日常の景色
賑やかで雅やかな表通りから、一筋、裏通りへと入る。
少し静かで裏寂れた感のある見慣れた細い路地は、いつも通り、多くの人で溢れていた。
表通り程ではないにしても、著名な観光地であるこの都市の中心部であり繁華街でもあるこの地区には、裏通りと言えども多くの人々が訪れる。
その入り口が、よくよく注意して見ないと見落とすレベルで寂然としていたとしても、やはり、ここは間違いなくこの都市のド真ん中に位置しているから。地元の人は勿論、一定数の観光客がふらりと紛れ込んで来たとしても、然程は不思議なことでない。
私は、そんな溢れる人混みを縫うようにして細い路地を進み、いつも通りに、いつもの時間に、既に見慣れた光景となって久しい目的地へと、辿り着いた。
市街地から少し離れた山際にある学校を経由し、繁華街の片隅にある美味しい珈琲の店としてある筋では有名なバイト先へと。
今日も、いつも通り。代り映えのない日常の一コマである一日が、あと少し続く。
朝の電車に詰め込まれて通学し、好きでもない学業に神経をすり減らし、しっかりと労働した後、いつもの電車に揺られて自宅へと帰る。
今日も、いつも通り。代り映えのない日常を惰性のように唯々、まだまだ若いねぇなどと言われながらも、私は機械的に繰り返し続けているのだった。
* * *
ここは、理不尽な世界。
世の中は、不公平で矛盾に満ちている。
平等で公平な社会を目指しましょう。
学校教育で繰り返し習う、人として在るべき姿、人としてして避けるべき行動。道徳観念。
その通りだなと素直に思う反面、現実は何かが違うと心の片隅に小さな引っ掛かりが残る。
全く不満がない訳ではないが、普通のそれなりに温かい家庭に恵まれ、ある意味ぬくぬくと育ってきたと言えなくはない、私。
繰り返し何度も聞かされ、多少の引っ掛かりを覚えながらも自然と受け入れてきた価値観ではあるが、狭いなりにも世間という奴を知ってしまうと、現実は理想とは異なるものだと実感する。
人は皆が平等でなく、純然たる格差は存在する。
自己責任、の結果ではない。
明らかに本人の努力とは無関係な次元で、恵まれた者と恵まれない者に二分される。
しかも。その社会に余裕がなくなれば無くなる程、儚い幻想である中間層は消え失せ、両者の間にあるその歴然とした格差が際立ってくる。
それでも、長年に渡って繰り返された教育の賜物なのか、私たちは、気が付くと人は平等だという幻想に縋り付いている。
正しいことが正しいと認められる社会。
社会には、善悪を定める法律があり、暗黙のルールがあり、その上に成り立つ秩序がある。
正しい行動は称賛され、間違った行動には罰が下される。
誰しもがそうだと認める真理ではあるが、絶対ではない。いや寧ろ、いざという時にはガラガラと崩れ去ってしまう程に、脆い虚構だ。
運転免許証を取得して、自動車を運転するようになると、その違和感はより際立った。
そう。法律にまでなっている交通ルールを守ると、異端者となってしまうのだ。
特に、道路の制限時速は、スピード違反の取り締まりが行われている特殊な場所を除いて順守すると周囲に迷惑を及ぼすもの、なのは暗黙の了解だ。
時速四十キロ制限の道路を時速四十キロ以下で律儀にルールを守って走行すると、後続のドライバーには嫌悪されて迷惑がられ、自身が渋滞の先頭車両となって迷惑行為の主犯となる事態さえあり得るのだ。
それでも、他に守るべき規範がないから、私たちは、順守しても自身を守ってくれない規則に頼った行動を漫然と繰り返している。
少しばかり捻くれてはいるが世間から浮くことを忌避し、斜に構えたものの見方を旨とする。
そんな私は、自身がどれ程に恵まれた境遇にあるかなどと考えたこともなく、唯々漫然と、学業の傍らでアルバイトに精を出す単調な日々を過ごしていた。
彼女の窮状に遭遇し、彼女の抱える事情の一端を意図せず知ってしまい、改めて理不尽な現代社会の在りようを再認識して自身の無力さと自己の世界の矮小さへの失意と苛立ちに焦燥しながらも、何かしら新たな行動を起こすこと無く、今まで通りに惰性で怠惰に過ごし続けている。
* * *
と、いう訳で。
今日も私は、著名な観光地であるこの都市の繁華街の裏通りの片隅にある、老舗の美味しい珈琲専門店としてその筋では有名なこの店で、アルバイトとしての勤務を始めるのだった。




