歯が笛となり、人ならぬものを呼ぶ話
母方の大叔父に、久しぶりに会ったときに聞いた話だ。
大叔父がまだ成人しない頃、飯を喰っていたときに、がちんと硬い音がした。
上の前歯の右のあたりだ。
家族に見てもらったところ、歯の上端に、大きめの穴のようなものがある。どうも、なにかの拍子に歯が欠けてしまったらしい。
ものを噛むのに支障はないが、喋るたびに、ぴゅうぴゅうと音がする。
仕方がないので、そのまま生活していたが、みっともなくて仕方がない。
まじめな話をしていても、前歯から、たえず音がしているのだ。
いっそ抜いてしまおうとも思ったが、いちど抜けばもう生えてはこない歯である。親にも言い出せぬし、自分ではなかなか抜けるものではない。
そのうち、人前ではろくに喋らなくなってしまった。
眠るときも、なかなか難儀であった。
大叔父は、口をあけて寝るくせがあったため、寝るときにぴいぴい音がする。
普通のいびきよりも耳に障るらしく、一緒の部屋で寝ている弟妹から文句がでる。自分でも、うるさくて目が覚めてしまったりする。
なかなか、熟睡もできぬようになった。
ある日、寝不足であった大叔父は、畑仕事のあいまに居眠りをしてしまった。
すぐに目覚めたのだが、気がつくと周囲を犬に囲まれていた。
一匹や二匹ではない。ほとんどが、野良犬のようだ。
あわてて身をおこすと、犬たちはすぐに散ってしまった。
こんなこともあった。
当時、大叔父は自分の父親が山で狩りをするのについて行くことがあった。
父親は慣れているので、けわしい道をずんずん進んでいく。大叔父は、しばらくはよかったが、すぐに息を切らしてしまった。
はあはあと口で息をするたびに、歯が鳴る。
父親はいやな顔をしたが、何も言わない。こちらも、どうしようもない。
しばらく進むうち、周囲から妙な気配がする。
ざわざわと、草の葉が擦れる音。
強い獣臭がするが、姿は見えない。
しまいには、すぐそばを猪かなにかが通っているような、荒い吐息が耳に絡みついてきた。
ともかくも、進むしかない。休みもとらず歩きつづけて、ようやく人里に戻ったときは、二人ともほっと息をついた。
その日の夜、大叔父は、例によって寝付けず、ひとりで起きていた。
外に出てみる。満月の夜であった。
口を開けまいと思っていても、眠れば、歯が鳴ってしまいそうだ。
我慢するほど、口のあたりがむずむずして、たまらない。
──いっそのこと。
大叔父は、口を大きくあけて、思い切り息を吐いた。
調子っぱずれの笛のような、かん高い音が響く。
歌を歌うように、調子をつけて歯を鳴らす。夢中になっていた。
ふしぎに、月光がひどく強まって、きらきらと宙を舞っていた。
やがて、月の光のなかから、奇妙にきらびやかな衣装をまとった女が、しゃなりと舞いながら降りてきた。
女は大叔父の歯をみてにっこりと笑うと、それをいただけますか、と云う。
大叔父が夢見心地でうなずくと、すっと目が覚めた。
夢のようであったが、事実、目が覚めてから今まで、その歯は無いままであるという。
その、歯がないところをぐいと見せつけながら、おれに語ってくれた話だ。