天使の囁き
「どうぞ」
船内で一番綺麗で大きな部屋を充てがわれているルフィナが、ノックの音に反応して椅子から立ち上がった。
「入るぞ」
そう言ってペルペトゥアが扉を開ける。
後ろにはメイナードもついていた。
「なにかありましたの?」
鋭い目つきで間断なく周囲を警戒するペルペトゥアの様子に、ただ事ではないと気づいたルフィナが居住まいを正した。
椅子のほうへ座るよう目顔で誘導し、三人でテーブルを囲んだ。
すぐに外からやってきたガリエル建設の従業員の一人が三人分の飲み物を用意する。
それから従業員に指示を飛ばしたルフィナが扉を閉じるよう伝え、三人だけの空間となった。
「申し訳ないが、建設計画について少し調べさせてもらった」
「あら、言ってくだされば色々とお教えできましたのに」
「これもか?」
そう言ってペルペトゥアは地図を見せた。
「教会の指定する聖地のひとつである叡智の泉がここにある。しかしそこに工事予定があると記されているようだ。これはどういうことだ?」
ルフィナはじっと目を凝らして地図を確認する。
立ち上がり、自分の机にしまってある他の資料とも顔を突き合わせ、しばらく固まって地図を睨んでいた。
それからようやく戻ってきて椅子に座り直した後、ひどく申し訳無さそうな顔でルフィナは言う。
「申し訳ありません。何かの手違いで叡智の泉が工事予定地になっていたみたいですわ。すぐにわたしの方から連絡を入れますから安心してくださいまし」
そう言ってルフィナは慌ただしく外で待機していた護衛や従業員に話をはじめた。
メイナードとペルペトゥアは顔を見合わせて、状況の変化に適応しようと情報共有をしようとする。
しかし二人ともいまいち流れが掴めておらず、気づけばルフィナの部屋から出てしばらくが経っていた。
「まさか本当に手違いか?」
「うーん、正直わからないです。でもそんなに嘘をついてるようには見えませんでしたよね」
ペルペトゥアは頭を掻きながら、ルフィナの態度を再度検討する。
しかし材料が少なすぎて、彼女が嘘をついているかどうかは分からなかった。
「そもそも叡智の泉を工事予定地にするってありえるんですか? 教会が道を整備したりして周辺は観光地みたいになってるとかなら、ルフィナさんが嘘をついててもおかしくないと思うんですけど」
「いや、叡智の泉はほとんど手付かずだ。バグリュッフェ大湿地内に存在するせいで、ほとんど教会も手出しできていない」
もう判断材料がつきた。
これが日本なら、携帯電話で叡智の泉近くにいる人間に話を聞いたりしてすぐに確認が取れたかもしれない。
しかし、ここには携帯電話もパソコンもない。
船の中で連絡を取るには伝書鳩へ頼るしかなかった。
「セリオに確認させよう。ルフィナの指示通り叡智の泉から工事計画が退いたら本当だったと分かる」
そうして二人は待つことにした。
セリオへ手紙を送り、現状を伝える。
叡智の泉へ行くことが目的であるという事実は伏せた上で、確認を取るように伝えた。
それからメイナードとペルペトゥアは船上で待つのが仕事になった。
毎日空を眺めながら、背後へ流れていく川沿いの街の風を感じ取る。
兵士たちが多く駐留しているバグリュッフェ周辺では、常に物々しい雰囲気が漂っていた。
それと同時に、活気あふれる港の雰囲気もあった。
人が多いから、必然的に商売も栄えるのだ。
なにより商品を輸送する道が整えられている、というのも大きい。
ガリエル建設が作った道を中心に人の街が繁栄し、活気が生まれていた。
その景色を眺めながら二人はひたすら目的地へ到着するのを待った。
**
そうして船群は無事にピーゲンス砦へついた。
大量の積荷をクレーンで引き上げながら、ルフィナはそれを監督していた。
大雨が降った翌日だったが石畳の地面は水はけがよく、少しも水たまりはできていなかった。
降ろした積荷をそれぞれ所定の場所へ運び出す乾獣の荷車が港へ大挙しており、凄まじい人だかりで溢れかえっていた。
ゲッテンスの領主は丁重なもてなしを受けつつ明日の式典に向けて宿へ泊まったらしく、既に居ない。
メイナードとペルペトゥアは早々に船から出ることになり、後は好きにしていいとルフィナへ言われた。
そもそも二人は護衛ではなく、叡智の泉まで行くためにルフィナの旅へ同行していただけである。
あまりにもあっさりした旅の終わりにメイナードは実感が湧かないなか、上空で笛を鳴らしたような甲高い音が響いた。
「伝書鳩だ」
ペルペトゥアが強い日差しを手で遮りつつ、腕を伸ばした。
そこへ伝書鳩が降り立ち、するりと足を差し出す。
そこに手紙が括り付けられていた。
ペルペトゥアは手早く手紙をほどき、視線を走らせる。
しばらくして手紙を握る手がぎゅっと固まり、ペルペトゥアの瞳に冷たく凝ったものが差し込んだ。
「ルフィナは工事を急ピッチで進めているらしい。叡智の泉を埋め立てる気だ」
「ど、どうするんです?」
「もう一度聞くしかない。何のつもりか訊かないと」
「それでどうするんです?」
「敵なら殺す」
その言葉には恐ろしいほどの実感が込められていた。
ペルペトゥアの人生では、敵は殺さなければならないという事実がしっかりと根づいており、そこには疑う余地が一切ないとでも言うかのように鋭い言葉だった。
彼女がどんな人生を歩んできたのかメイナードに知るすべはないが、それでも苛烈な生き方をしてきたことだけは理解できる一言だった。
そうしてメイナードは早足で歩くペルペトゥアに必死でついていく。
彼女の方は迷いなくルフィナを見つけた。
船の上に立つ従業員に指示を飛ばしている姿を見る限り、隠し事をしているようには到底見えなかったが、彼女は歳すらも見た目からは推し量れない老獪なエルフだ。
何を考えているか聞くには実際に会ってみるほかなかった。
「少し話がある」
「あら、もしかして頼み事かなにかですの?」
「いいや、違う。時間をくれ」
ルフィナは不審な態度を少しも見せることなく、にこりと微笑んだ。
十代の女性のような面差しにメイナードは一切の嘘を感じ取ることができない。
ペルペトゥアは鋭い目つきでルフィナを睨むが、それにひるむ様子もなかった。
「では今から少し用事があるので移動しながら話しましょうか」
そう言ってルフィナは二人を後ろにひきつれて駕籠に乗った。
二人にも乗るよう促し、広々とした空間に対面で座る。
ルフィナを前にして、二人は硬い表情のまま話を始めた。
ごとり、と駕籠が動き出す。
「単刀直入に言わせてもらう。叡智の泉には手を出すなと伝えたはずだ。なぜまだ工事をしている?」
「あら、止めたはずですが?」
ルフィナはあくまでしらを切る気なのか、ペルペトゥアの詰問に笑みをもって返した。
しかしペルペトゥアはそこで引き下がるような女ではない。
「止まっていないのを確認している。なぜなのか理由を聞きたい」
そう言ってペルペトゥアは腰に佩いた短剣を抜いて膝の上に置いた。
刃が外からの光を反射して、壁にくっきりと跡を残す。
反射光が今にもルフィナに当たりそうな位置で止まり、ルフィナはその剣をじっと見た。
「実はですね、止める気は全くないのですわ」
ルフィナの表情は変わらなかったが、相当な告白であることがすぐに理解できた。
ペルペトゥアは今にも剣を振り乱しそうなくらいの目つきでルフィナを睨む。
「どういうことだ」
「そもそもですね、あなた方が叡智の泉と”天から捧げられし才を持つもの”について知っているということは、わたしたちが知っていることと無矛盾なのは理解できますわよね。なぜならあらゆる対抗魔法が完全に自然を無視している以上、人間だけに知恵を授ける、ということもまたあり得ないからですわ。常に予言可能な対抗魔法所持者はどこかしらに存在しますし、それをかつてエルフが所持していなかったと考えるのは理屈にあいません。寿命があなた方より長いわたしたちにとって、予言可能な対抗魔法所持者を待つという行為はさして難しいものではありませんしね。
ということもあって、わたしたちエルフは予言についても知っております。つまりあなた方がバグリュッフェ大湿地に来たことと、つい最近竜を殺した魔法使いがいることを突き合わせれば何が目的なのかは簡単に理解できるということですの。だからわたしは叡智の泉を埋め立てたのですわ」
そう言ってルフィナはにこりと微笑んだ。
話をする前と後で何一つ表情が変わっていない。
それがメイナードにはとても恐ろしいことのように思えた。
「なぜ埋め立てる? 邪魔する理由はないだろう」
「それがありますの」
ペルペトゥアはルフィナに食って掛かるが、一方のルフィナは少しも動じていない。
「そもそもあなた方人類はこの地に現れた文明が既に幾度かの亡びを迎えた経験があるということを知らないのですわね。少し話をしてあげましょう」
**
ケンテ大陸北部はかつて大量の人と家畜に溢れかえり、都市は栄えに栄えて絶頂とも呼べる文明を築き上げていた。
多くの国を征服し、大量の奴隷を用立てて道や街を作り、そこで足場を固めてさらなる発展に寄与した。
何人もの才ある者が戦いと治世を優れたものへ昇華し、子どもは増えに増えていった。
都市は際限なく大きく膨れ上がり、それでも賄えるだけの畑と家畜が育てられていった。
しかしそうした巨大化の影に、虐げられた人々がいた。
征服された国々は次々に土地を細分化されて切り刻まれ、現地を征服した軍に統治されることになった。
そこでは奴隷たちが飢えと病気に苦しみ、耐え難い苦痛に苛まれ続ける場所もあった。
そこに一人の救世主が現れた。
軍人共を一晩ですべて殺し尽くし、次の日には彼が王と名乗り、すべてを破壊することを宣言した。
彼もまた故郷を国に滅ぼされた被害者の一人だった。
莫大な魔法を得た彼は飢えに苦しむ人々を救い、征服された国々で奴隷となった民を助けた。
そうして栄華を誇った国へ戦いを挑んだ。
王と名乗る彼は国の中心へ向かうべくその途中にある全ての都市を滅ぼし、弱き者を救って回った。
軍人や貴族などの敵はすべて殺し、何もかもを焼き払う勢いで進んでいった。
そうして彼はついに国ごと滅ぼすことに成功し、自らが王と再び名乗った。
しかしその時、国の滅亡を悟った諸勢力が複数の魔法使いを野に放ち、王は彼らと熾烈な戦いを行った。
そうして、あらゆる都市と人々が焼き滅ぼされていった。
最後には終わらない戦争に疲弊した人々が、救ってくれたはずの王に不平を漏らした。
それが終わりへ向かう一言になった。
今まで彼らを守るために力を抑えていた王は、ついに自分の力を十全に発揮した。
すべてを滅ぼす力が大陸中にあますことなく行き届き、全ての都市が綺麗に滅んだ。
あとに残ったのは、焼け野だけだった。
**
「これ以外にもエルフに伝わる六つほどの興亡記がありますわ。少なくとも人類は六度、自らが築き上げてきた文明を自らの手で滅ぼしていますの。これが意味することは分かります?」
メイナードもペルペトゥアも何も言えなかった。
ルフィナだけが饒舌に話を進める。
「わたしたちは、大きな力が振るわれることこそが最も滅びに近づくと考えていますの。そして今、あなた達は”天から捧げられし才を持つもの”を利用して大きな変革をもたらそうとしている」
「でもそうしなければ危機は乗り越えられない」
「別に乗り越えなくてもいいのですわ」
ルフィナは衝撃的な言葉を発した。
思わずペルペトゥアは固まり、メイナードもなにか言おうとしてつっかえる。
「滅びを回避するために大きな力がケンテ中に振るわれるよりは、さっさと綺麗に滅びて、次の文明を待った方がエルフ全体にとっての利益となりますの」
「な、なにが言いたい?」
「なぜあなた達の社会では封建制度があると思いますの? なぜ一度取り立てられた貴族が何代に渡って栄華を欲しいままにすると思いますの? なぜ年功序列制度によって成り立っていると思いますの?」
いずれも、とルフィナは前置きした。
いつも通りの優しい笑みを浮かべるその姿に、今度こそメイナードは本気で恐怖した。
「わたしたちエルフにとって都合が良いからですわ。あなた達人間が畑を耕すのに家畜を利用するのと同様に、エルフは人間たちの経済活動を利用しているのですわ。ある程度稼ぎを自動化する上で、あなたたち人間はとても便利な家畜になる」
そう言ってルフィナは最期まで微笑んだ挙げ句、唐突に駕籠の扉を開く。
咄嗟に剣を振りかざしたペルペトゥアが、遠くから飛んできた矢に肩を撃ち抜かれた。
動きが鈍った隙にルフィナは駕籠から飛び降りる。
「滅ぶことさえわたしたちは厭いませんわ――!!」
最後の叫びはあまりにも人類の営みを無視した言葉だった。
「やつを拘束しろ!」
言われなくてもやっているメイナードは、鋭く伸ばした枝葉を地面に叩きつけられる寸前のルフィナに向ける。
しかし枝が彼女の身体に巻き付く寸前に、忽然と身体が消えていた。
頭から叩きつけられるはずのルフィナの身体は地面にも駕籠にも残っておらず、御者や乾獣すらも消えていた。
ルフィナはこちらが探ってくることすら読んでおり、その対処をした上でメイナードたちに話をしていたのだ。
豪奢な駕籠だけが道に捨てられており、その中で二人立ち尽くすほかなかった。
**
「急がないと叡智の泉がぶち壊される」
もはや迷っている暇はなかった。
ルフィナを追うことを考えたメイナードだったが、それよりもルフィナに狙われた叡智の泉へ向かうことの方をペルペトゥアは提案した。
「奴はいつでも殺せる。だが叡智の泉は今を逃せばまともに確認できる可能性が日に日に下がるはずだ」
「じゃあ今から向かうしかないんですか?」
「帰ったらまずはルフィナを捕まえるしかない。それまでは叡智の泉に集中しよう」
そう言ったペルペトゥアは早速叡智の泉までの案内人を街で見つけ、すぐに向かった。
乾獣が牽く荷車はバグリュッフェ大湿地の中では使えないと言われたが、メイナードが道を整備することでどうにか先へ進めることができた。
大きな木々が根を張り、その周りに大量の苔生している。
そしてその間に泥と水の中間のような薄く濁った水が大量にあった。
ほとんど水没しているような森の中は、どこに川があるかも分からない。
どこも水がゆっくりと流れており、そこには魚さえいた。
「ここを右です!」
猛然と乾獣を駆り立てるペルペトゥアの勢いに気圧されつつも案内人は正確に叡智の泉への道を教えてくれる。
前に立ったメイナードは進む道の先にある木々を水魔法で切り倒しつつ、水場の少し上を土で覆って固めた。
そしてそこを荷車が怒涛の勢いで走り抜けていく。
それを半日近く行って、日がもう少しで落ちるというころに叡智の泉にたどり着いた。
正確には叡智の泉跡地というべきかもしれなかった。
「うわあ、これなんですか」
ペルペトゥアが口を閉ざしている間、案内人の男が呟いた。
そこには泥の固まりがうず高く積もっていた。
木々がなく開かれた場所にはかつて清浄な水が溜まっていたことが伺える痕跡は何一つなく、腐った土の放つ猛烈な臭気が辺り一帯に立ち込めていた。
水の中へ何十トンもの泥と木が積まれており、小山のような高さのゴミが集積されていた。
近づいて泥の間から染み出す水を掬ってみると、意外にも綺麗な水が見える。
しかしそこには以前、叡智の泉と言われていたと思えるような美しさは一つ残らず拭い去られていた。
だが奇跡は起こる――
『あなたが”天行の使い手”なのですね』
声がする。
メイナードとペルペトゥアは頭を上げた。
そこに、光が差し込んでいた。
木々の間に日光が差し込むのとはわけが違う、完全に自照している光だった。
眩しくて直接目に入れることさえできない場所に、光がただ立っていた。
『どうか、どうかこの世界を救ってください――全てが手遅れになる前に、紅星玉珠を手に入れるのです』
光が暖かな実在感を保ちながら、ゆっくりと裾野を広げていく。
莫大な光量のはずなのに、どこかの一点で眩しくて目が潰れる段階を通り過ぎた。
痛みはもはやなく、完全な光だけがメイナードたちに与えられる。
ゆっくりと開いた目に、一対の翼を携えた美麗の女が立っていた。
天使だ。
そう悟った瞬間、叡智の泉から光が失われた。
時間が来たのだ。
伝えるべきことを伝えた天使は、その存在を再び隠した。
そして、ただ立ち尽くすだけの人間が残った。




