妖精を見た話
南方の最前線近くは、まだまだ未開拓でな。ちょうど、ゲリマの森のような、黒くて夜の深い森が、ずうーっと広がっているようなところだ。
そこに、妖精が出ると云う。
嘘ではない。いや、見たわけではないぞ。おれが着任したばかりのころ、先任の男から聞いた話だ。
その男が、まだ南方に来たばかりの時の話だという。
来たばかりのころは、まだ道もわからぬ。いや、森の中は道などない場所が多く、わずかな地形の違いや、木に刻んだ目印をたよりに見回りをせねばならぬのだが、新米にはそんなこともできぬ。とにかく、先任のものについてまわって、覚えるしかない。
そんな中、絶対にこの先にゆくな、と言われた場所があった。
鬼どもの領域に近いのか、と訊くと、そうではないという。
熊か、猪でも出るのか、と訊くと、それも違う。
崖とか、沢に近いような場所でもない。ただ、木々が茂るばかり。
妖精が出るのだという。
むろん、男は信じなかった。魔物や猛獣ならともかく、妖精が出たからというて何だというのか。
そうして、何事もなくしばらく勤めて、少しは森の中を自由に歩けるようになった頃。
一緒に見回りをしていた同期のものが、何か物音が聞こえると云う。
ちょうど、人の声のような。
男には、なにも聞こえぬ。
気のせいではないか、と云うても、あいては納得せぬ。どうしても、声の主をたしかめると云う。
まて、この先は──
そういって止めるまもなく、ずんずん進んでゆく。
妖精はともかく、鬼がいたらどうする。男は気が気でない。しかし、放っておくわけにもいかず、一緒にゆくしかなかった。
同期のものはやけに足が早く、なかなか追いつけない。だんだん、遠くなっていく。木々や草にまぎれて、よく見えぬ。
いや。
よく見えないのは、そればかりではない。
同期の男のからだに、何か小さなものがびっしりとまとわりついているのだ。
虫か。
いつのまにか、同期の男は足をとめていた。男はようやく追いついて、見ると、かれの全身を包むように、奇妙なものがくっついている。
それは、蜻蛉の羽が生えた、裸の人のような姿をしていた。
髪はぼうぼうで、全身砂にまみれて。大きさは、人差し指ほど。
背といわず、顔といわず……
──ゆかねば。
同期は、うわごとのようにそう言っていた。男はぞっとして、一度つかんだ手を放した。気がつくと、その手にも、二匹の妖精がついていた。
するどい痛みが走った。
手から血が。妖精の、口から二本の牙がのぞいた。目があった。
男は、大声をあげて逃げ出した。
部隊へもどって報告すると、『やつは二度目だから、助からぬ』といわれた。
男も、妖精に噛まれたので、次に出逢えば死ぬと。
そんな話だ。本当かうそかは、知らぬ。