ニコラ・”可愛い”・ギルモア
夕飯は食堂で食べられる。
大勢が集まって、祈りを捧げる。
そこらへんは少し修道院らしさがあったが、食事の内容や集まっている人員はとてもそうは見えなかった。
みな、一様に動きやすい服を支給されており、堅苦しい修道服ではない。
それに、食事の内容も豪華だ。
メイナードの家はそれなりに裕福だったはずだが、清貧を好む父、ティモシーの意向であまり豪勢なものを毎日食べるわけではなかった。
しかしここは違う。
成長期の子どもが満腹になるまで食べられるだけの肉や野菜、パンが多く並んでいた。
「なあ、君が今日きた”業火”の子だよな?」
向かいに座ってパンを頬張っていた子が、身を乗り出してメイナードへ話しかけてきた。
メイナードの家では行儀が悪いということで、食事中の会話はあまり好まれていなかったが、ここでは違うらしい。
子どもが多いから、あまり規則で縛りすぎると管理が大変なのかもしれなかった。
「ごうか、ってのはよく分からないけど、今日来たのは確かだよ」
「みんな見てたぜ、君の魔法。ありゃあ一体どんな対抗なんだ?」
「対抗魔法じゃないよ。自然魔法の火だよ」
おいおい、と勝手に周囲へ集まってきた子たちが天を仰ぐ。
「冗談?」
「マジなら天行レベルじゃん」
「次の行脚で筆頭やれるじゃね?」
つぎつぎによく分からない評価を下す研修生たち。
メイナードはよく分からないから、てきとうに頷きながら肉を頬張った。
質の良い油で焼いているのか、この世界で食べる肉にしては美味しかった。
「自然は火だけ? 出力調整は?」
「自然魔法なら全部使えるよ。出力も普段は抑えてる」
「とんでもねえ才能だな。いきなりトップに躍り出たってかんじだ」
「トップ?」
真正面に座った子が、少し背伸びしたような鼻にかかった声で説明する。
「ここじゃ強い順に番号が振られる。といっても院のルールじゃなくて俺たちが勝手に言ってるんだけどな」
「ロイドさんたちはそういう順位付けはしないんだ」
「まあね。先生は変なところで律儀だから」
意外だった。
ここの食事の質もだが、ここは収容施設みたいなものではない。
ある程度のルールこそあれど、それはこちらを縛るものではなく守るためにあるような雰囲気がした。
順位で番号を振ったりしないのも、子どもを物扱いする気はないからだ。
しかし子ども自身はそんなことを気にしたりしない。
自分たちが魔法の才能を持っているからこそ、ここに呼ばれていることを知っている。
その価値をより明確にしたがるのは、自明だろう。
「それで、今まではニコラ・”硬化”・ギルモア女史が一番だった。だけど、どう考えたって今の一番は君だよ」
「ニコラ?」
「呼んだ?」
いつの間にかアダムが座っていた席が入れ替わっていた。
白皙の、細い女の子がはにかんでいた。
空のように抜けた印象のある透き通った瞳が、メイナードをじっと見ている。
「おいおい、敵情視察か?」
正面の子が、大皿からパンをちぎってニコラへ手渡す。
ニコラはにこやかに受け取って、小さくちぎりながら一口頬張る。
白い頬が咀嚼するたびにもぞもぞ動くのは、リスみたいだった。
小さい口にほうりこんだパンの欠片がようやく喉を通ると、空のコップに指先を向ける。
「水をもらえると嬉しいな」
「あ、えーと……」
正面の子が、目顔でメイナードへ魔法を使うように促した。
「じゃあ失礼して」
コップを見ながら、こぼさないように注ぐ。
ニコラがコップを傾けて、飲み干すと薄い唇にちろりと舌を這わせて水滴を拭う。
「美味しいね。少し冷たかったのは気遣い? それとも元から?」
「その方が美味しいと思って。迷惑だったかな」
「全然。優しい子って、わたし好きかも」
半笑いで、ニコラは席を立った。
それからしばらくは、空いた席には誰も座らなかった。
「どういう意味だと思う?」
正面の子は、歯に挟まった肉をこそげおとしながら、笑う。
「そりゃあ、宣戦布告だろ」
**
「いやいや、ニコラがマジで惚れたってセンも捨てられないだろ」
朝起き抜けにアダムへ話してみたが、メイナードはそれが失敗だったことに気づいた。
「でも相手は五歳は離れてるし」
メイナードはまだ六歳だ。
対してニコラは、すでに十歳以上に見える。
研修生たちでも歳上のほうだ。
「関係ねえよ。大人だって五歳差で結婚したりなんて普通だろ」
「子どもの五歳差と大人のは違うと思うけどなあ」
じゃあついてこい、と言われてアダムは部屋を出た。
雑談は終わりだった。
この修道院で、研修生たちはかなり大事に扱われている。
それ自体は、昨日の食事でも伺いしれたが、今日はより驚かされた。
健康診断のようなものが、行われているのだ。
それも、聞いたところによると毎週やっているらしい。
身長の計測や視覚、聴覚検査、さらには丸裸にされたうえで皮膚病などに感染していないかを確認され、喉の奥まで覗かれる。
「俺たちは貴重な魔法使いだからな。それに、変な病気で命を落とされちゃ教会としても困るんだろうさ」
アダムはあっけらかんとした調子で言うが、メイナードは少し怖いくらいに感じた。
あまりにも丁寧にされすぎても、それはそれで怖くなるのだ。
診断が終わると朝食があり、それから講義が始まった。
「今日は最初に基礎だから、午後から眠くなりそうだな」
「キソ?」
「基礎教練。ちょっと身体を動かしたり、ある程度戦えるように剣術の基礎を教わったりするんだよ」
三○人が十人単位で分かれて、それぞれの講義をする場所へ移動した。
メイナードとアダム、それに昨日会った女の子のニコラが最初に基礎教練を受けるグループだった。
グラウンドへみなで集合し、特に整列することもなく固まって、それぞれに雑談に興じていると、遊歩道を抜けて大人が数人入ってきた。
一人は動きやすそうな服の男で、あとは清潔そうではあるがあまり動くのには向いていない修道服を着ていた。
一歩前に出た、一人だけ修道服を着ていない男が声をあげた。
「これから基礎教練を始める。全員準備してくれ」
はい、と思い思いに返事をした研修生。
メイナードは一拍遅れて追従し、動き出した一団のなかで役割を見つけようとアダムについていこうとする。
それを、男に呼び止められた。
「メイナードは初めてだったな。説明するから待機で良い」
「みんなは何を?」
「必要なものを取りに行ってるんだ。そこの遊歩道奥に倉庫が見えるだろ?」
言われてみなければ気づかないくらいに、綺麗に隠れていた。
小さな建物には窓も雨樋もない。
本当にただの荷物置き場なのだろう。
「基礎教練はランニングとかもするが、今日はメイナードが初めてだから軽く何をするかの紹介からでもと思ってな。俺はジェイラス。よろしく頼む」
「あ、はい」
そうこうしている内に準備が整った。
グラウンドの端には樽が数個おかれ、中には木剣が数本入っている。
それに、古くさい皮の防具と頭を守る鎧が数セット押し込まれていた。
ジェイラスの周りに集まった研修生はてきとうな場所へ座り込み、話が始まるのをまった。
「じゃあ今日の教練を始める。いつもどおり二人一組で柔軟をしてから、ランニングだ。それから……」
「模擬戦をしたいです」
研究生の塊の、一番人が集まっているところの中心から、細い腕が伸びた。
ほっそりとした白い手の先が、空へ伸びている。
ニコラだ。
「ああー……今日は素振りと型の練習で終わるつもりだ」
「それもしましょう。でも、せっかく新入りが来たんだから一通りどんなことをするのかを教えていたほうが良いと思います」
「それで模擬戦と?」
「ええ。別に、わたしがメイナードくんと戦いたいわけじゃない」
アダムが口笛を吹いて両手を叩いた。
一気に場が盛り上がる。
みんな、丁寧に囲われているからこそハプニングに飢えているのだ。
呆れた様子のジェイラスがため息をついて、頷く。
「じゃあ、最後にやるだけだ。少しだぞ」
「ありがとうございます!」
ニコラが細い腕をガッツポーズに変えて、周りの取り巻きとはしゃぐ。
女の子グループの中心にいるニコラは、一挙手一投足に華があった。
「でもまずは柔軟とランニング、それに素振りだ! メイナードは扱ったことないだろうから俺が教える。いいな?」
今度の返事には、メイナードもついていくことができた。
それから基礎的な運動をこなした。
日本の高校生のときより厳しいように思えたのは、高校にもなると真面目に体育を受けることがなかったからかもしれない。
最低限のストレッチをすませたあとは、みんな指示されたスポーツをてきとうにやるだけだった。
サッカーでもバレーでも、それなりにサボっていない程度にしかやらなかったから、ただの自由時間とそんなに変わらなかったのだ。
しかし、ここの運動は違う。
魔法使いが生活に必要な身体を育てるための訓練だから、サボるなんて発想は出てこない。
まわりが真面目にやっているから、メイナードも真剣に取り組まざるえなかった。
特にランニングは、メイナードが最年少ということもあってドベだ。
「あとちょっとだ! 脚を止めるな! 動かせ、動かせ!」
十歳の身体と同じペースで動くことは不可能だから仕方ない。
とはいえ、みんなの前でのろのろ走るのは少し恥ずかしかった。
ジェイラスは最初こそ先頭で走っていたが、最後は戻ってきてメイナードと並走してくれている。
親切な先生ではあるが、結構精神的に辛いものがあった。
そしてようやく剣を握る訓練がはじまった。
木剣は、修学旅行で買った木刀とは勝手が違った。
あれは表面に加工がされていてささくれなどが刺さらないようになっていたし、何より現実の剣とはサイズも違って取り回しやすい。
しかし木剣は持ってみると、凶器という感じがする代物だった。
十字のつば、握りやすいように皮が巻かれている握り。
なにより、重い。
カルラの剣と比べれば短いから、一般的に言われるショートソードのようなものなのだろうが、子どもの身体には合わない。
重すぎるし、とうてい振り回せるとは思えなかった。
「振るときは、周りを見て当たらないように気をつけろよ。メイナードはこっちで俺が指導するから、来てくれ」
一人、輪を離れてジェイラスへついていく。
みなの剣を振る風切り音が聞こえるなか、ランニングでへとへとになった身体を奮い立たせて、どうにか剣の指導をこなした。
**
「じゃあ、これから模擬戦だ」
「よっしゃあ!」
なるべく平静に、なんでもない風に言ったジェイラスだったが、研修生たちの知ったことではなかった。
楽しげな様子でみな思い思いに木剣を取り回しつつ、変な構えをしてみたり、前のやつの股につばを引っ掛けて悶絶させてみたりしている。
「とりあえず二人組を作れ。今日は偶数だから余らないはずだ。三人組作ったりして変に余らせたりするなよー」
ジェイラスが自由に二人組をつくるように言う。
そして、その瞬間。
研修生たちが黙る。どことなく、騒いでいられる雰囲気ではなくなる。
そして、大きな風が一度ふいて、砂埃が巻き上げられる。
メイナードとさっきまで手のひらを見せあっていたアダムが一歩下がっている。
そして、人だかりがもう一つ霧散した。
一人の女の子が、人だかりを割りつつ、メイナードの前に現れる。
「ねえ、せっかくだし組もうよ」
「なにがせっかくなのかは分からないけど、いいよ」
完全に、昨日から狙われていた。
メイナードは頭二つ分背の高い、白皙の面をみあげて、端正な顔立ちを観察する。
そこには、強い魔法使いとしての自負が見て取れた。
「基礎教練だから相手に直接魔法を使うのはなしだ。救護班が治せない重度の骨折や火傷はご法度だから、過激すぎる魔法も慎むように」
ジェイラスが、メイナードへ目配せしつつ言う。
ニコラは皮の巻かれた柄の握り心地を確かめるように、くるくると手許で回す。
そして、昨日のように薄い唇に舌をちろりと這わせて、言った。
「じゃ、やろっか」
高速の踏み込みで、彼女が一瞬で距離をつめた。
マジで殺す気かと、メイナードは慄いた。
さっきまでに習った剣技を全部忘れた、とりあえず守れさえすれば良いというような動きで剣をつきだす。
剣の側面で、上段からの振り下ろしに耐える。
取り落としそうな剣をどうにか木魔法で絡めながら、手許へ戻す。
土で手のひらごと柄を固めていたら、腕ごと吹き飛ばされていたかもしれない。
ニコラはさらに距離をつめたまま、返す刀で胸を突き飛ばすようにまっすぐ剣を伸ばした。
メイナードは風魔法で体を後ろへ吹き飛ばして、間合いを取ろうとする。
狼との戦いで学んだ、強いものとの戦い方だ。
距離さえあれば、ひとまず攻撃されることはない。
しかし、ニコラは違った。
彼女は、魔法使いなのだ。
「のわっ」
見えない何かにメイナードの身体は突き飛ばされて、さらに後ろへ吹き飛んだ。
クッション代わりに伸ばした枝葉で何とか身体を支えようとするが、身体はそれより遥か前の地点で、さらに何かへとぶつかる。
胸と背中を見えない何かに思い切り打ち付けて、息が止まった。
衝撃で呼吸が取れなくなり、痛みで身体が固まった。
首筋の脂汗が垂れて、涙が出そうになる。
顔をあげて反撃しようと、再び剣を握り締めた。
立ち上がろうと、膝をあげる。
そして一歩前へ進もうと、ニコラの方へ走り出した瞬間。
「……いてっ」
またもや不可視の攻撃。
足首あたりに衝撃が走り、完全に頭からこけた。
「そこまで! やめろ、ニコラ! 救護班はメイナードへ!」
うつぶせになって動かなくなったメイナードに、グラウンドの端で待機していた修道服姿の大人たちが駆け寄る。
メイナードは、体力の枯渇と痛みで、しばらく動かそうもなかった。
グラウンドの土は、苦かった。