大人
大人の飲み物ってなんであんなに苦いんでしょうか。
付き合って三年目、私の誕生日の朝。
彼からのメッセージはおめでとうではなく、
今日なしで。
の一言だった。
特に私は驚くこともなく、
淡々と返事を打つ。
といっても一言。
わかった。
聞き分けの良い女性を演じた私の心は
素直な気持ちを閉じ込めることに慣れてしまい
もう色もわからないほど黒く濁っている。
仕事前には二人でカフェに行った。
それが今では独り。
彼に合わせて背伸びして飲み始めたコーヒー。
甘いカフェオレを飲みたい気持ちを閉じ込め、飲み続けた。
美味しさもわからぬまま…
はい、カフェオレどうぞ。
男性の店員が持ってきたのはミルクと砂糖たっぷりのカフェオレ。
私が頼んだのはコーヒーだったはず。
私、コーヒー頼んだんですけど。
黒いエプロンをした男性は少し考え、
男らしい血管の浮き出た手で頭を掻く。
いつも美味しくなさそうにコーヒー飲んでたから、
甘いのだったら美味しく飲めるかなと思ったんです。
勝手ですいません。
驚いた、彼は気づかなかったのに。
いや、店員ですら気付くことを彼は気付かなかった。
気づいてもらえて嬉しい気持ちと
気づいてもらえなかった寂しさ。
いえ、こちらこそごめんなさい。
カフェオレをいただきますね。
久々に飲んだカフェオレはとても甘く
心が満たされた。
と、同時に少し涙が出た。
仕事に入れば無駄なことを考えずに済む。
しかし、今日に限って残業もない。
誕生日に残業したいと思うのもおかしいが。
お疲れ様です。
暇になった誕生日。
どう過ごすかは私次第。
そういえば、あのカフェは夜もやっていた。
甘いドリンクで自分を甘やかすのもいい。
目的が決まればさっきまで重かった足は
軽く動き始めた。
せっかくだし、ケーキも頼もう。
あとはフラペチーノ。
一人の誕生日も悪くない。
こんなにわくわくする。
カフェが見えた時、そのわくわくは消えた。
よく見知った男性が、見たことない女と
オープン席で仲良さげに話している。
彼はここ最近見たことのない笑顔で
彼女に綺麗に包まれたプレゼントを渡すところだった。
私は何かに捕まり、そこから動けず
目を背けることすらさせてもらえない。
彼女が包みを開けると綺麗なネックレス。
私は三年間一度も、もらったことがない。
足が動くようになった私はオープン席の彼のもとへ。
…なに、してるの
なにをしてるなんて聞かなくてもわかる。
浮気。その二文字でしかない。
そして多分本命は彼女であり、私は暇つぶし…。
彼は一瞬驚きの表情を見せたが、
…あぁ、お前か。
彼女が誰?という風に彼に視線を送る。
元カノだよ、別れたのにしつこくてさ。
こうして俺の行きつけのカフェにまで来るんだよ。
そ、そんな!!!
私の言葉を遮るように、耳元で低い小さい声がする。
察しろよ、大人なんだからさ?
大人なら別れもせずに次にいっていいのか。
大人なら他の女をキープしていいのか。
大人なら嘘をついていいのか。
大人なら……言い返すことができたろうか。
私は言い返すこともできず、その場を立ち去った。
「大人なら」
その言葉が私に深く突き刺さる。
息をしているのに息ができない。
心臓のあたりがすごく痛い。
目から溢れる涙を止めることができない。
関係は壊れていた、わかってる。
わかってるけども、わからない。
私は大人にはなれない。
腕を掴まれ、彼かと思った。
でも、腕を掴んだのはカフェオレを持ってきたあの店員。
あ、え、と。
カフェオレ…飲みません?
私を見て彼は何も考えず追いかけてきたのだろうか。
誰でもいいぶつけてしまおう。そう思った。
……私。甘いのが好きなんです。
胃がむかむかするくらいの。
コーヒーなんて大嫌いです。
大人の飲み物だっていうけどあんな苦いの飲めないし、
さっきだって、大人だから理解しろって言われたって
こんな苦しいのだって理解できない!!!
大人なんか私にはなれない!!!!
彼は驚いた表情で私の手を掴む反対の手で頭を掻き、
少し考えて話し始めた。
そんな都合のいい大人なら、なくていいですよ。
大人じゃなくて自分が好きな自分になればいいじゃないですか。
甘いカフェオレに生クリームのせて仕上げにチョコソース。
そのほうが俺はわくわくしますよ。
いつのまにか掴んでた手は私の手を繋ぐようになり、彼はゆっくりと歩きはじめた。
コンビニで胃がむかむかするくらい甘いもの買いましょう。
で、あまーい飲み物と一緒に食べるんです。
ワクワクしませんか?
彼がなにを考えているかわからない。
なぜ私の手を引き、歩いているのかわからない。
ただ彼が私の手を放すまいと強く握り、
私の歩く速度に合わせ歩く、
ただそんなことが私はなぜかすごく嬉しかった。
店員さんは毎日嫌そうにコーヒーを飲む彼女がきになるようになりました。
ちょうど上りの時間に現場を目撃してしまい、クズ彼さんの顔面に一発に入れてから追いかけてきてます。
店長さんには後日よくやったと褒められたそうな。