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対応と処分

 大牙狼との戦闘、そしてそれを呼び込んだ一ヶ月に渡る小牙狼討伐は、説教だけで済むような話ではなかった。

 メイナードは全く知らなかったが、自分の狩りが大牙狼を呼び寄せる結果になったという話を聞いて青ざめた。

 もちろんあの大きな狼は一匹だけではないし、これから街周辺での出現数は増え続けることになる、とカルラに聞かされたのだ。


「あれは、小牙狼が殺されたせいで興奮していますし当分はよく見かけることになるでしょうね」

「でも、大人ならみんな一刀両断なんじゃないの?」


 カルラは褐色の頬を長い指で撫でて、笑った。


「そんなことありえませんよ。わたしは魔ですからね。人ではああ簡単には行きません。そもそもメイナード様が倒していらした小牙狼でも並の人間が相手取るには強敵ですよ」

「衛兵でも?」


 街の周辺をパトロールして、危険を排除する衛兵は、街の中で働くよりも過酷だ。

 若い従士や騎士が担当してもまだ人が足りないため、傭兵なども駆り出される大所帯のはずだ。


「集団で囲めば倒せないこともないですね。ただ、一対多でやるには小牙狼は手強いですよ、本当なら」

「カルラなら簡単だろ」

「小牙狼の数は無限ではないですが、それでも数え切れるような頭数じゃありません」

「ぼくみたいに魔法を使える人だっているだろ?」

「そんな人が街で警備の仕事なんてやりませんよ。そもそもメイナード様ほど才能のある人はこの街にいませんからね」

「じゃあ、今後の大牙狼討伐はどうするんだ?」


 メイナードは焦った。

 小牙狼から街を守るのすら大変な仕事だと聞かされたいま、大牙狼を街へ呼び寄せる原因となった自分にどんな罰が下されるかなんて想像がつかないからだ。

 自分ひとりだけで負いきれるような問題ではない。

 そんなメイナードの不安を読み切ったかのように、カルラは質問をはぐらかして本当に彼が聞きたかったことについて答える。


「メイナード様は安心してください、気にすることはではありません」

「でも、ぼくが悪いんだろう?」

「悪い、というのがどういう基準で定められる問題なのかわからないので、正確なことは言えません。ただ一つ言えることがあるとするなら、メイナード様は悪いとは誰にも思われないということです」

「どうして?」

「ご主人様がどうにかしてくださるからですよ」


 メイナードはぽかんと口を開けた。

 理解が追いつかない。

 カルラは何も分かっていないメイナードへ、優しく諭した。


「ご主人様は街で唯一の教会の神父様であられますから、騎士団の直接の奉公主である領主にも顔がききます。そもそも昨日メイナード様が森にいたことや、一ヶ月に渡って小牙狼を狩り続けたことなどは、わたしとアシュベリー夫妻、それにメイナード様自身しか知らないこと。万が一ことが公になったところで領主様へどうにか取りなしを頼めるでしょうし、それどころかバレることなく片付く可能性のほうが高いです」


 無茶苦茶だ、とメイナードは思った。

 この街は城壁が都市を囲ってるわけではないし、周辺の農村も含めて領主の土地扱いのはずだ。

 農奴は都市の貴重な財源の一部のはずだし、それを土地など含めて守る仕事は一大事だ。

 そんな大事なことを脅かした一人の人間が許されていいはずがない。

 それでも、この世界では、メイナードがただアシュベリー家の人間だからということで、揉み消しすら可能なのだ。

 メイナードは自分が助かったとはいえ、理不尽だと感じてしまう。

 それに何より、いつも信頼していたカルラが当たり前のように、その現実を受け入れているのが怖かった。

 この世界では、農奴や都市の無辜の民よりも、メイナードのほうが圧倒的に立場が上なのだ。

 そして、その立場を利用して、メイナードは人に迷惑をかけた償いをせずに済む。

 そのツケを誰が払うのか、と考えると答えは簡単だ。

 都市の住民だ。

 

 何も知らない者たちが、何も知らないままにメイナードの尻拭いをさせられるのかもしれないと思うと、ぞっとした。

 カルラはそれを受け入れて、何も感じていないようだった。


「それでいいのかな?」

「メイナード様にとっては、それが一番です」

「ぼくだけじゃない。大牙、狼? だっけ。それにもしかしたら他の誰かが襲われるかもしれないんだ」

「メイナード様はわたしが守りますよ」

「カルラはぼくだけを守るのか? 誰かが自分の知らないところで襲われる想像はしないのか? それを助けられる力があれば、助けたいとは思わないのか?」

「あれば、ですね。少なくともわたしにはありません」


 きっぱりと言い切ったカルラの顔を、メイナードはぎっと睨みつけた。

 

「あるじゃないか! あんだけ簡単に斬ったのに、見捨てるのか?」

「見捨てるんじゃありません。ただ、わたしには救えないというだけです」


 カルラは宙に手を振って、刀身が瑞々しい剣を抜き出した。

 

「これは名前を瑞奉剣(ずいぶけん)と言います。長さはわたしのつま先から腰ほど。柄を入れても、腹ほどまでしかありません。それに、振りかざしても両手を広げたほどの辺りまでしか届きません」


 そう言いながら、水のような剣を腕いっぱい伸ばして遠くへかざす。

 部屋の端にも届かなかった。

 

「それにわたしは寝なければ活動できません。食事も必要ですし、時には身体を休める時間が必ず要ります。不自由な身体ですね」


 カルラは瑞奉剣の刀身を床に向けて、落とした。

 最初にメイナードが見たときのように、床へ刺さる前に水へ落としたような勢いで水滴が散って、消える。

 

「わたしの身体には限界があります。そして、それはあらゆるものを救うには、あまりに足りない。足りなすぎると言っても過言ではありません。だからわたしは見捨てるのではなく、救えないのです」

「それは、ぼくも同じかな」

「さあ、それはメイナード様自身が判断することでしょうね。わたしから言えることは、メイナード様はご自身で何か手を打つ必要は何もないということです。また何かなさるというのであれば、ご両親に相談なさると良いでしょう」


 森に入ったときのように言いつけを破ればまた何が起きるか分かりませんから、とカルラは言ってメイナードの部屋を出た。

 静かな部屋は、外の喧騒すら聞こえない。

 メイナードの家は市場などからも離れているから、外で誰が何かをしているということも少ないのだ。

 金持ちの特権が、今だけは恨めしく感じられた。


 メイナードには何もできないのだ。

 魔法は強い。

 しかしそれはあくまでも、六歳の身体に付随した機能にすぎない。

 大牙狼も、戦いに長けた誰かがメイナードの才能を持って対峙すれば、簡単に倒せるだろう。

 しかしメイナードは精悍な戦士ではないし、特別な訓練を施された魔法使いでもないし、街を守る騎士でもない。

 ただの子どもだ。

 それも甘やかされて、部屋の中で何もかもが事足りる生活を送っている。

 なにより、精神は日本で過ごした高校生だ。

 誰かを助けたりするには、あまりにも力が足りなかった。

 それをメイナードはしっかりと自覚する羽目になった。

 誰かを助けるには、六歳児のまま過ごしてはならないと。


 **


 メイナードを決意を後押しする機会はまもなく訪れた。


「メイ、これからお前は修道院で過ごしなさい」


 大牙狼との戦闘から数週間が経ったある日のことだった。

 父がメイナードへ告げたのは、学校行きである。


 修道院というのは、教会が全面的に支援している子どもの教育機関だ。

 基本的には都市内にない限り、通いで学ぶことはなく、寄宿舎などで集団生活を営むことを強いられる。

 そしてこの街、アルセムには修道院はない。

 つまりメイナードはこの街を出て、勉強のために家族から離れなければならない。


 普通の修道院では勉学や礼儀作法を学びつつ、従士まがいの軍事教練もある程度行われる。

 修道院に通える財力が家にあるというのは大抵貴族の子だから、騎士を束ねる者としてある程度の剣の技術が求められるのだ。

 しかし、メイナードが通うことになる修道院はそういった一般的なものとは趣が異なっていた。

 魔法を使える者のための、修道院である。

 メイナードの父、ティモシーはこのために数週間、手紙の返信を待っていたのだ。

 自分の息子が相当強い魔法使いであることを教会の上層部へ伝え、それを有効に扱うために適切な教育を施してもらおうと画策していたのだった。

 家族と離れ離れになるのは、ティモシーにとっても辛かった。

 それでも修道院を選んだのは、危険な力を制御してもらうためである。

 メイナードは強い。

 だからこそ、学ばなければならない。

 強い力はきちんと行使できる人間として育てるには、そういった教育経験の豊富な修道院に任せたほうが安全だった。

 

 ということで、メイナードは自分の意志とは別に、勝手に修道院行きを決められていた。

 メイナード自身は、修道院がどんな組織なのかも分かっていない。

 前世で通っていたような学校ではないことぐらいは分かるが、どんな指導があり、どんな規範に縛られるのかは想像できない。

 もしかすると、しばらくは家の人たちとは話すことができないかもしれないし、手紙を出すことすら困難かもしれない。

 街の近くに、あんな危険な魔物がいるのだから、外にはもっと危険が溢れていてもおかしくない。

 そんななかで、手紙を出すのは日本よりずっと難しいだろう。

 

 この決定は、しばしの別れを宣告されるようなものかもしれないのだ。


「どのくらい離れることになるのかな?」


 メイナードは、洗濯物を畳んでいる最中のカルラに背中越しに声をかけた。

 カルラは振り返ってから、少し微笑んで優しく告げる。


「そう長くはならないでしょう。メイナード様自身が望まない限り、ですが」

「もっと長く離れていたいと思うようになるってこと?」

「そうですね」


 カルラが服のしわを伸ばしながら、話を続ける。


「一度離れてみると、家族の大事さはよく身に沁みるでしょうが、同時に外で楽しめることの多さにも気づけます」


 何よりあんな夜遊びをしてたメイナード様のことですからね、とカルラは付け足す。


「でも、カルラとも会えなくなるだろ?」

 

 メイナードにとって、カルラはとても大きな存在だった。

 小さいころから世話をしてくれたというのもあるが、魔法を使ってメイナードの命を救ってくれた恩人でもある。

 この世界の危険さを肌身で感じたからこそ、カルラの強さは理解できた。

 そんな彼女と離れるのが、メイナードは不安でたまらない。

 自分の身に何かあった時、助けてくれる存在が身近にいるのは奇跡のようなものだ。

 一度死んだことのあるメイナードだからこそ、それはずっと重い意味合いをもっていた。


 しかしカルラは、突き放す。

 優しい笑みで、厳しい言葉を口にした。


「いつかは離れる身。いつまでも一緒にいられるわけではありませんし、逆に今生の別れというわけでもありません。今、心配することはなにもないですよ」

「また、会えるよね?」

「もちろんです」


 洗濯物を畳み終えたカルラは、メイナードの眼の前に腰を下ろす。

 それからゆっくりと抱きすくめると、小さな背中を柔らかく撫でた。

 メイナードの頭に、カルラの捻れた角が当たる。

 ごつごつとした感触はとても信頼できる肌触りで、ずっと触れていたいと思えた。

 

 そして、メイナードの出発の日がやってくる。

 

 **


 陽がまだ昇りきらない時間に、街道の前に集まる一団がいた。

 商隊である。

 数十人の集団に対して、荷車は二十。乾獣ホーンは一台を二頭でひくため、四十はいた。

 大集団である。

 

 そのなかに、おまけのようにちょこんと荷の端へ座る少年がいた。

 メイナードだ。

 ムスッとした顔は昼間の日差しに煽られて、額に薄く汗が浮いていた。

 髪が汗で張り付いている。

 それを拭う手が、横から伸びた。


「やめてよ、カルラ」

「どうしてです?」


 手を振り払ったメイナードは髪をかきむしって、頭を振った。


「だってあんなの別れの挨拶だと思うじゃん! なんでここにいるんだよ!?」

「ご主人様がメイナード様を道中お守りせよ、とお命じになりましたから」


 からからと楽しそうに笑うカルラに、メイナードは思わずため息をついた。

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