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彼らの周りの奇しき事件簿

彼女の遺した特別

作者: 水沢ながる

 俺がまだ中学生だった時のことだ。

 その頃の俺はまだ自分の“力”──その場に残った“想い”が視えるという──を受け入れることも出来ず、自分が何をしたいのかも判らずにただ焦っていた時期だった。ああ、確かに“力”のせいでいじめられてたこともあったな。

 ま、俺はその頃から素直じゃなかったからな。逆に“力”を持ってることを唯一のプライドにして、イキがってた。……今もそうじゃないか? 言ってくれるな。そう言うあんたはどうなんだ? あんただって、ドロップアウトしてた口だろ?


 ──ああ、話がそれたな。


 ともかく俺は、「俺はおまえらとは違うんだぞ」って雰囲気をぷんぷんさせてた可愛くねえガキだったわけだ。当然ダチもいなかったが、こちらとしても誰かとつるむ気はなかったから、一匹狼を気取っていた。

 ……問題児? そういうことになるか。気に入らないからって絡まれることもたびたびあったしな。もっとも、俺の“視た”ことを口に出して言ってやれば、ほとんどの奴は気味悪がって二度と近づこうとしなかったが。

 満足はしてはなかったさ。俺の“力”はこんな下らないことに使うもんじゃないと、いつだって思ってた。自分の家系──代々霊能者やら拝み屋やらを輩出して来た血筋って奴ははっきり言って好きじゃなかったが、それでも“力”を伝える者としての誇りってもんはしっかり叩き込まれてたんだな。三つ子の魂百までとはよく言ったもんだ。

 ん? ああ、ばあちゃんに修行させられてたんだ。3歳くらいの頃……いや、下手したらもっと前か。洗脳するにゃ充分な年頃だ。当の俺はそんなこた判らないから、遊び半分で喜んでやってたがね。さぞ可愛かっただろう? あんたに言われても嬉しかないぜ。


 そうそう、中学の頃の話だったな。

 さっきも言ったように、俺はあの頃やたらと焦っていた。心ばかりがやたら焦っていて、その癖自分が何をしていいのか判らず、出来ることと言えばただ悪ぶって学校をサボったり煙草をふかしたりすることだけだった。

 自分自身を持て余してたんだろうな。人に見えないものを見えるってことも含めて。要するにガキだったってことだが──本人は一人前のつもりでいたな。マジな話、笑っちまうほど莫迦だったよ。あんたなら判るだろ? そーいう奴らとリアルタイムで付き合ってるんだから。……笑って誤魔化したな。まあいいか。


 彼女と出会ったのは、そんな頃だった。



 初めて会ったのは公園だった。学校をサボって堂々と煙草を吸ってた俺に、彼女は話しかけて来た。

 清楚な感じの、美しいひとだった。年の頃は……そうだな、今の俺と同じくらいだったか。

「何をしてるの?」

 ほんの少し、困ったように微笑みながら。

「別に」

 俺はぶっきらぼうに答えた。

「別に……って、君、中学生でしょう?」

「学校とかに言いたきゃ言えばいいだろ。誰が何つっても俺、何てこたねーもん」

「……そう……」

 俺のイキがった答えを聞いて、彼女は悲しげに眉をひそめた。流石の俺も、ちっと言い方が冷たすぎたかな、とちらりと思ったが、表面上はそんなこたおくびにも出さなかった。とにかく弱いところを見せたら負けだ、そう思ってたからな。……え? ああ、今はそう思っちゃいないさ。場合によっちゃ弱さも駆け引きの道具になりうる。

 彼女は哀しそうな顔のまま、公園を出ようとした。その時。

 いきなり、だった。彼女は胸を押さえ、崩れるようにその場に倒れ込んじまったんだ。俺もこれには驚いて、急いで彼女に駆け寄った。

「なんだよ! どうしたんだ!?」

「……だい……じょうぶ……」

「何処が大丈夫だ! 真っ青じゃねえかよ!」

「いいのよ……うち……近くだから……」

「近いのか? ああ、しょうがねえな」

 俺は彼女に肩を貸して立ち上がらせた。ふわり、といい匂いがしたのを、今でも覚えている。ま、色気づいてる頃だからな、中坊ってのは。

 道を訊きつつ、俺はその家に彼女を運び込んだ。布団を敷いて、彼女を寝かせて、……我ながらかいがいしかったと思うぜ。寝かせてから一息つき、その時になって初めて「何してるんだ、俺は」とつくづく思ったくらいさ。

 ──質素な暮らしぶりをしてたよ。窓のあたりに鉢植えがいくつか飾ってあるのが見えた。それだけが殺風景な部屋を彩っていた。部屋の片隅の鏡台の上には派手な色合いの化粧品が並んでいて、多分夜の仕事をしてるんだろうと俺は見当をつけた。

「ああ……ごめんね」

 振り向くと、彼女が起き上がろうとしていた。

「無理すんなよ」

「もう平気よ」

 言葉ほどには平気そうに見えなかった。

 俺は何か言ってやろうとした──んだと思う。だが。


 “来た”。


 殺風景な部屋の中。登場人物は二人。一人は彼女。もう一人はいかにもチンピラヤクザと言った感じの粗暴そうな男。男は彼女に殴る蹴るの暴行を加えている。ぐったりした彼女に男は乱暴に覆い被さり──その光景が……見えちまったんだ。

 吐き気のするような光景だった。


「どうしたの?」


 気がつくと、彼女の顔が目の前にあった。俺は慌てて後ずさった。今見たものを見透かされそうな気がして。冷静に考えれば、そんなわけないんだけどな。

「……帰る」

 とっさにそんな言葉が口をついた。とにかくこの場から離れたかった。彼女の返事を聞く前に、俺は玄関先まで足を速めていた。彼女が後ろからついて来る気配がしたが、振り向かなかった。

 手をかける前に、ドアが勢いよく開いた。目の前にさっき見えた男の顔があった。男はじろりとこちらをにらんだ。

「なんだ、てめえは?」

「ああ、この子は……」

 俺の後ろから彼女が言葉をかけようとした。

「てめえ、俺がいねえ間にこんなガキを引っ張りこんでやがったのか? ええ!?」

 ぐい、と胸倉をつかまれた。次の瞬間、頬に途轍もない衝撃を感じた。口の中に鉄の味を感じた。間を置かず、腹にも一発。

「がふっ……」

「いいか、こいつは俺の女なんだよ。てめえみてえなガキが一丁前に色気づいてんじゃねえ! 判ったか、ああ!?」

「やめてえ!」

 彼女がそう叫びつつ、俺をタコ殴りにする男にすがり付いて行った。

「違うの、この子は違うのよ!」

「このアマ! ガキをかばおうってのか!?」

 矛先が彼女に向いた。俺はその隙に、ほとんど這うようにして男から逃れた。情けない話だが、彼女のことを気遣う余裕なんかなかった。

 よろよろと逃げ出す俺に、彼女はしきりにごめんね、ごめんねと繰り返していた。その声ばかりがいつまでも耳についていた。



 次に彼女と会ったのは、数日後のことだった。

 やはりあの公園だった。彼女は買い物帰りらしく、両手に大きな荷物を抱えていた。この前と同じように煙草をふかしている俺に気付くと、彼女は微笑みながら近づいて来た。

「この前は、ごめんなさいね」

「……気にしてねえよ」

 半分は本心だった。殴り返せるでもなく、ただ急所をかばうだけしか出来なかった自分自身に対して苛立つ気分の方が勝っていた。

 彼女は俺の座っているベンチに並んで座った。

「あの人、とても短気だから……勘違いしちゃったみたい。本当にごめんなさい」

 彼女の態度に、俺のイライラはさらに深まった。だから言ってやった。

「あんな奴と付き合ってるとそのうち死ぬぜ」

 彼女は静かに微笑むだけで、何も言い返さなかった。

「聞いてんのかよ」

 と、彼女の方に向き直って──俺には、判ってしまった。


 彼女の気配には、既に死の影がある。


 ……ああ、判るんだ。俺の実家にはたまに来るからな、死後の安定が欲しくて来る客が。そういう奴が来た時にゃ、ばあちゃんによく覚えとけって言われたもんだ。口じゃはっきりと表現することは出来ないが、独特の気配ってもんがあるんだよ、命の終わりが近い人間ってのは。

 ともかく、俺が見た限りじゃ、彼女の命は長くなかった。持って半年ってとこか。おまけにあんな男と暮らしてちゃ、望んで寿命をすり減らしてるようなもんだ。

「そうね」

 彼女は、何もかも悟りきったような表情で答えた。それを見て俺は直感したよ。彼女は自分の命が残り少ないことを知っている、と。

「……どうして……あんな奴と暮らしてるんだよ」

 莫迦なガキには判らなかったんだ。どうして彼女が男から逃れないのか。どうしてもっと平穏な生活を望まないのか。彼女さえその気になれば、いくらでも優しい男を見つけることが出来るだろうに。

 彼女ははかなげに笑った。

「あの人はね、必ず私の所へ戻って来るの。あの人の帰る場所は私の元にしかないのよ。あの人には私しかいないし、私にもあの人しかいないの」

「そんなの……なんか、違うと思う」

「そうかしら?」

 言いつつ彼女は首を傾げて見せたが、その実全然自分の言葉に疑問など感じていなかった。むしろ、彼女の中にゆるぎない自信のようなものを感じ、俺はさらに苛立つ羽目になった。

「そうだよ。あんたが今死んじまっても、あいつ平気な顔で次の女を連れ込むだけだぜ?」

 ムキになっていた、と思う。とにかく彼女の自信を壊してやりたかった。裏返して見れば、怖かったのかも知れないな──彼女の、そのゆるぎなさが。

「あんた、いいのか? あの男に人生滅茶苦茶にされてんじゃないのかよ? 暴力振るわれてんだろ? ひょっとして、あいつに借金とかあったりすんのか?」


 ……彼女は。


「そんなもの、ないわ」


 やはり、ゆるぎなかった。


「私はあの人を愛しているだけ。それだけよ」

 俺はもう何も言えなかった。彼女は立ち上がった。

「これからね、梅酒を漬けるの。あの人の大好物。おまえの漬けた梅酒は旨いって、喜んで呑んでくれるの。すぐなくなっちゃうから、今年も大きい瓶に二つは漬けなきゃ」

 買い物袋の中には青梅や氷砂糖、ホワイトリカーの瓶が詰まっているのだろう。

「一つはあの人のための特別だけど……もう一つは君にもごちそうしてあげられたらいいわね」

「──いらねーよ」

 それだけ、やっと口の端から搾り出した。

 彼女はまたあの哀しげな微笑みを浮かべ、俺に背を向けて公園を出た。俺は苛立つ気持ちを何処へも持って行けず、ただその小さい背中を見送るばかりだった。

 彼女と話したのは、それが最後だった。



 それから2ヵ月も経った頃、彼女は死んだ。

 元々心臓が弱かったらしい。それに夜の仕事での過労やあの男の暴力などが重なって、彼女の寿命を縮めたんだろう。結局最後まで彼女は、あの男から逃れられなかったわけだ。少なくとも俺はそう思っていた。

 男は男で、当然のように新しい女を引っ張り込んでよろしくやっていた。

 ところが、だ。

 さらに半月ほど経った頃、男の方も死んじまったんだよ。

 死因は──毒殺だった。



 誰がやったかは判っていた。

 毒物は男が呑んでいた梅酒の瓶から検出されたし、窓際に置かれた鉢植えの中に鑑賞用のトリカブトが見つかった。……そう、彼女だよ。彼女が漬けた「あの人のための特別」の梅酒には、梅と一緒にトリカブトも漬けられていたんだ。

 深夜帰ってきた男は、何か呑むものはないかとあちこち探した挙句、彼女が生前漬けておいた毒入りの梅酒を見つけた。実際あの男、梅酒は好きだったらしいな。これ幸いと喜んで呑んで、そのまま御陀仏ってわけだ。

 男が彼女にたびたび暴力を振るっていたことは、近所の者なら皆知っていた。近所でも評判の乱暴者だったから、誰もが彼女寄りの証言をしたさ。その甲斐あって、警察の捜査も簡単に済んだ。

 結局、皆の作り上げた“物語”はこうだ。男の暴力に耐えきれなくなった彼女が、男を殺そうとして毒入りの梅酒を作っていた。だが殺人を実行に移す前に、自分が病死してしまった。残された毒入り梅酒を、男の方が勝手に飲んで死んじまった──。

 この“物語”に疑問を持った者はいなかったろうな……俺以外は。俺は彼女のゆるぎなさを知っていたから。あのゆるぎなさで男を「愛している」と言い切った彼女が、そんな単純な理由で奴を殺すとは思えなかった。そうだろ?


 確かめる方法は一つしかなかった。


 実の所、俺はそれまで“力”を自分の意思で使ったことはなかったんだ。いや……一度だけあったが、その時以来半ば封印していたようなものだった。偶然その場に残った“想い”とチャンネルが合っちまったことはいくらでもあったがね。俺は、封印を解くことを決意したんだ。彼女の真意が知りたかった。

 夜中、彼女の家に忍び込んだ。もう現場検証も何もあらかた済んでいたんで、警官などもいなかった。彼女の生前はきちんとしていた家の中は、随分散らかっていた。彼女が梅酒を漬けたと思われる狭い台所に立って眼を閉じ、精神を集中させる。“来る”時の独特な感覚を体内に呼び覚ますようにな。

 どんな風に“来る”のかって? そうだな、まず首筋のあたりがちりちりするような感覚がある。これが前兆だ。“来る”時は一気に来る。俺の体を置いて、五感だけが恐ろしいスピードで飛んで行くような感じだな。よく判らない? そりゃそうだろ。あくまでもこれは俺の主観だからな、説明したってしきれるもんじゃない。

 そうして俺は封印を解いた。視覚聴覚の全てがジェットコースターに乗ったようなスピード感に包まれる。最初は全然制御が利かなくて、まるで関係ない映像ばかりが浮かんでは消えて行った。男は常に彼女を手酷く扱っていた。彼女の稼ぎで呑み、気に入らないことがあれば彼女を殴り、彼女のいない時に他の女を連れ込んでいた。

 誰が見たって彼女は不幸に見えた。それでも彼女は嬉しそうに奴に尽くしていた。正直、愚かに思えたよ。

 そのうち、俺の一番見たかったものがやって来た。梅酒を漬けている彼女の姿だ。毒入りの梅酒を作っている彼女の顔には、本当に幸せそうな微笑みが浮かんでいた。今まで俺が見たどの表情より、その時の彼女は綺麗だった。

 最初はやはり逃れたかったのかと思った。男の暴力から逃れたくて、それで毒を仕込んだのかと。


 ──そうじゃなかった。


 彼女は、毒入りの梅酒を大事そうに奥へしまっておいたんだ。すぐには見つからないように。男を始末したいんなら、真っ先に目につく所へ置く筈だ。



  ──これでもう、大丈夫。



 彼女の“想い”が伝わって来た。



  ごめんなさい、あなた。あたしはもうあなたと一緒にいてあげられない。

  ごめんなさい、もうあなたの帰る場所、なくなっちゃうね。

  でも、大丈夫よ。あなたを遺して逝くようなこと、しないから。

  あなたも、一緒に連れて行くから。

  あなた、あたしの梅酒が好きだから、きっとこのもう一つの瓶を探してくれるよね。この梅酒を飲んでくれるよね。

  死ぬことは怖くはない。ただ、帰る場所をなくしたあなただけが心配なの。あなたの帰る場所は、あたしだけだもの。

  こうしておけば、あたしが死んでもあなたはあたしの元へ帰ることが出来る。だから、大丈夫よ、あなた。



  ──愛してるわ。



 ……我に帰った時、俺は台所の床の上にうずくまってボロボロと涙を流していた。なんだか無性に口惜しかった。

 捕われていたのは彼女の方じゃなかった。男の方が彼女に捕われていたんだ。彼女の心は、最後まであの男ただ一人に向かっていた。毒入りの梅酒は本当に「あの人のための特別」だったんだ。

 男が毒入りの梅酒を呑むことを、彼女は確信していた。彼女は最後までゆるぎなかった。それが俺にはどうにも口惜しかった。

 口惜しくて、口惜しくて、ただ泣くことしか出来なかった。

 思えばあれが俺の最初の失恋だったのかも知れない。



 ……ところで、だ。

 どうして俺はこういう話を一方的にあんたにしてるんだ?

 俺の話を聞いた以上は、あんたもそれ相応の話をするべきだと思うんだが? ……また笑って誤魔化してやがる。

 いいさ、いつかこの借りは返してもらうぜ。

 おごるからもう一杯? ああ、いただこうか。悪酔いしそうだけどな。乾杯だ? また酔狂だなあんたも。

 そんじゃ、莫迦なガキだった俺の思い出に。

 乾杯。

話を聞いているのは、前作「夜の足音」に出て来た芦田風太郎先生という設定です。

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