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見えない敵

 本当に申し訳ありませんわ、と言って素直にルフィナは謝っていた。

 メイナードが六歳児で、まだ死体には慣れていないことがすっかり頭から抜け落ちていたという。

 ペルペトゥアはその話をさっさと打ち切ってメイナードの背中をさすって全部吐かせると、そのまま護衛が使っている荷車を貸してもらって寝かせた。

 話し合いは明日の出発前にするということが決まり、その日は通常のシフトに戻り、遅めの夕食を取りつつ寝た。

 

 メイナードは骨片の散乱した様子が頭にこびりついていた。

 そのせいで食事が喉を通らず、寝かされるままになって夕食を抜いた。

 朝まで寝て、起きた頃には誰かが掛けてくれた毛布が身体に被さっていた。

 よく見るとそれは毛布ではなく、誰かの外套だ。

 護衛が揃いで身につけているものだった。


 起き抜けに腹の虫がなって、メイナードは昨日見た光景を思い出し、猛烈な吐き気に襲われた。

 それでもペルペトゥアは朝食を食べるように勧めた。

 

「行動に支障が出るから、気をつけてくれ。食事を取らないと咄嗟の判断が鈍くなる」


 彼女の言は合理的で実に冷静なものだったが、言葉とは裏腹に語調は極めて優しいものだった。

 ペルペトゥアもメイナードが吐いたことを気にかけているのだ。

 もちろん、それが単なる心配でないことはメイナードにも分かる。

 日本であれば、そうした場合はカウンセラーなどと相談して徐々に克服していくものなのだろうが、この世界では違う。

 死体に慣れ、人殺しに慣れろ――

 ペルペトゥアの目がそう言っているように聞こえて、メイナードは干し肉を掴む手が震えた。

 しかしそれもまた、優しさから来たものだ。

 この世界では、そうした荒事に慣れておかないと、自分が危険な目に遭う。

 殺すか殺されるか、という選択肢がいつでも目の前に現れるのだ。

 それは、メイナードの意志とは関係なく何度もやってくる。

 乗り越えるためには、この世界に適応する他ない。


 ルフィナ、メイナード、ペルペトゥアに<ワイド・フェード>は車座になった。

 昨日から絶やしていない焚き火の横で、朝の話し合いを兼ねて朝食を摂っているのだ。


「じゃあ出発前にお二人に昨夜聞いた話と、今後のわたしたちの動向を伝えようと思うのですがよろしいかしら?」


 ルフィナが気遣わしげにメイナードの目を覗く。

 干し肉を噛んでいたメイナードは、努めて気丈な振る舞いをしようと力強く頷いた。

 それがどう見えたかは、分からない。


「まずは<まだら雲(スポットクラウド)>に関する情報ですわね。アーリンさん、いいですか?」

「はい」


 返事をしたアーリンは横においていた腰蓑から紙束を出して、それを見ながら話をした。


「<まだら雲>は地元民、バグリュッフェ大湿地近くの盆地、オライージュの村人たちを扇動していたそうです。初めて彼らの前に姿を現したのは、半年前。ちょうど運河建設のために資材が運ばれ始め、オライージュ周辺でも木の伐採や採石場の検討が始まった頃ですね。そこで<まだら雲>はオライージュの危機を伝え、いずれ大運河の建設でこの村は沈むと言ったそうです。確かにこの盆地はちょうど運河の建設ルートであり、オライージュを領地の一部とするフランシス・ウィドーソン氏には事前に通告をしております。ですが、村人たちはその事実を知らなかったようで、<まだら雲>はそこから領主とガリエル建設を敵として煽りながら、彼らの信頼を勝ち取った模様です。

 そして彼は村の男たちを集めて、軍事訓練を行い始めます。戦いの基礎を教え、武器を用意し、こちらの旅程を前提とした作戦を立てて、攻撃に踏み切ったということです。訓練内容は聞いていた限りでは、非常に王国軍の訓練と似ておりました。最初に基礎体力をつけるために走り込みや素振りを繰り返させて、型の練習を覚えるまでやらせる。オーソドックスではありますが、ここには<まだら雲>がかつて王国軍関係者であったと推測できるだけの材料があるように思えますね。

 こちらの情報を掴んだ方法はまだ判明しておりません。作戦立案が彼の仕事だったかも不明です。作戦の伝達は彼がやっていた――いや、今もやっているのでしょうが、それが<まだら雲>自身の手によるものかは不明です。武器の供与元は判明しておりませんが、王国軍の正規装備とは全く異なっております。剣は円征行で用いられる一般的なものであり、鎧と矢尻も同様です。しかし見た目は同じだったのですが、質が違います。剣の焼戻し等の処理が甘いのか、靭性が正規品と比べて低いです。脆いと言ってもいいでしょう。これは製造した工房が違うと考えても良い案件です。円征行で用いられるものを流用した非正規の工房が存在し、武器の供与を行っていると考えられます。

 最後に<まだら雲>の外見的特徴です。彼は男であり、年の頃はだいたい三十代前半か二十代後半のように見えたそうです。実際はもっと歳上の可能性もありますが、見た目はそのくらいだったそうで、実際の年齢を聞いたものはいないそうです。身長はかなり高いですが、横幅はそれほどでもなく、村ではよくもっと食事を摂るようにと勧められていたらしいです。高身長で痩せており、くすんだ金髪を刈り上げて言っていました。髪を短く切るのは王国軍ではオーソドックスですが、それと関連があるのかは不明です」


 以上で報告を終わります、とアーリンは締めくくった。

 ルフィナが頷いて、メイナードとペルペトゥアに目線を向ける。

 ペルペトゥアが頷いたので、メイナードも後を追うように頷いた。

 横で昨日の尋問に参加していなかった<ワイド・フェード>のレックスとサンディも頷いており、彼らは手許の紙にメモをしていた。

 ペルペトゥアとメイナードは何もメモをしていなかった。

 メイナードはどことなく気まずくなり、干し肉を頬張る手を止めた。


「以上から考えて、<まだら雲>は何らかの後ろ盾を持った人間に雇われた工作員であると思われます。どこが雇ったのかは不明ですが、まだこちらが確保していないこともあって、今後も<まだら雲>による作戦行動は続くでしょう」


 フィルがまとめるようにして話を始めた。


「<まだら雲>は村人たちからの信頼が篤いですが、彼自身が村人たちを信頼しているとは思えません。昨夜の捨て駒のような使い方もこちらの戦力を測るためのやり口でしょうし、今後も彼は次々と村人を捨て駒に作戦を立てていくと考えられます。問題はこちらの戦力を突破できるだけの何かを用意しているのか、ということです。彼が村人を使ってこちらを測っているのは、そうすることで見えてくる俺たちの戦力を削れるだけの用立てがあるからだと推測できます。つまり、いずれは<まだら雲>を雇った誰かが用意した本当の作戦部隊(・・・・・・・)が攻撃を仕掛けてくる可能性があります」


 ルフィナが重々しく頷いた。


「本命はそちら、ということね」

「はい。そちらに対処できるかどうかが俺たち護衛の真価を問うときでしょうね。その時は必ずルフィナ社長をお守りし、敵を撃滅させます」


 ルフィナが若々しい笑みを浮かべて、<ワイド・フェード>を見渡した。


「当然ですわ。わたしが雇ったのですから、あなた方にはそうして貰わねば困ります。期待していますわよ」


 <ワイド・フェード>たちは勢いよく返事をして、その日の話し合いは終わった。

 

 まだ食事中だったメイナードがもそもそと干し肉を齧りながら、最近抜けそうになっている前歯の乳歯を舌で確かめるようになぞる。

 そこへ、ルフィナが声をかけてきた。


「昨日は本当にごめんなさいね。大丈夫だったかしら」


 慌ててメイナードは肉を呑み込み、口の中に水を発生させて飲み下した。


「あ、はい。全然もう大丈夫です!」

「それは良かった。<ワイド・フェード>にはああ言いましたけど、わたしはあなた方二人にも十分期待していますわよ。頑張ってくださいね」


 ルフィナの思いがけない激励に、メイナードは目を瞬かせつつ頷いた。

 それだけ言うと彼女はさっさと自分の駕籠に戻ってしまった。

 何だったんだろうと思う間もなく、背後から声がかけられる。


「まあメイナードほどの使い手なら気になるんだろう。少し手札を見せてもいいんじゃないか」


 ペルペトゥアが後ろに立っていた。

 振り返ると、手ぐしで髪を整えつつ、旅装を固めているところだった。


「どういうことです?」

「水魔法も木魔法も明らかに超級だ。昨日の壁づくりじゃ4類に近いレベルまで見せた。ルフィナはメイナードが欲しくなってきてるんだよ」

「あー、そういうことですか」

「それなのに危機的状況に陥らないとメイナードは力を見せないだろ? だからルフィナは気になってるんだよ。下手すれば襲撃がまた来ないかな、くらいは考えてるかもしれない」

「それで、少しは手の内を見せて安心させろと?」

「ああ。火、土は見せてないし、風もまだ真価を発揮してない。だから水か木の魔法あたりでルフィナを満足させてみるのもいいかもしれない」

「なるほど……」


 言うだけ言ったペルペトゥアは、乾獣のほうへ歩いていってしまい、メイナードはひとり残された。


 **

 

 それからの旅は緊張が続くものになった。

 何しろ、ルフィナ一行は目的地に向かっているだけだからだ。

 敵がどこにいるかも分からない以上、こちらから攻勢をかけることもできない。

 相手が襲ってこない限り、戦うことすらできないのだった。

 ただひたすらに警戒し続けるなかで、護衛たちは緊張を強いられて疲弊していった。

 次の瞬間空から飛んできた矢に頭を射抜かれるかもしれないという恐怖が毎日続くのだ。

 それでも彼らは職務を全うした。

 休憩に入るたびに仲間内で騒ぎつつ、一つも怖いことはない、やれるものならやってみろ、と言わんばかりに去勢を張った。

 それは彼らの処世術だった。

 恐怖に押しつぶされる前に、自分から恐怖を笑い飛ばし、仲間で連帯を深める。

 そうすることで緊張を緩和して戦いに怯えないよう気を保たなければ、やっていけない。

 

 メイナードも数日が過ぎる頃には吐き気も収まり、何とか普通の生活に戻れるようになった。

 その頃には毎日数度顔を見せに来るルフィナのことを考えるようになった。

 彼女はメイナードに魔法を見せて欲しがっている。

 直接言うことは決してないが、メイナードの実力が見たくてたまらないのだ。

 そして役に立つようだったらが、欲しいとすら考えている。

 ペルペトゥアは決して靡いてはいけない、と釘を刺していたがメイナードもそれには賛成だった。

 メイナードはもしかすると、世界を救うかもしれないのだ。 

 一つの会社の護衛として雇われていれば、そういったことに関われなくなってしまう。

 だから今は教会から離れるつもりはなかった。


 それでもペルペトゥアの言ったように、実力を適度に見せなければルフィナの収まりがつかないというのも理解していた。 

 なるべく穏便で、それでいて分かりやすい。

 なおかつルフィナが満足する力の見せ方を考えながら、寝る前に軽く頭に水魔法を巡らせて簡易シャワーを浴びる。

 水を全部制御できるから、目に入ったり、首筋から背中に垂れて服が濡れたりはしなかった。

 これをしないとメイナードは頭がかゆくなって、寝付きが悪い。

 いつものようにシャワーを終えて、ルフィナの対策を考えつつ目をつむる。

 そうして気づいたら朝になって――


「あっ!」

「うるさいぞ」


 荷車の脇で寝ようとしていたメイナードとその横で明日の準備をしていたペルペトゥア。

 もう寝そうだったメイナードを横目に短剣の手入れをしていた彼女は、出し抜けに大声を出したメイナードを咎めるように口を尖らせた。

 しかしメイナードにはあまり効かない。

 そもそも暗がりのせいであまりペルペトゥアの顔も見えなかった。


「これですよ、これ」

「は?」


 メイナードはミミズがのたうち回るような調子の水を指先で動かした。

 ペルペトゥアは訝しげな様子でそれを見つめる。

 まだ分かっていなさそうな彼女に、メイナードはにやりと笑って答えた。


「シャワーを貸しましょう」


 **


「え、魔法を見せてくださるんですの?」


 白々しい驚き方をするルフィナに、メイナードは自信満々で頷いた。 

 見せ方を決めた翌朝のことである。

 出発のためにみなが身支度をしている中、ルフィナも駕籠の中で着替えをしている最中だったようだ。

 ゆったりとした寝間着だが、すでに今日着る服を手にしている。

 メイナードが見せるにはちょうどいいタイミングだった。


「いま身体や髪の毛ってどのくらいの頻度で洗ってます?」

 

 六歳児だからこそできる無神経な問いかけ。

 向こうも他意はないと考え、すなおに答える。


「髪の毛は櫛をいれるくらいで、旅の間は洗えていませんわ。身体は毎日拭いてますけど」


 日本で考えればあまり清潔ではないが、この世界基準であれば十分に清潔な方だ。

 しかしメイナードの魔法を使う、といえば喜ぶだろう。


「実は僕の水魔法、水壁を作るだけじゃないんですよ。それで、今日の出発前に洗ってみるのはどうでしょうか。あ、別にルフィナさんが汚いとかそういう話じゃないですよ。単に僕の魔法をある程度見せようかと思って提案してるだけです。忙しいなら無理にとは言いませ――」


 最後まで言い切る前にメイナードの肩ががしっとルフィナに掴まれた。

 陶磁器のように白い腕なのに、触られると温かくて柔らかい感触が感じられる。

 ぐっと近づけられた彼女の顔は、左右対称で綺麗に整っていた。

 香水の匂いがふわりと広がり、長いまつげが雨上がりの空を舞う蝶のように優雅に上下した。


「ぜひお願いできるかしら。湯船につかるなんて久しぶり!」

「は、はい」


 かなりの食いつきの良さにメイナードはがくがくと頷いた。


 ルフィナは駕籠を出て、護衛に指示を出して荷車で衝立をつくった。

 メイナードはそれを確認してから、周りに人がいないことを再度見て、頷いた。

 

「裸になりますが、気にしなくていいですわ」


 ルフィナは百歳を超えている。

 エルフの精神が人間と同様に老成していくのかは分からなかったが、少なくとも六歳児に裸を見られることによる羞恥心はないみたいだった。

 しかしメイナードのほうは恥ずかしい。

 荷車の車輪に手をかけて、さっと目を伏せた。

 

「気にしなくてもいいですのに」

「すいません。それじゃ、やりますよ」


 若くしなる枝を幾重にも絡ませながら、即席の浴槽をつくる。

 幾重にも巻かれた稠密な枝は水を通さないように、長方形の大きな箱をつくる。

 上部だけ空いている浴槽に、今度はお湯を張る。


「ああ、やっぱり良いですわねこれ」


 そういってルフィナは早速出来上がった湯船に浸かる。

 しなやかに伸びた形の良い足を浴槽の中で組んだ。

 後ろに流した髪の毛も湯船につけて、綺麗にとかしていく。

 それから抜けた髪の毛を浴槽のへりへ追いやって、お湯の中で身体を弛緩させ、つま先まで伸ばす。


「髪の毛洗いますよ」

「え? なんですの」

「少し僕の特技を見せたくって。頭までお湯には浸けられないじゃないですか。その代わりをするので、目を閉じててくださいね」

「ええ、分かりましたわ」


 すっかり信頼しきったルフィナがメイナードの言葉に頷いた。

 今度は細い糸のようなお湯をルフィナの頭部に通していく。

 湯気と透き通った金髪に、気持ちいい程度の勢いでお湯の線が張り巡らされてぶつかる。

 手で揉むのと同じくらいの力をこめた水が、ルフィナの髪の毛へ当てられた。

 ルフィナは閉じた目を両手で覆い、浴槽に背中をあずけて息を吐く。


「ああ、最高ですわね。こんなに気持ちいいこと」


 そういって彼女はメイナードに任せるまま数十分のあいだ湯船で身体を休めた。

 メイナードはその間、ちらちらと<ワイド・フェード>のアーリンとサンディがこちらを見に来ているのを感じつつ、思う存分力を振るった。

 ルフィナには満足してもらえたようだった。

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