第九十三話 政景主催の船上酒宴
長尾家の居城坂戸城の近くの池で酒宴が開かれる。実はこれ政景さんはよくやっていることらしい。輝政と同じように大の酒好きなのだ。婚姻の儀のときは憲政さんと一緒にベロンベロンになっていたからな。船は五隻用意され、俺は輝政と絶で借りて、政景さんは別の船に乗ることになっているがまだ準備は終わっていないようだ。
しかし、俺はまだ忘れてはいない。史実では政景さんは船の上から落ち、溺死したとされていることを。しかも忍びや内通者による暗殺という説まであるのだ。
主犯とされる二人。宇佐美定満と柿崎景家は今日この場にいないしそんなことをするとは思えない。しかし外部の犯行という考えもあるので用心するに越したことはない。俺は二人を先に行かせ、段蔵を呼び出した。
「段蔵」
「はっ···ふむその顔、真面目な要件であるようですな」
「あぁ。この周辺に怪しい奴がいないかどうか見回りして欲しい。弓の届く範囲まで頼む。それからできれば水の中に潜んでいる奴がいないか調べて欲しい」
「···分かり申した。もし怪しい者がいた場合は如何しますか?」
「段蔵に任せる」
「はっ···では主は宴をお楽しみくだされ。全て拙者らで対処いたします」
「頼んだ」
段蔵を見送ると、俺は二人の向かった方に目を向ける。
二人は池の周りで料理を囲んでいる綾さんと子供達と一緒にいた。
輝政は卯松君の頭を撫でている。卯松君はブスッとしているが、どこか嬉しそうだ。一方の華ちゃんは絶の袖を握っている。そしてもう一人、卯松君の横には同じ年くらいの利発そうな少年が仲良さそうに座っている。名前を樋口与六というらしい。後に直江の性を継いだ樋口兼続の生家の樋口家である。恐らくは彼が後の兼続なのだろう。綾さんの元で共に勉学に励んでいるようだ。
俺は遅れてその中に挨拶をしに入っていく。
「綾さん」
「あら景亮。よく来ましたね···今日は日々の責務を忘れ、ゆっくりなさいな」
「はい。そうさせていただきます」
俺が綾さんに挨拶をすると、卯松君の横から与六君が俺の正面に立った。
「輝政様の御夫君様ですね? 長尾家臣樋口兼豊の子、樋口与六と申します」
「おぉ···まだ若いのにすごい頭の良さそうな子だ。松尾景亮、輝政と絶の夫をやってます。よろしく」
俺は与六くんと握手を交わす。
「与六は卯松の近習として申し分のない子。将来必ずや義に厚い有能な将となりましょう」
うん、なるよ。何ならドラマの主役になるくらい。ぶっちゃけ未来では上杉勢の中で輝政の次くらいに有名だよ。
すると船の準備が終わったのか政景さんが声を掛けてきた。
「三人共よく来たな。船の準備が出来たぞ」
「分かりました義兄上様。では姉上様」
「えぇ。折角の酒宴なのですから存分に楽しみなさい」
「「「はいっ!」」」
俺達は綾さんや子供たちと別れ、船に乗り込む。
「では皆の者、今日は食べ、飲み、語らうがいい! 越後の平和に!」
政景さんの挨拶を合図に宴が始まる。
「こういうのも風情があって良いな~」
池の上は穏やかな風が流れ、草木の揺れる音が聞こえる。そんな中で池に船を浮かべ肴をつまんで酒を飲む。以前はやろうとも思わなかった。
「何を黄昏ているのだ? フフッ、これは旨いぞ? 食べろ」
「旦那様、杯が空でございますのでお注ぎ致しますね」
「おっ! 二人共ありがとう!」
俺たち三人の様子を周りは微笑ましそうに見てくる。俺は気恥ずかしかったが、二人は全然気にしていない様子だ。そんな感じで長閑な時間が流れていった。
それから数時間、俺達が一度船から降り、綾さん達と談笑していたとき事件は起こった。
「政景様!」
突然の段蔵の声と同時に、横に浮かんでいたはずの政景さんの船が転覆しているのが見えたのだ。
「ーー政景様っ!?」
一瞬の間を経て、綾さんの声が周囲に響き渡った。