきと』……通称「ゆっきー」が、元気いっぱい愛嬌いっぱいに喋っている。


『では、今日のお題は……現在の日本に至るまでのあらましだピョン!』


 ときおり、その豊かなバーチャル胸部をさりげなくチラ見せしている。


 この動画はすでに昨晩配信済みのものであるが、ライブ配信時はスパチャの嵐であったに違いない。


『今から十年前……どデカイ隕石が地球にドカーン! と衝突したんだピョン! 直径およそ8Km! すごいピョン! 恐竜時代を終わらせた隕石に匹敵するピョン! そんなものが超高速で地球にぶつかったもんだからさあ大変! みんなが忘れられない「大災害」の始まりだピョン!』


 再生数を見る。四十万弱。

 結構多いが、彼女の配信にしては少ないほうだ。

 みんなが知っているようなことを今更ながら説明しているのと、あとはただ単にお色気が少なめなせいか。


『衝撃波、大地震、高さ一〇〇〇メートルもの大津波が世界各地へトリプルパンチ! いっぱいいっぱい人が死んじゃって、ようやく全てが終わったかと思ったら新たな災厄! 天を覆い続ける隕石の塵と、そして『鬼火(ウィスプ)』という怪物の出現だピョン! まさに弱り目に祟り目! 死にまくった人類がさらに減り続け、最終的に全世界人口が八億人にまで減ったところで止まったピョン! 人類滅亡しないでセーフ、だピョン! それもこれも、ある変化(・・・・)が社会に現れたからだピョン! それは——』


「…………っ、ぷっ、くくくくくっ……! ピョン、ピョンって……くくくっ、僕まで跳ねちゃいそう……くくっ……!!」


 その動画を見続けていた少年——知多(ちた)勇太郎(ゆうたろう)はとうとう堪えきれずに吹き出した。


 フルパワーであざとく媚び売りしまくっているこのバーチャルウサギ美少女の「中の人」を知っている身としては、普段とのギャップに笑いがこみ上がらずにはいられない。


 冬の寒気が少し残った春風が吹く公園。そのベンチに一人座りながら携帯端末を見ている勇太郎。


「——悪かったわね、猫、いや兎かぶってて」


「でっ!?」


 その頭部に突如、ぶすっとした声とともに衝撃が当てられた。


「……んげ、茉莉(まつり)

 

「何が「んげ」よ? 喧嘩売ってんの? ん?」


 頭を押さえながら振り向くと、よく知った幼馴染の美少女が仁王立ちしていた。 


 勇太郎と同じ高校の女子制服。やや茶色がかったショートボブと、その前髪の端を止めるヘアピン。その童顔は愛らしくもあり、それでいて世間の荒波を知るしたたかな気質も感じさせた。まるでベテランの野良猫である。


「ていうか、どうしたの?」


「どうしたの、じゃないわよ。ユウ、あんた高二なのにまだ進路決まってないみたいじゃないの。センセがぼやいてたわよ」


 そのことか。


 今日は授業が半日で終わったが、勇太郎の嫌いな進路相談があった。


 毎回決まった目標を言うだけなのだが、そのたびに進路指導の教師に必ず苦い顔をされる。


「いや、だから僕の進路はね——」


「『精霊(せいれい)装者(そうしゃ)』でしょ? ふん、上等な進路じゃないの。ならとっとと見せてみなさいよ、あんたの『契約精霊』を!」


 幼馴染である時任(ときとう)茉莉は、叱り付けるようにそう言った。


 勇太郎は気圧される。可愛らしい見た目に反した彼女の迫力もそうだが、イタイ所を突かれたからだ。


「いや、あのですね、今探している途中でして……」


「その言い訳何遍(なんべん)聞かせるつもりよ、このアホンダラ。そもそも契約精霊なんてそうそう見つかるはずないじゃない。すぐに見つかってたら、国際的に精霊装者が人手不足なわけがないでしょうが。宝くじで一発逆転を狙うプー太郎みたいだわ」


 まるでナイフで同じ箇所を何度も刺すがごとく、容赦のない語り口。……これが海を超えて人気なバーチャル配信者「ゆっきー」の本性だと思うと、女性に対する不信感が芽生えそうになる。


「……今週のスパチャ合計額いくらだったの?」


「257万よ」


「すっごいね」


「そうでもないわよ。最近はこの辺で頭打ちになってるし」


「じゃああのブリッコキャラ崩壊させて、今の容赦ない語り口に変化させたらどう? 新しい客層が得られるかも痛っ!?」


「誰がブリッコよアホンダラ! そんなことしたら稼げなくなるでしょ!? あたしは稼ぐために配信者やってんの! 前から言ってんでしょうが!」


 ゲンコツを頂いた頭部を涙目でさすりながら、勇太郎は文句っぽい口調で言った。


「……ていうか茉莉、もうそれだけで食べていけるんじゃない?」


「無理よ。流行りには廃れがつきものなの。どんな爆発的流行にだって、いずれ終わりは来る。今は稼げてても、いつか飽きられてお金が入らなくなる。けどあたしは稼いだお金は全部貯めてある。貯め込んだお金を資本にして、あたしはいつか事業を起こすの。それで登ってやるの、富裕層に。……もう、あんな惨めな暮らしはごめんだもの」


 苦渋を帯びた茉莉の最後の一言に、勇太郎はシンパシーを感じずにはいられなかった。


 今見ていた「ゆっきー」の動画でも説明していた、世界規模の大災害。


 全人類が被災者となったあの災害の後、大量の被災孤児が発生した。


 里親には特別給付金が一定期間支払われるという国の方針ゆえに、多くの孤児が引き取られたが、大津波の影響で塩害がひどく凶作続きで、なおかつ他国との貿易もしばらく絶たれていた被災直後の日本では、シャケのムニエルが厚切りステーキ並みの高級品となるほどのハイパーインフレがしばらく続いた。食料需要の増加によって、闇市なども生まれ、金持ちはそこで横流し品を買い占めて飢えと縁遠い生活をしていた。


 勇太郎と茉莉も、大災害時で両親を失った被災孤児だ。


 けれど、引き取られた後の生活には差があった。


「ユウ、金持ちの養子になれたあんたにはわからないでしょうよ。毎日毎日、雑穀みたいなものしか食べられなかったあたしの気持ちなんか。一部の金持ちが、車の中で当たり前のように菓子パン食べてるのを遠くから見てたあたしの気持ちなんか」


 そこで茉莉は言葉を止め、勇太郎の学生(かばん)に目を向けた。


 チャックで開くタイプの鞄。そのチャックのつまみに付いているのはキーホルダー。ボールチェーンにくくられているのは、特撮ヒーロー『ライトベクター』のマスコット人形だった。


 茉莉はそれを苛立たしげに見ていた。


「あんた、まだそんなもん付けてるの? もう高二でしょ? いい加減そんなの卒業しなさいよ」


「えー? 歳なんて関係ないよ。それに、茉莉だって昔一緒に見てたじゃない」


「十年以上も前のことでしょ、それはっ!」


 我慢ならないとばかりに吐き捨て、幼馴染はまくし立てた。


「あたしも、そしてあんたも! もうそんな子供じゃないのよ! 今は競争の時代。富国強兵だかなんだか知らないけど、国もなんだかんだ理由つけて社会保障を改善しないで、成長の見込みのある事業の援助と、戦争の道具を作るのに大忙しなの! 分かる? 今は自分の力で食べていかなきゃいけない時代なの! どんなに祈ったって、そのキーホルダーみたいなヒーローなんて飛んできてくれないのよっ!」


 その鬼気迫る表情と言動に、勇太郎は絶句していた。


 茉莉は言い切ったとたん、一瞬だけ後悔したような表情を見せ、だがまた気丈な顔を取り戻す。呼吸を整えてから、静かに言った。


「…………いい加減現実を見なさい。いくら精霊装者になったって、あんたは憧れのヒーローになんかなれない。あたしも、あんたも、出来ることなんて数えるほどしかないの。それを踏まえて、堅実に生きなさい」


 そう言って立ち去る茉莉の姿を、勇太郎は見えなくなるまで呆然と見つめていた。


 はぁ、とため息をつく。


「確かに……現実見えてないのかも」


 幼馴染の言葉を否定できなかった。正論だったからだ。


 十年前に起こった世界規模の大災害は、世界のありようを大きく変えた。


 世界中の産業は崩壊レベルの大打撃を受け、人々は困窮。


 人心も乱れ、各地で国が分裂して紛争が起こった。中国、ロシア、アフリカでは、十年経った今なお隣国同士の武力衝突が頻発している。


 日本は分裂と紛争が起こらなかった数少ない国の一つだが、楽観的に構えてはいられなかった。


 これまで日本を守っていた米軍が、崩壊の危機にある自国の保護を理由に日本から強引に基地を撤退させたのだ。これにより、日本は自分の力で自国を守らねばならなくなった。


 産業の発展、軍備の増強……十年かけてこれに力を入れたことにより、日本は災害前を超えるレベルの技術大国、軍事大国となることができた。


 しかし、貧富の差も災害前より拡大し、生活困窮者も増えた。


 富国強兵の旗のもとにいけいけどんどんな世の中で良い暮らしを送るには、実力をつけるしかない。


 茉莉の意見は、今の世の中では正しいことなのだ。


 これ以上考えると気が重くなりそうなので、気晴らしに配信サイトでも覗こうかなと思い、携帯端末を取り出した。


 だが次の瞬間、起動ボタンを押してもいないのにディスプレイが勝手に点灯。同時に危機感を煽るようなけたたましいアラームが鳴り響いた。


 ディスプレイには「ウィスプ発生!! ただちに命を守る行動を!!」という大きな赤文字と、この辺り一帯を示す地図が表示されていた。


 地図の一箇所——繁華街の大通りに、赤い点が一つ明滅していた。その場所は、勇太郎の今いる位置と近い。


 勇太郎はドキリとした。恐怖心と、それを上回る好奇心で。


 建物の隙間や脇道から、次々と人が走り出てくる。まるで何かから逃げるように。


 勇太郎はその流れに逆らい(・・・・・・・・)、進んでいく。地図の赤点を目指して。


 ときどき人とぶつかりながらも、その赤点の位置……繁華街の大通りが見渡せる脇道まで到着。


 ビルディングの影から、やや遠くにある「その光景」を覗き込んだ。


 交通規制されて車もいなくなった大きな道路のど真ん中には、「炎の怪鳥」がいた。


 血のように赤い炎のようなエネルギーが、全長五メートルもの巨大な鳥の姿を作っていた。巨大な双翼を広げているので横幅はさらに大きい。頭の部分では、白い「目」のようなものがぼんやりと光っている。


 その姿を見て、勇太郎はぶるりと震える。——十年前に魂まで刻み込まれた恐怖が蘇るのを実感する。


 『鬼火(ウィスプ)』。


 十年前、地球規模の大災害の後に突如出現した、人類の驚異。


 人間の感情から発生するエネルギー『霊波(オーラ)』。その一種である、人のマイナスの感情から生まれる『負の霊波(オーラ)』が寄り集まって生まれたエネルギー生命体。


 生命体とはいっても、感情のようなものはない。

 ただ自身を構築する負のオーラの赴くまま暴れ回る、いわば破壊衝動の塊。

 人間を見ると見境なく襲いかかってきて、破壊と殺戮をばらまく。


 おまけに通常兵器が全く通じない。アメリカがウィスプを対象とした核実験をしたそうだが、ウィスプは平気な顔して動いていたそうだ。


 そんな化け物相手に、どう戦えばいいのか?


 その答えは、巨鳥型のウィスプの視線の先にあった。


 一人の女がたたずんでいた。

 年齢は三十を少し過ぎた程度だろう。

 細身でスタイルは良いが柔弱な印象はなく、豹のように引き締まった体型。美人だが厳しい顔つきも合せて、歴戦の女兵士を思わせる。

 黒いタンクトップから伸びる左腕は生身の腕ではなくハイテク義肢に代わられており、過去の負傷の痛々しさを想起させた。


 さらにその背後には「天狗」がいた。

 ……そう、「天狗」。

 日本画や劇で見るような「天狗」が、女の背後に侍従のごとく控えている。

 ただし、その姿の輪郭は時折小さく揺らいでいた。そう、まるで電波が悪くて発生するノイズのように。


 『精霊(せいれい)』。


 ウィスプと同様、人間の感情から発生する『霊波(オーラ)』の集合体、「オーラ生命体」だ。


 しかし彼らはウィスプと違い、感情や意思、理性が備わっている。


 ウィスプと同じ性質の肉体を持つ彼らならば、物質界では太刀打ちできないウィスプに干渉できる。理論上は(・・・・)

 

 けれど精霊は意思や明確な姿形がある分、構造が複雑だ。その姿と自我の構成にオーラの大部分を費やしてしまっている。単純な負のオーラの塊であるウィスプには力負けしてしまうだろう。


 ではどうするか?


 その答えは、これから始まる。


 女と天狗の体が、光に包まれる。


 シャッターのフラッシュを少し遅くしたような速さで発光と消滅が行われ、光が完全に消えた時、そこに二人——厳密には一人と一体——の姿のいずれもなかった。


 代わりに——一人の「武者」がいた。


「おおっ、かっちょいぃー…………」


 豹のように細くしなやかな女体を、武士甲冑や各種武具がコーティングしていた。

 けれどよく見ると、甲冑のそこかしこにボルトやらナットやらの現代チックな留め金が見えた。籠手もなんだか戦車のキャタピラを想起させるデザイン。

 そう、短く言い表すならば「戦車のような武士甲冑」。


 何より、その戦車甲冑女武者の輪郭には、精霊のような微弱な揺らぎがときどき見られる。


 女と天狗が『同調(シンクロ)』して一つになった姿。


 ——ウィスプが人間の住む物質界に干渉できるのは、存在を構成するオーラが単純だからだ。


 人間とオーラ生命体が住む世界は、文字通りの意味で違う。

 同じ場所にいるように見えても、存在する「位相」は異なる。

 「位相」が違うと、その他の「位相」へのいかなる干渉もできない。


 けれど、ウィスプは負のオーラの塊だ。

 負の感情は本能に根差すものなので、負のオーラに含まれている情報は非常に単純。

 その塊であるウィスプは、一点突破的に「位相」の壁を突き破って人間の「位相」に干渉できる。

 一方、人間の通常兵器は「位相」を超えられないため、ウィスプには当たらない。相手は手を出せて、自分は手を出せない。一方的な戦いとなるわけだ。


 そんな人間がウィスプを攻撃する方法はただ一つ——ウィスプと同じ「位相」に干渉することだ。


 それを可能とする技こそが、精霊とのシンクロである。


 人間が自分の発するオーラの波長を、指定した精霊の心の波長に近づける。

 すると、位相の壁を超えて二つの存在が重なり合い、その「二つ」は一時的に「一つ」になる。

 ……つまり、二つの「位相」を、一つの存在の中に持つということ。


 さらに、そうして精霊とシンクロを果たした人間は、その精霊が意図して使えない「内なる能力」を行使できるようになる。


 そうなったところで、人間は初めてウィスプと対等に戦えるようになる。


 それこそが『精霊装者』。ウィスプという超常の化け物から人々を守る、希望の光。


 巨鳥型のウィスプは、その双翼を大きく羽ばたかせた。翼の中から、炎の矢のごときオーラ弾がいくつも撃ち出される。


 『呪詛(カース)』。ウィスプが用いる遠距離攻撃の総称。


 ミサイルのごとく迫るオーラ矢が間近に迫った瞬間、微動だにしなかった女武者がとうとう動いた。左腰に佩いた刀が神速で抜き放たれ、流れそのままに光線のごとき速度で自身の間合いに太刀筋を駆け巡らせ、オーラ矢を全て打ち消してみせた。


「すげぇっ……!?」


 勇太郎は目を見張る。


 そんな勇太郎の声が聞こえたのだろう。面頬の奥にある女武者の視線が勇太郎のソレと重なる。


 女武者は一瞬、驚いたように身を震わせたが、すぐに敵への集中を取り戻し、疾駆。


 重々しいデザインの鎧には不釣り合いなスピードで、ウィスプへと間を詰めた。

 

 降り注ぐオーラの矢。

 しかしそれらは女武者に躱され、時に刀で斬り捨てられ、まったく通用しなかった。ただアスファルトに穴を穿つのみ。


 女武者はあっという間にウィスプの真下まで潜り込むと、


「ハアアアアアァァァァァァァッッ!!」


 裂帛の気合いとともに跳躍し、オーラの巨鳥を股から頭頂部まで一気に刀で斬り上げた。


 ぱっかりと真っ二つに割られたウィスプは、その姿に徐々にノイズじみた揺らぎを発生させる。


 その揺らぎは一気に大きく乱れていき、やがて空気中に溶け消えるかのように霧散した。


 戻った平穏。


 携帯のディスプレイからも、ウィスプ警報画面が消える。


 女武者も一瞬のフラッシュとともに女と天狗の二人組に戻った。シンクロを解いたのだ。


 女が、勇太郎の方を向いた。


 遠くても分かった。その眼差しは厳しい。強い糾弾のニュアンスがある。


 勇太郎はその視線から逃げるようにその場を走り去った。


 その口元には笑みが浮かんでいた。興奮と歓喜の笑みだ。走る足も空まで飛びそうなくらい軽い。


 脳裏に浮かぶのは、先ほどの戦い。甲冑姿に変じた人間が、凶悪な怪物を鮮やかに倒す光景。


 その姿は、自分がずっと昔から観続けてきた、特撮ヒーローに重なった。


「やっぱり諦められない……! 僕も絶対、精霊装者になるんだ……!」


 興奮で緩んだその笑みを、横切った者たちが怪訝そうな顔で見やる。


 人間だけではない。あの天狗と同じような『精霊』の姿も、ちらほら見られる。


 人と、人ならざるモノが同居する世界。


 これが現在——二〇四〇年の地球の姿であった。


 




 

 ——二〇三〇年、地球に巨大隕石が衝突した。


 直径およそ八キロメートル。

 恐竜時代を終わらせた大きさに近い隕石が、人間が支配する地球に直撃し、地球規模の大災害を引き起こした。


 衝突の衝撃波、衝撃による大地震、一〇〇〇メートル級の大津波は言うに及ばず。

 粉砕した隕石の破片が世界中に降り注いで爆撃のような被害を生み出し、さらに隕石の無数の細かい塵が世界中の空を覆い尽くし、太陽を遮って地球の気温を急激に低下させた。


 崩壊していない箇所を見つけることが難しいくらいの激甚災害。


 しかし、この隕石はとことん悪魔であった。


 地球だけでなく、そこに住む人間の身体にまで影響を及ぼしたのだ。


 隕石には、未知のウイルスが付着していた。


 世界中に弾けた隕石は、そのウイルスを世界中に散布し、人間に感染させた。


 幸か不幸か、そのウイルスに病原的性質は存在しなかった。けれどウイルスは感染者の脳に影響を及ぼし、脳の構造の一部を変化させた。


 結果——それまで見ることのできなかったモノが、見えるようになった。


 『鬼火(ウィスプ)』、『精霊』……そういった「オーラ生命体」の姿が、見えるようになった。


 『霊波(オーラ)』とは、人間の精神から生まれるエネルギー。

 信仰、祈りといった精神活動も、オーラの源泉となる。

 それらのオーラは長い年月をかけて寄り集まって一つの塊となり、やがてはそのオーラに含有された情報にちなんだ知性体として顕現する——いにしえの時代から人類が祈りを捧げてきた精霊や神々が、人の目で見えるようになった。


 荒みきった世界に突然現れた彼らに、人々は喜びを覚えた。神は本当にいたのだ、神が自分達を救ってくれる、そんな希望を一時は抱いた。


 しかしそんな希望は、ウィスプの暴虐によってあっけなく打ち砕かれた。


 ウィスプは大災害で疲弊していた人類をさらに追い詰めた。


 それに対して、精霊は何もしてくれなかった。否、彼ら単体にそんな力はなかったのだ。


 相手は手を出せて、自分は手を出せない。そんな不公平の極みといえる戦いを人類は強いられ、そしてさらに血が流れた。


 もはや人々の絶望は、回帰できないところまできていた。


 人類の滅亡は、約束されていた。


 ウィスプに皆殺しにされずとも、当時の地球には太陽がささなかったのだ。太陽がなくなれば、食物連鎖は根底から崩壊していくばかりでなく、気温が底知らずに下がっていくため、全球凍結は時間の問題だった。


 誰もが膝を屈しかけた時だった。


 ——太陽神(アマテラス)が、現れた。


 突如として現れた光り輝く女神が、世界中の天を覆う塵の闇を吹き払ったのだ。


 アマテラスという呼称は、その姿を一番近くで見た日本国民が用いたものだ。それがのちに広まり、正式名称となった。


 そのアマテラスのおかげで、人類絶滅の危機の一つは去った。何より、数十日ぶりに見る太陽は、荒みきった人心に活力と希望をもたらした。


 さらに、とある科学者が、オーラや精霊に関する理論をまとめた論文『マクラ理論』を発表。それによって精霊やウィスプの性質が分かるようになり、その対抗策も作り出せた。


 人類がウィスプに立ち向かう対抗策、それこそが人間と精霊の『同調(シンクロ)』である。


 精霊と融合し、人智を超えた能力とウィスプへの干渉力を手にし、討伐する。そういった者たちは『精霊装者』と呼ばれるようになった。


 世界各地で次々と現れた精霊装者の活躍によって、ウィスプはみるみるうちに討滅されていき、人類は自分達の生活圏を取り戻すことができた。


 かつて一〇〇億人に達しようとしていた世界人口は、八億人にまで激減してしまったものの、それでも人類は紆余曲折を経て、人類史初となる隕石災害を生き抜いたのだ。


 しかし、ウィスプは滅んではいない。

 負のオーラを生み出すのは人間だ。人間が滅びないかぎり、ウィスプは何度も生まれ続ける。

 特に日本では、どういうわけかウィスプの発生率が他国に比べて飛び抜けて高い。


 だからこそ、精霊装者は戦い続ける。身命を賭し、ウィスプの魔手から人々を守り続ける。


 精霊装者は、人類の希望の光なのだ。






 


 



『くらえ! ベクタァァァァァッ………………ビィィィィィィィィィィィィムッッッ!!』


 携帯のディスプレイの向こう側で、ヒーローが必殺ビームで怪獣を木っ端微塵に吹き飛ばす。


 それから空の彼方へ飛び帰り、ガレキの山の上に築かれた平和に人々は湧き立つ。


 勇太郎が子供の頃から今に至るまで、何度もみたシーンだ。


 ——『ベクターシリーズ』。勇太郎が愛してやまない特撮シリーズ。


 遠い宇宙の彼方にある小さな惑星「ライト・プラネット」、

 そこに住む宇宙最強の戦闘民族「ベクター族」、

 義を貫くためなら死さえ厭わぬ勇敢さを誇るベクター族が、怪獣や敵性宇宙人の脅威から地球を守るために戦う物語だ。


 その『ベクターシリーズ』の初代作品『宇宙遊侠伝ライトベクター』の第二十九話を、勇太郎はうらぶれた神社の階段に座って視聴していた。


「よし、よく頑張った! 偉いぞ!」


 すでに何回、否、何十回と見ている話だというのに、勇太郎はまるで初めて見たような興奮と歓喜を表す。


 時刻は午後二時半。

 進路指導の先生から解放されたのは十二時で、その後に茉莉に声をかけられたのが十二時半。それからウィスプ討伐を観察し、このうらぶれた神社跡地の瓦礫に腰を落ち着けたのが一時ちょうど。


 勇太郎はそこで一人、携帯端末で初代ベクターを鑑賞し続けていた。十年前の災害で鳥居以外崩壊した神社であるため、もう誰も来ないであろうから、音量をマックスにしても誰にも咎められない。


 けど、そろそろ目が疲れてきたため、いったん端末を閉じて休憩に入る。


 勇太郎は空を見上げた。透き通るような蒼穹には、綿菓子みたいな雲と、赫赫(かくかく)と光を発する太陽がある。


 ……十年前にアマテラスが取り戻した、地球の大いなる遺産だ。


「はぁ……」


 勇太郎はその空を取り戻してくれた女神への感謝と、そして自分の無力さを同時に抱いた。


 アマテラスが太陽を取り戻してくれたことで、多くの人々が心を救われた。それは勇太郎とて同じだった。


 十年前、勇太郎は人間のあらゆる「闇」を見た。

 転がる死体を埋葬せず「当たり前のこと」と知らんぷりして放置する人々。

 配給されるわずかな食べ物を暴力で奪い合う大人達。

 コンビニやスーパーから略奪した缶詰を法外な値段で売りさばく商人。

 ウィスプに怯えるあまり自衛官らの無能をサルのように叫ぶ民衆。

 ……「誰に頼るでもなく、地球は俺たち人間で守らないといけないんだ!」と人々が奮起した『ベクター・マンダム』最終回のような展開など、欠片も見られなかった。


 勇太郎は、ヒーローを信じられなくなっていた。


 その大人達と同じく、根性のひん曲がった人間になろうとしていた幼い勇太郎に待ったをかけるがごとく現れたのが、アマテラスだった。


 こんなどうしようもない人類を見限りもせず、太陽を取り戻すことに尽力してくれたその女神は、勇太郎にとってこれ以上ないくらい「ヒーロー」だった。


 それから少しして現れたのが、精霊装者。


 カッコいい姿に変身して、悪虐を働いていたウィスプを次々と討滅して人々を守るその姿もまた、勇太郎がずっと憧れていた変身ヒーローのようであった。


 アマテラスのように世界丸ごと救うのは無理かもしれないけど、精霊装者になって、ウィスプをやっつけて人を守ることはできるかもしれない。あと、国から報奨金だってもらえる。——勇太郎が精霊装者という職業を志すのは、自然な流れだった。


 けれど、シンクロして共に戦ってくれるパートナー…………『契約精霊』を見つけることは、簡単ではない。


 精霊とシンクロすること……それは、互いの心と心を包み隠さず裸にしてさらけ出す行為に等しいのだ。それをするには、よほど相互に信頼感がないと不可能。


 契約精霊との出会いは、技術や計算でどうにかなることではなく、運に大きく左右される。生涯にわたる親友を見つける者もいれば、死ぬまで親友と呼べる人間ができない者もいる。それと同じだ。


 自分は運がない方かもしれない。勇太郎は最近になって割とそう思うようになった。


 その理由はきっと進路選択の時期が迫っているからだ。勇太郎もすでに高校二年生。身の振り方を本気で考えなければならない時期だ。


 ほとんどの同級生が、進路を本気で考えている。今の時代、スキルと資本がなければ貧乏暮らしを強いられ、副業で東京湾沖のガレキの山から金品を漁る必要も出てくる。国は国力強化を第一に考えているし、何より、他人に頼っていると命取りであることを、人々は大災害直後の状況で思い知っているからだ。


 そんな彼らに比べて、自分はなんとお子様なのだろうか。


「やっぱ……諦めた方がいいのかな」


 厳しい現実を痛感し、気分がダウナーになる。


 だけど、被災していた時期に比べれば屁でもない。回復だってすぐだろう。


「……よし! こういう時はベクターでも観て忘れよう!」


 勇太郎は一時的な現実逃避を決定。再び携帯端末を起動し、配信サイトへアクセス。


 アカウントの「お気に入り」に登録されている初代ベクターをタップし、第三十話目を再生しようとして、その手が止まった。


 



〈………………じー〉




 隣に、小さい巫女さんがいた。


 男子にしてはやや小柄で細身な勇太郎より、さらに頭ひとつ分小さい頭身。

 枝毛ひとつ無い絹束のような長い黒髪に、幼くも侵しがたい神秘的な端麗さを誇るかんばせ。

 やや眠たげな印象を与えるその黒い瞳は、勇太郎の携帯のディスプレイを凝視している。


 幼いが、このまま成長すれば超絶美人さんになることが約束されている、幼い巫女さん。


 けれど、この巫女さんがこれ以上成長することはない。それを勇太郎は確信していた。


 だって、この巫女さんは……精霊なのだから。


「あのー……何か用かな?」


〈初代ライトベクター第三十話、サブタイトル「機械仕掛けのトモダチ」〉


「は?」


〈ケンタくんという男の子が、空から落ちてきたロボットを拾ってしまったことが始まり。ケンタくんはそのロボットと友達になるけど、そのロボットは地球侵略のための破壊兵器だった。ロボットはケンタくんとの友情と、破壊兵器という使命との間に葛藤する。それに業を煮やした宇宙人科学者が、ロボットのプログラムを強引にいじって暴走させ、街を破壊させる。ベクターが駆けつけ、苦戦しつつもロボットを追い詰めるけど、ケンタくんの「やめて」という声にベクターは躊躇ってしまう。だけどロボットはケンタくんの声に反応して自我を一時的に取り戻し「自分は多くの人を傷つけた。だからその報いとして自分を壊してほしい」とベクターに頼み、ケンタくんに別れを告げる。ベクターはロボットをビームで破壊するけど、その人格を司るパーツはケンタくんの手元に残った。ケンタくんは将来発明家になって、そのパーツに込められた人格を蘇らせて、再び親友に会うことを志す————そんな話〉


「えっと……」


〈ちなみにこのロボット……「宇宙機兵キルキラ」のデザイン、初代ベクターの最後の敵性宇宙人「宇宙魔神ルシフェル」に似ている。これはルシフェルの遺伝子をキルキラの材料に使っているという伏線……というのは建前で、本当はただデザイン担当の人が気に入って使っていたから。それで最終章制作直前にキルキラとルシフェルの見た目が少し似てることに気がついた監督が「直すくらいなら、伏線ということにしよう」と逆に類似性を利用した〉


 分からない。この小さい巫女さん精霊が何者なのか、全く分からない。


 けれど、ただ一つ、はっきりと分かることがあった。


 それは、


朋友(ポンヨウ)ッ…………!!」


 この子は、自分の「同志」であるということだ。









「「氷山怪獣コルドゴン」のモデルは氷山空母。第二次大戦期のイギリス軍が考えた氷山空母の構想をヒントに思いついたんだってね。材質が氷だから、壊れてもまた水を凍らせて装甲を修復できるから修理費ゼロっていうトンデモアイデア。それと同じで、氷のボディをどんなに壊しても、めちゃくちゃ小さな核を壊さない限り、また海水を氷にして元どおりっていう強敵さ。だから必殺ベクタービームも通じない。火山に放り込むしかないってわけさ」


〈知ってる。初代ベクターは第二次大戦から二十年後に放送された作品だから、そういう軍事兵器や科学の欠点などを題材にした怪獣やストーリー展開が多い。ソ連の核実験の衝撃で復活したっていう設定の「地底怪獣マントルガ」は、どこまで科学が発達しても懲りずに暴力を求め続ける人類文明に対するアンチテーゼ。だけどこういう風刺的テーマは、初代ベクターと次の代の「ベクター・ソルジャー」まで。それから先は子供達への教育の意味で、人間のあり方や思想をテーマにしたベクターがたくさん生まれた。そういう意味でわたしの印象に一番残ったベクターは、五代目ベクターの「ベクター・マンダム」〉


「わかりみが深いなぁ。僕もマンダムは良い作品だと思う。人間の街が怪獣に荒らされるところを笑いながら見てたりするところが親世代には大不評だったみたいだけど、あれって「ベクターにばっかり頼らないで、まず自分たちでなんとかしようって姿勢を見せろ」っていう、優しくも甘くないマンダムの心遣いなんだよ。やっぱり誰かに頼ってばっかりだと人間ダメになるからね。あと、これまでのベクターと違ってベクター武芸を習得してない荒っぽいステゴロスタイルも、まさに男気(マンダム)って感じでカッコいいし」


〈あと、二十一世紀初のベクターである「ベクター・デイジー」も傑作。これはベクターシリーズ史上初めて、敵性宇宙人との完全和解が成立した作品。優しすぎて怪獣とうまく戦えなかったりするから最初は子供達から不評だったけど、話が進むたびにどんどん主人公が成長していって、最終回ではそれまでの話の意味が全て腑に落ちて、初期とは百八十度評価が変わった。このデイジー以降、怪獣や宇宙人と仲間になって戦ったりするベクターが増えていくことになった〉


 勇太郎と巫女服精霊は、まるで湯水のごとくベクター知識を吐き出し続ける。


 しばらく話してから、勇太郎は目を輝かせながら巫女精霊を見つめた。


「すごいね! ここまでベクターのこと話せたの、久しぶりだよ! 十年以上前に保育園の友達と話してたのを思い出すよ!」


〈あなたも凄い。わたし、感動した〉

 

 勇太郎は巫女精霊を見る。その幼くも神秘的な美貌は、ぼんやりした表情を常に崩さない。しかしその眠たげな黒い瞳からは、砂金のような輝きを幻視できる。


 そういえば、名前を聞いていなかった。


「僕は勇太郎。知多勇太郎だよ。君の名前はっ?」


〈わたし? わたしは——「アマネ」〉


 その名を聞いた瞬間、勇太郎は自分の心音が跳ねるのを実感した。


 喉が渇く。

 思い出すのは、十年前、母が見せた最後の笑顔。

 それに合わせて、懐かしくも重苦しい気分が胸に生まれた。


 そんな勇太郎に異変を覚えたのか、その精霊——アマネはぼんやりした目で勇太郎の顔を覗き込んできた。


「……あ、ああ、ごめんね。えっと……」


〈アマネ。……わたしの名前、変だった?〉


「ううん。そうじゃないんだ。——僕のお母さんと、同じ名前だったから」


〈勇太郎のお母さんも、アマネ?〉


「うん、そうだよ。真倉天音(まくら あまね)。…………君も、一度は名前を聞いた事があるんじゃないかな」


〈もしかして、『マクラ理論』の?〉


 勇太郎はこくんとうなずいた。


 真倉天音と『マクラ理論』——この二つの単語は、現在の精霊共生社会を語る上で欠かせない。


 人間の感情から『霊波(オーラ)』が生まれ、それらが『精霊』ならびに『鬼火(ウィスプ)』を生み出す……こういった精霊やオーラにかかわる原理を解き明かした理論こそが、『マクラ理論』である。


 その理論を証明した科学者こそが、真倉天音……勇太郎の実の母。


 隕石災害前は誰も相手にしなかった超科学的理論だったが、ウィスプが現れてからは一気に注目度を増し、今では『オーラ学』という新たな学問まで作られている。


 しかし、


〈でも、勇太郎の苗字は「真倉」じゃない〉


 アマネのその発言が、全てをものがたっている。


「……お母さんが災害で死んじゃって、その後に僕を引き取ってくれた里親の苗字が「知多(ちた)」だよ。その人はお母さんの助手みたいなものでね。『マクラ理論』も、その人が代わりに世に広めたんだ」


〈……申し訳ないことを訊いた〉


「いいよ。もう十年も前だから、さすがに耐性はついてるし」


 とは言っても、勇太郎は母のことを突っ込まれることがいまだにあまり好きではない。そのため、普段は自分の旧姓が「真倉」であったことを、よほど親しい相手でない限り隠している。


 それでも教えてしまったのは、この精霊を「同志」と思ったが故の無意識であった。


 なんか自分が気まずくしてしまったようでバツが悪くなった勇太郎は、露骨に話題を逸らしにかかった。


「そ、それよりさ、君もベクター好きなんだね」


〈うん。超好き〉


 グッとサムズアップする幼女巫女精霊。その表情が相変わらず人形じみた無表情であることを考えると、なんだか面白い。勇太郎の口元に笑みが戻った。


「やっぱり、ずいぶん昔からリアタイで観てたの? 精霊には理論上、寿命がないみたいだしさ」


 精霊は今まで普通の人の目に見えなかっただけで、今よりはるか昔、それこそ人類が石器を使っていた時代から存在していたという。ゆえに、八十年以上前に初放映された初代ライトベクターもリアルタイムで見ていたというわけだろう。……なんとも羨ましい話だと、勇太郎はオタク心に思った。


〈……それは〉


「というか、そもそもアマネはいったい何の神様なのかな? 日本には神様が多すぎるから、聞いたことのない神様とか精霊も多くってさ」


 「八百万の神」というゆるい宗教観を持つ日本では、精霊の数が世界一多い。


 何でも神様にしてしまう上に、一人でいくつもの神を信仰するため、精霊誕生のためのオーラが生まれやすく、精霊が多いというわけだ。


 少なくとも「アマネ」という神様の伝承は聞いたことがない。民間信仰の神か、あるいはどこかの家の氏神(うじがみ)か……?


 そんな素朴な疑問を投げつけられたアマネはというと、俯いてしまった。


 その顔は相変わらず無表情だが、迷いか、あるいは悩みを抱いていることがなんとなく分かった。


〈わたし……過去のことが思い出せない。思い出せるのは……自分の『存在軸(そんざいじく)』が何であるのか、だけ〉


 勇太郎は小首をかしげそうになった。


 複雑なオーラ構成で存在している精霊だが、その中心には『存在軸(そんざいじく)』というオーラの塊がある。その部分だけは、ウィスプと同様に単純な構造を持っている。


 『存在軸』は、その精霊が主にどういう信仰や伝承によって生まれたのか、そういう自己の存在を世界に固着させるための「軸」となるオーラ体だ。


 たとえば、「火の神様」という信仰から生まれた精霊ならば【火】という『存在軸』を持ち、水の神様として信仰されていた精霊ならば【水】という『存在軸』を持つ……といった感じである。


 さらに言うと、この『存在軸』はシンクロ時にも大きな意味を持つ。精霊と融合した人間は、その『存在軸』にちなんだ特殊能力を発動できるからだ。


 言うなれば『存在軸』とは、精霊にとっての「存在理由(レゾンデートル)」であり「存在基盤(アイデンティティ)」。

 ゆえに精霊はみな、自分がどういう信仰や伝承から、どういう願いを込めて生まれてきたのかを理解している。


 けれど、このアマネには、「存在基盤」はあっても、「存在理由」はない。


 これは言うなれば、実家から遥か遠い場所に取り残された幼い迷子と同じだ。どうやって帰ればいいのか分からずにあちこちをさまよい続けるしかない、迷子と。


「それで、不安じゃないの……?」


 アマネはふるふるとかぶりを振る。


〈……たしかに、自分がどういう信仰から生まれたのかは、思い出せないけど……それでも、わたしの心の奥底に、何か揺るぎないものがあるということだけは、なんとなく分かるから〉


 鈴の音のように可憐な声色。抑揚に乏しいが、確信めいた響きがなんとなく感じられる。


 勇太郎はごくんと唾を飲んだ。


 今回は……すごいチャンスかもしれない。


 今まで何十、否、何百という精霊に契約を求めては袖にされてきた勇太郎だが、それらの(こころ)みは我ながら玉砕必死と言えた。


 なぜならシンクロまでに至るには、人間と精霊の相互間に強い信頼感が不可欠だからだ。今まで行ってきた勇太郎の勧誘は、例えるなら、ナンパの時に「一緒にお茶しない?」ではなく「結婚してください」と言うようなものだった。


 でも、一目惚れから速結婚に到ったカップルだってごく少数ながらいるはずだ。なので勇太郎は今までその「一目惚れ」に賭けてきた。


 そして……今、それに出会うことができたのではないか?


 ここまで話の合う精霊は初めてだ。


 もしかしたら、アマネとなら、契約できるのではないか。


 期待と不安で、胸がドッ、ドッ、ドッ……と重厚にリズムを刻む。


 確かに可能性はある。けれど断られたら期待していた分、ダメージがデカいだろう。


 けれど、自分は早く契約精霊を見つけたい。


 ええいままよ、と勇太郎は口を開いた。


「アマネっ! よかったら、その……僕と、契約——」


 そこから先を、不意に遠くから鳴り響いた轟音が打ち切った。


 さらにそれとタイミングを同じくする形で、携帯が危機感を煽るアラート音をけたたましく鳴らした。ディスプレイを見ると「ウィスプ発生!! ただちに命を守る行動を!!」という大きな赤文字が。


「ウィスプが……!?」


 勇太郎はガバッと立ち上がった。その心中には、危機感と、興奮と、期待。


 ウィスプがいる現場に駆けつけては、精霊装者の戦いを遠くから見物することを趣味としている勇太郎は、いつもの習慣のごとく駆け出した。さあ、今回はどんな精霊装者が出てくるんだろう……!?


 高校生になって、初めて芽生えた趣味だった。


 勇太郎の中では、完全にお祭りの感覚だった。


 神社跡地を抜ける。逃げ去る人々の流れに逆らう形で、勇太郎は街路を走る。地図の赤点目指して突っ走る。目的地はかなり近い!


 周囲の街並みを見ながら、勇太郎は思い出す。

 確か、この辺りは何日か前、大きなトラック事故があった場所だ。

 居眠り運転のトラックが歩いていた子供を数人轢き殺し、運転手も事故死したという痛ましい事件。


 死亡事故が起こった場所は、人々の記憶に嫌な思い出として残るものだ。

 その思い出は、そのまま負のオーラを生み出す源泉となり、その生まれた負のオーラは、その事故現場へと流れていき、寄り集まって、やがてウィスプが生まれる。


 ……「なんとなく」なマイナスメンタルによって生まれた負のオーラとは違い、明確なマイナスイメージの対象を持つ負のオーラは力が強く、それによって生まれるウィスプもまた他のウィスプよりも一段強くなるという。そのため、学校では「事故現場にはあまり近づかないように」と教わる。


 今回、ウィスプが発生したのは、その「事故現場」であった。


 駆けつけた勇太郎が最初に見たのは、弾かれた輪ゴムのごとき勢いでビルディングに叩きつけられた、精霊装者の姿だった。


 普通なら死にかねない勢いの激突だったが、精霊装者に大した外傷はない。シンクロ状態の精霊装者は、物質界・霊界(れいかい)の双方の「位相」に干渉力を持つオーラの外殻(バリア)で覆われているため、銃弾や戦車砲も通じない耐久力を誇る。……しかし、それでも衝撃は何割か通る。それを受けたせいか、その精霊装者は意識を喪失し、シンクロが解けてしまった。


 勇太郎はビルの陰から、恐る恐る、道路に自らの威容を立たせるウィスプへ視線を移した。


「なんだ……あれ」


 戦慄を覚えた。


 見上げるほどの巨躯は、全長およそ二十メートルはあるだろう。人型のウィスプで、柱みたいな寸胴体型から細長い手足としゃもじのような首と頭が生えている、子供の落書きを連想させる不恰好な外観。しかし、そんな子供の絵みたいなデザインが腕を一振りするたびにビルを削いでいくさまは、まるで「無邪気な破壊神」と呼べるような不気味さを感じさせた。


 一挙手一投足が、道路に甚大な破壊を撒き散らす。逃げ遅れた人々は我先にとそのウィスプから遠ざかる。


 しかし、ウィスプはその必死の逃走を、ゆっくりと大股で狭めてくる。


 ウィスプには人間への悪意はない。あるのは破壊衝動のみ。人間を襲ってくるのは、人間がウィスプを見て、認識し、その「認識」という思考から生まれたオーラをウィスプが感じ取るからだ。……ウィスプも精霊と同様、遥か昔から社会の影に存在した。そのウィスプが今さら人類の脅威となったのは、人類の脳の変化によってウィスプを認識できるようになってしまったせいだ。


「精霊装者っ、精霊装者は他にいないのかっ!?」


 勇太郎は必死で周囲へ視線を巡らせる。だがそもそも精霊装者が他に来ていれば、ウィスプに真っ先に突っ込んでいくはずだ。


 ウィスプ警報が出ると、そのウィスプの近くにいる精霊装者に緊急召集が課せられる。不運なことに、今現在、この辺りを歩いている精霊装者は他にいないようだ。


 ——ヒーローのいない場所は、ただ怪獣に破壊され、人間は逃げ惑うしかない。


 今現在、勇太郎のすべきことは、少しでも遠くへ逃げることだ。


 悔しいが、今の自分では何もできない。


 逃げないと殺される。自分の命は自分で守らなければならない。あの大災害の後に全人類が学んだことではないか。


 勇太郎はきびすを返そうとして、足を止めた。


 人が一人、壁に体をこすり付けながら、ノロノロと逃げていた。


 知っている顔だった。


 ——茉莉っ!?


 勇太郎は声を出さないでいるのに注力した。


 誰あろう、幼馴染の女の子。しかしその制服姿は土埃にまみれており、左足を引きずって歩いていた。……おそらく、逃げる途中で捻挫でもしたのかもしれない。


 すでにウィスプの足元が、茉莉のすぐそばまで迫っていた。


 茉莉の絶望の眼差しと、ウィスプの無感情な眼差しが、ぶつかった。


「やめろぉぉぉぉぉ————————ッ!」


 ウィスプの片足が持ち上がったのと、勇太郎が半ばパニック気味に駆け出したのは、同時だった。


 茉莉と目が合う。絶望の眼差しを、勇太郎はその眼で受け止める。


 勇太郎は走る。十年前にウィスプから逃げた時よりも、あらん限りの力を足へ込めて、走る。


 しかし、無力な人間の走力である上、距離はウィスプの方がずっと近い。


 持ち上がった人型ウィスプの足が、茉莉へ向かって真っ直ぐ下ろされていく。その速度がえらく緩慢なのは、危機感で体感速度が遅まっているからだろう。タキサイキア現象と、勇太郎の現在の保護者は教えてくれた。


 しかし、いくら見えていても、間に合わせるだけの力は勇太郎の肉体には無い。


 どこまでも無力。


 母だけでなく、高校入学と同時に再会できた幼馴染さえも失おうとしている。


 自分はヒーローではない。ただのエキストラの一人。


 エキストラでは、誰も守れない。


 緩慢になった視界の中で、今まさにウィスプの足が茉莉の頭に触れようとしていた。


 ああ、だめだ、死んじゃう、助けられない、お別れだ、踏み潰される。


 ——でも。


 それでも、守りたい。


 助けたい!


 諦めたくないんだっ!






 ————次の瞬間、勇太郎の周囲の世界は色を失った。






 周囲の何もかもが、眩しいくらいの白に包まれた世界。


 そこは、今まで走っていた街中と道路ではなかった。


 何もかもが白で塗り潰され、無かったことになったような、清らかな「無」の世界。


 その中に、勇太郎は立っていた。


 否、勇太郎だけではない。


 向かい側にもう一人いた。


「アマネ……」


 放置してしまった新たなるオタ友達(同志)の姿が、そこにはあった。


 勇太郎より頭一つ分ほどにまで小さい少女。


 しかしその精霊は、その体の大きさには似合わない、荘厳な気配をかもしだしていた。


 アマネは語りかけてきた。


 ——なりたい? ヒーローに。


 その声は、勇太郎の頭に直接響いているかのようだった。


 ——強くなりたい?


 しかし、そんな現象にも、この謎の世界に立っていることにも、勇太郎は疑問を呈さなかった。


 ——あの子を助けたい? 


 アマネが現れた時から、なんとなく分かっていた。


 これから、何が起ころうとしているのかが。


 ——わたしと、一つになりたい?


 ——なりたい。


 アマネの思念に、勇太郎もまた思念を響かせて返答した。


 ——ライトベクターみたいな、みんなを助けられるヒーローに、なりたい。


 ——助けられるくらいに、強くなりたい。


 ——強くなって、茉莉を助けたい。


 ——君と……一つになりたい。






 


 うん。わたしも(・・・・)同じ気持ち(・・・・・)









 白濁していた世界がフラッシュ。


 その一瞬のフラッシュが消えた瞬間、世界が色を取り戻す。


 視線の先には、今にもウィスプに踏み潰されそうな茉莉の姿。


 勇太郎の足では、決して届くことのない距離。


 その距離が——急激にズームした(・・・・・・・・)


 驚愕しつつも、目的は見失わない。勇太郎は茉莉の体を迅速にかっさらい、その場所から電光石火に離脱する。一瞬遅れて、ウィスプの踏み潰し(プレス)が地を激震させる音。


 勇太郎は足で制動をかける。勢いのほとんどを殺しきったものの、余ったわずかな勢いで軽くビルに背中をぶつけた。


「……茉莉、大丈夫?」


 そう話しかける。


 腕の中の幼馴染は、驚愕で目をいっぱいに見開いていた。


「ユウ……その姿は…………」


「姿?」


 茉莉の指摘に従い、勇太郎は今現在寄りかかっているビル、ブティックのショーウィンドウに映る自分の姿を見た。


 ——そこには、自分の「憧れ」が映っていた。


 いぶし銀を基調としたボディー。

 そのいぶし銀の上を、電子回路を連想させる幾何学模様の線が走り、全身を巡っている。

 細身でありつつも、どこか凝縮感のある強靭な肉体。

 楕円形をしたその銀色の顔面には、結晶状の楕円の瞳。その瞳は、まるで太陽の光のような、強く揺るぎない輝きが灯っている。


 そう。それはまさしく、初代ライトベクターの姿に他ならなかった。


「ベクター……僕が?」


 勇太郎はショーウィンドウに手を振ってみる。そこに映るベクターもまた、同じように手を振り返してきた。


 よく見ると、そのベクターの姿の輪郭には、ノイズじみた微小な揺らぎが浮かんでいた。……まるで(・・・)精霊のような(・・・・・・)


〈それは、わたしとあなたが抱く「強さのイメージ」が統合され、導き出された姿〉


「うわぁ!?」


 急に頭の中に響いてきた少女の声に、勇太郎は跳び上がった。


「……アマネ、なの?」


〈そう、わたし。——今、わたしとあなたは『同調(シンクロ)』している〉


 シンクロ。


 それはつまり、勇太郎とアマネが「契約」したということ。


 すなわち、アマネは勇太郎の『契約精霊』となったということ。


 ずっと求めてやまなかった契約精霊。


 しかし、勇太郎は不思議と、それにさほど感動は抱かなかった。


 それに何より、今は感動している暇はない。非常事態なのだから。


「ユ、ユウ! 来るっ! ウィスプがっ!?」


 茉莉の声に反応し、我に返る。それからすぐに、ウィスプの振るった腕が、鞭のごとく自分に迫ってきていることに気が付く。


〈横に走って〉


 アマネのその助言に迷わず従い、勇太郎は横へ突っ走る。湧き上がるエネルギーが足元で爆発し、弾丸のごとくブティックから遠ざからせる。数瞬ののちにブティックに腕が振り下ろされて半壊した。


 湧き上がるエネルギーに翻弄されつつも、勇太郎は懸命に力を加減してコントロールし、ウィスプから離れた位置に茉莉を降ろした。


 茉莉は腰が抜けたようにへたり込み、勇太郎をなおも茫然と見上げていた。


「しばらくここにいて、茉莉」


「ここにいて、って…………あ、あんたはどうするのよ、ユウ!?」


「あいつをやっつけてくる」


「は、はあっ!? 何言ってるのよ!? 死ぬわよ、あんたっ!」


「大丈夫。絶対勝って戻ってくるから」


「どうしてそう言い切れるのよっ!?」


 勇太郎は茉莉に背を向け、答えた。


「今の僕は——ライトベクター(・・・・・・・)だから(・・・)


 茉莉の返事を待たず、勇太郎は再び電光石火でウィスプの元へと帰還した。


 ふたたび、ウィスプの前に立つ。


 巨人。


 そんな単語が真っ先に浮かぶであろう巨躯。


 その腕と脚が放つ破壊力は、すでに確認済みだ。


 怖い。


 今までは精霊装者とウィスプの戦いを楽しげに見ていたが、いざ自分が戦うとなると、こうまで怖いとは思わなかった。


 でも、戦う。


 自分は、力を手に入れたのだ。手に入れてしまったのだ。


 だからこそ、戦う。戦わなければならない。


 勇太郎——否、ライトベクター(・・・・・・・)は、構えた。


「来い、ウィスプ! 「僕達」が相手だっ!」


 巨人ウィスプは、その長い腕を縦に振るってきた。


〈跳んじゃだめ。前に進んで〉


「がってん!」


 ベクターは直進した。爆発的瞬発力がその身を前へ運び、ウィスプの懐へ肉薄。


 背後で腕鞭がアスファルトを破砕する音を聴きながら、ベクターは斜め上へ跳躍。


「くらえ、正義の鉄拳っ!」


 銀の残光を残しながらウィスプへ突っ込み、渾身の力を込めた拳をたたき込んだ。


 ズドゥン!! という雷鳴のような轟音とともに、人型ウィスプの寸胴が「く」の字に曲がった。勢いに押されて巨躯が後方へ流される。


 その爆発的な威力に、ベクターの中にいる勇太郎が一番驚いた。


 しかし、呆けてはいられない。ウィスプは倒れることなく体勢を整え、踏み止まったと同時に再び腕の鞭を横薙ぎに放ってきた。


 避けようと思ったが、今のベクターは空中にいた。位置を動かせない。


〈殴って〉


「こんのっ!」


 力を込めた拳を、腕の鞭へ叩き込んだ。殴った箇所を起点にして折れ曲がった長い腕が跳ね返されるが、その威力と争う形となり、その衝撃でひるみそうになる。


 着地。気を取り直し、再び攻め込もうと考えた矢先に、


「あれは……!」


 ウィスプの顔の前に、光粒がいくつも凝縮し、光の塊が生成されていた。


〈『呪詛(カース)』が来る。全速力で背後に回り込んで、足を後ろから蹴飛ばしてバランスを崩させて〉


 アマネの指示に従い、ベクターは再びウィスプめがけて突っ込んだ。あっという間にその後方へ回った。


「こんにゃろっ!」


 その巨大な脚を、後ろから蹴っ飛ばした。


 ダイナマイトのごとき衝撃がオーラの脚を横殴りし、ウィスプが天を仰ぎ見るようにバランスを崩した。それによって『呪詛(カース)』は天へ飛ぶ。光の弾丸が天高くまで飛び、やがて空中の空気に溶けるように消滅した。


 ベクターの中の勇太郎は今気づいた。あのまま『呪詛(カース)』を避けるだけだと、自分は助かるが、その遠く後ろにいる茉莉や他の人たちに直撃していたかもしれなかった。


 ありがとうアマネ——思念で感謝しつつ、勇太郎はベクターを動かした。


 今ウィスプは、重々しい音を立てながら派手に仰向けに倒れた。このまま飛びかかってマウントポジションを取って、消滅するまで殴ってやる。


 勇太郎はウィスプの上に乗り、力を込めた拳で何度も顔面を殴打した。


 ズドンッ!! ズドンッ!! ズドンッ!!  戦車砲のごとき重厚な音が幾度も響く。


 ウィスプの姿が、形をノイズのように崩し始めた。精霊装者とウィスプの戦いを何度も見てきた勇太郎は、それが崩壊の前兆だと分かった。


 勝機を覚える勇太郎。


 もう何度目かのパンチを当てた。


 だが、その当たりが軽い。まるで生身で岩石を殴ったように、手応えが無い。


「え、あれっ? どうしたんだ、力が……」


 あれだけ湧き上がっていたエネルギーが、萎んでしまったように感じられた。


 もう何発か殴るが、いくら殴っても、ぺちっ、ぺちっ、としょぼい威力にしかならない。


 どういうことだ、と考えた瞬間——ベクターの額にある結晶状のランプ『ベクタージュエル』が、機械的な甲高い音に合わせて点滅を始めた。


 全ベクターが必ず身につけているこのランプは、ベクターのエネルギー残量が残り少なくなると、音とともに点滅する。つまり……


〈勇太郎、もうエネルギーが残り少ない〉


「エネルギーだって!? 特撮みたいに、ベクター族の持つ生命エネルギー「ライト・フォース」があるのっ? この体にも?」


〈違う。この体にとって重要なエネルギーは——『正の霊波(オーラ)』〉


「正の……?」


〈そう。わたしの『存在軸』は【(よう)】。……ウィスプは人間の負の感情から生まれた『負の霊波(オーラ)』が寄り集まって生まれるけど、わたしの力もそれと似たようなもの。わたしは負のオーラではなく、人間のプラスの感情から生まれる『正のオーラ』を集めて、貯めて、シンクロした時にそれを戦うための力に変換する〉


「それを集めるにはどうすればいいのっ!?」


〈しばらく自然にエネルギーが溜まるのを待ち続けるか、もしくはどこかに浮かんでいる正のオーラの塊を見つけて吸収するなりして、補給するしかない。その上で、効率の良い運用で————危ない!〉


「え? ——うわぁ!?」


 今まで聴いた中で一番切羽詰まったアマネの声に反応した時には遅かった。ベクターの全身は、横合いから伸びた巨大なオーラの手によって掴まれ、宙に持ち上げられた。


 ゆっくりと起き上がっていくウィスプ。ベクターはなんとか拘束から逃れようともがくが、エネルギーの尽きた今のベクターにその余力は無かった。


 巨人ウィスプのしゃもじみたいな頭。その頭部に無機質に光る双眸がベクターの姿に向けられた瞬間、拘束の圧力が急激に強まった。


〈っ……!〉


「う、ああああああああああああああ!?」


 容赦も憎しみも感じられない圧力。ただこの攻撃者を死なしめるという目的を機械的にこなすがごとき無情の圧迫に、勇太郎とアマネはそれぞれの苦悶を口にした。


 苦しい。ベクター型のオーラ外殻が軋みをあげている。その上で、なおも圧力が強まる。


 このままでは、圧死してしまう。


 僕は、死ぬのか……?


 何もできずに、何も為せずに、犬死にするのか?


 もう、だめなのか……?


 ベクターの姿に浮かんだ「揺らぎ」が、強くなっていく。


〈勇太郎、だめ。今絶望したら、わたしとのシンクロが解ける。その瞬間、勇太郎は本当に握り潰されて死んでしまう〉


 アマネの言葉に勇太郎はハッと我に返る。


〈勇太郎の心の中は、シンクロを通して一度見ている。……あなたはかつて、絶望した。けれど、立ち上がった。——それは、どうして?〉


 決まっている。


 愚かで、どうしようもない人類を救ってくれたアマテラスを見たからだ。


 あの女神に出会えたから、自分は再びヒーローを信じることができた。絶望から立ち直ることができた。


 だから、その女神に救われた人間の一人として、恥じない生き方をしたかった。


 だから、僕はヒーローになりたいんだ!

 

 だから、諦めたくない!


 ベクターの姿を歪ませていた「ノイズ」が消え、姿がはっきりした形を取り戻した。


 そうだ。たとえここで死んでしまうとしても、最後まで諦めない。


 最後まで戦うんだ。


 最後まで足掻くんだ。


 そうでないと、死んでも死にきれない!





「頑張れぇぇ————————っ! ベクタァァ————っ!」





 

 その時、声が聞こえた。


 ベクターのはるか後方から。


 高らかに、声が。


「負けるなぁ————っ!」 


 茉莉の声。


「負けたらっ、承知しないんだからぁぁぁぁ——————っ!」


 離れたところで待っててと言ったはずなのに、その幼馴染は、随分近くまで来ていた。


 いや、茉莉だけではない。


「いけ——!」「負けるなー!」「やっつけろーっ!」「ブチかませ!」「根性見せてみろー!」「ベクター!」「勝てー!」


 逃げたはずの、大勢の人々が、茉莉とともに声援を送ってきていた。


「お前はヒーローなんだろ!?」「俺たちを守ってみせてくれよ!」「そんな奴、イチコロだろ!」「気張れ!」「倒せ!」「気合い入れろー!」


 いくつも、声援が降ってくる。


 どういうわけだろうか。


 今まで萎んだみたいに力が入らなかったベクターの体に、みるみる力が戻っていく。

 

 エネルギーが、活力が、希望が、湧き上がってくる。


 ベクタージュエルの点滅も、しばらくして止まった。


〈勇太郎、エネルギーが……正のオーラが、どんどん貯まっていく〉


「うん。これって、やっぱり……」


〈そう。……あの声援を送ってくれている人達。あの人達から(・・・・・・)発せられる(・・・・・)正のオーラが、わたしに集まっている〉


 会話を普通にできるほど、余力が戻っていた。


〈勇太郎。「ライトベクター」っていう名前の意味を、知っている?〉


「もちろん。「正義を伝導させる者」だよね?」


〈そう。つまり——今のあなたのこと(・・・・・・・・)


 それを聞いて、勇太郎の目頭が熱くなった。


〈あなたの勇気が、諦めない心が、あなたの正義が、多くの人の心を動かした。これは、偶然ではない。あなたが引き起こした必然〉


「そっか。それじゃあ——負けちゃダメだよね?」


〈もちろん。絶対勝つ〉


 二人の心が、意思が、今までで一番重なった。


 勇太郎は、アマネという精神に溶け込むような感覚を覚えた。

 アマネも、勇太郎という精神に溶け込むような感覚を覚えた。


 アマネと勇太郎。

 その二人が「意見を出し合う」のではない。

 二人がそのままの意味で「一人になる」ような感覚。


 この時、二人のシンクロ率は——世界最高記録である「97.2%」を超えていた。


〈「はぁっ!!」〉


 ベクターは気合とともに、全身を膨らませるイメージで力を発した。今まで拘束していた巨人ウィスプの手が、内側から爆裂した。


 おののいたように一歩退がる巨人ウィスプ。ベクターは自由落下に従って着地。


 今なお正のオーラの供給は続いている。けれど、戦いが長引けば、周りの人たちを巻き込んでしまいかねない。


〈「次で決める……!」〉


 ならば、使うしかない。


 ヒーローが怪獣を倒す、最強の武器を。今こそ。


 ベクターは右拳を脇に構えた。


 全身に走る、回路のような幾何学模様——「ライト・サーキット」が、木漏れ日のように発光した。


 構えられた右拳が、太陽のごとく光を発し始めた。


〈「ベクタァァァァァァァァァァッ…………!!」〉


 人々から受け取った正のオーラ。


 そこから生み出した莫大なエネルギーが、右拳に集中しているのだ。


 それは人々から絶えず供給される正のオーラを養分にし、太陽のごとく輝きを増していく。


 やがて、


〈「————ビィィィィィィィィィィィィィィィィィィムッッ!!!」〉


 小さな太陽と化した右拳を、一直線に突き出した。


 伸びきった拳から目がくらむような閃光が発せられるのと同時に、蓄積されたエネルギーが解放される。


 光の矢のごとき『ベクタービーム』が、光の速さで巨人ウィスプの心窩に突き刺さった。


 ビームは、少しずつだが、着実にウィスプの内側へガリガリと掘り進んでいく。


 人の心より生まれた怪物は、人の心より生まれた光によって滅びようとしている。


 やがて————貫通。


 負のオーラで構成された巨大な胴体に、綺麗な円い穴が穿たれた。ビームはなおも足りぬと光速で直進を続け、雲をも穿った。


 巨人ウィスプの輪郭に走るノイズはさらに荒々しくなり、やがて自己の存在を保てなくなり、空気に溶けるようにして、崩壊した。


 ベクターはビームを撃った後の右拳を引っ込めようとして、やめた。


 テレビなら、ここで飛んで帰還するところだけど、これは現実だ。


 だから、もう大丈夫、という気持ちを込めて、右拳を天高く振り上げた。


 瞬間、人々が歓喜を膨らませた。


 ウィスプが去ったから、というだけではない。


 思い出していたからだ。


 ヒーローが現れ、強大な怪物に立ち向かい、そして苦労の末に倒す。


 誰もが子供の頃にテレビで見た栄光が、目の前にあった。


 それに興奮し、熱狂しているのだ。


 勇太郎は、心の中に満足感を覚えていた。


 自分も、正義を示せただろうか?


 何もかも失い、十年かけて立ち戻り、それでもなお人類を脅かすウィスプ。


 それに立ち向かうことで、希望を示せただろうか?


 そこから先の思考は、


「……あれ、なんか………………ねむい…………な……」


 勇太郎の意識とともに、打ち切られた。

 





 


 


「んんぅ……んっ…………」


 まるで深い深い墨汁の沼の底まで落っこちたような眠りから、勇太郎は浮き上がるように目を覚ました。


 今日も学校か、めんどいなぁ……などと考えつつ、それでも覚醒からは逃れられず、やむなく目蓋を開いた。


「ふあぁぁ、よく寝たぁ……ん?」


 勇太郎は大きな欠伸をする。だがそこで、妙なことに気づいた。


 嗅ぎ慣れない空気の匂い。明らかに、自分の部屋のものではない。


 しかも、天井も違う。無骨で素っ気ないコンクリート。照明器具がない。


 天井からではなく、横からほんのりと白い灯りが当たっている。しかしその灯りも、鉄格子に阻まれているせいで、そんなに明るく感じない——


「って、なんだこれ!? 牢屋(・・)っ!?」


 勇太郎はとうとう本格的な異変に気づき、一気に覚醒した。


 六畳間よりさらに狭苦しい空間。そこにあるのは、勇太郎の現在寝ている硬いベッドのみ。


「なんで、僕がこんなところに……?」


 最初に抱いたのは、そんな当たり前の疑問。


 けれどすぐに、疑問は焦りに塗り潰された。


「ちょっと、誰かいませんかっ!? 誰かっ!?」


 勇太郎は鉄格子をガシャガシャ鳴らし、必死に叫ぶ。


〈勇太郎、起きた?〉


 その声に応えたのは、向かい側の牢屋にいる人物……否、精霊だった。


「ア、アマネっ? あの、えっと……これ、いったいどうなってるのっ?」


〈勇太郎、落ち着いて聞いて欲しい。——わたしたちは、逮捕されてしまった〉


 は? 逮捕?


 「どうして」と考えかけたところで、こつり、こつり、と足音が聞こえてきた。


 足音は近づいてきて、やがて勇太郎の鉄格子の前でその姿を現した。


 女性だった。年齢は見た感じ二十代半ばほど。細身でしなやかな体躯だが、パンツスーツを内側から膨らませる女性的凹凸は豊かであり形良い。ボブカットの下にある皮肉めいた美貌は、どこか艶やかさを感じさせる。


 普段なら男として見惚れたりするであろう美人だが、今はこんな非常識な状況だ。唖然とすることしかできない。


 その美女は嫣然と笑みを作り、撫でるような響きを持った声で言った。


「おはよう。目が覚めたかしらぁ? 知多(ちた)勇太郎(ゆうたろう)くん」


 なんで僕の名前を——その疑問を尋ねるよりも早く、勇太郎はその美女に食ってかかっていた。ガシャンと鉄格子が鳴る。


「あのっ! な、なんで僕が警察に捕まらないといけないんですか!?」


「そりゃあ、君が精霊装者の免許を持ってないのに、無免許で精霊とシンクロしちゃったからに決まっているじゃないのぉ」


 その言葉に、勇太郎はハッと思い出す。


「そうだ……僕は、ウィスプから茉莉を助けるために、アマネとシンクロして……やっつけたけど、そこで眠っちゃって…………」


「ちなみに今は夜の十一時よぉ。つまり七時間くらい寝てたってことになるわねぇ。まぁ、初めてシンクロしたら誰でもそうなるし、健康上はまったく問題ないわぁ」


 いちいち言葉に艶っぽい響きを持たせるその美女は、ここにいたる経緯を説明した。


「君が倒れた後、誰かが呼んだ救急車が君を病院に運び込んだんだけどぉ、医療用生体スキャンの時ってぇ、身元確認のためにその人の国民データもスキャンしちゃうでしょ? その時に無免許であることが分かっちゃってねぇ、精霊法違反者ってことでそのまま警察が身柄を預かることになって、こうして今に至る感じかしら」


 精霊法とは、読んで時のごとく、精霊との関わりに関する法律だ。


 精霊装者は強力な力を持つ。その分、その活動が法律で厳しく制限されている。


 その法律の中に、「精霊装者の免許所持者以外はシンクロ禁止」というものがある。


 精霊装者を名乗るには免許が必要なのだ。


 強力な精霊装者に首輪をつけ、なおかつ一括管理するためである。


 勇太郎は、もちろんそんな免許など持っていない。にもかかわらず、シンクロしてしまった。


 だから、このザマなのだ。


「ちなみに、そこの可愛い聖霊ちゃんとシンクロしてそこから出ようとしても無駄よぉ? この鉄格子には特殊な鉱物が混ぜ込まれてるから、精霊でもすり抜けができないのよ。ごめんねぇ。——あ、自己紹介がまだだったわねぇ。あたしは警視庁精霊犯罪対策部第二課の倉木魅早(くらき みはや)。バストサイズは97センチ。彼氏絶賛募集中だから狙い目よぉ」


 追い討ちをかけるような美女——倉木魅早の言い方に、勇太郎は唇を噛み締めた。


「……ませんから」


「うん?」


「……僕、後悔してませんから」


 子供が小さくぐずるような声。


 勇太郎は魅早をしっかり見つめ、今度はハッキリとした声色で告げた。


「僕は、確かに犯罪者かもしれません。法に触れたかもしれません。けど……僕は少しも後悔してないです。僕は、助けたい人を、助けることができたんだから。それが犯罪だと言うのなら、遠慮なく裁けばいい。もう過ぎてしまってどうしようもないことですし、何より——どういう結果になったとしても、それは僕にとって勲章と同じだから」


 瞬間、魅早は驚いたように目を見開いた。


「ただ……アマネだけは解放してほしいんです。この子は、僕のわがままに付き合わされただけだから」


〈……勇太郎〉


 魅早はなおも驚愕の表情を崩さない。


 かと思えば、突然格子越しに手を掴まれた。その皮肉めいた造作の美貌に浮かんでいるのは、御馳走を見つけた肉食獣を思わせる艶笑。


「——カッコいいじゃない。今のめちゃくちゃ胸にキュンと来たわよぉ。ねぇ……この後暇かしら? もし暇ならお姉さんとデートとか、どう? カクテルが美味しいお店知ってるんだけどぉ」


「へ? あ、いや、その、僕、未成年なんですけど」


 いきなり色っぽい誘いを受け、勇太郎は照れよりも戸惑いが先行した。


「ていうか、どのみち無理じゃないですか。僕はもう……ここから出られないんでしょう?」


「あー、それね。逮捕っていうのは、半分ウソよ」


「は?」


 勇太郎は思わず間抜けな声を出してしまう。


 魅早は悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべ、次のように切り出してきた。


「知多勇太郎くん、今あなたには、「二つの選択肢」が存在するわ」


「選択肢……?」


「そう。一つは、このまま起訴されて、流されるまま臭い飯を食う新生活を始める選択。もう一つは——精霊装者(・・・・)になって(・・・・)これからも(・・・・・)ウィスプと戦う(・・・・・・・)という選択(・・・・・)


 勇太郎はさらに戸惑った。


 けれど、どうにか、今の話の中で一番疑問に思うことを口にすることができた。


「え……でも、僕は、無免許でシンクロしたから、逮捕なんじゃ……」


「うふふふっ。あのねぇ勇太郎くん、君は精霊装者を目指してたんじゃなかったのかしらぁ? であるなら、精霊装者がどこの国でも人手不足なことくらい知ってるはずよねぇ? ……それなのに、せっかくシンクロに成功できた「貴重な人材」を、いちいち刑務所(ムショ)に放り込んだりなんてすると思う?」


 言われて、勇太郎はハッと目が覚める思いがした。


 確かに、それは言えている。


 期待通りの反応を得られて満足したのか、魅早はにんまりと微笑する。


「面白いこと教えてあげる。精霊装者が精霊装者となることを決める場所は、基本的に「留置所(ココ)」なの。こうやって連行するのは、精霊法の遵守であると同時に、一つの「脅し」なの」


「脅し、ですか?」


「そうよぉ。まず無免許シンクロ犯を、精霊法を理由に合法的にパクって鉄格子に閉じ込める。その後、君に今したように二者択一を突きつけるの。正式に起訴される前であれば、精霊装者として仮登録することで、無事にシャバに戻れるっていう流れよぉ。精霊装者になればブタ箱行かないで済むわけだから、よほど物好きでない限りは精霊装者を選ぶってわけ。それで……君はいったい、どっちを選ぶのかしらぁ? 少年刑務所? それとも、精霊装者?」


 勇太郎は、アマネへ目を向ける。


〈……わたしはもう、あなたと行動を共にすると決めた。だから、どうするかは、あなたに任せる。勇太郎〉


 今、選択権は、勇太郎一人にゆだねられた。


 ——自分はずっと、精霊装者になりたかった。


 しかし、同時に、叶わない夢かもしれないとも薄々思っていた。


 どういう形であれ、その夢を叶えるチャンスが目の前にある。


 たった一言、言うだけでいい。それだけで、世界が変わる。


 何より、アマネが背中を押してくれている。


 であれば、是非も無い。


「——やります。僕、精霊装者になります」


「それで良し」


 満足げに笑う魅早。


 その笑みを見て、勇太郎はふと思い出した。


「あの、倉木さん、聞きたいことがあるんですけど、良いですか?」


「魅早、でいいわよぉ。で、何を聞きたいのかしらぁ? スリーサイズ?」


「ち、違います! ……魅早さんは、どうして、僕が精霊装者を目指してたこと、知ってたんですか?」


「あー、そのことねぇ。……君をよく知る子(・・・・・・・)に、教えてもらったからよ」


「僕をよく知る子?」


 勇太郎が小首をかしげると、「ちょっと待っててちょうだい」と魅早が留置所を去った。


 それからしばらくして、魅早が戻ってきた。——勇太郎のよく知る人物を連れて。


茉莉(まつり)っ? どうしてここに?」


「そ、それは、その……」


 いつもは狂犬のごとき語り口の茉莉だが、今はやけに歯切れが悪い。態度もどこかよそよそしいというか、恥ずかしげというか……


 その様子を微笑ましげに見ていた魅早が、説明してくれた。


「この子「あいつが起きるまで待つ」って言って聞かなくてねぇ。仕方ないから警察署内に泊めてあげたのよ。……ほぉら、言いたいことがあるんでしょ? もじもじしてないでっ」


 背中を押された茉莉が、鉄格子に近づく。


 鉄格子を介して、勇太郎と茉莉の顔が間近に迫った。勇太郎はきょとんとするだけだが、茉莉は一気に頬を紅潮させ、一歩身を引いた。


「えっと、あの、その……ね」


 何か言いたげ、でも言うのを恥ずかしがっているような茉莉。


 茶化してはいけない気がした勇太郎は、黙って言葉を待つ。


 やがて、茉莉は意を決したように、真っ赤な顔を真っ直ぐ勇太郎へ向けて、言った。


「助けてくれて、ありがとう。それと……ごめんね。あんたの夢、今まで馬鹿にして」


「茉莉……」


「あたしを助けてくれた時のあんた……疑いようもなく、ヒーローだったよ。子供の頃、一緒に見てた特撮ヒーローみたいで、その…………すごく格好良かった」


 それを聞いた勇太郎は、嬉しさで胸がいっぱいになった。


「い、言いたかったのはそれだけっ! そ、それじゃっ! またねっ!」


 だが茉莉は恥ずかしさで胸がいっぱいになったようで、言い終えると真っ赤な顔を隠しながら脱兎の如く留置所を去った。


 魅早がうっとりしたような表情で、微笑ましそうに、羨ましそうに言った。


「いいわねぇー、尊いわねぇー、若い子って本当みずみずしくていいわねぇー。あー、あたしもまたティーンエイジに戻りたいわぁー」


「魅早さんって、おいくつなんです——いてっ」


「くぉら。女性に軽々しく年齢を訊くんじゃありません。それじゃモテないわよぉ」


 勇太郎の額に一撃喰らわせたのは、魅早が鉄格子から差し入れたタブレット端末だった。その端末のディスプレイが、勇太郎にタッチできる角度に向けられる。


 ディスプレイには、指紋の認証画面が映っていた。


「さ、これに掌をタッチしてちょうだい。そうすれば、仮契約は終了。それから後日に精霊装者の講習を受けて、それをパスすれば、君は晴れて精霊装者の仲間入りよぉ」


 ごくり、と喉を鳴らす勇太郎。


 期待と不安を同時に感じる。


 正義を遂げる達成感も、救えなかった挫折も、この画面をタッチしなければ手に入らない。


 タッチすれば、全て分かるだろう。


 


 ————勇太郎は、ディスプレイに掌を乗せた。


設定多すぎてゴメンナサイ……

でも、どうしても書きたかったんです……オカルト系ヒーローもの。

ここまで読んでくださった奇特な皆様、ありがとうございました。

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