ビーケルト山
「レックスは立て直しの指揮を、フィルはわたしの護衛を、アーリンとサンディで残りの敵を殲滅しなさい! メイナードさんはアーリンとサンディについて頂いてもよろしいかしら?」
メイナードは頷くしかなかった。
指示を出された途端に動き出す<ワイド・フェード>たちにつられるようにして、メイナードは逸る気持ちを抑えながら森へ戻った。
道から外れた森は、柔らかい土が雨で濡れておりかなり走りにくい。
日本で売っているものと比べてあまり足裏が良くない靴のせいで、ぬかるんだ泥を走ると転びそうになる。
それでもどうにか風魔法で体勢を整えつつ、再び遅いくるであろう高速移動する兵士たちを待ち受けた。
レックスが護衛たちに指示を飛ばして、爆発で壊れた車に載っていた分の積荷を他のところへ移し替えつつ、出発できる準備を整えている。
その間フィルは切れ目無く周囲を警戒し、ルフィナに万が一のことが起きないよう護衛を続けていた。
アーリンとサンディ、そしてメイナードとペルペトゥアは出発準備が整うまでの間周囲の森を警戒しつつ、敵が現れたら倒す役割だ。
高速移動する敵に加え、死んでも死なない女――ローザがいる。
彼らからルフィナ一行を守るのが<ワイド・フェード>とメイナード、ペルペトゥアの目的だった。
道からそこまで離れない位置で、アーリンとサンディは立ち止まった。
木々の密度が少なく、起伏もそこまで激しくない場所。
かつ近くに小さな峰がなく、上からの攻撃を警戒しなくてもいい位置に陣取り、アーリンは両手を広げた。
どこから敵が来てもすぐに氷弾を放つ構えだ。
「地面を固めることってできる?」
アーリンが鋭い目つきでメイナードを見る。
メイナードは頷いて、泥で柔らかい周囲の地面へ新たに土を加えて、圧力をかける。
乾いた土へさらに若葉を茂らせ、砂埃が立たないようにした。
即席で作った芝生だ。
森の一画だけ、三人が立つ場所だけ奇妙に綺麗に均されていた。
「歩きやすい方が一歩目が出しやすいね」
サンディが腰の剣を抜き放ち、静かに構える。
メイナードはさらに周囲の木々を水魔法の収束と高圧力で切り倒し、死角を減らした。
「大きい音ね」
咎めるような調子の声でアーリンが言う。
しかし同時に獰猛な笑みを浮かべていた。
敵がどこにいるか分からない膠着状態より、誘い出してもいいから何かが起きる方が良いということだろう。
アーリンの笑みとほぼ同時に敵が飛び出てきた。
敵の数は八人。
いずれも今までの兵士たちのような重装備はなく、ほとんど着の身着のままといった様子だ。
高速で吹き飛ばされたような動きで、関節の可動域を無視した挙動を見せる八人。
てんでバラバラの方向から襲いかかってきた彼らは一様に悲鳴をあげていた。
叫びたいのはこっちだ、とメイナードが思いつつ飛び退いて避けようとした。
しかし――
「壁をつくって!」
アーリンの表情が強張っていた。
メイナードは咄嗟に何が起きたのか判断して、何とか自分たちを囲うように水壁を作る。
水の渦巻く激しい音が聞こえるなかで、地面の芝生が激しく震えた。
外の様子は白く渦を巻いた水で見えないし、音も高密度の水壁を通り抜けることはない。
それでも振動が地面を伝ってくる。
咄嗟のことすぎてきちんとした球をイメージできず、とりあえず大きな半球で周囲を覆ったのだ。
アーリンは苦りきった表情で、吐き捨てるように言う。
「さっきのは捨て駒よ。奴らまた人間爆弾を使ってきた」
まともな装備も持たされずに高速で飛んできた彼らは<まだら雲>の魔法を受けて爆弾化された人間だった。
高速で動ける魔法使いが最初の時点で八人いたのがそもそもおかしいのだ。
高速化も<まだら雲>の魔法と同じく、周囲の人間に付与できる魔法なのだろう。
装備を整えられ、高速で移動する自分の身体に慣れることもできていた最初の兵士たちとは違って、<まだら雲>による爆弾化を施された上で慣れない高速移動を使わされた八人。
彼らは自分が今どういう状況に置かれているのかも把握できずに、爆発したのだ。
「もういいわ。開いてみて」
アーリンの指示にしたがって水壁を解く。
蒸発した水を風魔法で吹き飛ばしつつ、三人は周囲を伺った。
四肢や内臓が八人分散らばっていた。
爆風で吹き飛んだ黒い血液が、芝生の上に散乱している。
髪の毛が高温で溶けており、頭部が陥没した跡が見えた。
水壁にぶつかって、誰を傷つけるわけでもなく無意味な死を迎えたのだ。
「まだ三人の兵士が残ってるはずよ。相手は爆弾を使ってこっちの目を一時的に潰した。それなのに水壁の解除っていう一番の隙を見逃してる。違和感があるわ。何かを仕掛けてくる」
アーリンは周囲を見渡し、相手の出方を伺っている。
横で剣を握るサンディが構えを解いた。
「多分ペルさんと合流されたら困るんじゃないかな。メイナードくんは何か聞いてない?」
メイナードは二人を見た。
二人とも、今の可能性に思い至ってもなお動こうとはしない。
ペルペトゥアと分断されている状況が続くのは、問題ないと判断しているのだ。
「ペルさんは強いから分断する理由がわからない。むしろ逆じゃないかな?」
「逆って?」
アーリンがオウム返しに聞いたとき、道の方から甲高い音が響いた。
笛の音だ。
出発の準備が整ってもう出ることを示す合図だ。
アーリンとサンディはメイナードの答えを聞く前に、走り出した。
**
準備が整ったのと同時に一行は出発していた。
音に怯える乾獣を宥めすかして、一行は道を走る。
ペルペトゥアも合図を聞いているはずだから帰ってきても良い。
元々さっきの笛の音は、再集合の合図だ。
だからたとえ出発のことを知らなくても、一度は道へ戻ってくるという見立てがある。
メイナードはペルペトゥアを信じて、道へ戻った。
既に走っている荷車へ三人は飛び乗り、外へ身を乗り出しながらそれぞれで死角を補う。
魔法の使えない護衛たちは敵を見つけたらすぐに伝達するため、死を覚悟して乾獣に乗っている。
メイナードも身を乗り出して、周囲を見渡した。
敵を見つけるためでもあったが、なによりペルペトゥアを探すためだ。
「ペルなら必ず来るはずよ、集中しなさい!」
荷車の柱を握ってバランスを取りながら反対側を見るアーリンが、メイナードの尻を軽く叩いた。
敵に集中していないことが丸わかりだった。
このタイミングでの出発は敵も予想していなかったらしく、後ろから素直に追いかけてくる姿が四人見えた。
いずれもまともな装備ではない。
爆弾人間だ。
「壁を張って!」
アーリンが言うのと同時。
荷車に合わせて動く水壁が宙に浮かび、後ろの荷車の一回り大きい白い壁がそそり立った。
それと同時に爆発音が響き渡り、道の端から肉片が飛び散る。
骨片が吹き飛ぶ音が止んだところで、メイナードは水壁を解く。
「おらっ!」
その瞬間、壁の向こうに潜んでいた兵士が顔を出した。
乾獣の全力よりもなお速い。
踏みしめた勢いで道に敷き詰められた石が砕ける。
粉砕されて石粉が飛び、それらが背後へ流れるよりも速く、兵士たちは荷車に飛び乗った。
絶叫しながら剣を振り抜いた護衛が手綱を離す。
彼らが剣を振り上げる前に、兵士たちは剣を振り抜いていた。
ちぎれた首から血が吹き出る前に、兵士たちは別の荷車に飛び乗る。
さらに剣が振られる。
どれも見えないほど速く、音だけが遅れて響いた。
ほとんど水切りする石のような速度で、兵士たちは迫った。
メイナードが木魔法で拘束しようと狙いを定める努力を始める。
目を凝らして、残像のような兵士たちを見ようと――
「魔法を使うな!」
短く叫んだのはサンディだ。
アーリンとメイナードの乗る荷車の一つ前で待機していた彼女は、抜いた剣を構える。
それから異常な動きで身体を捻じ曲げた。
サンディがぐにゃぐにゃのゴムのように足を曲げる。
近づいた兵士が剣を振り抜く直前に、ゴム毬みたいに跳ね跳んでそれを避けた。
足が完全に関節を無視して動いていた。
まるでゴムのようになった身体を器用に曲げて、一つ前の荷車の壁に足をつける。
それから首をあらぬ方向へ捻じ曲げて兵士と正対する。
驚愕の表情を浮かべつつも素早く振り返った兵士は、他の二人を待たずに身体の向きを変え、サンディを斬り殺しに行った。
荷車と荷車の間を飛び越え、間にいた御者の頭を踏みつけて首を折る。
それからサンディの縮んだ身体へ剣を振る。
しかし避けられた。
にやりと笑ったサンディが一気に身体を伸縮させ、倍ほどの身長になった身体で剣先を兵士へ突き刺す。
高速で動ける兵士でも、全く動きが想定できない人間を相手に戦うのは非常に厳しかった。
心臓を一突きされた兵士は、血を噴き出しながら地面へ転がっていく。
荷車の車輪に思い切り頭部を踏みつけられて、頭蓋骨が粉砕されながら地面へ落ちた。
「あと二人!」
一行はずっと前へ進んでいる。
ビーケルト山を回り込んで、ゲッテンスが見えればほとんどゴールだ。
そこからは起伏のほとんどない平野が続く。
まず間違いなくそこにゲッテンスからの応援が来てくれるだろう。
それに森のような隠れる場所が多いところと違って、平野ならメイナードの力も発揮できる。
猛然と乾獣を走らせる一行は、後少しと己を叱咤しながら走った。
その途中、メイナードが顔をあげて、思わず手を振る。
「ペルさん!」
ペルペトゥアが木々を踏み倒し、地面を抉り、道を削って、山肌を荒らしながら猛然と走ってきたのだ。
メイナードは手を振って無事を知らせる。
しかし彼女の様子がどこかおかしかった。
大きな腫瘍を取り除くようにして自らの身体に剣を突き立てていた。
高速で一行と並走しているが、荷車に乗ってくる様子はない。
「どうしたんです!?」
「わたしの身体を焼くんだ!」
のたうち回り、地面を転がり、時には腹部へ自分で剣を振り回しながらも、ペルペトゥアは全力で叫んだ。
アーリンがその姿にぎょっとした。
「どうして!?」
「いいから早くしろーっ!」
ペルペトゥアの口にごぼりと皮膚が生えた。
そこへぞっとするほど明確な顔が浮かび、さらには首、肩、腕の順で身体が生えてくる。
ローザだった。
「苦しいよね? どう!?」
ローザが出す粘着質な液体がペルペトゥアの身体中にこびりついて、そこから絶え間なくローザが再生し続けているのだ。
時折ペルペトゥアが自分の体を切っているのは、内部に入り込んだ水から再生するローザを切るためだ。
内蔵から別の人間が再生する光景に、メイナードは吐き気を覚える。
しかし迷っている暇はない。
お互い不死身のローザとペルペトゥアならメイナードが力を使っても問題ない。
ペルペトゥアが業火に包まれた。
絶叫も出血も炭化した皮膚や骨も全てに火がつく。
そのすき間を縫ってぼとりと焼け爛れた肉片が地面へ落ち、転がる。
「また会えるわよね――――――――――っ!!!!」
気が狂ったかのような絶叫が森に響き渡り、焼けた肉片からローザの身体が復活した。
一行から離れたところでにやりと笑みを浮かべる彼女が、豆粒のように遠くなっていく。
一方でまだ転がり続け、燃え盛る塊があった。
ようやく火が消えたところで、それは荷車へ飛び乗って、中にあった布を掴み取る。
「助かった、本当にあれは危険だった」
ペルペトゥアだった。
薄汚れた布を身体に巻き付け、焼け爛れてもなお離さなかった短剣を二本携えていた。
さっきまで焦げて激しい異臭を発生させていたとは思えない白い肌が布のすき間から溢れている。
全身傷一つない身体だが、最初に着ていた服は跡形もない。
大きな布は誰かの外套だろう。
それを器用に巻き付けて、荷車から出る。
アーリンとメイナードの二人分の足場しかないことにすぐ気づいて、サンディのほうへ跳ぶ。
「あと二人だよ」
サンディは外套を巻き付けたペルペトゥアの姿にひとつも驚くところを見せず、ただ敵を見る。
兵士たちは荷車の死角を移動しながら、注意深く前へ進んでいた。
高速移動に慣れており、それに適した動きと戦い方を知っている。
それでも人数ではもう<ワイド・フェード>とメイナード、ペルペトゥアの方が有利だった。
だがそんなことを気にもしない様子の彼らが前方へ向けて走ってくる。
メイナードは自分にやれることはもうないと察して、ただ周囲を観察するにとどめていた。
しかし――
「うっ、……ぐぐんふっ……!」
突如メイナードは自分の首に激しい圧力がかかったのを感じた。
息ができない。
目が閉じられない。
視界が狭まり、痛みにうめき声をあげるしかできない。
明らかに誰かに首を締められていた。
「どうしたのっ!?」
しかし横にいるアーリンは驚きに目を見開きこそすれ、敵を倒してくれる様子はない。
後ろに首を絞めている人間は居ないのだ。
メイナードは首に手をかけて、相手の腕を引き剥がそうとする。
しかしそこに腕はない。
「魔法使いにやられてるの!? 何がどうなってるの!?」
事態に気づいたアーリンがメイナードの身体を揺さぶる。
メイナードは辛うじて気を失わず、何とか首を指差す。
「どこかに敵がいるわ、どこよ!?」
もうルフィナ一行はビーケルト山を抜けていた。
平野に差し掛かっており、山が背後に流れている。
それでも攻撃が止む様子はない。
どこに敵がいるか分からない。
「どこからか見てるはずよ。どこかに魔法使いがいるの! どこでも良い、もう全部焼き払いなさい!」
アーリンはメイナードの身体を支えながら、山の方へ身体を向けた。
平野に敵が隠れられるスペースはない。
山の何処かでメイナードを見ている魔法使いが攻撃を仕掛けているのだ。
気を失いそうになっているメイナードは、生きるために力を振り絞った。
森が一瞬で炎に包まれ、黒煙が天へのぼった。
激しく燃え上がる火によって瞬時にあがった気温で爆轟が発生し、平野に向かって激しく風が巻き上がる。
煤が平野に向かって吹き流され、激しく立つ音とともにビーケルト山が一瞬で禿山になった。
表面が焼かれた生木は、炎に包まれて割れる音が響く。
いくつもの断続的な弾ける音が響きつつ、さらに火の粉が舞った。
煙が徐々に白くなり、それから爆轟が渦を巻いた。
風に流された灰色の煙が周囲一帯に広がり、パチパチと爆ぜる音の発生源が隠れる。
山のシルエットを隠す煙はもはや全体がどれほどの広がりを持つのかすら分からない。
天を蓋するような煙が雲と区別がつかなくなるほどに大きくなり、周囲を暗く曇らせる。
太陽が遮られる煙に一行が包まれて、護衛たちが咳き込んだ。
もはや山の中に人が生きられる場所はない。
そしてメイナードの首は解放された。




