食事
とんでもなく大きな出来事を聞かされて、メイナードは思わず半信半疑になった。
しかしペルペトゥアはそんな態度のメイナードを気にする様子もなく、目的地へと歩いていく。
「まさかこれからずっと歩いていくんですか?」
大陸の南まで歩きなら、一年以上かかってもおかしくない距離だったはずだ。
メイナードは自分の足ではそこまで歩く前に倒れてしまうという確信があった。
まだ身体は六歳だから、長時間の移動や激しい運動は難しい身だった。
「そんなことできるか」
さすがにペルペトゥアもそこまで無茶ではなかったらしい。
首を振って否定した彼女は、藪をのなかを斧で切り開きながら、迷うことなくずんずん先へ進んでいった。
前後左右どこを見渡しても、メイナードに違いは分からなかった。
日本にいたころにこんな大きな森の中へ入ったことはなかったからだ。
自然公園の雑木林はなかに入って虫取りをしても見渡せばどこかに必ずビル群が見えたし、田舎の森は祖父や兄がついており、深いところまで一人で入ったことはなかった。
「そろそろ着くぞ」
「え、どこに?」
「村だよ。荷物を置いてんだ」
ペルペトゥアには自分のいるところや、今歩いているところが正確に分かるようだった。
彼女は自分に分からないことなどなにもない、という風な自信たっぷりな様子は皆無だったが、分からないことで迷ったりする優柔不断さは欠片も感じられなかった。
そんなペルペトゥアが緩やかな丘を降りきったところで、急に立ち止まる。
メイナードは彼女に追いついて一息ついたところで、辺りを見渡した。
「ここだ」
農村が広がっていた。
害獣対策に木でつくられた柵があり、それらが耕された土地を綺麗に囲んでいる。
その周りに小さな小屋が並んでおり、村の真ん中には一つだけ大きめの建物が建っていた。
よく見ると、踏みしめられて固まった大きめの道に沿って小屋は建てられており、その周りに畑があった。
中心の建物はメイナードの父の仕事場とは比べられないほどみすぼらしい外見だったが、その屋根の上にある捻られた円のような鉄細工は、教会を示すマークだ。
ペルペトゥアは森のなかで付着した枝葉や靴の裏にこびりついた柔らかい土塊を落とし、同様にメイナードの身体の汚れも落とした。
メイナードは自分の背中や服の裾が汚れていることにその時気がついたが、ペルペトゥアの手慣れた様子に身を任せるままとなる。
「教会には無茶言ったからせめて小奇麗な格好で来たかったんだがな」
「何か頼み事したんですか」
「荷物預かってもらったんだよ。同じ教会所属のよしみってことで」
「それがさっき言ってたことなんですね」
教会の末端がスパイ業務をこなす部署の人間に頼み事をされても、何がなんだか分からなかっただろうなとメイナードは思う。
教会へ入ると、メイナードの父が着ていた服と同じものをまとった初老の男が顔を出す。
テーブルを磨いていた最中だったのか、雑巾を持ったまま二人へ近づいていくる。
「助かったよ。このお礼はいつかしたい」
「お世辞はいいですよ。あなたが何をなさっているかは分かりませんが、神のためなんでしょう?」
男は穏やかな表情を浮かべて、メイナードとペルペトゥアを交互に見た。
メイナードはどんな顔をすればいいのか分からなくて、苦笑いを浮かべる。
ペルペトゥアは男の言葉に小さく頷いて、教会の裏手へ回った。
男が案内する小部屋を通って裏へ出た二人は、乾獣が繋げられている小屋を案内された。
「荷物に手を触れるな、と言われていたので外へ置いたままにしています。良かったんですか?」
「ああ。それでいい。本当に助かった。神に仕える身である私たちがこうして協力できたのは、お互いに神への信仰心があったからこそだ」
ペルペトゥアは協会関係者としての文言をとにかく並べられるだけ並べながら、乾獣に荷を積んで縄を解いた。
そうして男へ最後に軽く挨拶を交わすとさっさと教会を出ていった。
「メイナードはここへ乗れ」
「のわっ」
村を出てしばらくすると、ペルペトゥアが大量の荷物を背負った乾獣の背に少しだけスペースをつくった。
それからメイナードの腰を掴んで肩くらいの高さまで持ち上げ、乾獣の背に乗せる。
「これからどのくらいしたら次の目的地に着くんですか?」
「まあ数日かな。わたしだけならもっと早く進めたけど、荷物とメイナードがいるんじゃどうしようもない」
「なんかすいません」
「そういうことが言いたいわけじゃない。泉に行くのにメイナードなしじゃ意味ないんだから」
そう言ってペルペトゥアは乾獣の横についてひたすら歩き続けた。
メイナードは、森の中を走り回るよりはずっとマシな行路を堪能する。
そうしてひたすら夜が更けるまで歩いてから、ようやくペルペトゥアが足を止めた。
乾獣もおとなしく歩みを止め、揺れが収まる。
メイナードは足をくじかないように気をつけながら乾獣の背中を飛び降り、野宿をするつもりのペルペトゥアを後ろから覗き込む。
「何か手伝えることってある?」
「燃えるものと火を出してくれ。後は鍋があるから、水を張ってほしい」
そう言ってペルペトゥアは荷物の中から袋と鍋を取り出した。
メイナードは指示された場所に木を出してみる。
生木は燃えづらいから、なるべく乾燥した状態の枝を意識する。
試したことはなかったが、中々上手く薪っぽいものが出てきた。
それに向かって火を放ち、風を起こして火を大きくしてみる。
しばらくすると、魔法を使わなくても火が維持できるようになっていた。
「あとアレってできる? 火の上に鍋を置いとくための支えみたいなやつを作るの」
ペルペトゥアはあやふやな雰囲気で、身振り手振りを見せ、メイナードに目的を伝えようとした。
Y字に腕をひっつけている。
メイナードも何となく分かった気になって、焚き火の脇に枝葉を作った。
先が二股になっていて、大きな枝を火の上に渡せる支えが完成する。
そこへ架ける枝もメイナードは生成し、鍋の取っ手を引っかける。
それらしい何かが完成した。
「具は切ったし味つけは身から塩っ気が出てくるから大丈夫だと思う」
「もしかしてなんですけど、ペルさんってこういうとこで料理したことないんですか?」
メイナードは当然の疑問を彼女へぶつけた。
よく考えると、準備の八割はメイナードがやったのだ。
自然魔法を簡単に行使できる人間がいなければできないことばかりを、メイナードはやらされた。
つまりペルペトゥアにはできないことをやらされたということになる。
「バレたか。わたしは料理しないタイプなんだ」
「仕事柄する機会って多そうなのに」
「しなくても干物でやっていけるよ。メイナードが魔法を使えるから、せっかくならと思ったんだ」
そういうペルペトゥアが鍋の具材をかき回した。
よく見ると、鍋やお玉などの調理器具のたぐいは、どれも使われた跡が見えない。
ペルペトゥアがメイナードを助けに来たときから、温かいごはんを食べる算段をつけていたのだ。
「そろそろできたかな」
「何かいい匂いですね」
ペルペトゥアが軽く味見をして、具合を確かめる。
メイナードは自分が今日一日、まだ何も食べていなかったことを思い出して、喉を鳴らした。
彼女はまず最初にメイナードの分の器によそい、それから自分の分を用意した。
濁ったスープに野菜が少し入っており、それから白っぽい身の肉も入っていた。
匂いは塩っぽく、肉からでた汁が出汁になっているようだった。
二人とも料理をほとんどしたことがないということもあって、灰汁をとっていなかったが、どちらも気づいていない。
二人は木彫りのスプーンで食事を始めた。
「あ、意外とうまい」
あまり料理をしないペルペトゥアは、自分が作ったということも相まって結構美味しい汁に舌鼓をうった。
メイナードも自分が一から用意したという自負があるから、料理そのものを楽しめたということもあり、結構美味しいと感じていた。
街道の真ん中の少し広いスペースで、二人して地べたに座って食べるのは中々ない経験だったから、二人ともかなり楽しんでいる。
一杯食べ終わったメイナードがおかわりをして、柔らかい肉を乳歯で噛む。
空腹が徐々に満たされて二人にも喋る余裕がでてきた。
「そういえばこの肉ってなんです? 結構柔らかいけど、今まで食べたことない気がします」
「あーこれね。形まんま残った干物あるから見る?」
頷いたメイナードを尻目に、器を地面においたペルペトゥアが荷物の中を漁る。
袋を手にとった彼女は、中から肉を取り出す。
焚き火にかざされたそれとメイナードの目が合う。
黄色くてつぶらな瞳が、メイナードとぶつかった。
「うわああああ!」
「なんだよ。見たことない?」
「芋虫じゃん! 虫だよ、虫!」
思わず敬語が剥がれるくらいメイナードは驚いて、思わず器を放り投げた。
ペルペトゥアが器用にそれを掴んで、汁を一滴もこぼさずメイナードへ返す。
彼女は乾いて皮のヒダが滑らかになった芋虫を軽くなでる。
表面のヒダには特徴的な赤い斑点が浮いており、かつて生きていた頃は全身を蠢動させながら動いていたことを伺わせた。
「こいつの腸を抜いて糞を取り出してから乾かすと干物になるんだよ。塩っぽいから鍋に入れても美味いし、乾燥させたら保存食にもなる。普段はこれの干物ばっかり食ってるけど、やっぱり温かい汁物っていいな」
「これって本当に食えるものなんですか? ペルペトゥアさんだけ美味しい美味しいって言ってるわけじゃないですよね」
「んなわけあるか。長距離旅する奴らはみんな持ってるし、戦闘糧食にも使われてる」
「まあ見た目はアレですけど美味しいですもんね」
鍋の肉だって、見た目が芋虫だと知らなかったうちは物凄く普通に美味しかったのだ。
メイナードはペルペトゥアから器を返してもらい、今度は肉の正体を知った上で食べてみる。
当然だが、味は変わらなかった。
塩っ気の強い肉が汁にまで味をつけ、野菜類にまで味が染み込んでいる。
今では日本で食べた料理の味が克明に思い出すことができないから、これはこれで十分食べられるとメイナードは感じた。
ペルペトゥアは三杯おかわりをして、鍋に作った分は全部空になった。
「明日もこれ食べるつもりだけど、芋虫は嫌か?」
ペルペトゥアは心配そうな顔で、メイナードを見つめた。
両親から離れ、修道院からは逃げ出し、領主からは追われている。
そんな状況で食事にすら不満を抱えていたら、いつ爆発するか分かったものではない。
そのうえ、その六歳児が誰よりも強い魔法を持っているとなれば、ペルペトゥアが心配するのも当然だった。
しかしメイナードは笑って、ペルペトゥアの不安を吹き飛ばした。
「全然大丈夫。明日は焼くのもいいんじゃないですか?」
「そうだな。結構美味しそうだ」
ペルペトゥアは火を消して、木にもたれかかった。
メイナードは若葉を大量に出した後に大きな葉でそれらを包み、即席の枕を作って地面で寝た。
寝る前にペルペトゥアが毛布を貸してくれたので、それに包まれてメイナードは目を閉じた。
**
それから数日間、二人は街に向かって歩いていった。
実際はメイナード自身が歩いているわけではなく、乾獣に背負ってもらっていたが、歩くたびにぐらぐらと揺れるのでリラックスはできなかった。
ペルペトゥアは乾獣の横でずっと歩いていたが、全く疲れる様子は見せなかった。
そしてその数日間は、二人にとって挑戦の日々となった。
「焼く前にこれだけちょっと煮てみたら火が通るんじゃない?」
「じゃあこれは一回火を通してからすぐにあげてみて、最後食べる前にもう一回入れましょうよ」
「あー、そしたら焦げないのか」
「鍋ならわざわざ火を使う必要ないんじゃないですか?」
「え、でも沸騰させなきゃダメだろ」
「鍋の中で魔法使って沸騰させればいいんですよ。水の温度は水魔法で調整できますし」
「じゃあお玉もいらない? かき回せるだろ」
「それは考えてなかった!」
「塩味ってちょっと飽きません?」
「でも他に味付けないしなー。取ってくるとか」
「森のなかで?」
「小さい動物とかなら取れるだろ。芋虫とはまた違った味がありそう」
二人は色々なことを試しながら、道中の食生活を大いに改善しようとしてみた。
どちらもまともな料理経験がないため、どの一手を取っても真新しい感動が広がっていたのだ。
乾獣で揺られる間も飯の話に終始し、何を変えればどういった発見が生まれるかという話題で盛りあがっていた。
料理が上手くなくても、鍋にすれば大抵は美味しく食べられるということもあり、満足する食事を二人は堪能した。
途中からは森のなかで新しい食材を探すのに集中したり、鳥を落とす方法を考えたりしていた。
そうして捕まえた新しい食材を使ってみて、下手くそ同士ながら何とか食生活の改善に努めた。
だが、それも終わりを告げる。
そもそも次の街へ向かうまでの旅だったからだ。
「あ、見えてきましたよ」
「やっとか」
道の先には城壁と門が並んでいた。
その前で騎士たちが商人たちに通行税を取り立てており、少し長い列ができている。
その一番うしろに並んで、二人は列が進むのを待っていた。
列はかなりの速度で消化されており、二人の番はまもなくやってきた。
「通行証を見せてもらうよ」
「ない」
「えっ!?」
あんまりにも堂々とペルペトゥアが言うものだから、荷の点検をしていた騎士達は驚いて動きが止まる。
その隙に、荷物から紙束をだしたペルペトゥアは朗々と話を始めた。
「これが中央教会の宣教許可書。んでこっちが二人分の身元の確認証。わたしたちは二人とも宣教局所属だから、基本的に移動に制限がない。通してくれ」
「えーと、確認するまで待ってもらっていいですか?」
驚いて敬語になった騎士をペルペトゥアは見もしないまま、列の脇に避けた。
それから何組かが門を通った後、さきほどとは別の騎士が三人ほどやってきて、ペルペトゥアに頭を下げる。
「失礼しました。許可証の確認が取れたのでお通しすることができます。どうか先のご無礼をお許しください」
「教会に告げ口なんかしないから、さっさと通してくれ」
「すいません」
そうして二人は街の中へ入ることができた。
市場に人だかりができており、食事処もたくさんある。
そんな中で二人は、どっと溢れた疲れを背中に感じながら、とりあえず宿をとることを決めた。