戦う理由
自由日の夕食も終わり、部屋に戻って明日に備えるだけになってもまだロイドはみなの前へ顔を出さなかった。
遊歩道のむこうに建つ、背が低い代わりに横幅が大きい職員棟の明かりはまだ点いている。
向こうでは、向こうの戦いが繰り広げられているのだということが、年長組にだけは無言のうちに共有された。
そんな中でメイナードは一人、戦争のことを考えていた。
自分には縁のない話だった。
日本にいる頃は、映画くらいでしか見たことのない現実が、今のこの世界では間近に迫っているのだ。
まだ理解できていないメイナードにとっては、ふわふわとした曖昧な言葉でしか捉えることができていなかった。
しかし、ここにいる研修生たちは皆、覚悟をもって訓練をしているのだ。
それこそ同室のアダムでさえ、浮ついたノリでこそいるが、戦場に出る気概を持っているのだろう。
そう思うと、メイナードはめまいがした。
この世界は、日本とはぜんぜん違うのだと改めて実感させられる面持ちだった。
「なにしてんだ?」
ベッドの上段から顔だけ出したアダムが、枕に顔を押し付けて足をばたつかせていたメイナードへやんわりと声をかける。
明らかに迷惑そうな、さっさと寝てくれとでもいいだけな顔だったが、決して口にはしない年長としての優しさが垣間見えた。
「ねえ、アダムは何のために戦えるの?」
「何のためって、どういうことだよ」
質問が抽象的すぎたのか、要領を得た答えが返ってこない。
メイナードは切り口を変えてみた。
「じゃあ、何のために戦争へ行くの」
「なんだそれ」
今度は質問を理解してくれた。
しかし、当たり前すぎる答えを持っているのか、アダムは鬱陶しげに上段へ戻るだけで、答えは返ってこない。
少ししつこくなるが、メイナードはどうしても聞いてみたかった。
十歳の子どもが戦争に行くための理由が、日本に住んでいたメイナードには少しもわからない。
「教えてよ。いいでしょ」
「別に、なんでもねえよ」
「なんでもないってことはないんじゃないの?」
もう一度上段からアダムが顔を出した。
露骨に嫌そうな顔をしている。
「もう今日は寝るからやめてくれ。明日も早いぞ」
「僕には戦う理由なんてないんだ。戦争にも行きたくない」
ぽつりと――しかしこれ以上ないくらいにはっきりとした拒絶の言葉をメイナードは投げかけた。
上段に寝そべって話半分に聞いていたアダムが身体を起こす。
ベッドが軋んで、アダムが降りてきた。
メイナードが寝ているベッドに椅子を近づけて、座る。
「それはマジなのか?」
ニコラとはまた違う、切迫した表情でアダムは訊いた。
メイナードも身体をおこして、壁に背中をあずけて頷く。
「ここに来たのは、人に迷惑をかけないように魔法を使えるように訓練するためで、別に戦いたいから来たわけじゃないよ。戦うための魔法の使い方を教わる気なんかなかったんだ」
アダムは大人の真似事のように深くため息をついて、頭を抱えた。
「それは他のやつには言ったのか?」
「誰にも」
ニコラには戦争目的だと知らなかったとはバレているが、戦いたくないとは言わなかった。
「じゃあ他の奴には言わないほうがいい」
「なんで?」
「なんでってそりゃあ……」
アダムは少し逡巡したが、やがて口を開いた。
「みんな戦うために勉強してるんだ。一人そんな意識の奴がいるとなったら、サボりたくなってもおかしくねえ。でもそんなことをして、大して学びもせずに戦場に出た奴がどうなるかは、分かるだろ?」
深刻そうな表情の奥に、切実さが宿っていた。
メイナードはしぶしぶ頷く。
自分のことではなく、他人のことを持ち出されて説得されても、困るからだ。
それはみなに自分の思いを話してはいけない理由にこそなるが、自分の考え方がなぜダメなのかの理由にはなっていない。
しかしアダムはそんなメイナードの考えを知らずに、話を続ける。
「それに今のお前ほどの才能を、教会が黙って手放すわけがない。もし戦うつもりがないなんて、知られたら、お前は戦いたくなるようにさせられるぞ」
心底ゾッとした。
そしてメイナードは思い出す。
この世界は自然とは真っ向から対立することが可能な魔法があることに。
自然な意思にも対抗可能な魔法が存在する可能性に。
人を操ることができる魔法があるかもしれないことに。
「アダムは黙ってくれる?」
メイナードの声が、自然とひそめられた。
アダムも小さく頷く。
そして小声ではあるが、確実にメイナードの耳に届くトーンでささやく。
「マジで黙ってないとヤバいからな」
**
それからのメイナードは黙って、真面目に訓練を受け続けた。
ランニングも柔軟も身体が痛くなるほど辛かったが、そのたびに修道士たちの治療を受けて、すぐさま完治していった。
残ったのは、精神の痛みだけだ。
一緒になって訓練している研修生たちが一人残らず、戦争のために頑張っていると思うと、メイナードは時折恐ろしくなる。
彼らが強くなって誰もが認められるほどに成長し、この外へ出たときというのは、戦場へ向かうときなのだ。
人を殺すための訓練を受けている、というのが日本に住んでいたメイナードには全く想像できない経験だから、未知の感覚に怖くなる。
しかし日々の訓練は、そんなメイナードの気持ちなど斟酌することなく、淡々と進んでいった。
座学で学ぶ戦闘時における魔法の行使方法や、相手の出方を見る方法がいずれ本当に使う知識であるということが、現実に迫ってこないというのが恐ろしい。
魔法なんてメイナードにとってはゲームや映画のなかにあるものでしかないから、戦争のために使うという事実への実感が湧かないのだ。
もしアルセムからこの街に来るまでの道中で遭遇した襲撃者を、カルラではなくメイナードが殺していたら、受ける印象も違っていたかもしれない。
しかし、メイナードは自分で手を下していないし、今度また攻撃を受けた時に、カルラのように躊躇いなく殺せるかは分からなかった。
自分の命を守るためだったら、とっさの判断で使えるかもしれない。
悩んでいる暇などないほどの状況なら、殺人という難業に対して深く考えることができないまま、魔法を使うかもしれない。
しかし、その後に追ってくる実感に耐えられるのか、メイナードには分からなかった。
今もこうしてメイナードは戦争について悩んでいるのに、実際に殺してからの悩みなど想像すらできない。
だが、メイナードが悩んで答えを出したとしても、そんなこととは関係なしにここにいる研修生たちは戦場へ向かう。
そして人を殺す。
そのために受けている今の訓練を、メイナード自身の気持ちだけで無茶苦茶にすることはできなかった。
メイナードがサボったせいで、それにつられた子たちが現れて、そのせいで人が死ぬなんてことになったら、メイナードは自分が責任を感じずにはいられないだろうし、その重みに耐えられる自信もまた存在しなかった。
だから今は訓練をボイコットすることもできず、ただ真面目にこなす以外の選択肢はなかった。
アダムはときおり、メイナードを見た。
座学で先生が手許に目を落とした時、グラウンドでの訓練で柔軟の二人組を決める時、健康診断の待ち時間。
けっして部屋にいるときに互いがその話をすることはなかったが、アダムがメイナードを見て――監視していた。
メイナードは自分が話してしまったことで、アダムもまた困惑し、動揺し、悩んでいるのかもしれないと思った。
しかしそれについて二人で話し合うことはなかった。
メイナードは訓練を受けながら、徐々にニコラとアダム以外の子たちも馴染むことになった。
柔軟をする相手は毎回違ったし、座学の後にお互いに理解を深めるために食堂で集まって話をしてみたりした。
他の子たちもそうしていたからだった。
みんなと合わせないといけないという強迫観念が、メイナードのなかにずっしりと横たわって、離れることはなかった。
座学でもグラウンドでの訓練でも、常に修道士たちが監視をしていたからだ。
修道院に来た当初は、それが保護のためだと思っていたが、今のメイナードには監視としか思えなかった。
魔法戦闘の講義で言われた言葉を思い出す――
『相手がどんな魔法を使うかわからない時は、あらゆる想定をしなければならない』
修道院がどんな魔法使いを抱えていて、どんな魔法をかけることができるのか分からないから、メイナードは警戒し続ける以外の手段はなかった。
暗闇の中に放り込まれて、ナイフ一本持たされないままに戦いを強いられているような緊張があった。
メイナードの神経は徐々にすり減っていった。
それでも訓練をこなしつづけ、表面上は研修生たちの中へと馴染んでいった。
仲の良い人間も増えたし、模擬戦をする相手にも困らなかった。
木剣を振っている間は、疲れるからこそ考える暇が減って、安心できた。
身体を動かしている間は肉体の限界に身体が引っ張られて、どうにか考え事をしなくても済んだ。
模擬戦は修道士たちが見守っているし、死ぬことはないと思うと、気楽でいられた。
以前ニコラに言われたアドバイスや、座学で学んだことを活かして、相手が生き延る術を学べるように全力で戦った。
それら全てが、メイナードにとっても戦うための訓練になるのだ、ということはなるべく考えないようにしていた。
しかし、徐々に強くなっていく感覚があった。
最初はアシュベリー家で甘やかされていたのもあって、あまり強くはなかったが、徐々にこの環境に慣れることで、マシになったのだ。
だがそれはメイナードにとって、とてもだが良い変化とは思えなかった。
なにしろ、戦うための理由がないのだから。
**
アダムに本当のことを話してから一週間が経ったとき、ようやくロイドがみんなの前に顔を出した。
「エドガー、アレックス、ニコラ、デディ、バイロン、チャド、アダム。七人はわたしについて来てくれ。ちょっと話があるんだ。他の子はいつも通り講義を受けるように。今日も頑張ってね」
ロイドは少しも頑張ってほしいとは思っていなさそうな、表情の死んだ顔で生き生きと話をした。
それから言いたいことは全部言ったとでもいうように、すぐに研修生たちを解散させて、七人を職員棟へ連れて行った。
絶対に何かあると、みなが思った。
メイナードが来てから修道院の大人たちが何かを隠しているということは、全員が薄々気づいていたし、メイナード自身はそれが自分のせいであることも思い立っていた。
しかし口にだすことはなく、その日も訓練を受けた。
疲れを明日に持ち越さないように夕食を食べた後、すぐに自室へ戻ろうとしたメイナードは、この一週間でできた友人たちに寝る前の挨拶を交わしてから食堂を出た。
蝋燭でうすく明かりを灯された廊下は、月明かりがわずかに差して、ひんやりとしている。
あまり足音が響かない廊下をさっさと渡って、すぐに自室へ戻ろうとしたメイナードを後ろから追いかけてくる足音があった。
「ちょっと待って」
振り返る。
ニコラだった。
薄暗い廊下で会う彼女は、白い肌が自ら光を放っているかのように、淡く明るい。
その顔を隠すように軽く下を向いた彼女は、続けて言った。
「少し話があるから、部屋行っても良い?」
「こっちはアダムがいると思うけど、それでもいいなら」
「じゃあわたしの部屋にしよう」
彼女の顔は切羽詰まっていた。
メイナードは、今日ロイドに呼ばれていたことで何かあるんだと思ったが、黙って彼女の後ろへついていった。
ニコラの部屋は、メイナードがいる部屋と何ら変わらない間取りだった。
テーブルに彫られたような絵が描かれていることと、壁に打たれた釘にネックレスがかけられていること以外で、二つの部屋の違いを探すのは難しかった。
椅子に座るように促されたメイナードはおとなしく座ると、向かいのベッドへ脚を崩して座った彼女に向き合った。
少しだけ、花のような甘い香りが部屋に漂っていることに気づいた。
「それで、話って?」
ニコラがあまりにも黙りこくっているものだから、メイナードは失礼とは分かっていながら思わず声をかけた。
それで、ようやくニコラが覚悟を決めたように顔をあげた。
顔には乾いた涙の筋が、一つ走っていた。
目蓋がわずかに腫れぼったくなって、頬は明かりの下で見るといつもより赤い。
「わたしね、実は村にお父さんがいないの」
そこからニコラの、今まで誰にも話したことのない話が始まった。
「お母さんと妹がいるだけで、家に男手は一人もいない。お父さんが持っていた畑も死んだ時のどさくさに紛れて、親戚の人たちが持ってちゃったんだよね。わたしたちは税を払うどころか、明日食べるものにも困るような有様だった。
そもそもお父さんは、体調を悪くした上で治療もままならないうちに死んじゃったんだよね。それこそ一週間くらい前はまだピンピンしてて、普通に畑にも顔を出してたし、村の寄り合いで夜まで飲んでたりもしたんだよ。普通に生きてて、急に倒れて、誰も何もできないあいだに、普通に死んじゃった。
わたしたち家族は当然なにも準備できてなかったから困ったよね。そのうち、お父さんを治すために呼んだ修道院の人たちがすごい遅くにやってきた。もう死んでからずっと経ってるのに、お父さんはどこ? なんて聞くものだから笑いそうになっちゃったよ。そこですって裏庭につくったお墓を指したら向こうも困ってたよ。わたしたちのほうがよっぽど困ってたんだけどね。それこそ、墓地に埋葬するだけのお金も払えなかったわけだし。
それで、お母さんと妹とわたしは何とか食いつなごうとして、とっさにわたしは嘘ついて修道院の人に魔法が使えるから、わたしを雇って、って言ったの。当然その時は嘘だったし、口からでまかせに過ぎなかったからもしその場で見せろなんて言われても、どう答えればいいか分からなかった。でも、使えたんだよね。魔法が。そのとき初めて、わたしは魔法が使えることを知った。奇跡だよね?
それで修道院の人は手紙を書いてくれて、お母さんと妹の生活の保証をする代わりに、わたしはここに来た」
つっかえつっかえだったが、ニコラは全部をメイナードへ話した。
突然の告白に、当然メイナードは困惑したが、彼女のつらそうな表情を見ているととてもだが何か口を挟めるとは思えなかった。
「大変だったんだね」
日本では考えられないことだった。
それを大変、という一言で表しても良いのかとすら思った。
しかしメイナードに、そんなニコラへかける上手い言葉は見つからなかった。
「わたしが生きている間は、たとえ研修生だったとしても報酬が払われて、それが二人に送られることになってるんだ」
「じゃあ、今は二人とも良い生活をしてるのかな」
「たぶん」
ニコラの言葉はどこか上滑りしたようなものに感じられた。
今までの話しぶりと比べると、あまり感情が込められているようには思えなかった。
まるで、もう家族のことはどうでもいいと思っているかのようだった。
しかし彼女は、ここまで家族のためにやってきていたのだ。
戦争に行くのも、家族のためだろうというのが容易に推測できた。
メイナードは何も言えなかった。
「でも、死んだらまとめて褒賞金が払われて、それで終わり。二人が生活できるかはわからないの」
「なんで急に死んだ時のことを……」
言ってから、メイナードは気づいた。
今日のロイドの呼び出しには、ニコラも含まれていたことに。
「実はね、先生に今日呼ばれたのは、戦うためなの」
「なにと?」
「竜だって。君が来た日に火魔法を使ったよね」
「うん」
「それがアシュベリー山脈の奥にいる竜を刺激したらしくて、今も竜がこの街に向かってるみたい」
噂にすぎないと思っていた話が、死を目前にしたかのように気落ちした彼女の言葉によって現実味を帯びてくる。
メイナードが引き寄せた死が、なんの関係もない彼女や他の研修生に降りかかろうとしていることに気づいた。
「もちろん騎士の人たちが出るし、領主も国に軍の派遣を要請したらしいんだよね。でも、それでも間に合わなかった時のためにわたしたち年長組も出てほしいって頼まれちゃった……」
「なんで……だって歳上っていっても僕らはみんな子どもじゃん」
メイナードはここでニコラを言い負かせば、何とかなるかと思っているかのような口ぶりで彼女を責めた。
しかし返ってきた言葉は、メイナードの求めるものではなかった。
「そもそもこの修道院って卒業のための年数とかって定められてないんだよね。才能のある子は半年とか一年でさっさと出ていっちゃったりするんだ。それなのに年長組がいる理由って一つしかないよね」
戦場に出られないレベルの力しかないって判断されてるんだよ、とニコラは力なく呟いた。
「だからここで軍の派遣までの時間稼ぎに消費しても、惜しくない戦力ってわけ。本当に大事な研修生はもう戦場に出てるか、ここでわたしたちが守るわけだから」
「そんな……」
メイナードが情けなく呟いた。
それで、ニコラも今まで張っていた緊張の糸がとけてしまったのか、両手で顔を覆った。
声にならないうめきのような、ぐずぐずした音が彼女の口から漏れた。
それを真正面で見つめたメイナードは、思わず息をのんだ。
彼女が死ぬとしたら自分のせいだ、とメイナードは思ってしまったのだ。
「ねえ、もし逃げたら家族はどうなるかな」
顔をあげたニコラは、涙を目にためていた。
「た、助けてよ。わたしを助けて」
メイナードはニコラと模擬戦をしても勝つことができない。
それでも、明らかに火力において優れている。
みんなを助けるために、今まで訓練したことを活かして竜を倒す以外の選択肢はなかった。
メイナードは戦う理由を得た。