ルフィナの計画
二人はルフィナの案内で応接室に招かれた。
壁には魔獣か何かの剥製が頭だけ架けられており、その向かいには壁一面くらいの大きさの絵画が据えられていた。
中心には裸体の若い女がしなを作っており、その周りには乱雑ではあるが豪奢な部屋の調度がいくつも並べられている。
そしてその女の顔はどう見ても――
「これはわたしの自画像ですの。数十年前に画商に紹介された絵かきに描かせて見たのですが、中々良いものでしょう?」
「とても素晴らしいものだ。美しい」
下の毛の柔らかさまで丁寧に表現された絵を前にして少しも恥ずかしがることなく出自を語るルフィナ。
その一方でペルペトゥアはあからさまなお世辞でさっさと話を本題へ持っていこうとする。
マイペースな二人の間で、メイナードだけが顔を赤くしたり青くしたりと忙しかった。
「褒められると嬉しいのですが……それよりも依頼の話でしたわね」
「ああ。今日は明日に備えた最後の確認と、そちらの用意した護衛に関する情報、そしてもう一人の護衛の紹介に来た」
「旅程ルートに変更はありません。護衛に関する情報は書面で用意しましたのでこちらを確認していただければ幸いですわ。そちらの上の方からは事前に手紙を頂いておりますので、二人で来るということは知っておりました」
ルフィナは部屋の外からやってきた男から書類の束を受け取ると、そのままペルペトゥアに渡した。
旅のルートが記された書類に地図のたぐいはなく、地名だけが描かれている。
これは、地図の情報が戦争時では非常に貴重だからだ。
建築会社とは言っているが、ルフィナの経営する会社は交通網の整備や工務店まがいのことにまで手を染めており、業務の幅は広い。
それに今では護衛という名の私兵を雇ったり、一部の土地を開墾して自前の畑を所有したりと、戦地では相当グレーなことを続けている会社でもある。
ペルペトゥアは書類を一通り見た後、わずかに顔をしかめて、ルフィナを見る。
ルフィナはにこやかで、自信に満ち溢れた表情を崩さない。
彼女は見た目こそ十代の女の子だが、歳相応の見た目では決してない。
メイナードも日本で、耳が長くて美人の種族と言えばそういう印象があったから、少しだけ身構えることができた。
ただでさえ、彼女はガリエル建設の巨大な業務を一手に管理する長なのだから、いくら警戒しても警戒しすぎるということはない。
「ここに載っている資料ではあなたに十二人の魔法使いの護衛がいることと、五千人の兵士を抱えていることしか分からない。五千人の私兵を抱えていることだけでも十分問題視されるべきだと思うが、それよりも十二人の魔法使いの詳細が知りたい」
ルフィナは花瓶に差された清潔な花のような笑みを浮かべたまま、ペルペトゥアをあしらった。
「五千人の非魔法使い戦闘員はわたしの私兵ではなくてよ。ただの護衛にすぎないのだから、言い方をあらためて貰ってもいいかしら」
「失礼。五千人の護衛だったのか」
一つも納得はしていない、と言った態度をあからさまにするペルペトゥア。
メイナードはこの二人が、どういう力関係なのか把握できず、ただ視線を彷徨わせることしかできない。
「では十二人の魔法使いの方は? 資料には人数と部隊構成、そして名前と出身地だけだ。これでは協力のしようがない」
「それはあなたも同じですのよ。わたしにとってはあなた方二人がどのような魔法をお使いになるのかということの情報が存在しないことのほうがずっと恐ろしい」
「宣教局に要求された開示請求があったはずだ。書類は届いていると思うが?」
ルフィナは首を振る。
「送付状のほうが文字数が多いくらいでしたわ。ペルペトゥアさんの方はまだしもメイナードさんの方は名前すら書かれておりませんでしたの」
二人とも自己紹介はしていない。
名前を調べるくらいはできるぞ、とルフィナは暗に言っていた。
「宣教局がそういう態度なのは機密こそが安全管理において最も適切な態度だと考えているからだ」
「あなたはどうですの?」
「適切な情報開示もまた局地的な安全に繋がると考えている。長期的に見れば、確実にリスクのほうが大きいがな」
「わたしも同意見ですの。気が合いますわね」
そこでようやくルフィナが相好を崩した。
花のような――清潔さをわざと発露するような作られた態度を取り払って、自然な表情を浮かべる。
力の抜けた顔は眉尻が下がり、挑戦的な態度が幾分か抜けていた。
「では――」
「書面では流出の可能性がありますし、口頭での説明に留めようと思っていますの。それにどれくらいの情報を出してもいいか、の下限の制限はともかく上限の部分に関しては魔法使い本人が決めたほうがより適切な情報量になるはずですわ。ですから今日中にそちらへ向かわせるので、お互いに話し合ってくださる? 今日中に都合の合わない部隊に関しては旅の途中で顔合わせするという形でよろしいかしら?」
ペルペトゥアは苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。
相手の情報を貰うためには、ペルペトゥア自身も使える魔法について話さなければいけなくなったのだ。
ルフィナの話の上手さにつられた形だった。
「ではそちらからまず聞かせてもらっていいかしら?」
しかしペルペトゥアは転んでもただでは起きない女だ。
「魔法について話す必要があるのは、護衛同士の齟齬が起きないためだ。当人たち同士での情報交換が許可されたなら、それで問題ない。わたしたちでそれぞれ話をするだけで、目的は果たせる」
ルフィナがこの部屋で話をするという流れに誘導した以上、この部屋に何らかの仕掛けがなされている可能性は少なくない。
それに、彼女なら聞いた情報を文書化して保存するはずだ。
文書化自体は魔法使い同士で情報交換をした場合でも発生するだろうが、なるべく文書と情報の間に人を挟んで、情報の齟齬やすれ違いといった希薄化を望みたいところだった。
ペルペトゥアの言にルフィナは動揺を見せることなく、静かに頷く。
「では少し自己紹介、そしてそちらの子には社とわたしの紹介をしたほうが良いですわよね?」
子、と言ったルフィナはメイナードを見た。
メイナードは突然話を振られたせいで、とっさに頷いてしまった。
ペルペトゥアが横で目を眇める。
――何をしている。
と声が聞こえそうなほど嫌がっているのが伝わってきた。
ルフィナはペルペトゥアからこれ以上の情報が絞れないと判断して、メイナードの方へ矛先を変えたのだった。
部屋になるべく居てほしい、という目論見もあるかもしれなかった。
「ではまずわたしの自己紹介から。恐らくですが、エルフをみたことはないでしょう?」
「あ、はい」
メイナードはこれでエルフ関連の情報が不足していることと、相手の見た目に騙されやすい可能性を提示しつつ、エルフが関係する種々の情報には触れていないことを漏らしたわけだが、それには気づいていない。
ルフィナは秘書のように脇に立っている男からまたもや紙束を受け取り、メイナードへ手渡した。
両手をぎゅっと掴み、いかにも親切なお姉さんという風に装う。
「わたしはそこに書いてあるように、ガリエル建設の社長をやっていますの。事業を興したのは今から百年ほど前ですわ。最初は円征行における砦建設を請けおうことから始まりまして、バグリュッフェ大湿地北部に一年かけて大砦エステリアの建設したのですわ」
メイナードが渡された資料は企業概要のようなものだった。
創業百十七年、その時からずっと社長は変わらずルフィナだったという。
円征行における砦建設から始まり、そこから北へ伸びる戦線維持のための交通網の整備、石切場などの発展やはたまた南部の前線に街を一つ作ったと手広く業務を行いながら、円征行を発端に会社を発展させていた。
そしてその中心にはいつもルフィナ・スレンコヴァがいる。
「わたしは最初の三十年で七つの事業所を開拓し、大湿地の東西に広がりつつあった戦場のそれぞれに物資の補給が可能な交通網の整備に邁進していましたわ。戦争で一番多い死因は何だと思いまして?」
「えーっと、病気とか?」
「それも多いですが、一番ではないんですのよ。戦闘で死ぬ人数が一番多いとは思っていないというのが、その歳にも関わらず素晴らしく敏い人間であると伺えて素晴らしいですわね」
ルフィナは褒めているのかメイナードを試しているのか分からない所感を述べる。
ペルペトゥアは最悪の場合はメイナードの口を塞いでしまえばどうとでもなる、とでも言いたげな表情で足を小刻みに揺らしていた。
「じゃあ一番は?」
「魔獣による被害ですわ」
「魔獣?」
曰く、バグリュッフェ大湿地には大量の、そして多種の魔獣が生息しているという。
円征行の最初の目的も、バグリュッフェ大湿地を抜けることにあった。
危険な魔獣が多く生息する大湿地は、その南にスティア大陸へ繋がるベフ海がある。
スティア大陸への最短ルートして考案されたバグリュッフェ大湿地の縦断が、円征行を生み出した。
そしてそれは獣人によって阻止され、今をも続く円征行と繋がる。
獣人もまたケンテ大陸へ繋がる道としてバグリュッフェ大湿地を選び、そこで魔獣と人間の双方と対立したのだ。
魔獣が跋扈するバグリュッフェ大湿地は放置しておけば獣人が支配し、ケンテ大陸攻略への道標になるし、かといって攻めようにも魔獣が荒らし回るせいでまともに砦を築くのも難しい土地だった。
獣人としては、迂回しようにも東は魔族に領有を主張されているし、西は暗黒海として有名だから、バグリュッフェ大湿地を攻略する他ないのだ。
そしてその結果、補給が絶たれた部隊から魔獣によって殺されるという状況が生まれた。
「どうです、あまり良い土地とは言えないでしょう?」
「ええまあ。そこまでして獣人の方たちはケンテを攻める必要があるんでしょうか?」
「人間さえ支配してしまえば、魔族にも対抗可能かもという目算があるのですわ。ただ、魔族が現在まで国交のある人間たちを支配していない以上、何かしらの理由があるのでしょうし、もし大湿地を攻略して人間たちと正面切って戦ったとしても、必ず支配できるとは考えられないですわね」
ルフィナはそれから次のページをめくるように促した。
「ここからが現在の話へ繋がりますの」
そういって彼女はメイナードへ読むように促した。
目を通してみると、ルフィナの思惑の大きさが肌で感じられるほどに熱気が溢れていた。
バグリュッフェ大湿地には北から通る、巨大な川があった。
名前はオルケス川。
アシュベリー山脈を水源とした大河川であり、バグリュッフェ大湿地に流れ込んで海へと通じるケンテ大陸で最も大きな河川だ。
そして、ガリエル建設は円征行を通してその川に目をつけた。
その川に支流をつくり、バグリュッフェ大湿地を通らず海へと流れる川を作ろうというのだ。
バグリュッフェ大湿地の五キロ手前で支流を作り、そこからファリアス半島中部の海に面した場所まで広げようというのだ。
それはガリエル建設が創業百十七年の歴史の中で手がける最も大きな計画だった。
計画が立案されたのは今から二十年前。
当時は戦線がだいぶ押されているということもあって、建設の目処が立たなかったが、第六次円征行では獣人の支配域をかなり南部まで押し下げることができたため、再び計画が見直されることになった。
そして、ルフィナの後押しもあって計画は実行されることになった。
それが今年の出来事だ。
着工は二ヶ月後を予定されおり、施工開始時にはルフィナ社長による盛大な式典も催される。
「そしてそのためにバグリュッフェ大湿地まで向かうというのが、今回の旅の目的ですの。それにあなた方は同行し、護衛をしてもらいます」
「それで、今日会うことになってたわけですね」
「そうなりますわね。この大運河――ファリアス運河が完成した暁には円征行が終わるとも言われているほどですのよ」
バグリュッフェ大湿地を戦地としているからこそ、獣人の攻撃の手は緩み、長期間に渡る戦線も張ることができない。
しかし運河ができれば話は別だ。
人間側は常時大量の人員を運搬できるようになるから、海を渡って遠征に来る獣人を常時抑え込めるようになるのだ。
バグリュッフェ大湿地で魔獣と戦いながらでは、せっかくの地の利を人間側が活かしづらい環境にあったが、運河ができれば話は別だ。
そうなった時は百年続く円征行も終わるだろう、と目されている。
そしてその発端を作るのは、今メイナードの目の前にいる、ルフィナなのだ。
見た目は十代の子どもだ。
しかしそれは見かけにすぎず、実際には巨大な思惑と莫大な資産を背負っている。
そして、その彼女こそが戦争を終わらせるつもりで計画を動かしているのだった。
メイナードはその圧力に押されて、何も言うことができなかった。