竜退治
竜がくるのは二日後だった。
メイナードはニコラから何とか聞き出せるだけで情報を引き出して、竜との戦いに備える他にやることはなかった。
街の外で竜を迎え撃ったほうが被害は少なくて済むと主張したが、それはできないとニコラに言われたのだ。
「竜は雲の上のすごい高いところを飛びながらこっちに向かってるみたい。わたしたちじゃそこまで行くのに雲で上下感覚狂っちゃってまともに戦えないと思う。倒すために飛んでるのか、とりあえず落ちないようにするために飛んでるのかの区別がつかない状態じゃ、竜と戦えるはずないよ」
一理あった。
メイナードは風魔法を使えば飛ぶことができるが、それでもそんな高空でバランスを保ちながら戦うのは不可能だ。
慣れないことをして、竜を余計に刺激するのだけは避けたかった。
「それでも攻撃するには街へ降りてくるだろうし、そこを狙い撃ちするしかないと思う」
「竜が上から降ってくるタイミングを狙って叩き落とすってこと?」
「そう。騎士とわたしたちは一回降りてきた後に相手の攻撃タイミングに合わせて防御できないところを叩くつもりだから、それより少し前に戦う感じかな」
「不意打ちの不意打ちになるんだ」
「わたしたちを叩くわけじゃないからそれってどうなんだろ」
竜はトカゲのような胴体に双翼が備わっている魔獣だ。
問題はその大きさで、だいたい成体で30メートルから50メートルほどだ。
明らかに巨大すぎる。
ひとたび尾を振り回せば、建物も人も一瞬で潰されるし、翼から放たれる風はあまりにも大きすぎて、人は前に立つことさえ叶わない。
巨大な鉤爪に引っ掛けられれば、たちまち人の身体は原型を失って肉塊となるだろう。
それに、彼らには魔法が使えた。
といってもごく一部の個体だったが、それでも脅威であることには変わりなかった。
伝承の中には極悪な魔法を使う竜が何匹もいる。
とてつもない人的被害を払いながらも何とか駆除に成功したために、長いこと後世に残っているのだ。
「<針落とし>は寝る前に聞かされたら鳥肌が立つくらい怖いよ」
「針を飛ばしてくるの、そいつ?」
「ううん。<針落とし>はすごい強い掘削能力がある竜で、その力を街へ放ったら、一瞬にして何もかもが針状に破砕するってことで<針落とし>って名前がついてるの」
その被害にあった街は五十を超えるという。
人々が脅威を伝達する前に全てを破壊することで、甚大な被害が人社会に齎された最悪の一例である。
「流石に今回はそこまでじゃないだろうけど、魔法が使えるかもってことは念頭に置いたほうがいいよ」
ニコラは申し訳無さそうな顔で、自分の腕を抱いていた。
自分の体に触れていないと、自分がそこにいる実感が溶けて消えていってしまうとでも思っていそうな態度だった。
メイナードは努めて明るい態度を装って、ニコラの肩を叩こうとした。
六歳児の腕では、十歳の肩には届かない。
「大丈夫。さっと修道院出て、ぱっと倒して、パパッと褒められに行くよ」
「あ、そういえば修道院出る時はなにか助けたほうがいい?」
「その時はもう騎士たちといっしょに待機してるよね。こっそり外でるの得意だから気にしなくていいよ」
精一杯の励ましのつもりだった。
**
すっかり陽は落ちていて、肌寒さがメイナードにも感じられた。
暖かい格好をして正解だった、と思いながら衿を直す。
竜が来る日だった。
月明かりが街を照らし出し、修道院や領主の城を茫洋と煌めかせている。
アダムのいない部屋を誰にも咎められることなく出て、風魔法で壁を悠々と修道院を後にした。
今のメイナードを縛るものは、目的意識だけだった。
風がやまない肌寒い夜に、竜の気配はまだない。
広場の中心まで足を運んだメイナードがふわりと身体を浮かせて、空へ近づいていく。
火魔法が使えるのは一瞬だ。
相手が自分より上にいるときでなければ、街に被害が及ぶことになる。
どこまでも根気が必要で、繊細な監視だった。
じっと目を凝らして、月明かりに消える雲のたなびきにすら注視した。
それからしばらくして、一瞬だけ風の向きが変わる。
上空へ吸い込まれるような、上向きの風だ。
メイナードの髪の毛も逆巻き、前髪が目に入りそうになる。
手をかざして軽く、髪を払う。
その時だった――
「っ!」
嵐のような風と雷鳴のようなけたたましい咆哮がメイナードの身体を襲った。
風が吹き荒れるせいでまともに姿勢を維持することもままならず、一瞬で身体が風に持って行かれる。
ぐるぐると回る視界の端で、威容を誇りつつ竜が降りてきた。
「くそっ!」
雲を割りながら高速で飛ぶ竜へ向かって、火魔法を放つ。
一条の光が、太陽のような光量をもってして、空を焼いた。
瞬時に夜が切り払われて、まるで一筋の昼間が顔をのぞかせたような光景が街一帯で観測できた。
少し遅れて爆風が街に吹き荒れ、竜のもたらした風と共に乱気流のような有様を発生させる。
どこもかしこも真夏のような熱が広がって、街の人々が異変に気づく。
しかし彼らが窓を開き、外を見渡す前に事が決することはなかった。
竜が身を捻って火魔法を躱したのだ。
高速の飛翔はあたかも戦闘を予期していたかのようだった。
用意周到にメイナードのような大火力を放てる魔法使いの攻撃を避け、自分のペースでことを運ぼうと企んでいる。
竜の獰猛なうねりが、街への着地で辺り一帯に鳴動となって広がる。
広場に収まりきらない胴体を無理やりはめ込むために、竜は尾を振り払って建物を倒壊させる。
建物内の人たちが、悲鳴をあげる暇すら与えられずに熱と風の中で瓦礫に埋もれた。
「いまだ、行け!」
竜がつかの間の安定を得たところに、今までどこにいたのかも分からない騎士たちが襲いかかった。
メイナードは宙で風に揉まれながら、それを確認する。
その中にはアダムやニコラたち、研修生も含まれていた。
胸当てだけの鎧を纏った研修生たちが、本物の剣を持って騎士達の後ろで群れている。
魔法を使うために、後方で隙が生まれるのを待っているのだ。
全身甲冑を来た騎士達はあくまでも隙をつくるためだけの要員だ。
しかしその目論見が、巨大な竜にとっては何の意味もなさないことを死を持って知る。
誰かが叫ぶよりも早く、竜の尾が高速のしなりを伴って、周囲を薙ぎ払った。
短い後ろ足が広場にひび割れを作りながらしっかりと軸足になり、胴体のひねりや首側の振りかぶり、尾の根から先まで綺麗に力を移動させつつ、莫大な遠心力を発生させ、とうに音速を超えた尾の先が周りの建物や瓦礫を全て吹き飛ばした。
当然、竜に近づいた騎士達も尾に払われる。
甲冑の中で内蔵が潰れて、骨が粉砕されつつ血が吹き出し、遠くの建物や地面に霧のようになった死体が痕になってこびりつく。
指示をする隊長は辛うじて生きているのか、残った騎士達がてんでバラバラになることこそなかったが、研修生たちは顔を真っ青にして逃げようと走り出した。
どう考えても、国軍が駆けつけるまで時間稼ぎができるはずがなかった。
メイナードの一撃必殺も通用しなかった今、倒すためにはそれなりの犠牲が必要不可欠だ。
竜が浅黒い鱗を月明かりに反射させながら、宙に浮かんだメイナードのほうへ向き直る。
星を二つ取り出して、眼窩のなかに嵌め込んだような綺麗な金色の眼をしていた。
口が開いて、大きな牙が唾液に濡れているのを間近で見る。
倒さなければ、街が一つ消えるという確信がメイナードのなかに差し込んだ。
街で竜に向かって火魔法を放つのは得策ではない。
メイナードはまず翼に絡まるようにして木々を生やし、羊歯植物で竜を捕まえた。
激しく身を振り回す竜が枝葉を千切りながら、咆哮する。
建物や空がびりびりと震えるような感覚がメイナードを襲った。
続いて竜が後ろ足に力を蓄えて、飛び上がろうとする。
メイナードは垂直に突き立つ、土魔法の塔を三本出してそれぞれ翼と頭を狙った。
二本が刺さって、痛みで絶叫する竜が身体を振り回した。
両の翼が植物だらけの膜とともに地面に落ちて、激しく痙攣しながらも徐々に力を失っていく。
黒々とした血が、広場一帯にどろりと溢れた。
倒れた騎士達が血のなかに沈む。
不格好に覗く小さな前足が、なくなった翼の根を抑えるように動いた。
身を縮めるような格好で、竜が天衝く咆哮を発する。
頭は鱗が硬すぎて、とてもだが土で貫けるような代物ではなかった。
メイナードは続いて金色の眼を狙って、火魔法を放つ。
大規模な魔法ではなく、行動を制限するための呼び水だ。
しかし竜はこの期に及んでまだ暴れ、頭の位置は少しも定まることがない。
眼のような小さな目標を狙って攻撃するのは、今のメイナードの技量では不可能だった。
諦めて狙いを移し、今度は後ろ足を木魔法でキツく縛り上げた。
ばたつかせようとした足がしっかりと地に根を生やした植物に絡め取られ、竜は動けない。
しかしまだ尾が残っていた。
首と同様に長い尻尾を振り回した竜は、両方のバランスを取りながら右へ左へと体を揺らして植物の拘束を剥がす。
メイナードはその間に、広場を囲うように土魔法で壁を作った。
街全体を取り囲む城壁の、だいたい二倍くらいの大きさだ。
それをできるだけ強度が生まれるように固め、底で暴れる竜がこれ以上街に被害を与えないように制限する。
しかし竜の膂力はその程度で抑えられるものではなかった。
後ろ足で地面を蹴り上げ、すでになくなった翼周りの筋肉を蠢動させながら、まるでトカゲのように壁を這い登る。
巨体を支えるだけの筋肉が発達している竜は、図体の大きさに関係なく俊敏性を見せた。
壁の一端、コップの縁のような場所で次の手を打とうとしていたメイナードはあまりの速度に慄いて、思わず身体を宙へ投げた。
風魔法で姿勢を制御しながら、竜の動きを確認する。
壁の上端まで達した身体を街へ投げ、まだ被害のなかった場所を下敷きにした。
悲鳴とともに砂埃が巻き上がり、黒い影のような巨体が街を蹂躙した。
翼を失った竜は身体を捻りながら地を這う。
周囲一帯の建物を無造作に壊し、その中にいるはずの住民たちをすりつぶしながら、メイナードから逃げようとする。
その先には修道院があった。
メイナードはとっさに壁を生成し、もう一度竜を閉じ込める。
そして今度は土の強度を気にする間もなく、ただ竜を殺すことだけに注意しながら、莫大な量の水魔法を壁のなかに注ぎ込んだ。
「ガアアアアァァァアァ!!」
竜の断末魔じみた咆哮が壁の中で反射し、水から出ようともがく。
出てきそうになるたびに、メイナードは地面から伸ばした木々で後ろ足を絡め取り、水中の中へ引きずり込む。
尾が激しく振り回されて、壁の中から水がはね飛んだ。
メイナードは首まで竜の身が浸かるように水量を増やして沈めた。
それから壁だけでなく天井も土魔法で生成し、巨大な土の箱のなかに竜を閉じ込めた。
竜が暴れる振動や音が、壁を通して街中に響き渡る。
土塊が壁からぽろぽろと溢れるたびに魔法で壁を増強し、静かになるまでメイナードは壁を見続けた。
一時間以上竜は暴れ続けて、小さな咆哮が何度も聞こえた。
そして夜が明けるころになってようやく、竜の動きが完全に止まった。
最後の鳴動は竜の巨大な筋肉が痙攣しているような、細かい振動だった。
朝焼けと共に天井の魔法を崩したメイナードは、濁った水の中で身体中が傷だらけになり、鱗が見るも無残に剥がれ落ちた竜を見つけた。
うなだれたように曲がった首が水のなかに沈んでおり、金色に輝いていた眼がどうなっていたかは分からない。