精霊の話
精霊、というのを知っているか。なんでも、東方では珍しくないらしい。すぐそばにいるが、人の目には見えないという。
旅人が夜道を歩いていると、後ろから、ひた、ひた、と足音がする。ふりむいても誰もいない。そんなときは、精霊がそこを歩いているのだ。
古い家には、精霊が住むこともあるという。ときおり、誰もいないはずの部屋から声がしたり、目に見えぬものが廊下を走っていたりする。気にしても仕方がないので、皆、放っておく。
ときには、大勢の精霊が集まって、何やら話していることもある。井戸のはたの広場なんかで、よく、どこからともなく人のざわめきが聞こえてくることがある。精霊が、集会をしているのだという。
精霊の姿を見るには、こんな方法があるという。
精霊の後ろを、ぴったり足どりをあわせて、歩く。精霊の踏んだところを、寸分たがわず重ねて踏まなければいけない。
やり方はみな知っているが、成功したというものはいない。だから、精霊がどんな姿をしているのか、誰も知らない。
さて、おれが都で知り合った男が、幼いころの話だ。
冬の朝であった。
昨晩のうちに積もった雪に興奮して、近所の子らと集まって遊んでいると、さく、さく、と小さな物音がする。
見ると、まだ誰も踏んでいない新雪に、足跡ができていた。
さく、さく、と物音がつづく。
足跡が新たにできる。
精霊だ、とだれかがつぶやいた。
子供たちは足跡のまわりに集まった。足跡は、ブーツか何かをはいた男のものに見えた。そうしている間にも、足跡はどんどん進んでゆく。
年上の少年が、にやにや笑って、精霊の進行方向をふさぐように立った。
けれども、足跡は止まりも曲がりもせず、股のあいだをくぐりぬけていく。
少年は、かんしゃくをおこして、足跡を踏み消した。
子どもたちは、わあっと歓声をあげて、足跡を追いかけた。幾人かが精霊の進路をふさぐまねをして、おどけてみせる。もちろん、足跡が止まることはない。
足跡は森の奥へと入っていく。
しばらく騒いでから、ひとりの子供が、「そうだ、」と叫んだ。そっと、雪面に顔を近づけて、足跡をにらむ。「よし。」と小さくつぶやいて、精霊の足跡に、右足をのせた。それから、次の足跡に、左足。
こうしていけば、精霊と寸分違わぬ足取りで、後を追えるというわけだ。
「それっ」
子どもたちは手を叩いて、後につづいた。
こうして、子どもたちは幾人かの女の子を残して、精霊の後をついて歩きはじめた。
そうして、しばらく歩いた後、先頭の子供がふいに消えた。
「え、」
と、誰かがつぶやく。その呟きが消える間もなく、次の子供が消え、また次の子供が消える。
とんとんとん、と消えてゆき、
最後に誰もいなくなる寸前に、見ていた女の子がさっと駆けて、手を引いた。
「……その、土壇場で足跡から離れて助かった最後尾の子供が、おれというわけさ。」
おれに、この話を聞かせてくれた男は、しみじみとそう語った。
「……しかし、今でも忘れられんのは、あのとき一瞬だけ見えた、光の海よ。きらきらきらと、金砂のように輝いて……、あれが精霊の世界というものかと、ずっと考えているのだ。」
そう、最後にすっと目を閉じて、そいつは言ったのさ。




