夜遊び
両親に魔法を披露したメイナードは祝福とともに受け入れられた。
ただし、火を家で使うのは避けた方がいいという忠告付きで。
子供の判断力で魔法を使うと何かあった時に責任が取れない。
部屋で小火を起こすだけでも問題だし、魔法を使えばそれ以上の危険も容易に引き起こせる。
メイナードは神妙に頷いて両親の言いつけを守ると言った。
しかしそんな約束、破るためにあるようなものだ。
「メイナードお坊ちゃま、ご両親の言うことは聞かなければ……」
使用人の中でも一番おどおどしているジュリアが、メイナードを諌めた。
メイナードは指に灯った火を人差し指から小指まで――それからもう一方の指に移しているところだった。
昼下がり。
父は仕事でおらず、母はカルラを連れて買い物に行っている。
両親がいない家で、メイナードはやり放題できるというわけだ。
「黙ってたら怒られないよ」
「そうはいきませんよ」
気の小さいジュリアは使用人の中でも一番歳が若い。
日本ではまだ成人もしていなさそうな年頃で、社会を渡っていく力もまだ養われていない。
メイナードに仕えているのか、その父であるティモシーに仕えているのか、はたまた母であるマーシーにか。
一家に仕えているという認識で仕事をしているから、こうした矛盾が生じる状況では判断ができない。
メイナードはそれに漬け込んだ。
前世のメイナードと比べれば、彼女は年下だ。
今のメイナードには手玉に取れる自信があった。
魔法を使えるというのは、それだけで余裕が生まれるのだ。
「命令だよ。良いじゃないか、火事にならないよう気をつけるさ」
「ほ、本当におやめください。危ないですよ」
おろろ、と背景に浮かんでいるような態度のジュリア。
メイナードは一歩近づいて、豆くらいの火をぽんと高く上げた。
「うわっ!」
「おりゃっ、どうだどうだ」
スカートのフリルを握りしめて、ジュリアは部屋の中で逃げ回る。
メイナードは毛虫を握って可愛い子を追いかけるノリで、ジュリアを追い回して遊んだ。
そうしてメイナードはテーブルの脚にジュリアが引っかかって頭から転ぶまで、走り回った。
**
「強い力を持っているのに、それに見合った態度を取れないのは問題ですよ」
カルラは苦笑しつつも、きっぱりとメイナードへ告げた。
ジュリアは半泣きで昼間のことを父へ報告した。
メイナードはその日、夜飯が抜きになった。
白い尻も真っ赤に腫れ上がって、痛みで反射的に流れた涙の跡はまだ頬にくっついている。
「やり過ぎたのは反省してる」
「明日ジュリアに謝ったほうがいいでしょうね」
メイナードは顔をあげて、カルラの顔を見た。
捻れた角の下にある顔は、いつものように優しい笑みを浮かべている。
「分かりません」
しかし言葉は突き放すように冷たい。
前世を含めて社会経験のないメイナードは、こうした叱られる雰囲気に弱い。
どう立ち直れば良いのか分からなかった。
「じゃあどうすればいいんだ」
「優しくするのがいいでしょう。これから信頼を築き直すより他に道はありません。時間はかかりますが、きっと大丈夫です」
カルラはメイナードが聞きたい言葉は話してくれなかった。
「謝れば許してくれますよ」や「絶対大丈夫です」と言ったほうがメイナードの心は落ち着いたはずだ。
けれど、カルラはそうした一時の気休めには走らなかった。
それからカルラはメイナードが寝るまでベッドの横で座って、今日あったことなど他愛ないことを話してくれた。
優しい夜だった。
**
「ごめんなさい、もう二度としません」
メイナードは朝一番にジュリアの元へ行って、謝った。
ジュリアは廊下の床掃除をしていたところであり、突然やってきたメイナードに跳び上がって驚いた。
「……! いえいえ、大丈夫です! 頭を上げてください」
言葉とは裏腹にまだジュリアはメイナードに対して怯えていた。
昨日のことはよほど響いていたのだろう。
引きつった笑みを浮かべたジュリアは内股気味の足で半歩下がり、メイナードに頭を下げた。
「いや、本当にごめんなさい」
その言葉に意味はない。
ただジュリアは怖いものが早く過ぎ去ってほしいと思っているのだ。
メイナードは許されなかったのだ。
表面上で許されても、これから長い年月をかけなければ彼女と真に和解することはできない。
「いや、僕が悪いんだ。本当にごめんなさい」
それからメイナードはジュリアが顔をあげるまでずっと頭を下げ続けた。
**
ジュリアとのことがあってからのメイナードは家で火魔法を使わなくなった。
代わりにやったのは他の魔法の練習である。
自然魔法はどれも同じような難度であった。
頭のなかで魔法が起こることを想像する。
なるべく具体的に想像するほうが効果的だった。
メイナードにとっては簡単だったが、この世界でそうした魔法使いは滅多にいない。
使える魔法が一つ、というのが多くの魔法使いの限界だった。
そもそも魔法は奇跡であり、筋肉を鍛えるとか剣を上手く振るとかといった技術とは全く違う。
才能がなければ絶対に使えず、才能があればメイナードほどの歳でも扱える。
そういう無慈悲な力だった。
「すごいですね、流石」
「ほらほら、これはどうだっ」
カルラの目の前でメイナードは魔法を使っていた。
木魔法と水魔法の混合で、指先には細い筋のような水しぶきと木の根が螺旋状に絡まっていた。
二つの力は互いに食い合うように絡み続け、しばらくすると毬のように丸くなった。
「とんでもない才能ですよ」
「そうなの?」
「普通はこの二つを使えるだけでも相当ですから」
メイナードには魔法の才能があるようだった。
絵本に描いてある自然魔法は全て扱うことができたし、それを手のひらで自在に操ることもできた。
時間の制限もなく、使いたい時に使いたいだけ使える。
カルラはメイナードの魔法を見て、常に褒めちぎっていた。
「これならどこでもやっていけますね」
「父さんの仕事も手伝えるかな」
「そりゃあもう。きっと凄い魔法使いになります。いや、すでに凄い魔法使いですかね」
カルラは褐色の頬を緩めてメイナードの手を握った。
メイナードの小さい手が、温かい感触に包まれる。
「いずれ何か事を為すときはぜひわたしを呼んでくださいね。必ずや力になりますから」
「何かって気が早いなあ」
「そう遠くないと思いますよ、わたしは」
カルラは笑って、メイナードの手を暖めた。
**
メイナードはジュリアとのことがあってから、魔法の練習をする上で一つ気をつけていたことがあった。
手のひら以上に大きい魔法は使わない、ということである。
火魔法ならば指先ほどの大きさでも危険だが、他の魔法も大きくすれば全て脅威となる。
魔法は危険な力だから、振るうときには注意が必要だ。
だからメイナードは、注意されそうな大きさでの魔法行使は避けていた。
それでもやっぱり使いたくなるというのが人情だ。
自然魔法が全て扱えると両親に言った時は、かなり喜んだ。
ならば上級でそれらを扱えるとしたら、もっと褒められるだろうか。
いや、そうではないかもしれない。
子どものうちから大きい力を使うのは、むしろ怒られてもおかしくない。
メイナードはまだ子どもだから、責任を取ることすらできないのだ。
だから練習するには一人きりになる必要があった。
しかしそれが意外と難しい、と知ったのは敢えて一人になろうと試行錯誤し始めてからだった。
朝と夜は両親がいる。
昼間のうちは常に交代で使用人たちがメイナードの面倒を見てくれるので、一人きりになることはまずない。
わざと一人になろうと家を飛び出してみたこともあった。
結果としては最悪だ。
部屋にいなくなったメイナードを探すために使用人たちがそこらじゅうを探し回り、家にいないことを確認すると教会に行った父へと連絡した。
そして辺り一帯を父の同僚たちが探し回り、大騒ぎになったのだ。
今まで家と教会以外に外へ出たことのなかったメイナードにとって街の中は新鮮だった。
遠くに見えた大きな塔を目指して歩くと、見たことのない人や物に出会うし、風景も初めてのものばかりだった。
低い建物ばかりで見晴らしはよく、忙しそうに道を渡る人々は、誰もが日本で見かけない服装をしていた。
鎧のようなものを装着した一団もおり、大きな荷台を引く老婆もいる。
ほとんど下着のような格好をした男が背中に大きな袋を背負って警戒に走り去っていくのともすれ違った。
乾いた木のような匂いを漂わせていたから恐らくは手紙か何かの配達だろう。
そう考えると飛脚みたいな格好だったな、とメイナードは前世の記憶を引き出した。
と、そこでメイナードは捜索の網にかかり、教会で父の部下をやっている一人に確保された。
家に帰ると鬼のような形相で待ち構えた母が待っていた。
「何も言わずに家から出ちゃダメじゃない!」
「あー、ごめんなさい。言われてなかったから、ダメだと思ってなかったんだよ」
「ダメに決まってるでしょ! 万が一人さらいにでも会ってたらどうする気だったの!」
母の平手が頬を打つ。
もみじになった頬へ、母が顔をすり寄せた。
思い切り抱きしめられて、メイナードは息がつまりそうになる。
「本当に心配したんだから。もう一人で外にでたらダメなんだからね」
そう言うと母は涙をこぼして、しばらくずっと抱擁を続けた。
メイナードはその間固まったまま身を任せ、「一人になるのは難しそうだ」と考えあぐねた。
**
朝と昼と夜がダメならどうすればいいか。
簡単なことである。
深夜に出れば良いのだ。
メイナードの寝室は両親とは別で、両親もまたそれぞれ別の寝室で寝ていた。
使用人たちもカルラを除けば全員違う場所に住んでおり、寝るときだけが一人になれる時間だった。
つまりここで上手く抜け出せば、一人で魔法の練習ができるというわけだ。
一度寝るふりをして母を騙し、蝋燭の火を消され部屋が暗くなる。
それからしばらく待ち、二人とも寝室にいった頃合いを見計らって、メイナードはベッドから抜け出した。
シーツで身体を包み、冷たい夜気から身体を守る。
窓を開いて外へ身を乗り出したら、庭が足よりもずっと下にあった。
メイナードの部屋は二階にあるのだ。
まずは風魔法の力を試すべく、上空に向けて強く力を放つ。
髪の毛がなびき、身体が後ろへ倒れそうになった。
窓枠が軋んで音をあげる。
慌てて魔法を止めた。
メイナードは上級どころか超級でも使えそうだと判断し、風魔法に身を委ねた。
常に飛ぶには気流などの科学の知識が必要だろうが、メイナードは分からなかったので跳ぶ距離を伸ばす程度にしか扱えなかった。
しかし今はそれで十分だ。
窓枠に足をかけて、思い切り跳んだ。
風魔法で上へ身体を持ち上げて、庭や柵を飛び越える。
そして石でできた舗装路まで飛び出した。
尻もちをつく瞬間に道路から柔らかな木の根が伸び上がり、柔らかく身体を抱きとめる。
魔法での脱出劇は成功だった。