灰散る空
メイナードが遅れてローザの手足を枝葉で拘束したのち、ペルペトゥアは重い口を開いた。
「仲間だと?」
ペルペトゥアは足に入れた力を緩めることなく、ローザの後頭部を睨みつけた。
息も絶え絶えの様子のローザは、身動きの取れない手足をよじりながら、懸命に楽な姿勢を模索していた。
メイナードはペルペトゥアに目顔で、拘束はいらなかったかと問うたが、ペルペトゥアは首を横に振るばかりだ。
「ええ、そうよ。わたしは陸軍所属で国の狗。あなたはどうせ教会の異端審問官か宣教局所属あたりでしょ? もしかして最近新設された情報軍のほう? 修道服は擬装かしら?」
「宣教局所属だ。こっちのも」
そういってペルペトゥアはメイナードのほうへ軽く首を振った。
ローザには見えないが、メイナードのことを言っているのは理解して頷く。
「その子、魔法使いね。あなたもだけど」
「ああ。お前もだろう。下らんことで時間を稼ごうとするな。お前が味方だとは思ってない」
そう言ってペルペトゥアが腰に踵をすりつける。
痛みでローザが身体をよじった。
「や、やめなさい! 軍のほうから正式に抗議させてもらうわよ」
「そもそもなぜジェムシス派に潜入してるんだ。ヤサや資金源を探るためか?」
「全体をコントロールするためよ。わたしたちがいざとなれば操れるように、金も道も人も支配して、使い捨ての非正規軍として使えるように手入れしてるの。あなたたちだって似たようなことは日常茶飯事でしょ?」
ペルペトゥアはローザの達者に回る口を忌々しげに睨んだ。
「だとしてもだ。この状況で国がルフィナを止める利が分からない。それにそれをこっちに知らせてない手際の悪さも違和感がある。何かあるんじゃないのか」
口角泡を飛ばしながら、ローザが喚き散らした。
「なによ、そんなの末端のわたしに言われたって困るっての! あんただって潤沢な資金と人材と情報もらって、仕事したことなんかないでしょ。わたしだって同じよ。ルフィナに教会側がついてるなんて知らなかったし、それで文句言える筋合いでもないの! どうせならなあなあで済ませましょうよ。お互いこれを機に上へ相談すればもう一段情報貰えるかもよ。ね、それがいいんじゃない?」
キレつつも譲歩を引き出そうと話すローザを尻目に、ペルペトゥアは石のような面持ちで虚空を見ていた。
メイナードがぞっとするほどの無表情で、何の感情も見出すことのできない態度だった。
固く締め付けている踵の拘束を解くわけでもなく、ローザの話に耳を傾けるわけでもなく、ただ内に籠もって思案を続けているような顔つきだった。
モスグリーンの瞳が瞬きをしないせいでじんわりと滲み、虹彩の反射光が揺れていた。
そうして瞳を虚空に向けている彼女の態度が外に向けて放出を続けている感情は、苦しみや痛みといったものではなく、もっと恐ろしい怒りだった。
「メイナード、水壁でこいつを捕まえておいてくれ。話がある」
少しの硬直をみせたペルペトゥアがようやく口を開く。
ローザもただならぬ空気を察して何も言わず、メイナードもただ無言で首肯するほかなかった。
**
大きめの丸い楕円を水で作ると、その中にローザを閉じ込めた。
地中にも楕円は続いているから彼女が魔法を使って地面を溶かしても、拘束は解けない。
その代わり手足の拘束は解いて、自由にさせている。
そもそもペルペトゥアの目が届かなくなれば、彼女は自由に拘束を溶かせる。
「どう思う?」
ローザを閉じ込めてからすぐに、ペルペトゥアはメイナードを睨みつけるような勢いで話を始めた。
思わずメイナードはたじろぐ。
「どうって、ローザさんの話を信用するかどうかってことですよね」
「ああ。わたしは信用したくない」
「どういうこ……」
どういうことか問おうとしたメイナードは、気づいて口を閉じた。
これはペルペトゥアとローザの話ではない。
ペルペトゥアと宣教局の信用問題だ。
「僕は彼女が嘘をついてても見抜けないので、あんまり分かりません」
「そうか」
「それに教会と国のパワーバランスもよく分かりませんし。領主が教会から魔法使い取り上げようとするぐらいですし、仲悪いんじゃないですか?」
「中央と領主はそんなに仲が良いわけじゃない。だからといって教会と中央が仲が良いってわけでもない。三すくみってことでもない。全員権力と財産を喰らい合うつもり、くらいに考えるのがいいかもしれない」
「じゃあ今回も味方じゃない、ってことで良いじゃないですか?」
「だが奴は仲間と言っている。それに……わたしが宣教局に捨て駒にされてる可能性もある」
歯切れの悪くなったペルペトゥアが最後の最後で本音を出した。
メイナードも気落ちした風に顔を下へ向ける。
――教会が二人を嵌めようとしている可能性がある。
これがペルペトゥアとメイナードの直面した喫緊の課題だ。
「ローザを信じてお互いに情報交換したらその時点で裏切り者扱いを受けてゲッテンスに着いたら拘束のうえ処刑って既定路線が敷かれてるかもしれない」
「でも今ローザさんを殺したら国と教会の対立が激化するんじゃないですか?」
ペルペトゥアがメイナードの顔をまじまじと見つめた。
「なんて言った?」
メイナードは今ペルペトゥアが何を考えているか分からなくて、ただ繰り返すだけになる。
「だから、国と教会の対立が激化するって……」
「それ以外にローザを信じなかった場合のデメリットは存在するか?」
「えっと……待ってください。何をする気ですか」
ペルペトゥアの瞳が石のように固くなっていた。
どこを見ているのか分からない、思案の渦にいる顔。
それから、彼女は恐ろしいことを口にした。
**
「話し合いは終わった?」
メイナードが怯えつつ、ローザの拘束を解いた。
楕円の中で中腰になって立っていた彼女は、拘束が解かれるとすぐさま立ち上がって、少しだけ歩いた。
ペルペトゥアは睨んだが、気づいていない風に無防備な歩容をみせる。
そうして緩やかな笑みを浮かべて、二人を等しく観察していた。
そうすることが癖となっている者の自然な動き。
しかし、それが彼女の見せる最後の余裕となった。
「で、信用してくれ……ぐふっ!」
ペルペトゥアが彼女の腕を掴んで、思い切り引き倒した。
再び地面に転がされるローザ。
「手を塞げ!」
ひねられた腕の先をペルペトゥアに見せていたローザは、透明な液体をぶしゃりと噴射した。
咄嗟の判断で葉を幾重にも包んだグローブを生成したメイナードが、彼女の攻撃を止める。
「卑怯者! なんでこんな事するの!? 自分とこに裏切られた可能性がそんなに怖い!?」
「うるさい、黙れ」
ペルペトゥアが短剣を一つ抜いて、彼女の足裏を撫で切りした。
痛みとともにうめき声を発するローザが、背中をそらした。
彼女は足の指を丸めて痛みに耐えようとしたが、縦一文字に加えて土踏まずを切られて吹き出る血は一向に止まる様子を見せなかった。
「お前はもう逃げられない。周りのクソどもはお前を助けてくれないし、仲間も来ない。来たらすぐにお前の喉笛を掻っ切ってやる」
「そ、そんなことをしたらあんたの評判にも響くし、教会も体裁が悪いわよ! 今なら何も言わないでおいてあげる、助けなさい」
ローザはまだ強気の態度を崩さない。
痛みを怒りに変えて、生きるための駆動力にしているようだった。
「わたしがあなたたちを殺そうとしたのがそんなに憎い? そんなの知らないわよ。わたしだって仕事だったし、気にするべきは敵よりも自分の仕事内容だった! あなたたちだってそうでしょ? 仕事柄、敵のことなんて考えてたらキリがないもの」
「お前はわたしたちが教会の人間だと気づいてたな」
ペルペトゥアがローザの話をまるっきり無視するように――しかし彼女の話した情報を接ぎ穂に変えて、自分の考えを組み立てていた。
「一度目の襲撃はまだ理解できる。それにお互い情報共有して上司を強請ろうって話も理解できる」
「強請るってのは言い方が悪いけど……でも生きるためのやり方の一つよ」
「そうか、なるほどな。だが気になるのは今回の襲撃だ。なぜわたしたちがいると知ってなお、攻撃を仕掛けてきた? なぜ情報共有しようとしなかった?」
答えろ、と言ったペルペトゥアの声は氷のように冷たかった。
ローザは切られた足裏の痛みに耐えつつ、何とか言葉を口にしようともがく。
「わ、わたしはただ仕事を優先するつもりだったのよ! でもこの状況でそうするのはデメリットが大きすぎるって、それだけのこと! 分かるでしょ? ね?」
ペルペトゥアは剣先をふくらはぎに這わせた。
泥で汚れたローザの白い足に、赤い筋が珠のように浮いた。
「じゃあなぜわたしたちをあの場で殺そうとしたんだ?」
膝裏で止まった剣先が、柔らかい肉のなかに埋没した。
溢れた血とともに、ローザの絶叫が響く。
「ああああっ!! やめなさい! やめて! やめてちょうだい!」
「やめない。全てを話さない限り、生きたまま切り刻んでやる」
そう言ったペルペトゥアは容赦なくもう片方の足にも同様の処置を施した。
メイナードは目をそらして、息を整えた。
それしかできなかった。
「言うからもうやめて! お願い、お願いします!」
「御託はいい。早くしろ」
ペルペトゥアはもう片方の剣も抜いた。
それから剣を互いにすり合わせ、金属の甲高い音をローザに聞かせた。
この鋭い音のように切れ味の良い剣が、今から彼女を切り刻むと宣告しているようだった。
「わたしたちが二度目の襲撃をしたのは<防衛構築>の特定をするためよ。ルフィナの一団に極めて強力な魔法使いがいて、攻められないことが最初に判明したから誰なのかを特定しようとしてたの!」
「じゃあ<まだら雲>とも協力体制にあるってことだな」
ペルペトゥアは剣をローザの鼻先に掠めさせた。
怯えたローザが足を震わせ、首を横に振った。
「わたしたちは直接つながりがあるわけじゃない! 他にもルフィナを襲撃してる連中がいるってこととそいつらが手に入れた情報を国が貰ってるってことは知ってるけど、直接話したことはないわよ!」
ローザの膝の皿に十字に切れ込みが入った。
わずかに赤みを帯びた膝が、血でぐしゃぐしゃに濡れていく。
「本当! 本当です! お願いだからもうやめて……」
「お前より上のほうで繋がってるってことか。陸軍の目的は?」
「わたしが知るわけないじゃない! うううぅ!! やめてちょうだい!」
ペルペトゥアはもう一度ふくらはぎに筋をいれ、今度は剣の腹で皮を引っ掛けた。
それから血が出るのも構わずに皮膚を捲りあげようとした。
痛みでもがくローザのせいで、当然綺麗にはめくれない。
大きな傷跡が広がった。
「言え。もう二度は聞かないぞ」
ローザは痛みで理性を飛ばされ、吐かざる得ない状況に追い込まれた。
「陸軍は運河が完成するのを望んでない! 戦争が終わるのを黙って見てるつもりはないのよ」
「何だと?」
「円征行は教会の財産を食いつぶす税になるわ。これが運河の完成で終われば、国が教会に乗っ取られる。だからルフィナを狙ってるのよ」
メイナードは思わず伏せていた顔をあげた。
そこに、修羅がいた。
ペルペトゥアの目は振り乱された銀色の髪の毛に隠れて見えなかった。
「ふざけるな!」
「ああああ!! 痛い痛いいたいいたいいたい! やめて!」
またたく間にペルペトゥアは膝より下を裁ち落とした。
がくがくと震える膝より上が鮮血にまみれた。
それでもペルペトゥアは止まらなかった。
肘、太もも、肩、腹。
絶叫するローザを演奏するような調子で次々に剣を振り回して、身体を切り刻んだ。
「そんな、そんな馬鹿げた話があるか! 戦争を終わらせたいと思ってないなんて許されるわけがない!」
血と泥にまみれた身体にのしかかるようにしてペルペトゥアは剣を振り回していた。
メイナードは慌ててペルペトゥアの身体を枝葉で抑えた。
「も、もう死んでますよ。これ以上は意味ないです」
メイナードは血みどろになって動かなくなったローザを見下ろした。
ペルペトゥアの髪の毛がところどころにかかっている。
太陽の光をあびて輝く糸のような髪の毛が、ローザの遺体を縛っているようだった。
「こんなことでわたしたちは攻撃されてたのか……。おかしいだろう」
ペルペトゥアの剣を握りしめる拳からも、血が垂れていた。
教会に裏切られたくない彼女にとって、もっと大きな版図のなかで踊らされていたローザと、それを自覚してなお行動し続けていた態度は許せなかったのだ。
まるで自分の未来を見ているようで、ペルペトゥアにとっては苦しくなる。
固めた拳から血が滲む。
「死体を処理する。わたしたちがやったことを黙っておくためにこの場にいる全員を始末するぞ」
そういってペルペトゥアはメイナードが拘束した男たちを全員殺し、一箇所に集めた。
メイナードは水で囲ったうえで彼らの死体をすべて燃やした。
灰は風で散らしてかき消した。
空がどんよりと曇りはじめ、すぐに大粒の雨が降り始めた。
ここに確かに存在した、自分のために戦えなかった人間たちが痕跡をすべて消してこの世から去った。