不穏
商隊長であるローマンが、襲撃が止んである程度の整理が済んだ後、会議を始めた。
被害は荷車二つに、乾獣五頭。
そして軽傷者を含めた怪我人が十人、死者は二人だった。
対して相手は四人の死者をだしていた。
大きな被害とはいえなかったが、決して少なくない傷痕が商隊には残った。
「この件はクラムシェードに着いてから同盟と騎士連に話を通し、正式な護衛増員の嘆願と、山賊討伐願を出すことにする。異存があるものは?」
誰も何も言わなかった。
メイナードは、カルラの雇い主という形で会議に参加していたが、これが正しい決定なのか判断する材料がなかった。
隣のカルラは厳しい表情で、場にいる護衛を等しく見渡しており、何も言わなかった。
護衛たちは一様に硬い表情をしており、中には怪我をしているものもいたが、好戦的な態度を隠そうとはしていなかった。
もしまたもや襲ってこようものなら、次は必ず全滅させようという意思で漲っているのだ。
「荷車が破損して荷が運べないところは、各自で分担してある程度の荷は運ぼう。しかし、積めない分に関しては今日消費できるものだけ使って後は捨てることになる。捨てた荷に関する被害額は街へ着いてから被害額を計上して、各自で報告をしてほしい。こちらでも被害の証明は協力するつもりだ」
ローマンは苦々しげに顔をしかめつつも、淡々とした調子で話をした。
それから被害の補填を同盟に頼む際に必要な書類の話を済ませ、相手の死体の処分、装備品の回収と騎士連に受け渡す必要がある旨を通達し、事務的な話は終わった。
カルラはその間じゅう、護衛の顔を眺めていた。
何か注意すべきことがあるかのように、丹念に観察を続ける様子は、鬼気迫るものがあったが、メイナードは何も言わなかった。
各自が自分たちの荷車に戻り、護衛たちは配置に戻った後、カルラとメイナードは壊れた荷車の代わりに泊めてくれる荷車の主に挨拶をして、その日の寝床を確保した。
寝床は穀類がうず高く積まれており、その脇には死体が入った袋もあった。
一応木箱で仕切られてはいるが、穀類の匂いと死体の臭いが充満するなかで二人は寝なければならなかった。
「メイナード様はこちらでお休みになっていてください」
「カルラは寝ないの?」
カルラは月明かりを頼りに、魔法で取り出した紙に何かを書きつけていた。
「やるべきことが残っていますので」
「護衛の人たちを睨んでたアレ?」
「気づいていましたか」
「まあ。襲撃となにか関係があるの?」
メイナードにとって初の対人戦ということもあって、身体が火照って、まだ寝付けなかった。
だから、少し話をして気を紛らわせるつもりで話をしたつもりだったが、カルラは違った。
話したいが話すべきか迷っていたことを、相手から訊ねられたから大義名分ができたという態度を隠すこともなく、彼女は話を始めた。
「襲撃の目的は、おそらくメイナード様でしょう」
メイナード自身も薄々分かっていたが、この世界の住人に確信をもって言われると、その事実は重かった。
「根拠は? 生け捕りにしようとしていたから?」
瞬間移動の男はメイナードの生け捕りを狙っていた。
わざわざ網まで持って、殺さずに捕まえる方向で戦闘を行なっていた。
それが、メイナードに自分目的ではないかという疑問を感じさせる根拠だった。
「それもあります。しかし問題は襲撃方法ですね」
「方法?」
「襲撃グループは商隊の真ん中に位置する私たちが曲がり角へ差し掛かる時に、攻撃を仕掛けてきました。これは一般的ですし、何の問題もありません。しかしその後の対応があまりにも露骨すぎます」
「攻撃が僕たちに向きすぎている、とか?」
カルラは紙を膝において、頷いた。
「彼らは荷を狙わずに私たちを追い回すことを優先しました。ここまでなら、まだ人さらいも兼ねた行為だったのだと考えることができます。メイナード様ではなく、子どもを狙う行為だったと。しかし相手は魔法使いでした」
「それはどういうこと? 魔法使いが山賊をやってるのはおかしいとか?」
「まあ、それもありますが問題は彼が単独で真ん中にいる私たちを狙ったことでしょう。普通、商隊の真ん中を狙うのは分断を狙った行為です。撹乱のために人数を揃えて、攻撃するのが定石でしょう。しかしそうではありませんでした。彼らはあくまでも単独で、こちらを付け回した」
「そもそも分断狙いではない行動だった?」
「恐らく。別働隊がいて、そちらが撹乱を担ったのでしょう。そしてこの問題に関して先ほどの会議で話題にならなかったということは、彼らが私たちの前後の荷車にうまく張り付いて、違和感を覚えさせなかった証左でしょうね」
「僕らの荷車を囲んだ別のグループが隔離して、隊を三つに分断してたってこと?」
「前列、私たち、後列、という形での切り離しでしょう。私が会議で話さなかったため、その情報は護衛にもまだ出回っていないでしょう」
メイナードは首を傾げた。
「なんで話さなかったの? 情報を共有すれば、敵の全体像も把握できそうなものだけど」
カルラは首を振って、それから少しだけ荷車の幌をめくり、周囲に誰かがいて聞き耳を立てていないか確認した。
「無理ですね、恐らく内通者がいますから」
「えっ!? どういうこと?」
「賊はメイナード様を最初から狙って動いていました。いつ商隊が街を出るかを知っており、商隊のどの位置にいるかも把握し、どう襲撃するかも事前に考えていたというわけです。それができる理由は、商隊内の情報を事前に得ていたということに他なりません」
メイナードは思わず、身体を起こした。
「じゃあ、今こうして固まってるこの商隊内に敵がいるってこと!?」
カルラが指を、メイナードの唇に当てた。
骨ばった硬い感触に、思わずどきりとなって、声を抑える。
「ええ、そうなります。ですから迂闊にその情報を共有できません。内通者の存在に気づいている情報を与えたくありませんし、商隊内で無用な混乱が起こることも避けたいです」
「なるほど……。じゃあこれからどうするの?」
カルラは、黙り込んで立てていた膝に顔をうずめるように考え込みはじめた。
何分経っただろうか。
メイナードにようやく眠気が降りてきた頃に、口を開いた。
「警戒しつつも、何もしないのが良いでしょう。相手が動くのを待ちましょう」
二人の、一時も休まらない地獄が始まった。
**
それから結局、一週間の旅の間に襲撃されることはなかった。
しかし、襲撃されるよりも辛い一週間だった。
昼間は日差しがキツい中、他人の荷車の後ろに乗りつつ、居心地の悪い時間を過ごした。
のんびりとした速度の割に激しく揺れるから、メイナードは毎日のように吐き気と戦っていた。
二日目以降は揺れのせいで尻と腰が激しく痛み、座っているのが苦痛になった。
立って立て付けの悪い荷車の柱に半ば抱きつきながら、何とか乗り切ることになった。
膝すらも痛みを感じ始め、夜は死体の横で寝るのに慣れ始めたころ、ようやく目的地についた。
クラムシェード。
街の周囲を取り囲む十メートル以上の壁の四方には、円柱状の塔が聳えている。
ひと目見ただけで、メイナードが生まれ育ったアルセムよりも大都市であることが伺えた。
道の先には門があり、周囲には人だかりと騎士たちの姿があった。
ローマンは商隊の一番前に、乾獣とともに出て、騎士たちの横に止まった。
それに連なるようにして、商隊が動きを止める。
騎士とローマンはしばらく会話を交わした後、門が開いた。
ゆっくりと商隊が街の中へ入っていく。
メイナードは徐々に近づいていく城壁を見上げながら、街の喧騒が近づいてくるのを肌で感じ取った。
あまりの人と建物の密度に、メイナードは圧倒された。
門の周りには中で待ち構えていた露天商や、物乞いが人の層を成していた。
レンガでできた建物のなかには、色んな店が入っており、昼間から酒を出している店もあるのか赤い顔の男たちも多い。
それに、剣や槍を抱えて歩く集団も多く、それらを街のなかに入れていても治安上の問題は発生しないという、自負が都市の中からは感じ取れた。
商隊が街に入ると、一気に物乞いが移動を始める。
次々に神への祈りを告げつつ、ひび割れた食器や脂まみれの手を差し出した。
黒ずんだ顔と縮れた髪の毛に白い綿のようなものがこびりつく集団は、メイナードが初めて見る集団だ。
日本でもこういう人はいたのかもしれない。
しかし、メイナードのような高校生には見る機会がなかったし、彼らがどういう経緯でそうなったのか知るすべも今はない。
商隊はしかし、彼らへ僅かに食事や金を恵むだけで、さっさと追い払った。
それからしばらく一団はぞろぞろと集団になって移動したが、途中で大きな広場に出たところで解散した。
金などの相談はすでに出発前に済んでいるため、後はローマンが連盟に報告するだけで良いらしかった。
襲撃の被害にあった面々は個別に書類を提出する必要があるが、他はもう解散だ。
メイナードとカルラも、ローマンに短く礼を済ませて目的地へ向かうことになった。
「まだ警戒したほうが良い?」
メイナードは街に入ってからもまだ警戒したほうが良いのか迷って、思わずカルラへ尋ねた。
カルラは小さく頷いて、周囲をすばやく見渡した。
「誰かが尾行しているような様子はありませんが、いつ襲撃されてもおかしくないです。なにせ私たちは目的の場所がありますから」
目的地に向かって歩くからこそ、ある程度ルートが絞られる。
つまり、わざわざ襲撃のために尾行する必要などなく、待ち伏せをしてもいいのだ。
「とりあえず、いつでも魔法を使えるような心構えをしておくよ」
「大火力は避けてくださいね。自分の身を守って、街を壊滅させるなんて騒ぎになったら、冗談じゃ済まないですから」
メイナードの力はほとんど無尽蔵だから、洒落では済まない。
そうして警戒を続けながら、街を歩いて、何とか修道院まで向かった。
飲食店や服屋、露天商の多い広場などの表通りを抜け、徐々に街で一番大きな城のような建物から遠ざかっていく。
「あの建物は?」
「おそらく領主の城じゃないかと。あの建物が西の中心ですね」
街の中心は大広場だ。
いまも人でごった返している街の心臓で、物も金もかなりの流通がそこに集中していた。
そして、中心を挟んで東西に聳えている建物がある。
一つは領主の城。
そしてもう一つは――、
「着きました」
「おおっ、大きい!」
修道院だった。
門からして巨大で、そこから修道院本棟までの道のりが見えないほど広大な土地を所有している。
細かいレリーフの刻まれた門の中心には、羽の生えた筋骨隆々の天使みたいな像が小さく彫られていて、すぐに金のかかった建物であることが伺えた。
門に併設された小さな建物は、門番のいる事務所だ。
窓口は特になく、扉が一つ、こじんまりとあった。
「すいませーん」
「はい、何か?」
カルラが前に立って扉を叩くと、すぐに男が出てきた。
がっしりとした体躯ではあるが、身長が高いせいで横に大きい印象はなかった。
禿頭を左手でひと撫でして、カルラを見る。
その目は単に見ているというより、観察をしていると言ったほうが適切な鋭さを湛えていた。
それからメイナードのほうへ目線が移動し、にこりとも笑わずに、カルラへ視線を戻した。
「ティモシー・アシュベリーからの紹介状で来ました。これを」
カルラが懐から手紙を取り出した。
男はそれを無造作に受け取ると、修道院の門よりこじんまりとした事務所へ二人を通した。
「院長にこれを届けて来ますから、ここでお待ち下さい」
だいたい三十分ほど、二人は待った。
窓のない室内で神経質になった二人は、手遊びをしたり、脚をしきりに組み替えたりなどしながら、待った。
堪えきれなくなったメイナードが室内を物色しようと立ち上がりかけたとき、扉が開いて細身の男を連れた門番が戻ってきた。
「はじめまして、メイナードくん」
カルラが立ったのを見て、メイナードも遅れて立ち上がり、腕をのばした。
細身の男は父のティモシーと同じように僧服に身を包んでおり、一部の隙もない立ち姿でそのままにこりと微笑んだ。
メイナードの手を取りはしなかった。
「どうも、私はカルラ。ティモシーの命にてメイナードを護衛しております」
「はじめまして、カルラ。わたしはロイド・エザリントン。ここで院長をしています」
院長はメイナードに見せた笑みをそのまま再現するように、口角や目元の角度まで同じような微笑みを浮かべた。
そしてもう一度メイナードに同じ表情を見せると、カルラをそれっきり見ずに話を始めた。
「君のお父さんから話は聞いているよ。これからはここで過ごしてもらうことになるけど、決して束縛や軟禁、犯罪行為の強要をするわけではないから安心して欲しい。もちろん手紙を出したり、面会することも認められる」
物騒な前提で話を進めるな、とメイナードは怖くなった。
そこにカルラが割り込む。
「実は、ここに来るまでに一度襲撃されました。なので、私もここでしばらく滞在させて貰おうかと思ってるのです」
カルラは有無を言わせない態度で、ロイドの前に出た。
許可を取るとか、伺いを立てるというわけではなく、もう決めた行動を告げるような態度だ。
しかしロイドは柔らかい笑みを――決まりきった表情に筋肉を動かすという風な機械的な笑みを浮かべて、首を横に振った。
「ここは魔法の修練をする修道院でもありますので、安全上の問題で秘匿せざる得ないことが多くあります。ですので、ここに滞在する許可は出せません」
「襲撃される可能性があるのに?」
「そうした問題に対処することが可能な人員、施設であると我々は自負しているんですよ」
譲歩する気は一切ない、という態度をロイドは崩さなかった。
横に立った門番の男はこれ以上カルラが駄々をこねるようならいつでも剣を抜く準備がある、という剣呑な目つきをした。
しかしカルラもまた、ただでは引かなかった。
「施設内に入るには教会の許可が必要ということでしょうか?」
「そうですね。安全を守る手段として、秘匿性を重んじているという形ですので」
「では、ティモシーへもう一度紹介状を書いていただきます。それまで、メイナードとわたしは修道院へは入りません」
ロイドは何の前触れもなく、無表情になった。
能面のような、無機質な表情だった。
「それは困ります。ティモシーからの紹介状には、地区管理組合のサインも入っていますから、今からメイナードくんには保護される必要がある」
「しかし、私は護衛です。メイナードの安全が保証できない場所へ、向かわせることはできない」
「あなたが護衛するのは道中でしょう?」
ロイドはもう一度笑みを浮かべた。
それから畳み掛けるように言葉を投げかけた。
「あなたが再び紹介状をもってここへ来るまでの間、ここでメイナードくんは保護します。なにも、我々はここで彼を痛めつけたり、死にかけても見放そうとするわけじゃないんです。それにあなたに意地悪したくて言っているわけでもありません。もう一度紹介状を出してくれさえすれば、迎え入れる用意があります」
カルラはしばらく黙り込んで、じっと固まった。
そして門番が焦れて動きそうになったところで、ようやく答えのでた彼女は口を開く。
「分かりました。ただ、私はここに入ることができないだけで、修道院の周囲を徘徊するのは何の問題もないでしょう?」
「もちろん」
そこが二人の譲歩できるラインだった。
メイナードは着替えの入った荷物を抱えて、去っていくカルラに手を振った。
門越しにカルラは手を振り返してくれた。
「じゃあ行こうか。案内しよう」
ロイドは機械のように正確な笑みを浮かべた。
メイナードの、危険の予感が濃密に残る修道院生活が幕を開けた。