まだら雲
「フィル班少し先行しすぎだ。速度を落とせ!」
「了解」
ルフィナが率いる商隊――というのはあまりにも規模の大きすぎる一団は、四つの護衛班が分担して周囲を警戒しつつ、街道を進んでいた。
総勢百二十人の非魔法使い護衛たちは<ワイド・フェード>の四人が四つに分けて指揮を取っている。
<ワイド・フェード>たちはひとまとまりのグループとして活動しているわけではないのだ。
そして百二十人と四人が守る一団は、四十台もの荷車を率いている。
そのうち十三台が護衛のための車で、二十六台は食糧や貴重な掘削道具、建築のために必要な精密な機器の類が詰め込まれていた。
そして最後の一台は、豪奢な駕籠だった。
黒檀のような厚みのある硬い素材でできた駕籠は通常の大きさの荷車よりも重いため、通常は二頭の乾獣で牽く荷車を三頭で運んでいる。
もちろんそこにはルフィナが乗っている。
メイナードとペルペトゥアはその一団の中で、比較的ルフィナに近いところに陣取り、<ワイド・フェード>が使っている荷車に相乗りさせてもらっていた。
移動中は荷車のなかに乗るのではなく、外で乾獣に跨がって警戒しているため、荷車の中に入っていても迷惑はかけていない。
「結構速いな。これなら二ヶ月かからないんじゃないか」
「予定がいつズレるか分からないから移動できる時に移動しなくちゃいけないのよ」
御者の座る横に立って街道の脇を見ていたペルペトゥアが、居丈高なアーリンに呑気に話しかけるが、ぴしゃりと言い切られてしまった。
アーリンは旅に出てからずっと神経質にあたりを警戒し続けている。
フィルの小さな逸脱を注意したのも彼女だった。
「そういえば<ワイド・フェード>の皆さんで固まって動くわけじゃないんですね」
「当たり前よ。わたしたちが固まってたらそりゃあ強いでしょうけど、それじゃあ全周を警戒できないし、何よりわたしたちが一発で全滅しかねないじゃない」
「確かに」
メイナードはなるほどと頷く。
彼もまた荷車から顔を出していた。
長期に渡る旅を想定した荷車の中は<ワイド・フェード>の私物に溢れており、あまり居心地が良いとは言えなかったのだ。
誰のものか分からない櫛やカミソリ、髪の毛を手入れするための薬草や歯を磨くための粉などが筒の中に納められていた。
さらには誰の私物かはっきりしない服が掛けられていたり、革が傷んだ腰蓑が放置されていたりした。
他にも黄ばんで開くとページが割れそうな本や、もう誰も長い間触れていなさそうな下着が隅に押しのけられていたりと、ここで長い間生活していたのがありありと感じられた。
そんな車内では落ち着いていることもままならない。
メイナードとペルペトゥアは揃って御者台に顔を出して、あたりを見ては時間を潰していた。
基本的に仕事を請け負っているのは<ワイド・フェード>と護衛百二十人だ。
教会から派遣されたメイナードとペルペトゥアは一応護衛という名目で一団に加わっているが、お互いに渡せる情報に限界がある以上、協力するのも難しかった。
そのため特に業務に組み込まれるわけでもなく、遊撃隊として放置された。
もし敵が来れば――そしてそれが自分たちの身やルフィナの身の危険になると判断した場合、攻撃に参加すればいいというわけだ。
メイナードは生真面目に働くアーリンを横目に、暇そうにあくびをした。
流石にペルペトゥアはそこまで緊張を解かなかったが、平時は<ワイド・フェード>に任せても問題ないと態度で示していた。
<ワイド・フェード>は前から順にフィル、アーリン、サンディ、レックスで警護していた。
四人はそれぞれが指揮する非魔法使いの護衛たちに三交代のシフトを割り振り、一日中警戒を密にできるよう注意をした。
待機が終わった後すぐの隊は準待機という扱いで、寝ないように指示されており、いざとなればすぐに戦えるよう準備をしていた。
夜の間は<ワイド・フェード>の面々が交代で夜の見張りをするということで、彼らが一番睡眠を取ることができない立場だったから、下の者たちもあまり労働環境に文句を言いはしなかった。
一団は三日間を、何事もなく通り抜けた。
街道を整備したのはガリエル建設ということもあって、かなり快適な旅路だった。
ルフィナ自身が街道をルートとして選択するほどには信頼があり、実際快適な旅だった。
二日目は山中で雨に見舞われたが、水はけの良い街道は問題なく通ることができた。
一団は三日目の夕焼けを見つつ、足を止めてその日の野営の準備を始めていた。
二人はルフィナの厚意に甘えて、食事の一切を恵んでもらっており、快適な食事が約束されていた。
メイナードは火を使う準備を手伝いつつ、食材を切る音に耳を傾け、香草の匂いを嗅ぎつつ、今日の夕飯へ思いを馳せていた。
ペルペトゥアは特に手伝う用事もないので、準待機中の護衛たちと談笑に興じていた。
このまま平和に事が運べば良いな、と誰もが楽観視をし始めた頃合いだった。
「敵襲――!!」
大音声が商隊の後ろから響いてきた。
直後、西の山間に生い茂る木々の間から武装した集団が駆け込んできた。
さらには山の中から鋭い矢がいくつも飛び込んでくる。
綺麗に弧をえがいて商隊に襲い来る矢が、メイナードたちの方にも迫りくる。
「メイナード!」
「はいっ!」
ペルペトゥアの呼びかけにすぐさま答えたメイナードが商隊全体を覆うように水で囲いをつくった。
薄い水の膜に圧力をかけて密度を高め、その中で激しい渦を起こす。
白い膜のように変化した水は非常に硬い壁となった。
矢尻はジュッという音と共にことごとく跳ね返され、全てが不規則に吹き飛んで、やがて地面へとてんでバラバラになって飛び散った。
水の覆いを解くと、圧力から温度が高まっていた水が一瞬で蒸気になり、白い煙があたり一帯に吹き上げた。
それをメイナードは風魔法で吹き散らして、戦闘しやすい状況へと戻す。
矢が弾かれたのを見た彼らは一瞬動きが鈍ったが、それでも果敢に一団へ飛び込んできた。
矢の対応に追われて弓矢やクロスボウによる対処が遅れると判断していたのだ。
しかし実際はメイナードが一瞬で対処したため、武装した集団へ冷静に攻撃が行われた。
「逃げるやつより近づいてくるやつを狙いなさい!」
アーリンは指示を飛ばしながら、自分もクロスボウを担いだ。
集団の数は三十人程度。
四分の一程度の人数では、アーリンが魔法を使うまでもないということだった。
もしくは奥の手として取っておきたいのか。
ただ、最初に弓矢を放った集団は結局山の中から顔を出さなかった。
集団は混戦を狙って一団に近づいてくるが、メイナードがさらに魔法を使う。
メイナードの視界にいた戦闘集団の足元に、木々の根が伸びた。
根は彼らの足首へ、ブーツの紐さながらに硬く結びついて、動かなくなる。
すぐさま魔法による攻撃と気づいた彼らは、咄嗟に剣で根を切ろうとする。
しかし剣が触れた途端に、それらを巻き取るように根がさらに伸びて羊歯植物が木の幹に絡まるようにしっかりと彼らを固める。
一歩も動けなくなった彼らがバランスを崩して地面へ倒れ込んだとき、ようやく最初の一撃を放とうとクロスボウの狙いを定めていたアーリンが深く息を吐いた。
他の護衛たちも、剣や槍を交える手前で止まった。
「もしかして終わった?」
「弓矢の一団は分かんないです」
メイナードがアーリンへ簡素な現状報告をすると、非魔法使いの護衛たちも今の早業がメイナードによるものだと気づいた。
「すげえ」「とんでもないガキだよ」「あれなら今回は怪我しなくて済みそうだな」「天才じゃん!」
口々に所感をこぼす彼らが、武器を収めてメイナードを取り囲んだ。
「今回はありがとう。本当に助かったわ」
「いや、自分も護衛なので仕事しただけです」
「本当はわたしたちが対処すべきだったのよ。感謝してる」
アーリンは勝ち気な態度を崩しはしなかったが、それでも感謝の言葉を口にした。
本当に感謝しているのが透けて見える、ちょっとしたはにかみが、鋭い眼光を浮かべる顔の中から僅かに覗いていた。
「そういう謙遜、かっけーなー」「俺もああでありたいな」「てめえは何もできないだろうが」「うるせえ、お前もだろ!」
勝手に取っ組み合いを始めた護衛たちに囲まれつつ、メイナードは初めての仕事の順調な滑り出しに安堵した。
**
三十人の武装集団は全員がほとんど無傷のまま、捕らえられた。
一部怪我をした者もいたが、高温に熱された水蒸気による火傷を負ったものと足首に絡まった根を切り落とそうとして脛に切り傷をつくった者だけで、メイナードの意図的な攻撃で傷つけられた者はいなかった。
彼らは護衛ではない同行者から離れた場所に隔離され、護衛の車による囲いで周囲からは目隠しされた上で一箇所に集められていた。
手首と足首を縛られて動けなくなった、芋虫のような格好の男たちが三十人。
メイナードとペルペトゥア、そしてルフィナとアーリン、フィルが彼らを観察しつつ、その周囲でアーリンの隊が逃げ出さないように監視していた。
商隊自体は戦闘があった場所で腰を落ち着け、巨大な灯火をあちこちに敷いて弓矢の攻撃が再開しないか注意していた。
縛られた彼らは火で顔が照らされ、顔の脂がじっと浮かんできている。
その一人にフィルが顔を近づけて、話しかけた。
「目的は?」
「ガ、ガリエル建設の運河建設妨害だ」
「どこから来た?」
「それはこっちの聞きたいこと……うっ!」
フィルは靴底を思い切り相手の鼻っ柱に叩きつけるようにして蹴り倒した。
男は芋虫のように地面に転がり、自力では立ち上がれない格好で喘いだ。
血で地面が黒く汚れ、顔が砂だらけになる。
「質問してるのはこっちだ。聞いてるか?」
メイナードはこれが本当に正しいことなのか分からないまま、口をつぐんで三十人を見渡した。
彼らは無傷だ。
しかし結局はフィルや<ワイド・フェード>、ルフィナたちによって死を与えられるのかもしれない。
その時は、無傷で捕らえられたことを後悔して、メイナードを恨んで死んでいくのかもしれなかった。
それにメイナード自身が耐えられる保証はなかった。
「俺らはバグリュッフェあたりでずっとやってきてたんだ。今更やってきてお前らが勝手に色々したって俺らの土地を奪って良いわけじゃない!」
「ふーん、なるほどね。反対派は地元民か」
相手が怯えを払うように強気で答えても、フィルは何も感じていなかった。
ルフィナも彼らから如何に情報を引き出すかということにしか興味を抱いていなかった。
「弓矢を使ってた後方の連中も同郷か?」
「もちろんだ。お前らをずっとずっと追い回して、必ず殺してくれる。卑劣なガリエル建設のクソどもに俺らの土地を……」
フィルが無造作に腰の剣を抜いて、りんごの皮むきでも始めるかのような気楽さで、男の首を落とした。
ごとりと鈍い音がする。
首は僅かに転がり、髪の毛を下にして止まった。
煌々と燃える灯りに照らされて、男の目玉がぎろりとメイナードを見た。
思わず、メイナードは目を閉じて、ペルペトゥアの影に隠れた。
「現場で指揮を取ってたのはお前らの同郷か?」
先程首を落としたのは夢だったのかと思うくらい、フィルは何も態度には示していなかった。
二十九人に減った彼らは動きが完全に止まり、次動いた者がフィルに殺されるとでもいうように息をひそめた。
誰も動かなかったが、標的は決まった。
胴体だけが残され、だくだくと血が流れていく男の身体の隣に座っていた奴がフィルに目をつけられる。
「答えろ」
「い、いえ。俺らに武器や戦い方を教えてくれたのは別の人でした」
「そいつはどこから来たか言ってたか?」
「西部のコリス出身だと本人は言ってました」
「名前は?」
「ほ、本名はわかりません。いつも<まだら雲>と呼ばれてました」
なるほど、と呟いたフィルは落ちていた首を拾って火の中に投げ入れた。
「じゃあ指揮を取ってたやつは地元民じゃなくて、お前らを戦えるようになるまで育ててくれた奴がいるってことなんだな」
頭がない胴体が、質問に答えていた男に倒れ込んだ。
小さく悲鳴をあげた男は、こくこくと頷いてフィルの質問に答える。
フィルは満足げに頷いて再度剣を振り上げようとしたとき――
激しい爆発が火の中から上がった。
黒煙とともに激しい爆風が巻き上がり、捕まった男たちとメイナードたちを包み込む。
薪がいくつも吹き飛んで、その中の何本かは地面に突き刺さったり荷車に当たって砕けた。
血と脂の臭いが辺り一帯に立ち込め、煙の臭いも死体の酸っぱさに包まれたようだった。
「何が起きたんですの?」
ルフィナが<ワイド・フェード>たちに聞くべく声をあげた。
フィルは爆発が収まった中でゆっくりと火の跡に近づき、燃えかすを足でさらった。
「恐らく死体が爆発したようです。死んだ後に仲間から一定の距離を取った死体が爆発するように魔法が掛けられているのかもしれません」
それはどう考えても捨て石に対する処置だった。
地元民を名乗る彼らは、<まだら雲>と称する人間の指揮を受けて攻撃をしたという。
つまり、彼らは<まだら雲>、もしくはその人物へ指示する個人やグループによって操作されたと考えるべきだった。
これは地元民との軋轢では決してない。
誰か、もっと遠くにいる人間によるガリエル建設への攻撃とみるべき案件だった。