魔法の試験
「ここが、これから君が住むことになる宿舎。今はみんな講義を受けてるから誰もいないけど、夜になったら同室の子とも顔を合わせるだろうから仲良くしてね」
修道院の施設の内部には四つの建物があった。
講義棟、食堂、職員棟、宿舎。
図書館や聖堂はなかった。
メイナードはひとつずつ場所と名前を紹介され、覚えるように言われた。
構内図は貰えなかった。
「安全上の都合で全体を網羅する構内図は渡せないんだ。自分で覚えて、てきとうに書いても構わないよ。ただ、紛失には注意してほしいし、作成した場合は連絡してくれると嬉しい。警備を担当している職員にはそれらの情報がまわる必要があるからね」
ロイドは饒舌だったが、顔の方の変化は乏しかった。
感情を抑圧しているというよりも、単にそうした機微が存在しない昆虫のようだった。
メイナードは話を聞いている間、幾度か相槌を打っていたが、相手が怖くなって途中から少し距離を取って黙り込んでいた。
「それじゃ、最初にテストでもしてみようか」
「テスト?」
メイナードは恐々と上目使いに、ロイドの顔を覗き込んだ。
木のうろみたいな目が、メイナードを見つめ返した。
「そう、テスト。どれくらいの魔法が使えるのかってのをこっちでも把握していたいからね。といっても、わたしたちは既に君のお父さんから手紙を貰っているから、どの程度のなのかは分かってる。それでも実際にはどんなものなのか、というのを知っていないと教えるものも教えられない。というわけでここに来たみんなには、まず最初にテストを受けてもらうことにしているんだ」
いいよね? と疑問形で言ってはいたが、決して断らせるつもりはなさそうだった。
ロイドは迷いのない足取りで、天井の高い宿舎から出て、草木の生い茂る遊歩道を歩いていく。
歩幅の小さいメイナードは意外にもゆっくりなロイドに恐る恐るついていった。
「ここで造園や植樹しているのは、もちろん景観を良くするためでもあるし、ある程度育てるのを君たちに手伝ってもらうことで集団生活を学んでもらおうって意図もあるけど、本当は機密保持のためなんだ。意味は分かるかい?」
「目隠しに使っているってことですか?」
そうそう、とロイドは軽快に頷く。
後ろから追いかけている分には、彼は驚くほど親しみやすい人物だった。
表情さえ見なければ。
「うちに今いる研修生――ああ、うちじゃ修道士とは言わないんだけどね、研修生は君をいれてちょうど三十人。それぞれ持っている魔法も、使いみちも違うし、全員が大事な存在なんだ。君を含めた研修生を守ること。そして彼らの機密性を保つことがここの意義ってわけで、だからこそ繊細な注意事項で溢れてる。最初は少し窮屈に感じるかもしれないし、不満を抱くことだってあると思う。だけどわたしたちは基本的に、君たちを守るために動いてるから、常にそれを念頭に置いてくれると嬉しい」
「はあ」
基本的に、という部分がメイナードは引っかかったが、口にはしなかった。
「じゃ、着いたよ」
ロイドが立ち止まる。
メイナードも彼の後ろで立ち止まって、あたりを見渡した。
広いグラウンドみたいな場所だった。
地面は雑草が丁寧に除かれ、風が吹くたびに小さな砂粒が巻き上がる。
振り返ってみると、講義棟の聖堂みたいに尖った塔の端が見えた。
「広々としてていいよね? 魔法を使うためにある程度広い空間が必要だと思って、更地にしてあるんだ。魔法で清潔に保つようにしてあるから、ある程度汚れたり穴ができても問題ないんだよね。都市内にここを用意するのは、やっぱり少しもったいないかもしれないけど」
そういうロイドの顔には、欠片ももったいないという意味合いは浮いていなかった。
「それで、ここでテストするってことですか?」
「そうだよ。察しが良くて助かるよ。君みたいに強い力をもった魔法使いも、ここでなら自由にできる。確か君は自然魔法を全系統使えるんだよね?」
「そうですね。五属性使えます」
「全部超級?」
「はい」
超級というのは、人よりも大きな魔法を扱えることを指す。
火でいうなら、人より大きな火球を出せるなら下級中級上級という枠組みで測ることができないから、超級というくくりになる。
「火はだいたい何類まで?」
「2類くらいまでは試したことがありますけど、それ以上はちょっと分からないです」
「ふーん。他のも?」
「まあ。そんなに長時間維持する訓練みたいなことをしたことはないので」
ロイドは何もメモを取ることなしに、ただ頷くだけだった。
類、というのは魔法を発動させていられる時間のことだ。
1から9までで表すが、メイナードは長時間耐久で魔法を行使して試したことはないから、正確な数字は分からなかった。
「じゃあとりあえず出力が見てみたいな。水……だとびしょ濡れになるか。混合で使える?」
「一度に複数属性使うってことですか」
「そうそう。火を使って欲しいんだけど、水魔法で自分の体を保護しつつ使ってほしいんだ」
超級の火魔法を加減なしで放つ場合、火の熱が周囲に放たれて被害が拡大することがある。
魔法とはいえ火なのだから、触ったところだけが熱いというわけではないということだった。
「できますよ」
メイナードは少しだけ自信ありげに言った。
「じゃあ、水で身体を保護しつつ、火魔法を使ってもらおうかな」
「ロイドさんも保護したほうがいいですか?」
「いや、わたしは大丈夫。方向は、うーん、と……じゃあ向こうの山側に向かって斜め上くらいへ向けて最大出力でお願い」
「最大で?」
「うん。そうじゃないと試験にならないし」
ロイドは気軽な声音で答えた。
メイナードの力を本当に知った上での発言ならば、とんでもない。
しかし彼は、底知れないなにかがあった。
能面のような表情の向こう側が伺いれない、非情な目つき。
それに保護もいらないと言っている。
だから、メイナードは信用した。
全力で魔法を使うのは、実は初めてだ。
今までは技巧に凝ってみたり、目的に合わせた大きさで放っていたが、最大がどれくらいなのかは試したことがない。
メイナードは深呼吸して気持ちを整え、雲の傘を被ったような山々の連なりを見つめた。
遠くの景色が霞んでみえる。
その方向へ、集中して力を込めた。
莫大な炎が、山を超えて雲を貫いた。
**
激しい熱気が地面を渦巻いて、蜃気楼が遊歩道の草木を炙った。
莫大な熱が、水魔法で発生した水を一息に蒸発させ、白い煙のような蒸気がグラウンド一帯に広がる。
一度に蒸発した水が大きな音を立てながら大瀑布のような圧を伴って常時生み出され続ける新規の水にぶつかり、街中に轟く音を発生させた。
さらには超高温に熱せられた大気が、激しい反応を起こして爆轟となった。
熱によって蒸発した空気が膨張し、高速に広がっていき、爆風となる。
蒸気にまみれて白く濁った視界の先で、二人が先程通った遊歩道沿いに生えた木々をなぎ倒した。
さらには街を飛び出して火炎の柱とでもいうべき形となって山まで届いた火魔法は、激しい爆風を伴いながら周囲へ壊滅的な影響を与えた。
幸いにも斜め上方向へ飛び出していた炎は、街を傷つけることはなかった。
しかし射線上にあった空気や、空を飛んでいた鳥たちは一瞬で蒸発しながら、激しい爆轟のなかでもみくちゃになった。
大気の爆ぜる激しい音を撒き散らし、昼にも関わらずさらに明るくなる、もう一つの太陽が空のすぐそばに出現したような眩しさが覆い尽くす。
一帯を嵐のような熱風が駆け抜けていった。
修道院からは70km以上離れた距離にあった山々も同じように爆撃でもされたかのような被害を受けた。
爆轟に伴う高熱と爆風が草木を根ごと巻き上げながら地を捲りあげる。
一気に熱せられた空気に万年雪もわずかに溶けていく。
そうして炎の線上にあった全てが焼き尽くされて、最後には空を飛んでいたある生き物にもぶつかることとなった。
一瞬で鱗が蒸発し、断末魔の叫びを上げる前に喉が高温で焼かれ、山の斜面に落ちる前に身体の大半が溶けて気化した。
竜の子どもだった。
しかしそんなことは、あまりにも遠すぎるため、メイナードもロイドも気づかなかった。
**
「おい、やめろ! 今すぐ魔法を使うのをとめろ!」
ロイドがメイナードのいたはずの場所に身体を投げ出した。
水に阻まれて身体を触ることもできないうちに、火魔法が出力を終えた。
魔法を全て解いて、水のヴェールも剥がれたところで、ロイドがびしょ濡れのまま立ち尽くしていた。
メイナードは、ぽかんとして彼の顔を見上げる。
少しだけだが、ロイドの顔が緊迫感で固まっていた。
無表情の硬化ではなく、焦りによるものだと判別がつくような表情だった。
「あー……全力で良いって言ってましたよね?」
片手で目を覆ったロイドは、前髪に滴る水も気にせず、ため息をついた。
「こんなに強いとは思っていなかった」
メイナードはこれが人生初の全力出力だったということの意味合いに、今更気づいた。
**
ロイドに部屋へ返されたメイナードは、宿舎へ戻った。
もう講義は終わっていたのか、宿舎の窓からは研修生たちの姿が大勢確認できた。
みんな、窓から顔をだしてグラウンドのほうを見ていたのだ。
そして、その方向から来た新入りの顔を見て、口笛や歓声が巻き上がった。
さっきの連続して鳴り響き続けた爆発音よりは大人しいが、十分に騒がしかった。
メイナードはこそこそと宿舎に入って、階段を駆け下りてくる複数の足音から逃げるようにして自分の部屋へ入った。
一階の廊下を一番奥までいって、突き当りを右に折れてさらに一番奥まで進んだところがメイナードの部屋だ。
慌てて扉を閉じると、喧騒が少し遠ざかった気がした。
思わず安堵の息を吐く。
「よう、お前がさっきの魔法を使ったやつか?」
まだ声変わり前の、調子の良さそうな明るい声が頭上からかけられた。
「うわっ」
顔をあげると、二段ベッドの上段であぐらをかいて座る、坊主頭がいた。
メイナードより五つくらい年上だろうか。
日本でいうところの小学校高学年くらいの男の子が、にんまりと笑みを浮かべている。
「俺は同室のアダム。アダム・ハリーズだ。よろしくな」
「あっ、ええと……僕はメイナード。メイナード・アシュベリー。同室ってどういうこと?」
「聞いてない?」
「何も」
アダムは坊主頭をがりがり掻いて、深く息を吐いた。
「じゃあ俺が教えるしかねーのか……。先生のやつ、押し付けやがったな」
「先生って?」
「ロイド先生って会わなかったか? テストはあの人がやってくれるはずだけど」
「あー、さっきまで一緒にいたよ」
「そいつだよ。宿舎は基本二人部屋。んで、同室のやつは相棒ってわけよ。昨日までは俺が一人で使ってたからちょっと汚いが、まあくつろげや」
アダムは口が悪かったが、ロイドよりはよっぽど人間味が感じられて、メイナードは思わず笑ってしまった。
もし修道院にいる人がみんなロイドのようだったらどうしようかと思っていたのだ。
「何笑ってるんだよ」
「いや、安心しちゃって。ロイドさんみたいに怖い人しかいなかったらどうしようかと」
アダムは口をあけてげらげら笑って、自分の膝をひとしきり打った。
「まあ、初対面じゃ怖くても仕方ないよなー。それにお前まだガキだし」
「アダムもだろ?」
「お前よりは年上さ。色々教えてやるから、ナマ言うなよ」
滑らかな動作でベッドから飛び降りると、坊主頭をぐっと近づけて髪の毛をくしゃくしゃに撫でた。
「な、なにさ」
「こんな小さいのに一人で不安じゃないかってね。まあ、最初は前のところが恋しく感じることもあるだろうが、ここも意外と楽しいぜ。面白いやつも多いしな」
「研修生はみんな仲良いの?」
「仲の悪いやつもいれば、良いやつもいる。別にみんなで仲良しこよしってのが大事なわけじゃないしな。それにそんなもん強要されたら、最悪だ。適度に仲良くやってるよ」
「友だちとかもいたり?」
「当然。仲間と仲良くやれないと、いくら強くたってどうにもならねえ……ってそういえばさっきの魔法を使ったのってお前だよな?」
最初の話を思い出したアダムが、目を爛々と輝かせながら話をせがんだ。
メイナードは引き気味になりつつも、頷く。
「ロイドさんが全力でやれっていうから……」
「おいおい、めちゃくちゃな奴だな」
「やっぱりやりすぎたかな?」
メイナードはあのロイドが顔を引きつらせているのを見た。
相当な問題行動であることがひと目で理解できたし、何らかの対処をしてもらえると思っていた自分の甘さを恥じてもいた。
少しでも角度が甘かったら、街が炎上してもおかしくなかったのだ。
しかしアダムはぶんぶんと頭を横に振った。
「いやいやいや! 凄すぎだろ、メイ! マジでとんでもねえ才能が同室になっちまったな。魔法に関しては完敗だよ、多分。これからも仲良くやろーぜ」
アダムはメイナードを屈託のない笑みで受け入れてくれた。
それどころか、褒めてすらくれたのだ。
メイナードは自分の力が、この修道院では評価され、受け入れられることに気づいた。
魔法を学ぶための環境だから、強い魔法を使える人間はそれだけで評価が上がるのだ。
狼を街に呼び寄せ、自分の命が狙われる羽目に陥ったメイナードにとって、ここは居心地のいい居場所だ。
アダムの乱暴な肩組みにされるがまま、メイナードは修道院生活も悪くない、と思い始めていた。