未知なる恐怖
質問を続けようとしたアーリンが獰猛な笑みを浮かべていた。
手をかざして、次に誰へ質問しようかと品定めするかのような仕草を取る。
拘束された敵は誰もが震え、脂汗を垂らしながら命乞いの言葉を呟いた。
「ちょっと待ってくれ」
しかしそこにペルペトゥアが凛とした声掛けで静止をかける。
振り返ったアーリンが、後ろに立つペルペトゥアを訝しげな表情で見つめた。
「なに?」
「このまま話を聞く気か」
「ええ、もちろん。全員に聞かなきゃ分からないでしょ? なによ、ビビってるの」
そう言うアーリンは必要以上に勇ましく、危険に満ち溢れた目をしていた。
真っ直ぐ掲げた腕を下ろし、軽く腕を組んでペルペトゥアを見た。
肩ほどの長さの髪の毛。
前髪は眉ほどの長さで、睨んでいる眼光が夜の薄闇に茫洋と自照している。
つい先程、人を殺した気迫が感じられる、圧力の高い目線だった。
掲げていた腕の反対側はぎゅっと握り拳が固められており、怯えることのない勇敢な兵士としての苛烈さが滲み出ている。
一方のペルペトゥアは一切取り繕うことのない――自然体の態度だった。
何も緊張していないし、目は食事を取る時や朝の支度をするときのように、集中している素振りもない。
身体は弛緩しており、どちらの足にも体重は傾いていない。
まるで今から犬の散歩でも行くかのような、ゆったりとした態度でアーリンの視線を受け止めていた。
それがメイナードにはとても恐ろしいことのように思える。
今まさに目の前で人が殺されたというのに、緊張の一つもしていないペルペトゥア。
次に何が起きても一切動揺することがないように見える。
自分を奮い立たせるように緊張感と獰猛さを溢れさせているアーリンのほうがよほど自然だ。
彼女はさっき目の前の男を殺したばかりなのだ。
敵とはいえ、無抵抗の人間を一方的に氷漬けにした。
そうしなければ、次の襲撃に備えられないという理由があるにせよ、それでも人を殺した。
アーリンの態度は、そうした状況で人を殺した者としてはごく自然なものに見えた。
しかしペルペトゥアの何も感じていなさそうな態度はどうだろうか。
メイナードには彼女ほうがよほど掴みどころがないように思えた。
「いや、何も恐れてはいない。恐れる必要があるのは、何も抵抗できないうちに自分の生殺与奪権を誰かに奪われた時だけでいい。今はその時じゃない」
「じゃあ何?」
「話を聞くなら個別に切り分けて話を聞くべきだ。証言のすり合わせを誘発するぞ」
ペルペトゥアの話はもっともだった。
全員がいる場で話を聞けば、彼らもそれを聞くことになる。
そうなると、自分だけが知っていることや自分の持っている情報とは違うものを意図的に隠すことができる。
個別で話を聞く場合はそういった相手の情報操作を防ぐことが可能だった。
しかし問題もある。
「どうやって個別に話を聞くのよ。こいつら離したら爆発するかもしれないのよ」
彼らは死体が一定距離仲間から離れると爆発するのだ。
これはさっきメイナードが魔法で確認したことである。
「荷車でバリケードを作って、片側に一人を連れてきて話を聞き、もう片方に彼らを固めておくのは?」
「意味ないわ。わたしたちは質問する時大声出すし」
爆発の大きさも確認したため、アーリンは距離を取って質問するようになっていた。
相手に質問するには大きな声をあげなければ届かない。
魔法の氷は距離があっても無問題だし、声もしっかり届く。
しかしそれではせっかく彼らを個別に尋問しても、意味がない。
「じゃあバリケードをメイナードさんに作ってもらえばいいんじゃないかしら?」
腕を組んでじっとやりとりを聞いていたルフィナが、メイナードを見た。
ペルペトゥアは顔をわずかにしかめた。
彼女もその方法は考えたのだろう。
しかしそれではまずい理由がある。
「それならメイナードとペルペトゥアに彼らの監視は任せて、俺らで話を聞くことにしましょう。いいよな、二人とも」
フィルが火に照らされた顔を二人に向ける。
ペルペトゥアが無表情で固まった。
この展開を彼女は嫌がっていたのだ。
監視業務が嫌なのではない。
尋問に同行できないのが、ペルペトゥアにとっては問題だ。
メイナードもそれはまずいんじゃないか、と口を挟みかけたがペルペトゥアが目顔で止めた。
ペルペトゥアがルフィナ一行を信用していないのを、表立って言うのはあまり良い判断ではないらしい。
「分かった。そうしよう。情報共有を後で頼む。こちらも<まだら雲>に関する情報がほしい」
「当然ですわ。じゃあ、メイナードさんよろしくお願いしますね」
ルフィナがメイナードへにこやかな笑みを向けた。
その顔は、この場に似つかわしくないほど爽やかで、まるで十代の若い女の子が見せるような甘い表情だった。
**
メイナードが水のバリケードを作り、ペルペトゥアと二十七人の敵たちを囲んだ。
街道を外れた草むらに二十七人がもつれた紐のように倒れ込み、疲れ切った表情で寝転んでいる。
いちいち姿勢を直させるのも面倒なので、二人は特に何も言わずに彼らを見ていた。
オムライスのような形をした水壁が囲っているため、外の様子は伺いしれない。
小さな焚き火が用意され、それだけが周りを照らしていた。
ペルペトゥアは時折、素早くまばたきを繰り返した。
そうして一人ずつ呼ばれて、バリケードの外へ出されるのを待った。
土の中に複数の根が絡まった太い縄をつくり、外と中を繋いでいる。
外から引っ張られたらバリケードを開く合図だ。
声が聞こえないから、こうした細工を用意してお互いに指示を伝達しているのだ。
「じゃあ次はこいつで」
外から顔を出したアーリンが、縛られた彼らの一人を指さした。
二人の護衛が脇を固めて男を起こす。
歩く様子のない男を護衛の片方が怒鳴りつけると、ようやく男が歩きだした。
アーリンが頷いたのを確認すると、またメイナードはバリケードを張る。
それの繰り返しだ。
もう半分ほどに減った彼らをメイナードとペルペトゥアで眺める。
「明日からはキツいな」
「寝れてないからですか?」
「いや、それもあるが次はもっとキツい攻撃が来るからだ」
「そんなの分かるものなんですか」
「ああ。私が<まだら雲>ならそうする」
ペルペトゥアは目を瞬かせつつ、組んだ腕を指で何度もつつく。
尋問がきちんと進んでいるのか気になっているのだ。
「そういえば、何で個別で尋問するかどうかって話を最初の奴が終わるまでしなかったんですか」
ペルペトゥアにとっては最初から自明のことだっただろう。
それを後出しで話したのは、不可解だった。
そもそも個別の尋問をするならペルペトゥアがそれに参加できなくなる可能性は高かっただろうが、それを理解しつつも話題に出したのは、それだけ尋問のやり方に疑問を感じていたからだろう。
それなのに最初からその話をしなかったのは、ペルペトゥアに何か考えがあったからなのだろうか。
ペルペトゥアは鼻の頭を指で掻いて、苦笑いした。
「単にわたしのミスだ。<ワイド・フェード>の連中が魔法でどうにかするのかと思って、それを見てやろうと思ってたんだ。だけど連中そもそも対策する気がなかったみたいだ。わたしの見当違いだったんだよ」
これに関しては完全にわたしのミスだ、とペルペトゥアは呟いた。
「ペルさんでもミスするんですね。意外でした」
「するよ。当然だ。それをどう挽回するかが問われるんだ」
そう言ってペルペトゥアは腕を組み、拘束された男たちを見つめる。
彼女の態度に、メイナードは少し違和感を覚えた。
懐疑的な態度。
緊張感を持っているのは護衛という任務上仕方ないが、それ以上の何かがペルペトゥアの態度に潜んでいるように感じた。
「何か考え事ですか」
「ああ。次の攻撃のことだよ」
「他には?」
「<まだら雲>のことくらいかな」
「もうないんですか」
ペルペトゥアの目がメイナードのほうを向く。
「何が言いたい?」
「いや、そんなに気を張って何を考えてるんだろうかなって。そんなに今の状況ってまずいんですか」
「そんなことか。まあ、普通におかしいよ。ガリエル建設を狙った攻撃が誰の意図か分からないってのは、少なくともわたしたちにとっては相当デリケートな問題だ」
わたしたち、と言ったペルペトゥアの言葉にはメイナードも含まれていた。
二人のことを言っているのだ。
「どんな問題があるんですか。相手はガリエル建設が憎い、もしくは運河ができたら困る人たちってのは分かりますけど、それが僕たちの目的と何か関わり合いになることってありますかね」
「そりゃあある。もしこれが周辺領主の差金ならまだ良い。大湿地のゲリラ連中が密かに現地住民を懐柔してるって場合もまだ問題はない。だが国が絡んでたら問題はデカい」
「そんなことってあります? だって運河建設は戦争を終わらせるんですよ。運河建設妨害へ加担するメリットが思いつきません」
「国が戦争の継続を望んでたら?」
そう言うペルペトゥアの目には、モスグリーンの澱んだ光が覗いていた。
「り、理由が思いつかないです」
「そうだ。わたしも思いつかない。だから問題なんだ。わたしたちは、自分が見える範囲の物事しかわからない。今やってることが正しいかは、後になってみないと分からない。それでも動かざる得ない。わたしたちには見えない、大きな絵の一箇所を塗りたくるような仕事だ。だから自分が、本当にいま何をしているのかは分からないし、今の状況が誰の意図するものなのかも分からない。それが問題だ。もしかするとわたしたちは今、捨て駒にされつつあるのかもしれない」
ペルペトゥアはそう言いながらも、決して拘束中の彼らから注意を逸らさなかった。
彼女は対処すべき問題をあげていたが、それの解決方法は言わなかった。
言えなかったのかもしれない、とメイナードは思った。
だが口にできなかった。
――恐れる必要があるのは、何も抵抗できないうちに自分の生殺与奪権を誰かに奪われた時だけでいい。
さきほどペルペトゥアが言ったことだ。
それがまさに今起こりつつあるのではないか、とメイナードは感じた。
**
尋問が終わった。
最後の一人になった時点でバリケードは完全に解き、メイナードとペルペトゥアもアーリンの後に続いて尋問を聞いた。
男は他の者たちが、自分の背後にある砕け散った氷片が、元々は彼の仲間だったことに気づいて恐怖の声をあげた。
フィルが腹に向かって思い切りこぶし大の石を投げつけて、黙らせる。
それからは最初の一人と同じく、<まだら雲>のことを話した。
それに加えて<まだら雲>の身体的特徴やルフィナ一行の旅程を知った過程も話し、訓練内容や作戦指示に関する詳細、他の部隊の有無についても確認をしていた。
「他にもまだまだ仲間がいる……俺達は絶対負けない。お前らがどんなに無茶苦茶をやろうとしても、運河は完成しない。お前らは運河を作る間中ずっと固まらないといけないし、警戒し続けることになる。運河の建設には何年掛かるかな。何年襲われることに怯え続けるか――」
最後に質問が途切れたタイミングで命乞いが無駄だと悟った男は、喚き散らすようにしてルフィナを脅した。
しかしルフィナはそれを見ても興味深そうに鼻を鳴らすだけで、恐怖を感じている様子はなかった。
男は顔面に石を喰らって黙った。
折れた鼻から血を流しながら、キッと全員を睨みつける。
腫れて膨らんだ顔に目が埋まり、まともに辺りを見渡すこともできないようだった。
「じゃあ今からこれを始末するから、メイナード頼んだわよ」
アーリンは腕を男に向けた。
今から男を始末するのだ。
そうするとこの場に『死体の近くにいる彼らの仲間』がいなくなる。
つまり、全員を始末すると自動的に全死体が爆発するのだった。
メイナードは水圧で地面を掘削するような、壁をつくった。
ただ死体を覆うだけでは、地面からも爆轟が伝わって、誰かが怪我をしたり荷車が破損する可能性があるためだ。
地面も含んで綺麗に彼らを包み隠す必要がある。
ラグビーボールにも似た、楕円の包みで死体を覆う。
その一点に、メイナードは穴を開ける。
白く濁った水が蒸気になって、音を立てて弾ける。
開いた穴は、アーリンが氷を入れるためのものだ。
「そこでいいわ。ちょうど見える」
「や、やめてくれ。助けて。助けて!」
必死の形相で命乞いをする男を、アーリンだけが見つめている。
こぶし大の穴から出てくるくぐもった声を、この場の誰もが聞き入れなかった。
メイナードもだ。
そうしてアーリンの腕の先に夜の光を集めて、乱反射させる氷が現出した。
音もなく、高速で飛翔して水壁のなかに飛び込む。
すぐさまメイナードが穴に蓋をした。
白く濁った水の壁の中から、かすかに音がしたような気がした。
衝撃は水で隠され、誰も感じなかった。
爆音も聞こえない。
氷が砕け散る音も、死体がバラバラになる音も、骨片が氷になって弾ける音も聞こえなかった。
しばらくしてルフィナが声をあげた。
「開いてみてちょうだい」
メイナードはおとなしく従った。
水の壁が蒸気になって空へあがる。
まわりの温度が少しだけ上昇したが、メイナードは身体の芯が冷たさを感じていることに気づいた。
水壁の中にあった死体は、どれも跡形もなく木っ端微塵に吹き飛んでいた。
二十九人分の肉片が赤黒い肉片になっており、楕円状の空間に収まっていた。
焦げた肉の臭いが立ち込め、硫黄のような臭気と生臭くて酸っぱい血の香りが混じり合って淀んでいた。
熱を逃がすためにメイナードが風を起こしたのもあって、その臭いは周囲へ広がっていた。
街道は整備されており、山間でも石が敷き詰められている。
そのすき間にみっちりと肉片がこびりついていた。
それを見たルフィナが、腕を組んだまま言った。
「メイナードさん、あなた水魔法が使えるんですよね」
「あ、はい」
口を抑えたメイナードは、臭いを極力嗅がないようにして吐き気をこらえていた。
「じゃあこれの清掃をお願いできるかしら」
「え?」
「次に街道を使う人がこれじゃ迷惑しますわ。死体を燃やすのは大変ですから、とりあえず脇に避けたほうがいいですの」
「あ……えっと」
「石で出来ていますから、水で流してしまえば跡はほとんど残りませんの。死体を水で脇に流してくれると助かりますわ」
ルフィナがにっこりと笑って告げた。
メイナードは真っ青を通り越して白くなった顔を死体やルフィナから背けて、道の脇で吐いた。