転生
肌に張り付くシャツが血で汚れていた。
松山楽人はそれでもどうにか身体を動かして、携帯を手に取ろうとした。
しかし腕は動かない。雨に濡れた身体からはどんどん体温が奪われていく。
足腰が言うことを聞かず、声も満足に出せない。
どうにかして助けを呼ぼうにも、土手に生えた雑草に身体が隠れていて、見つけてもらうことすら困難だった。
松山はなぜこんなことになったのか分からず、ただひたすらに身体の痛みを感じて鈍いうめき声をあげていた。
高校の帰り道だった。
雨で水かさの増した川に面した通学路。傘を差して、肩を僅かに濡らしながら帰っていたところだったのだ。
しかし突然後ろから追突されるような衝撃が走った。
バランスを崩した身体が濡れたアスファルトに投げ出され、頭を強く打ち付けた。
ものすごい音と痛みが一瞬のうちに身体に駆け巡り、あっという間に土手へ転げ落ちた。
そうして今、松山は濡れた雑草の生い茂る斜面にうつ伏せになっていた。
朦朧とする頭で物を考えようとするが、痛みが全身に駆け巡っているせいで明瞭にならない。
なんとか助けを呼ばなければ、このまま死んでしまうという自覚だけがあった。
それでももう、松山に打つ手はなかった。
首から下が動かないことに気づいたのだ。
身体を濡らす雨が強くなっている。
視界には地面ばかりだったが、わずかに見える土手の風景はほとんど白くなっていて、対岸を見ることすらできなかった。
雨で視界は悪く、土手には人通りがほとんどない。
全身が引っ掻くような鋭い痛みで襲われ、視界はぐるぐると回りつつある。
うつ伏せの体勢も相まって、肺が身体に押しつぶされている。
浅い呼吸を繰り返さざる得なくなり、冷たくなっていく身体とともに体力がみるみる奪われていった。
徐々に痛みすら遠のいていき、倒れる直前に見た光景をぼんやりと思い出す。
マウンテンバイクが一瞬で遠ざかり、雨合羽を着込んだ後ろ姿が雨の中へと消えていったことを。
自転車に突き飛ばされて松山は倒れたのだ。
ひき逃げである。
雨がけぶる中、マウンテンバイクの後ろ姿は松山を助けることなく消えていったのだ。
こんな大雨のなかで、わざわざ助けるのが煩わしかったのかもしれない。
それとも助けても警察に連絡されるのが嫌だったのかもしれない。
単にこんな大怪我を負っていることに気づかなかっただけかもしれない。
それでも、松山が見捨てられて、みすぼらしく死ぬことに変わりはなかった。
もはや松山の助かる見込みはない。
高校でも特段不良というわけでもなく、かといって優等生でもなかった。
友だちはそれなりにいて、クラスの隅で趣味やその日の宿題についてちょっと雑談するような、慎ましい生活を送っていた。
家庭も、両親の片割れが居ないとか、特別に貧乏だということもなく、平凡な人生を送っていた。
兄が二人いて、末っ子だった。
二人の兄と五歳以上歳が離れていることもあって、家族の中では特に可愛がられていたといっても良い。
それでも――どんなに素晴らしく得難い、小さな幸せの中で生きていたとしても、それは今日限りだ。
松山は、今日死ぬ。
数メートル先すらも見えないほど雨足が強まる中で松山の身体は濡れそぼり、誰にも見つかることなく冷え切った。