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異端審問局

 ペルペトゥアの動きは速かった。


「水壁を作って、こっちへ入れろ!」


 鋭いが廊下に響き渡りはしない程度の声でメイナードへ指示を飛ばし、自らは片手に短剣を握って素早く後ろへ後退した。

 メイナードは<まだら雲(スポット・クラウド)>の足を枝葉で掴み取り、宙へ浮かせた後に球状の水壁を張って内側を葉で覆い尽くしたあとにずるずると部屋の中へ引きずり込んだ。

 その間、<まだら雲>は一つも抵抗する様子はなかったし、何かが爆発する気配もなかった。


 扉を締めたペルペトゥアはさらにメイナードは指示を出し、部屋の中の幾つかの調度品を壊すように命じた。

 ペルペトゥアはメイナードが蝋燭台や小物の入る小さな棚の一番上奥に入っていた香箱を破壊するのを見届けてから、再び口を開いた。


「これでルフィナがこちらを監視する術はなくなったはずだ。見落としている物があるとすればもうわたしに対処できる段階を超えている。いざとなれば目的地へはわたしたち単独で向かうしかなくなるな」


 ルフィナとの決別すら覚悟したペルペトゥアが球状の水壁の前に立つ。

 開けてくれ、とペルペトゥアが言う。

 メイナードは水壁を解除し、溢れ出た葉を静かに燃やしつつ蒸気と煙を別室へ逃した。


「ずいぶんなご挨拶ですね。まあ、仕方ないのは分かっていますが」


 修道服に付いた葉を払いながらしっかり床へ降り立った<まだら雲>が、二人を等しく見る。


「分かっているなら良い。なぜこんなところへのこのこ現れた? 死にたいのか」

「別に。ただお話がしたくて。それに私も教会所属です」


 ペルペトゥアは目で指図して<まだら雲>をソファへ座らせた。

 自分は立ったまま、相手の行動を制限する。

 

「どこ所属だ? ジェムシス派とでも言う気か?」

 

 教会が現在認めていない宗派はジェムシスを含めて七つ存在する。

 もちろん他にも数え上げればキリがないが、大きいのは七つだ。


「私は異端審問局所属です。あなた方は宣教局ですよね?」


 ペルペトゥアが目を剥いて<まだら雲>を睨む。


「円征行を取り仕切る教会側の窓口がルフィナを狙う……。おかしな話だな。どういうことだ?」


 <まだら雲>は落ち着いた態度を崩すことなく、ソファへ深く腰掛けた。

 最初の頭を下げる行為を含め、彼にこちらを攻撃する意図はないらしい。

 あえて隙を見せることで、信頼を得たい風にも見えた。


「おかしいと思うのも無理はありません。今日はそれを含め、お二人に今の状況をある程度お話したく思いまして、伺った次第です。どうか話を聞いていただけると嬉しい」


 そう言って<まだら雲>は肘掛けに腕を預け、二人を真顔で見た。

 メイナードはその冷静さが全く状況に適していないように思えて、恐怖すら感じた。

 彼は大量の仲間を爆弾化させてきたのだ。

 それなのに、こうまで落ち着いていられるものなのだろうか。

 何も感じないのだろうか。


 **


 ことの始まりはルフィナの運河建設計画だった。

 円征行を止めるために役に立つ運河建設計画は、円征行を行う者たちに大きな波紋を投げかけていた。

 兵士たちは当然運河の計画に大いに賛同した。

 自分たちが死なないですむし、無用な戦いは必要ない。

 雇われで戦うことになっている傭兵たちが円征行には少ないから、多くの職業軍人たちが運河の建設に賛同していた。 

 円征行がなくなっても仕事がなくなるわけではないからだ。


 しかし陸軍と異端審問局は運河の建設で激しく動揺した。

 彼らは円征行が終わってしまうと困る事情があったからだ。

 王国側としては教会の勢力がこれ以上大きくなってしまえば、国家の権力を飲み込みかねないという懸念があった。

 ただでさえ教会は魔法使いの囲い込みが激しい。

 回復系の対抗魔法が使える神父たちを各都市に配置するためという大義名分を退けるわけにもいかず、王国としては教会の扱いに難儀していた。

 円征行で常に疲弊する状況が続くのは、願ったりかなったりという状況だったのだ。

 しかし運河の建設計画でその状況に変化が訪れる。

 いつか円征行が終わるというのは当然想定しておくべき話ではあったが、運河建設計画という明確な原因がある以上、王国としては止めなければいけなかった。


 そして教会も王国のその動きは知っていた。

 だからこそ教会の行動は真っ二つに割れた。

 一つ、王国に対抗してルフィナを支援して運河の建設計画を全面的に後押しし、円征行を終わらせること。

 円征行を終わらせることで常に莫大な金額を払い続けていた負の遺産を捨てられるというメリットがあった。

 教会としては王国も全面的にルフィナの運河建設計画を止めることはできないだろうし、お互い小規模の動きで簡潔に終わらせられるという目論見もあり、こちらの案は比較的支持されやすかった。

 

 しかしもう一つの案もあった。

 王国を支援してルフィナの運河建設計画を止める側に加担し、国と対抗する気はないと示すという案だ。

 こちらは非難轟々だった。

 当然だ。

 円征行を終わらせたいのは教会側の総意であるはずだった。

 無駄な出費で外敵を撃退し続け、実りのないバグリュッフェ大湿地を守り続ける。

 そんなことに莫大な資金を提供し続けるのは、あまりにも不毛だった。

 しかしそうは思わない一派があったのだ。


 異端審問局である。

 彼らは円征行によって教会内で立場を強め、国とのつながりも強化し、発言権を増したグループだった。

 教会といえど一枚岩ではない。

 異端審問局以外にも会派の違う幾つかのグループが別れており、教会という看板を背負ってはいても全員考えが同じというわけではなかった。

 そして異端審問局は円征行が終われば、自分たちのグループ間における権力が弱まると考えていた。


 そもそも教会は円征行以前に武装組織を直接手にしたことはなかった。

 教会による支持を受けた軍はかつても存在したが、異端審問局が握る異端審問官とその配下によって直接雇われた軍は円征行の存在ありきの組織だ。

 つまり、円征行が終わればその建前は消え失せ、軍事力という後ろ盾をなくすことになる。

 彼らにとってはそれは問題だった。


 もし円征行が終わってもそれは異端審問局による功績ではないのだ。

 あくまでもルフィナが率いるガリエル建設による運河建設が円征行を止めた、と言われるだろう。

 そうなれば教会内で異端審問局は急速にその力を弱め、かつて失い続けた莫大な出費の責任を問われかねない。

 もちろん出費や犠牲のすべてが異端審問局の責任だと本気で思う者はいないだろう。

 しかし異端審問局を疎ましく思う者がそう仕向けることに異議を唱える人物が果たしてどれほど現れるか。

 

 円征行の終わりは異端審問局にとって存亡をかけた大問題だったのだ。


 そういった事情があり、異端審問局はルフィナを止めるべく秘密裏に暗殺計画を進めた。

 しかしルフィナは老獪だ。

 見た目は二十代にも見えないほどの若々しい姿だが、表舞台に現れてガリエル建設を指揮し始めたのが百年前ということは、少なくともそれ以上前から行きている老人であることは疑う余地がない。

 そんな彼女が対抗手段を用意していないわけがない。


 ガリエル建設は複数の業種に跨がりながら百年かけて急速に勢力を伸ばし、バグリュッフェ大湿地一帯を手中に収めてしまった。

 表向きは誰か別の人間が立っている。

 それこそゲッテンスでいえば元軍人の家系が代々領主を務めているし、他の領地でも同じことが言える。

 道を整備して地図を作り、川の氾濫を収めて大規模な土地を開拓していく。

 そうした行為の全てでガリエル建設は巨大になっていき、しかし権力を振るうことはなかった。

 代わりにひたすら権力との結びつきを強め、守りと体面を固めていた。

 ルフィナはどの土地も決して支配することはなかったが、領主たちがルフィナに逆らうことはないだろう、というのが異端審問局と国の判断だった。

 

 そして彼女は常に大勢の護衛という名の私兵を引き連れて警戒をし続け、自分の命を守りながら繁栄を続けていた。

 ルフィナは自分の周りには常に危険が潜んでいるということを当然のこととして理解しており、まるで犯罪者がその身を隠すがごとく抜け目ない様子で自分を守っていた。

 

 しかしそんな彼女でも、完全に身を守るというのは難しい。

 街の中では護衛の人数が多すぎるので暗殺は不可能だと悟った異端審問局と国は移動中を狙うことを立案した。

 そうして複数の対立するグループを用立てて隠れ蓑として利用しつつ、秘密裏にルフィナを暗殺することになった。

 <まだら雲>を含めた指導者たちはいずれも国か異端審問局から出された人手であり、彼らを指揮してルフィナを狙うのが目的だった。

 

 しかし教会内部で異端審問局の動きに気づく勢力が存在した。

 宣教局である。

 異端審問局と違って表立って軍を率いるわけではなく潜入や破壊工作、扇動といった行為を取り仕切る部署を内包する機関だった。

 宣教局は異端審問局の動きに気づいた時点で、異端審問局への圧力をかける素材を手に入れたことになる。

 すでに宣教局は戦後の動静に目を向けていた。

 しかしそのためには異端審問局を止めなければならない。

 それも表立ってルフィナを支援するわけにはいかない。

 ルフィナに気づかれれば、異端審問局と宣教局の問題ではなく、教会とガリエル建設の問題に発展するからだ。

 国からも体よく切り捨てられ、教会勢力を抑える格好の材料にされかねない。

 

 これは異端審問局と宣教局の問題で抑えるべき事案だった。

 

 そこに都合よく叡智の泉へ用があるメイナードとペルペトゥアが現れた。

 二人をルフィナの旅に同行させ、なし崩し的に護衛をさせることでルフィナを守るというのが宣教局の思惑だった。

 そうして操られたメイナードとペルペトゥアは同じ教会勢力であるセリオ・<まだら雲(スポット・クラウド)>・ブランチと知らず知らずのうちに対立することになっていたのだ。


 **


「今の状況を理解いただけたでしょうか?」


 ペルペトゥアに聞き返された時は丁寧に噛み砕いたり、メイナードが理解の及ばない部分に関しては補足説明などをいれたセリオは丁寧に、すべてを説明した。

 ソファに深く腰掛けた彼は身動ぎひとつせず、何もかもをぶちまけたのだ。

 本来宣教局の末端には知られるべきではない事柄だった。

 これが漏れれば教会の進退すら左右されるのだ。

 絶対に秘密にすべきであることだった。


「なぜこれを喋った?」

 

 最後に残ったのは、異端審問官であるセリオがこれをペルペトゥアとメイナードへ言った理由である。

 異端審問局所属である彼にこのことを二人に伝えるメリットは存在しないはずだった。


「私は異端審問局を裏切るつもりだからです。あなた方につきます」

「え?」


 思わずメイナードは声を出した。

 この世界ではこんな簡単に裏切るものなのだろうか。

 セリオは自分の所属する組織のために何人もの人間を見捨てている。

 大量の死者が出ているわけだ。

 それでもこんなにあっさり決断を下せるものなのか。


「なぜそんなことをするんだ」


 鋭い目つきでセリオを睨むペルペトゥアは、吐き捨てるように言った。

 

「それはもちろん」


 セリオは少しだけメイナードを見た。

 それに気づいたペルペトゥアが目を細め、組んだ腕をほどく。

 

「もう言わなくていい。分かった」

「いえ、こちらのメイナードさんは分かっていないようなので」

「あ、まあそうですけど」

 

 ペルペトゥアはメイナードが理由を訊くのを好ましく思っていないようだった。

 しかし止めない。

 セリオも少し気まずそうにペルペトゥアから目をそらし、逃げるようにメイナードを見た。


「私はメイナードさん、あなたの力を間近で見た。勝てない、と思いましたよ。少なくとも私が知る限りの異端審問局にあなたを倒せる魔法使いはいない」

「だから寝返ったんですか?」

「まあ、そうなりますね。これから叡智の泉に向かうまでの間に情報収集を進めますから、今後は伝書鳩であなた方にその都度手紙を送ります。宣教局には既に私が寝返る旨を伝えているので、いずれそちらにも連絡がいくでしょう。そういうことで一つよろしく」


 そう言ってセリオはソファから立ち上がった。

 まだついていけていないメイナードは言葉を掴みそこねたみたいに目を瞬かせる。


「そ、そんな理由で寝返るんですか?」

「そうですよ。それ以上の理由はない。だってそうでしょう? あなたは個人で異端審問局や国と戦っても勝てるんだから、戦力を考慮すれば裏切らない理由がない」


 それは日本――それどころか地球では考えられなかった選択肢だ。

 この世界には魔法がある。

 奇跡が存在し、自然を覆す個人が容易に現れる。

 それは、社会という枠組みすら崩壊させかねない()なのだ。

 日本では個人が社会よりも強い力を所有するということはあり得なかった。

 しかし魔法の存在するこの世界では十分にありえる事象だ。

 それは何百年にも渡って築かれる社会が、たった一人の個人よりも脆弱であるということでもある。

 

 メイナードはその事実を噛み砕くことができず、呆然と立ち尽くした。

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