狩り遊び
メイナードは木魔法で生やした大きな幹のてっぺんに立って、街を見渡した。
街で迷ってしまうと朝までに帰れないし、魔法の練習もできないからだ。
高いところから見渡す街はかなり大きかった。
教会と家がある位置はほとんど街の端で、中心には石でできた大きな城が建っていた。
王様か領主かはたまた魔王かは分からない。
この世界がどうなっているか、メイナードはさっぱり分からないのだ。
だからあの城に誰が住んでいるのかも当然わからなかった。
それでも今、困るわけではない。
メイナードは一直線に街の外へ向かった。
街は楕円形のような形状で、中心に向かうほど過密になるような状態だった。
しかしそちらへは向かわず、外へ外へ向かったのは魔法を練習するには人気のないところが良いからだ。
もし昼間も外出できるようになれば中心の方も見てみたいが、夜の街には興味がなかった。
今大事なのは、魔法の練習である。
街から出ると、すぐに森が聳えていた。
その奥には街を見下ろすような巨大な山々が連なっており、昼間でも見ることができた。
昼に見ると山々はいつも雲を被っており、その大きさが窺い知れるというものだった。
今は山まで行く必要はない。
森で練習するのが良いだろうとメイナードは判断した。
わざわざ夜の森に人は来ないだろうし、見つかる心配もない。
夜の暗さは、煌々と照る星々の明かりさえで補えた。
まずは手のひらから飛び出るような大きさの火魔法だ。
豆粒のような火がぽんと飛び出ると、それを徐々に大きくしていく。
星明かりで十分と思っていた夜の風景は、火の明かりを前にするとあまりに暗かった。
一気に大きくしてみる。
「あつっ」
メイナードは思わず声を出した。
火はメイナードよりも大きかった。
そしてかなり熱かった。
目が乾燥し始め、何度もまばたきする。
これは少し離したほうがよさそうだ、とメイナードは気づいて力をこめた。
火の玉は真っ赤な表面が踊りながら、不定形の表層によって影の濃淡を変えつつメイナードから離れた。
表面に渦が巻いて明るさが変わるため、メイナードの顔に浮かぶ影も揺れ動いた。
メイナードから離れても形を保つ火は、熱さを彼にぶつけるのをやめてゆったりと暗い夜に鎮座した。
開かれた木々の隙間に浮いているだけなのに、火の力は強烈だった。
メイナードはぼんやり眺めながら、火魔法の強さを目に焼き付ける。
そのとき、森のなかでざわめきが聞こえた。
メイナードは火魔法を消して後ろへ振り向く。
急に消えた火魔法で目がなれないため、しばらくは木すら見通せない暗い中で不安を募らせた。
しかしそんな彼を知ってか知らずか、物音は徐々に近づいてくる。
音が大きくなり、何かがいるかのような下生えがかき分けられる音が響く。
露で湿った木に身体を寄せて、息を殺す。
音はメイナードへ近づいていた。
何もしないでいるのに耐えられなくなって、メイナードは火を出した。
眼前の木の下で、狼のような何かが睨んでいた。
足がぐっと折り曲げられ、今から弾丸のようにメイナードへ飛びつこうとしているのが素人でも分かった。
メイナードは確認のために使った火を球状のまま真っ直ぐ前へ飛ばした。
狼は身体を捻って火を躱す。
すでに飛びこんできているのだ。
身体のバネを伸ばして一直線にメイナードへ向かう狼は、口を大きく開いて牙を剥き出しにしていた。
舌からよだれが垂れていて、殺意がこぼれ落ちている。
メイナードは身を引く間もなく、固まりかけた。
わずかに残った理性が眼前に迫る狼ではなく、魔法へ意識を振り向けた。
狼とメイナードの間に、透明度の高い水柱が突き立った。
向こう側に透けて見えるゆがんだ狼が、唸り声ををあげながら身を捩る。
激しく水へとぶつかった狼の動きが一瞬だけ鈍る。
その隙を逃さず、背後に飛んだはずだった火の玉が、揺らめきながら戻ってくる。
狼が再び動き出そうとする直前、火は足元に滑り込んだ。
「ぐるるるるぅるるぅるるるる!!!!」
くぐもったうめき声が牙の隙間から吐き出される。
狼は身体へ絡みつく火を払おうと地面に身体を擦り付けるが、炎は容赦なく、赤いヴェールのように身体を包んでいった。
まるで生きているかのように動いて、入念に身体を覆い尽くした火は、パチパチと乾いた音をたてながら、狼を焼いた。
メイナードは水柱越しに、焼き尽くされる狼をじっと見つめた。
最後には吠える気力も失った狼が地面に四肢を投げ出して、ぐったりと力を抜いた。
もう死んでいた。
正確には、死んだのではない。
メイナードが撃退し、殺したのだ。
**
メイナードはすでに六歳。
それでも家の者たちはまだ過保護に、彼を守っていた。
起きてから寝るまでの間、彼は付きっきりで誰かしらに見守られていた。
監視されているのと変わりないとメイナードは感じていたが、日本とは治安が違う。
神父の子であるメイナードを守るのは、この世界では当たり前だった。
しかし精神の経過年齢はもう二十を越えている彼にとって、手厚い保護は煩わしいものでしかなかった。
だからこそ、夜の出歩きは習慣化した。
昼寝の時間は伸びて、使用人たちは手がかからなくなったと密かに喜んでいたが、メイナードは気にしなかった。
夜になると自然と目が覚める。
わくわくして、今日が始まったという気分になるのだ。
外へ出歩かずに、読み書きの練習や話す練習、礼儀や宗教の話を聞くよりも、森へ出るほうが楽しい。
人がいない、静かな街を通り抜けるのも良い。
石造りの道を歩いていると、陽が出ているうちにそこを通る人々を想像する。
地球にはいない人々が、地球では見ない服装で、生きているはずだ。
そういう想像のなかを通り抜けると、鬱蒼と茂る森へ出る。
地面は夜露に濡れている。
外へ出る時にメイナードは靴を持ち込めないから、地面を踏みしめるほかない。
しかしそれが家の中でじっとしているどんな時間よりも、心地よかった。
木に茂る葉が、月に照らされる。
虫や動物たちの息遣いが、森の中へ溶けているようだ。
メイナードは地面から枝を幾重にも伸ばし、自分を守る壁をつくる。
静かな森ではあるが、それは仮の姿にすぎないからだ。
危険は常に静けさに沈み込み、獲物を待っている。
メイナードの小さな姿は、格好の獲物だった。
耳を澄ませると、荒い呼吸が遠くで聞こえる。
緊張感に張りつめた、死の臭いだ。
メイナードは素足で森を踏みしめながら、どこから来るか待ち構える。
今日は火を使わないと決めていた。
狼は無防備そうなメイナードの歩容を確認して、一気に飛び出す。
背後から来る高速の飛びつきに、メイナードは少し遅れて反応した。
足元から伸ばした枝がメイナードの周囲に張り巡らされ、ある程度の距離へ近づいた敵を感知するのだ。
しかしメイナードが気づいたことを感じても、強靭な肉体を持っている狼は怯まない。
むしろ、一層強い威容をたたえ、冷たい殺意をむき出しにして近づいてくる。
大きく広げた口は、唾液で濡れた牙がむき出しだ。
しかし、メイナードは気にしない。
「がるるうっ!」
狼の腹に、鋭く尖った枝が突き刺さり、突進が止まる。
さらに枝葉が伸びていく。
枝に刺さった狼が森の木々に支えられて、空へ昇っていくような様子を見せた。
実際はメイナードが木魔法で枝を伸ばして、突き刺したまま持ち上げているだけだが、その姿は月明かりに照らされて、まるで天への贄のようだった。
狼はなんとか逃げようと、激しく身を揺さぶった。
その身にたくわえた力強い筋肉を総動員して、もがき苦しむ。
それでも、枝から逃れることはできない。
異音が狼の身体から発せられた。
激しいうめき声をあげながら、狼は抵抗する。
骨が曲がらない方向へと変形し、折れ砕ける。
筋肉がバチンと大きな音を立てて弾け飛び、内臓から漏れた黒々とした液体が毛皮を濡らした。
メイナードは水で狼の口を塞いで、抵抗する余地を奪い去る。
そして狼の硬い毛皮の内側から、幾重にも分かれた枝葉が腹や背中と言わず、あらゆる場所から突き出した。
牙のすき間から黒い血液がどっと溢れて、狼を突き刺した枝葉に降り掛かった。
メイナードは薄いヴェールのような水の覆いで身体を守り、一滴の血液も身体に付着することを許さなかった。
狼狩りが、メイナードの魔法を試すための新しい遊びだった。