カルラのメイナード評
<カルラ視点>
アシュベリー家に仕えてからの異変のうち、メイナード誕生は一番大きなものだった。
彼は赤子のうちから、少しおかしいと思えることが多かったのだ。
乳を飲むのを拒否するような行動や、眠っても覚めても不満を感じている素振りは、まあ気性の荒い赤子ならおかしくない。
問題は、それが分かりやすいことだ。
メイナードは嫌だったり、辛かったりすることを身振りで表すすべに長けていた。
首を横に降って拒否を示したり、起きたてに腹痛を訴えて腹をさすったり(とはいえ赤子の腕の可動範囲は大きくないから、実際は下の方に手を突き出してぐるぐると回す程度だ)、目顔で衣擦れの不快感を訴えたりと、とにかく不気味だった。
それらは言葉を介さない分、より一層メイナードの存在を何やら奇妙なものだと想起させる力があった。
何かを話したりするならば、意思疎通が取れる。
しかしメイナードは身振り手振りという、曖昧にしか意味が取れない行動で意思表示するから、彼自身の実際に存在する喜怒哀楽以上のものを、カルラは受け取ってしまう。
想像する余地があるぶん、喋る赤子より不気味だとカルラは思った。
しかしそんなカルラの思いに反して、メイナードは普通に育っていった。
アシュベリー家はアルセムにある唯一の教会で神父をやっているティモシーが大黒柱だ。
教会は布教だけでなく、騎士団や傭兵の傷を治すなどの実務も行なっており、特権的地位を持っている。
それに奥方であるマーシーも、裕福な商人の娘だ。
金や地位を備えたアシュベリー家は、大きく静かな、そして優秀な使用人たちを揃えた家で、何不自由なく生活を営むことができた。
だからこそ、メイナードものびのびと育てられた。
六歳ともなれば、貧乏な家ならば家事を手伝わされたり、金のために売られたり、農奴として税の代わりに領主へ差し出されたりするかもしれなかった。
しかしメイナードはそうした待遇を受けることなく、毎日勉強したり、昼寝をしたり、使用人たちを困らせたりと、自由に過ごしていた。
カルラは、そうした自由を享受するメイナードに安心した。
不気味だった赤子時代は、本当にたまたま偶然が重なったに過ぎず、本当は少し魔法の才能があるだけの子どもだったのだ。
しかしメイナードが魔法を使えるようになってから、新たな不安が頭をもたげた。
どうにも、何か隠し事をしているようなのだ。
カルラはそうした機微に鋭い。
西方のトゥアグレス大陸の魔族が住む地域から気ままな旅を続けて、海を渡り、ケンテ大陸の北東にあるアルセムまでたどり着く間に十年以上かかった。
旅の間に無数の人々に会って、親交を深めたり、裏切られたり、雇われたりと様々な体験をしてきたつもりだ。
魔族であるカルラは寿命が人以上だから、旅をする余裕があった。
だから気軽に始めた旅だったが、そこで学ぶことは多かった。
カルラは、このアシュベリー家で奉公するのも、旅の一環というつもりだ。
そもそも人が魔族を雇うというのは、あまりない組み合わせだ。
魔族は人族よりも寿命が長い。
人が生きていられるのが長くとも六十から七十程度なのに対して、魔族はその十倍から百倍近い。
そんなにも長い間生きていれば、社会的地位も自ずと高まる。
だからこそ、寿命が短い人族が魔族に仕えるほうがずっと多い。
なのでカルラのような気ままな旅のついでに人に雇われる魔族は稀だ。
アシュベリー家は教会で神に仕える身分だからこそ、魔族であるカルラにも分け隔てなく接してくれるが、本当なら仕事につくのは難しかった。
カルラの場合、旅で怪我した際に寄った教会が思わぬ縁を繋いでくれた、という形で奉公を始めた。
メイナードの父であるティモシーの人の良さが、カルラを拾う偶然へと繋がったのだ。
感謝はしているし、出来る限り尽くしたいとカルラは考えている。
しかし、いずれは旅を再開するつもりでいる。
元々、金のための奉公だ。
迷惑の掛からない辞め方をするつもりではいるが、一生をここで過ごす気はない。
もしその時が来るなら、メイナードの異変を解決してからでないと、と使命感にかられていた。
カルラは魔族であり、長いスパンを生きるからこその気楽さや責任感のなさがあったが、それでも恩のある家の異変を見過ごす気にはなれなかったのだ。
生活習慣が変わるのは、人の変化でも最も分かりやすい変化だ。
最初にメイナードの異変を嗅ぎ取ったのは、昼寝の長さだ。
今までは無理に昼寝を促すと逃げようとするくらい嫌っていた
何かしていないと落ち着かない性質なのか、やたら色々なものに興味を示したり、話を聞きたがったりと、使用人の仕事をしていても鬱陶しいくらいだった。
しかし最近、日中寝ていることが多くなったのだ。
汚れたシーツを替えようと部屋へ入ると寝ていたり、昼食後にリビングでそのままテーブルに突っ伏して寝ていたりと、寝ていることが多くなった。
外出は主人か奥方がいるときに限られるはずだったし、それも大半は教会までの道だけしか許されていなかったから、外で遊んでいるということはないはずだ。
だから疲れるようなことは、あまりない。
それにも関わらず寝ていることが多いということは、寝不足になる何らかの事情があるということだ。
何か行動を起こす前に、カルラは奥方の耳に入れておこうと考えた。
独断専攻は、使用人らしくない。
「なるほど。たしかメイは火魔法が使えたわよね?」
奥方は眠りこけたメイナードの寝顔を見ながら、カルラへ訊ねた。
「ええ。自然魔法はすべて使えるようです」
「改めて聞くと、本当にすごい才能よね。ティモシーでも対抗魔法を一つ使えるだけなのに」
ティモシーは教会の神父として、怪我を治癒する魔法が使える。
カルラも旅の途上で怪我した肩を治してもらったことがあった。
一つ魔法を使えるだけでも十分な才能だというのに、メイナードは自然魔法全てを使いこなせるのだ。
とんでもない才気の持ち主という他なかった。
「でも、それが原因かもね」
「と言いますと?」
「火魔法で明かりをつくれば、夜でも絵本が読めるじゃない。わたしたちに隠れて夜更かししてるんじゃないかしら」
カルラは奥方の洞察に頷いた。
しかし、実際はあまり納得していなかった。
あのメイナードがその程度で、夜更かしするだろうか。
それに異変は昼寝だけではない。
前まではそわそわしていたり、なんでもないところで魔法を使ってみたりと落ち着きのない子どもだったのに、そうした雰囲気が消え去っているのだ。
まるで、他に遊び場を見つけて、日中は代わりに我慢することを覚えたようであった。
そんなメイナードが、たかが夜更かしして絵本を読んでいるだけ、なんてことがあるだろうか。
「夜が怪しい、と思いますか」
「まあね。昼寝が増えたってことは夜寝てないってことだし。あんまり健康には良くないと思うわ」
それから奥方はメイナードの話を打ち切って、夜更かしすると肌荒れがひどくなるという話へ移った。
どうやら、カルラの話を聞いていたのは雑談をしたいがためだったらしい。
カルラの話が終わったのを見てとり、何気ない話にとりかかったというわけである。
仕事する時間がなくなっちゃう、とカルラは内心でため息をつきつつも、話の間中しきりに相槌を打って奥方を満足させた。
奥方がそんなに危機感を持っていないのはわかったので、カルラは独自に対策をこうじる決心を固めた。
昼寝程度では、メイナードの異変を深刻に受け取ってくれる人がこの家にはいないのだ。
アシュベリー家は平和だ。
だからこそ、この家で異変が起きても、誰も本気で訝しんだりはしない。
最近は街の外で危険な魔獣が多く現れているという話も聞く。
小牙狼ならば街を守っている衛兵たちでも対処できるが、大牙狼ともなれば、人間単独で立ち向かうことすら困難になる。
そんな治安状態が続く街で、もしメイナードが外に出ていたらと思うと、主人たちの気持ちが揺れないわけがない。
それなのにそんなことを考えようともしないのだ。
街で噂になっている大牙狼は、最近森で多く見られる小牙狼の死体に興奮して、森の奥から出てきたという。
北に伸びるアッシュベリー山脈は、危険な魔獣の巣窟だ。
森はその麓にあるが、危険な魔獣はほとんど降りてこないから何とかこの街を維持できている。
危険な魔獣は人を容易に殺す。
衛兵たちも何人かやられているらしく、もし街中にでも出てきたら大騒ぎでは済まない。
カルラがついていればメイナードを助けることもできるだろうが、もし一人で何かしていて大牙狼に襲われでもしたら、大変だ。
メイナードの異変は、そうした危険を伴う話でもある。
それなのに、危険を考えることで不安になるのを恐れるアシュベリー家では、真面目に話もできやしない。
カルラは爪を噛んで、自分の気持ちを落ち着けた。
**
カルラは自分の持ち物である銅貨をメイナードの服に縫い付けて、監視を始めることにした。
持ち物を取り寄せる対抗魔法で、物の場所を把握しようという策だった。
取り寄せる時に場所は分からないが、それを元の場所へ返すときには自然と場所が把握できる。
動かせるのが自分の持ち物だからこそ、場所を自然と把握するという機能も付随しているのだろう。
場所が分からなければ物を動かすことはできない、という自然に対して魔法側から寄り添うことで、「取り寄せる」という自然にはありえない行為を引き出しているのだ。
もしくは、取り寄せるという魔法によって生じる、捻じ曲げられた自然がある程度の修正を加えられる過程で、場所の特定を可能にしているのかもしれない。
実際どういう理屈で場所を理解できているのか、カルラには分からなかった。
ただ、使えるものは使ってしまうのが自然だ。
カルラは縫い付けた銅貨を取り寄せ、戻すことでメイナードの位置を把握できるようにした。
ズボンの膝横に縫われて入り込んだ銅貨は、メイナードに気づかれることなく、追跡装置として機能した。
昼間のうちはどこにも出かけていない様子だった。
たまに庭まで出ているが、門の前で外を眺めるに留まっている。
だが、問題は夜だ。
夜が更けた後、カルラはベッドから身を起こして、目を闇に慣らした。
メイナードが寝ているのは二階の寝室だから、いま銅貨を取り寄せれば、二階から飛んでくるはずだ。
水の入ったコップからつまみあげるような感覚で、銅貨をすくい取る。
そして元へ戻した。
カルラの膝に水しぶきが降り落ちる。
それからすぐに、メイナードの場所が分かった。
思わず息をのみ、深い緑の虹彩を瞬かせた。
ベッドにはいないようだった。
それどころか家の中にすらおらず、街の外に出ていた。
すぐさま外套を羽織って、奥方と主人へ知らせに走った。